先生たちのお片付け
真夜中の風はひんやりしていて、透き通っている。
息を吸えば、水の香りと葉っぱの香りが鼻腔を突いて、涼しさを伴って肺を満たした。
閉めた校門の前、二つの柱の所にサモンとクロエは立っていた。
クロエは、さわさわと聞こえる葉の擦れる音に、耳を動かす。
「えぇ夜やねぇ。そろそろ梅雨の時期が来るからか、風が冷たぁなる」
「そんな夜に眠らせてくれないクロエ先生は、なかなか酷い獣人だ」
『手伝い』と言うからには、荷物運びとか買い物の付き添いだと思っていた。それなのに、『夜中の一時半に校門に来い』だなんて。
············果たし状かと思った。
「たかが夢だよ。イヴァンのあれは、ブギーマンが見せた悪夢だ。本当に起きると思っているのかい?」
「うふふ、本の虫のサモン先生でも、占いには疎いようやねぇ。夢は心を映す鏡、そして未来を知る水晶。占いの一つに『夢占い』があってなぁ?」
クロエはそのまま占いの話をしようとする。サモンは片手でクロエを制止し、「授業はここまで」と話題を切った。
クロエはつまらなさそうに頬を膨らませる。サモンはくぁ、と欠伸をした。
「帰って寝てても構いまへんえ? 朝起きたら、塔が可愛らしゅうなってるだけやん」
「それが嫌だって言ってるんだ。そもそも、アンタのクラスの生徒だろう。わざわざ私を巻き込むな」
「言うてイヴァンを連れて来たんは、レーガやんなぁ? あんたのお気に入りちゃいました?」
「全然違うね」
二人で話をしていると、門の向こうから「ちょっと」と声をかけられた。
「喧嘩はやめてください。危険が迫っているというのに、どうしてこうもお二人は······」
エリスが腕を組んで小言を言う。クロエは「うふふ」と笑ってエリスの口を指で止めた。
「嫌ですわぁ、学園長。喧嘩なんて、一回もしてへんで?」
「全くだよ。もしもクロエ先生と喧嘩するなら、私はもっと皮肉を織り交ぜてるさ」
クロエは目を細めてサモンを見る。サモンはふぅ、と息をつく振りをしてそっぽを向いた。
──風向きが変わる。
サモンはスン、と風を匂いを嗅いだ。
さっきと同じ香りの中に、何ヶ月も洗っていない枕のような酸化臭が、薄らと混じる。
クロエも耳をパタつかせ、口元を隠した。
「······サモン先生、何が居てるか当てられます?」
「もちろんだとも。男が二人ほど。だいぶ遠くにいるよ。ここからじゃまだ見えないだろう。······この間埋めた奴とは違うなぁ」
「え、ちょっとストレンジ先生。今埋めたって、埋めたって言いました?」
「あれ、報告した気がしたが」
「初耳ですよ」
エリスのじっとりと睨みつける目に、サモンはようやく思い出した。
そういえば、やり過ぎたことがバレないように、とその辺りを伏せて話た気がする。
(あー、ちくしょう)
真実はいずれ明らかになる、とは言うが、自ら明かしてしまうのは間抜けの所業だ。
「先に行くよ。さっさとお帰り願った方が、後々の処理が省ける」
「私に怒られたくないだけでしょう。ちょっと待ちなさい! サモン!」
サモンは聞こえない振りをして林道を駆ける。学園が豆粒程に見える辺りで、林の中に隠れ、近くにある木に登り、男たちが来るのを待つ。
気がつけば、クロエが道の反対側の木の上に座っている。クロエはニコニコ笑って「よろしゅう頼んますねぇ」なんて、サモンに話しかけた。
サモンは杖を握りながら、クロエをリボンで巻いてやりたい気持ちをぐっと抑えた。
少し待つと、向こうから男たちの下品な笑い声が聞こえてくる。
サモンは杖を地面に向かって振り、呪文を唱えた。
「びっくり箱」
道の真ん中に、イヴァンにそっくりの人形が立った。暗闇にアカオオカミの毛並みはものすごく目立つ。月明かりで光るから、尚のこと。
クロエは「ほぉ」と感心する。
男たちはイヴァンを模した人形を見つけると、麻袋を持ち出し、人形に被せようとする。
「追いかけてくる『何か』と、飲み込んだ闇。なるほどなぁ。イヴァンは、これを予知夢として見たんやねぇ」
クロエは小声でそう言った。
