妖精会議に呼ばれて
夜になり、サモンは寝る支度を整える。
魔法で髪を梳かし、歯を磨いていると、不意に塔のドアがノックされた。
生徒は夜に訪ねてこない。教師陣も、学園から離れたサモンの塔なんて来たがるはずもない。
となれば、訪ねてくるのはただ一人だ。
サモンは支度を終わらせると、手を叩いてドアを開ける。
ひとりでに開いたドアに呆れながら、エリスが中に入ってきた。
「全く、貴方って人は。何でもかんでも魔法を使って。よく魔力が尽きませんね」
「アンタが思ってるほど魔法は使っていないよ。全てに使ってたら、私の魔力量じゃ朝で全部なくなる」
サモンの塔は、どの教師よりも掛けられている魔法の量が多い。けれど、自分で魔法をかけている教師たちと違い、サモンは魔法薬の利用、古の魔法の応用を使用用途に分けて使っている。
「精霊の森じゃ、無尽蔵に魔法が使えたけど、ここじゃそうもいかないからねぇ」
「常に魔力で満たされているわけじゃありません。人の世界は、貴方が暮らしてきた太古から引き継がれた世界とは違い、常に移ろい、流れ、薄まってきた世界ですから」
「あぁ。もちろん知っているとも。で? 暇潰しに来たわけじゃないだろう? 私がそろそろ寝る時間だと知ってここに来るのは学園長だけだ」
「まだ九時ですが……。いえ、貴方の言う通り。私についてきてください」
「それは仕事?」
サモンがそう尋ねた。エリスは「違います」と否定した。
サモンは断ろうとした。けれど、エリスの言葉がサモンを本気にさせた。
「『妖精会議』に招集されました」
***
妖精会議とは、各地にある森の長が集まりこれからを話し合う場である。
だが基本的に森同士が交わることはなく、それぞれで物事を決めるため、ほとんど呼び出されることはない。
そのため招集されるのは、余程の緊急事態のみとされる。
サモンの塔の傍の森に、少し開けた場所がある。
エリスとサモンはそこで各森の長を待つ。
少しすれば月から舞い降りたり、森の奥から出て来たり、花弁を散らして現れたりとそれぞれのやり方で集まってくる。
「西の森、エルフ――カルア」
「東の森、シルフ――エンラ」
「北の森、ジャックフロスト――スロブライト」
「南の森、ウンディーネ――ロイド」
長が集まり、エリスとサモンも名乗る。
「北西の森、エルフ――エリス」
「精霊の森、精霊代理――サモン」
それぞれ自己紹介が終わると、エンラが周りをキョロキョロと見て、ため息をついた。
「あぁ、減った。また減ったわ」
「そう気を落とすな。集まるだけの妖精はいる」
「スロブライト。そうは言ってもここにいる妖精は五人なのよ?」
しれっとサモンが外されたことにエリスは小言を言おうとしたが、サモンは彼女の肩を押さえて止めた。
精霊の森代表と名乗ったところで、サモンが人間であることは変わりない。
サモンは気づかぬふりをした。
「西の森は大丈夫か? この前大規模な妖精狩りが起きたろう」
「全ての妖精が狩られたわけではない。少人数ではあるが、今に再生する数だ。案ずるな」
「私としては、ここに集まった理由を知りたいのですが。ロイドでもカルアでも、どなたでもいいので」
エリスが本題をちらつかせると、カルアがエンラに目配せをする。
エンラは「春からの問題だわ」と話し始めた。
「各地で被害に遭ってる妖精狩りよ。何のために行われているのか、どうして始まったのか。調査に入りたいの」
――今更?
サモンは思ったが、口に出さなかった。
被害に遭った時点で対策すべき案件だった。それを今になって?
北の森ならおそらく近隣の山でウンディエゴの密猟の話が入っているはず。西の森に至っては妖精狩りの被害は一か月前だ。
サモンはその頃に妖精会議が行われると思っていたが、知らせは一度も来なかった。
「妖精が流れているのはどこか、突き止めないと……」
エリスは焦った様子で唇を噛む。
サモンはため息をついた。
「妖精の流通先は王都。妖精の羽や、鱗粉。火鼠の毛皮だのなんだのって、人間にとって貴重な魔法薬材が、まるで量産品のように並んでいたよ」
サモンは今自分が掴んでいる情報を提供したが、エリス以外の妖精たちの反応がいまいち悪い。
現実味が無いか? それでも、妖精の生活領域が脅かされていることに変わりない。
「密猟者を捕まえて、卸先掴んだ方が早い。しらみつぶしに当たってもいいが、裏商売だと知ってる奴は――」
「それで?」
「……は?」
カルアが口を挟んだ。
サモンは言葉の意味が分からない。
カルアは腕を組み、サモンを睨み上げる。
「精霊の森は、そこまで突き止めておきながら、我々妖精が捕まる様を見物していたのか?」
「カルア! そのような言い方はお止めなさい! サモンは私たちが対策するより早く動いてくれていたのですよ」
エリスが援護するが、妖精たちの反応はやはり悪い。
ロイドはサモンを「嘘はついてないが」と言ったうえで、きついことを言う。
「ついてないが、お前が守れた妖精は何人いるだろうな。量産品のように、と言っていたが、妖精の羽は何人分? もっと早く動いていたら、その場で商人を捕まえてルートを吐かせていたら。西の森が襲われることはなかった」
「それは確かに」
「スロブライト! いえ、ロイド。その時は、サモンは私が頼んだ仕事をしていたから、手を出さなかっただけです!」
「エリスが? それなのにそこの人間は報告しなかったのか?」
「学園長は仕事が多いからねぇ。必要以上に問題事は話さないようにしてるんだ」
