仕事の下準備
次の日。マリアレッタに去年の資料を貰い、サモンは塔の中で黙々と資料を読み漁る。
卒業した三年生のデータは破棄、今の二年生と三年生のデータは変化記録として保存、去年と同じ競技は内容と走者記録等残っているので保存······、途方もない作業だ。
「妖精のお手伝い」
面倒になってサモンは杖を振るおうとする。サモンが高く上げた手を、誰かが優しく止めた。
マリアレッタがいた。いつの間に来ていたのだろう。ノックの音もしなかった。
「やぁ、マリアレッタ先生」
「こんにちは。きっと慣れない仕事で困っているんじゃないかと思いまして、手伝いに参りましたわ」
「いや別に。······いや、うん。少し困ってる。どこから手をつけようかなって」
「うふふ。来て正解でしたわね。さて、まずは過去のデータより、今年の競技参加者リストと、プログラムの順番を照らし合わせましょう。過去から学ぶのはもう少し先。今をきちんと見つめて、それでも迷ってしまった時ですわ」
マリアレッタの手を借りて、少しずつサモンは指揮官の仕事に着手していく。
リストをまとめ終えて、競技練習の組み立てを進めていく。
そこはサモンの得意な部分だった。
今まで生徒たちの理解力や取得率、読解力や表現力等鑑みて、授業の内容とペースを決めてきたのだ。
(──しまった)
だが、今年は例外である。
剣術学科、魔法学科の混合のため、剣術学科生徒の情報が一切ない。
どのくらいの理解力があるのか、はたまた体力の程は。
去年も一昨年も、サモンは体育祭に一切参加していないし、何なら授業以外で塔の外に出ることなんて無かった。
とりあえず、魔法学科の生徒の平均に合わせて組み立てよう。もしもそれより上回るようであれば、やり方を変える必要がある。
ある程度の変更の自由が効くように、予定を組まなくては。
サモンが悶々と考えながら手を動かしていると、マリアレッタは優しい目でサモンを見守っていた。
サモンはピタと手を止めて、呆れたようにマリアレッタにため息をつく。じっとりとした目だけをマリアレッタに向けると、マリアレッタは小さく笑った。
「いえ、何となく。去年までなら、考えられなかった光景ですから」
「············なぜ」
言いたいことは山ほどあるが、サモンはグッと堪える。
マリアレッタは狭いテーブルに散らかった資料を集めながら、ゆっくり話し出した。
「私は、去年に赴任しました。新学期にミスタ・ストレンジを見た時、『あぁ、この人はなんて冷たい人なんでしょう』と、悲しくなったものです。仕事は必要最低限。学園長の言葉すら耳に入らない。目の前で起きる争いごとなんて、あなたの目に映ることなく『無いもの』として扱われる。生徒の嘆きも、教員の苦悩も、あなたにとっては何ら『存在しないもの』だったでしょう」
そう言われても、返す言葉がない。
去年までの記憶はどうにも朧気で、言われてみればそんな事もあったような気がする。
サモンの悩ましげな顔とは対照に、マリアレッタはニコニコしていた。
「それが、今年になってあなたは変わった。生徒とよく関わるようになり、教員同士でも言葉を交わすことが増えた。無表情だったあなたも、今年はよく表情を変える」
「あれは、レーガが絡んでくるからであって、決して私から話に行ってる訳じゃ無いんだよねぇ」
「それでも同じこと。あなたが自ら変わろうと、他者の手に引っ張られようと、私からすれば、あなたが変わったことに変わりはなくてよ」
マリアレッタは「どうか今のあなたでいて」と資料をクリップで挟んだ。
サモンは「意味が分からないよ」と、知らん振りをする。マリアレッタは意味ありげに微笑むと、時計を確認する。
「······そろそろ、三時限目の授業が終わりますわ。次の時間、お互い授業がありましたね」
「ぅん? ······あぁ、あった。それじゃあ、面倒だけど学園に行こう」
「そうですわね。じゃあ、私は······」
「去年の体育祭、魔法科と剣術科で成績の差はどのくらいあった? ついでにマリアレッタ先生が見た感想でいいから、違いが知りたい。あと、魔法科と剣術科限定のこの種目、内容が何も書いてないんだけど、その資料はどこにあるんだい?」
サモンはマリアレッタの横で質問をぶつけていく。
マリアレッタの返事も聞かずに質問を重ねる辺り、サモンらしい。
マリアレッタはぽかんとしていた。サモンはマリアレッタの三歩先に歩くと、少し振り返った。
「マリアレッタ先生? 聞いているかい?」
「あ、ええ。もちろん」
「あっそ。ならいいや。今言ったこと、順番に教えとくれ。学園長に押し付けられた分、きっちり仕事しなくちゃ嫌味を返せないからねぇ」
マリアレッタは、立ち止まって自分をを待ってくれるサモンに、まだ驚いていた。サモンはマリアレッタが何を考えているかも知らない。
サモンは首を傾げた。
「? 早くおいでなさい。置いてってしまうよ?」
サモンの変化は、サモンには分からない。けれど、周りが分かるくらい、確かに変わりつつある。マリアレッタは「去年ならありえなかったわ」と呟いて、サモンの隣に立つ。
去年なら、サモンの隣に誰かが立つことは、絶対にありえない事だったから。




