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危険は追ってくる

 ······息が切れる。

 肺が熱くなって、喉の奥から血の味がする。


 怖くて、怖くて、堪らなくて。振り返る事すら出来ないまま、走っていた。


 獣人特有の足の速さと、持久力。それすらすり減らすような、追ってくる何か。


 あと少しで学園だ。あと少しで安全圏だ。


 だから頑張らなくては。あと少しなのだ。


 けれど、学園の門をくぐる前に、それに追いつかれてしまう。


 後ろから大きく口を開ける、冷たい孤独な闇。それに飲み込まれる恐怖が、大きく身体を震わせた。


 ***




「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」




 反射的に起き上がる身体と、震えが止まらない体。

 バクバクと破裂しそうな胸を押さえて、毛布に垂れる汗を見つめる。

 まだ夜中の二時を回ったところだ。もう一度眠ろうにも、目がすっかり覚めてしまった。

 息を整えていると、パタパタと走る足音がして、直ぐに隣の部屋からレーガが駆けつける。



「イヴァン! イヴァン大丈夫!?」



 まだ寝ぼけているレーガは、ベッドの前で(つまず)いて床に顔を叩きつける。イヴァンはレーガを心配するが、レーガは鼻を擦りながら起き上がる。


「また、怖い夢を見たの?」

「あ、うん。でもヘーキ。もう慣れっこだからネ」

「でも、ここんとこ毎日じゃない?」


 レーガはイヴァンを心配する。けれど、イヴァンには頼れる人がいなかった。


 ナヴィガトリア学園は、あらゆる種族に学ぶ機会を与える、開かれた学校である。けれど、受け入れ始めたのは十年前からとほぼ最近で、半妖精や獣人族、魔族への偏見は根強く残っていた。


「きっと見なくなる日が来るヨ。心配させてごめんネ」

「······僕、相談出来る人知ってるよ」


 レーガはイヴァンの手を握って笑いかける。イヴァンは不安そうに耳を伏せた。


「誰も、ボクに優しくしなイ」

「そんな事ないよ。無関心な人は、誰かを傷つけることにも興味無いから」


 レーガはイヴァンにそう言った。イヴァンは笑って「ありがト」とレーガの手を握り返した。


「それで、その人っテ?」


 ***


 明け方、東から風が吹く。

 サモンがまだ寝ているのに、風が前髪で遊び、頬を撫でる。

 それがくすぐったくて、サモンが薄らと目を開けると、一人の男がサモンの髪をいじっていた。


「おっ、起きたかい! おはようさん」

「起こしたのは君だろう。アズマ」


 長い髪を適当に結わえ、着崩した服装の快活な風の精霊。青いアイシャドウが爽やかなアズマは、サモンの毛先を指で弾く。


「そろそろ散髪の時期じゃねぇか? 毛先がほれ、割れてんぞ」

「枝毛くらい気にすることないよ。それより、話があって来たんだろう? 他の皆より、君は諸々(もろもろ)が自由だからね」


 アズマは「うははっ」と笑うと、ベッドの端に座る。サモンは体を起こし、アズマの座れる面積を広げた。


「王都の情報だったな。単刀直入に、最近の王都は酷く荒れてる。何でも唯一の跡継ぎだったヘレンデル王子が病で亡くなったらしい。そんでもって王とお(きさき)が、統治する元気もないとかで」

「はっ、人が一人死んだくらいで統治権を放棄か。馬鹿馬鹿しい」

「兄弟がこんな育ち方するなんて······。親の顔が見たいぜ」

「君たちだよ。ホムラと同じようなこと言わないで」


 あからさまに泣いた振りをするアズマに、サモンは脇腹をつつく。アズマは「へーへー」と、サモンの手首を掴んで止めた。


「それより、妖精の()()()状況が知りたいんだけど」

「それに関してだが、妙なんだよなぁ。治安が悪くなったせいなのか、裏業者が表に出てきてる。ありえない物が大通りで大量に売られてんだよ」

「ありえないもの?」

「分かりやすい物で言えば、『火鼠の皮衣』や『妖精(ピクシー)の羽』あたりか」


 サモンは目を見開いた。


 火鼠は巨大な体を持ち、火山に生息する。防護服を着ても小一時間で溶けてしまうような熱い場所にいて、滅多に見つからない希少種だ。見つかったとしても、こちらが火山の熱で溶けて死ぬか、火鼠に襲われて死ぬかのどちらかで、毛皮を手に入れることは不可能に等しい。


 妖精(ピクシー)の羽だって、五年に一枚手に入るか入らないかの貴重品だ。それに、妖精(ピクシー)は警戒心が強く、羽が無くては飛べない弱い存在で、手に入れるには妖精達の信頼関係がものをいう。

 死んだ仲間の羽をくれるのだ。悪用する気配がしたら、すぐにでも取り返して二度と現れなくなる。



 それが大通りで大量に? ──有り得ない。



「あの様子じゃ、妖精そのものも流通してんだろうな。獣人族の売買も、裏通りで見かけたしなぁ」

「それは、誰が何処から入手してる? 王都への納品頻度やその入荷量、近辺の妖精の住処(すみか)······いや、君が行ける範囲での妖精達の居場所から情報を入れてくれ」

「おいおいおい、出来なくはないが、どんだけ時間がかかると思ってんだ。王都の情報自体、一週間も時間がかかってんだぞ」

「妖精達にも働きかければいい。なんなら、()()()()()()()?」


 サモンがそう言うと、アズマは悲しそうな顔をした。


「······やめろ。俺たちゃお前をそんな風にするために、育てたんじゃねぇんだ。サモン、お前は人間だ。だから、俺たちから離れさせたんだ」

「私は一向に構わなかったのだけれど。家族から引き離された辛さが、君たちに分かるかい?」

「俺たちだって、好きで手放したわけじゃねぇや! だがな、サモン。自分が何者かを見失っちまったら、誰も助けらんねぇ。分かってくれよ。だから俺たちは、お前が困ったら必ず手を貸すんじゃねぇか」


 弟のわがままを窘めるように、アズマはサモンの頭をわしわしと撫でる。

 サモンは「知っているとも」と言いつつも、やっぱり納得出来ないようだった。アズマは困り笑いした。そして、サモンを抱きしめる。


「ちゃーんと調べてくるよ。ツテだってあるし、俺は(とも)と話をするのが好きなんだ。出来るだけ早く集めてくるぜ。なんたって俺ぁ、東の風だ。誰よりも速い風なんだ」

「······わがままを言ってごめん。頼りにしてるよ」


 サモンはアズマを抱きしめ返す。

 サモンはきゅ、と目を強く瞑る。アズマはサモンの背中を、二回優しく叩いた。


 サモンが目を開けると、アズマはいなかった。

 風のように現れ、忽然と消える。自由なアズマに、サモンは「全く」と笑う。


「忙しないなぁ。······さてと、だいぶ早いが朝ご飯にしようか」


 サモンはベッドを抜け出す。

 畑の野菜を収穫しようと外に出ると、アズマが囁いた。


『イヴァンという名の獣人の子供が、お前に会いに来るぞ。魔法学科のレーガって奴を連れてな』


 サモンは畑の前で頭を抱えてしゃがみ込む。

 またあいつが面倒事を持ってくるのかと思うと、頭が痛かった。

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