「妖精狩りが話さなくていいこと? 人間らしいわ。妖精のことなんて、どうだっていいのでしょう?」
エリスが援護できないほどに、妖精たちの当たりは強かった。
言い返すことだって出来る。
『私が調べている間、アンタたちは何してた?』――そう尋ねたら黙ることも知っている。けれど、サモンは黙っていた。
下手に反撃すれば、エリスに飛び火するのだ。
エリスの理想が、打ち砕かれてしまうのだ。
『種族に関わらず、誰もが教育を受けられること』
『異なる種族の懸け橋となる』
彼女の理想は、夢は、妖精の長たちの承認の上に立つ。
そうでなければ、森の長なんて大変な役職に重ねて学園を開くなんてできないのだから。
サモンは苛立っても何も言い返さずに、ひたすら耐えた。
何を言われても、とにかく流して耐えた。
ヒートアップしたカルアが、サモンに言った。
「人間風情が。我らの色を持つなぞ、不敬極まりない」
それは、サモンの桃色の瞳のことを言っていた。
桃色は、妖精の色。多種多様の髪の色、瞳の色があれど、桃色は一つとしてない。それは、妖精族が唯一持つ、魔力色素だからだ。
サモンは、人間の身で、妖精と同じ魔力を持っていることを表していた。
だがそれゆえに、サモンは人間にも妖精にもなれない。
サモンは「そうだね」と言おうとした。
流さなくては。
耐えなくては。
人間は自分勝手で、悪いものだ。
妖精は自分のことを助けてくれる、良いものだ。
優しくすべきものだ。
守るものだ。
(そうでなくてはいけないんだ)
サモンが口を開く。けれど言葉にならなかった。
サモンの口を、誰かの手のひらが優しく包み込む。
上から降ってくる柔らかな声が、「ダメだ」と止めた。
「それを受け入れるな。それを肯定するな。いいですか。お前は自分を殺してはいけません。お前は人間だ」
「それと同時に儂らの子だ」
ヨクヤが妖精たちを睨みつけた。
「お前たちは誰の許可を得て、サモンを攻撃しているのでしょう。それこそ、不敬極まりねぇです」
「ヨ、ヨクヤ様……」
「はぁ、儂の耳元でやかましい。まとめて生き埋めにしてもいいんですよ」
ヨクヤが脅すと妖精たちは黙り込む。
ヨクヤは「だらしねぇ奴らです」と、またため息をついた。
「大体、サモンが気付いて、儂らに相談と調査依頼していた時、お前たちは何をしていたんですか? どうせ自分の森には関係のないことだと高を括っていたのでしょう。そんなお前たちが、サモンを責めることが出来ると? 甘ったれるな」
ヨクヤはサモンの腕を引く。
サモンは無理やり立たせられると、会議から外された。
「妖精たちの調査は引き続き、こちらで行います。今日は無駄話に集まっていただき、ありがとうございます。どうぞ、心行くまで無駄話に花でも咲かせてろ」
強すぎる毒を吐いて、ヨクヤはサモンを引きずるようにしてその場を離れた。
置き去りにされた妖精たちはバツが悪そうに俯く。エリスは追いかけずに、その場に留まった。
***
サモンの手首をつかんだまま、ヨクヤは森の中を歩いていく。
会議が行われていた場所からは十分に離れた。
けれど、ヨクヤはサモンを離さない。
「ヨクヤ、ヨクヤ!」
サモンが呼び掛けても、ヨクヤは聞いていない。
サモンは諦めて、大人しくついていった。
ようやくヨクヤは止まった。
少し歩けば、サモンの塔に出る、そのくらいの距離を歩いていた。
何だ、送ってくれたのか。
サモンが安心するのも束の間。ヨクヤはサモンの顔を叩いた。
いきなり顔を叩かれて、サモンは訳が分からなくなる。
精霊の中では、ヨクヤが一番気まぐれだ。けれど気まぐれで顔を叩くようなことは一度もなかった。
サモンは理由を考えることもなく、ポカンとしていた。
「…………どうして、言い返さなかったんですか」
ヨクヤの静かな質問。
サモンは答えることが出来なかった。
「それは――」
「あのエルフの夢ですか?」
「えっと……」
「他人の夢とか理想ごときが、お前を貶しても我慢する理由になりますか」
「……」
痛い所を突かれ、サモンは黙った。
ヨクヤは眉間をつまむとため息をこぼす。
「サモン、あの中では一番立場が弱いのは知っています。それを理解していながら、介入しない儂らにも非があります。ですが、何を盾にされようと、どんな障害があろうと、お前を否定する言葉にはとことん抗え。どんなに小さな一言でも「やめろ」と言え。存在の否定は、己の価値の消失です。意地でも守れ。間違っても肯定するな。儂はお前を、そんな風に育てた覚えはありません」
ヨクヤの愛ある言葉にサモンは「そうだ」としか言えない。
「ごめん。君の言う通りだ」
「分かっていただけたならいいです。学園くらいなら、ツユクサとかホムラあたりが守ってくれますよ。儂は嫌ですが」
「君はそう言うと思ったよ」
ヨクヤはサモンの赤くなった頬を優しく包む。サモンは手の温度の心地よさに目を閉じた。
「叩いてすみません。赤くなってしまいましたね」
「こんなの平気さ。叱ってくれてありがとう」
「……愛しい子。儂らはいつも傍にいますからね」
サモンが目を開けると、そこにヨクヤはいなかった。
生ぬるい風が吹き抜ける、森の静けさが残っていた。
サモンは自分の住処へと戻る。
「――貶されたのは私なのに」
サモンは、頬に手を添えるヨクヤの顔を思い出す。
「どうして君が泣くんだよ」
うっすらと涙を浮かべたあの顔が、消えてくれない。