予知夢、なんてものもあるのか。夢ひとつでも興味深い。
(夢占いねぇ。少しかじってみるのも面白そうだ)
男たちは人形に袋を被せる。その瞬間、人形が弾けて袋の隙間からガスと共に粉が吹き出す。男たちは粉を吸うと、その場で眠ってしまった。
クロエは「なんやの?」と興味津々で尋ねた。
「深眠花草さ。俗名『眠り彼岸』と呼ばれ、死に近いほどよく眠れる」
「······それ、ほとんど死んどるんちゃいます?」
「いいや、花粉を使えばそれこそ、永遠に眠れるほど強力だけど。今回は花弁をすり潰して粉にした──やつを持ってきた。大変なんだよ? 花を見つけるのも加工するのも」
使ったひと握り分の粉で一日半ほど使っている。
それを惜しみなく使ったのだから、手伝いはこれで十分だろう。
クロエは感心しながら地面に降り立つ。粉を吸わない様に、布で鼻から下を覆い、杖を抜こうとした。
「──っ!?」
クロエの腕と肩に、針のようなものが刺さり、電流を流す。
クロエはその場に膝をつき、痛みに呻いた。サモンは異変を確認するが、今姿を見せたら、自分も捕まりかねない。
「はっ! 白狐の女だ! 雪のように白い、しかも上玉じゃねえか! 髪の毛一つで金貨の大袋がもらえるぞ!」
針には電線が繋がっているその先に、銃を構えた男が立っていた。下品な言い方しか出来ない男より、サモンは奴が持つ銃を見つめていた。
なんと言ったか、あの銃を。記憶にある。王都の銃器屋で出回っていたんだ。
「······テーザー銃か」
殺すことなく、相手の動きを制することが出来る。
それなら凶悪犯でも、人間よりも強い獣人族でも、簡単に捕まえられる。
「けれど、相手が悪かったね」
サモンは杖を振った。······私の手伝いはここまで、と意味を込めて。
「土の精霊──『獣の咆哮』」
微かに足元が揺れ、銃を持つ男はちらと下を見る。その途端、地面は立っていられないほど強く、縦に揺れて男を転ばせた。
男の尻の地面に亀裂が入ったかと思うと、バカッ! と深く割れた。
男は尻から落ちて、手と足を地面に食い込ませて留まる。何とか落ちまいと、仲間を呼び、歯を食いしばる。
けれど、肝心なお仲間は眠っている。さらに喧嘩を売った相手は、よりによってクロエだ。
クロエは針を引っこ抜き、ゆらりと立つ。そのまま杖を振り上げると、冥府の深淵よりも恐ろしい笑みで、呪文を唱えた。
「鬼よ 吉凶を占う音を鳴らせ
煙揺らめく釜 浮いては消える泡沫よ
彼の者の相を見せよ」
地面の裂けた先からごぼごぼと鍋の煮える音がする。男の体の隙間から上り立つ煙が、見るからに熱そうで、サモンは「うわ······」と声を漏らす。
クロエは耳をピンと立て、男を睨み下ろしていた。
何の音も立たず、男に煮え立つ水が迫り来る。
「──『凶相』」
クロエが占いの結果を下すと、杖を縦に振り下ろす。地面の割れ目から、紫色の濃い光が放たれた。
「鬼の占術魔法──『永久の夜道巡り』」
呪文を唱えると、地面の熱湯から骨の腕が無数に伸び、男に絡んでいく。
男は悲鳴をあげることすら叶わず、熱湯に飲み込まれた。
男が消えた途端に地面の割れ目も塞がり、辺りは真っ暗闇に戻る。
「······飲み込んだ闇は、こっちの様だねぇ」
サモンは木の上から降りて、クロエに近づいた。
クロエは「妖精の浮遊」と眠りこけている男二人に魔法をかける。
サモンは『知らぬが仏』とは知っていながら、あえて追求する。
「地面に消えた男は、どこに行ったんだろうねぇ。私には見当もつかない」
クロエは口元を隠して笑う。
「さぁ? 狐に悪戯しはるから、仕舞われたんちゃいます?」
なんて、おどけて見せる彼女を、(だから『学園で怒らせてはいけない人物の一人』なのか)とサモンはようやく察した。
クロエは「ほな、帰りまひょ」とルンルンで学園に戻る。
サモンは彼女の後ろを歩きながら、さっきまであった地面の割れ目を振り返った。
「······怒らせる相手を、間違えたようだね」
サモンは冷たい目で地面を見下ろす。
そこには何も残っていなかった。
──何も残っていなかった。