幕間の戦闘
クラーウィスは苦戦していた。
今まで殺した数より少ない人間相手に、自分よりも弱い人間相手に、肩で息をしていた。
使える武器も、技法も、良いだけ使っているというのに。それ以上に人間の胆力というか、何と言うか、改造された身には分からない強さがあるのだろう。──憎たらしい半面、羨ましくもある。
「押されているな」
ツユクサが、クラーウィスの傷を癒しながら言った。クラーウィスは汗を拭って、大きく息を吐く。
さすがに千人、いや、それ以上に追加されていく数を片付けるのは骨が折れる。体力もそろそろ限界だ。ツユクサの力は傷を癒しても、体力を回復してくれるものでは無い。
クラーウィスは剣を構え直す。血がこびりついて汚く、鉄臭くなってなお、斬れ味は劣らない。それが余計に、兵士たちの恐怖を煽る。
斬りこんで、深く貫いて。血が飛び散って木も草も、赤く塗り替えていく。自身が受けた傷はすぐに癒えるのに、兵士たちの傷は癒えることなく息絶える。口の中に入る鉄錆の味が、クラーウィスを興奮させた。全身に浴びる人肌くらいの温かい血が、クラーウィスを歓喜に震わせた。
だが、クラーウィスは不思議だった。列を成し、奥の奥まで伸びる兵士の群れに対して、クラーウィスが相手している数は少ない。
感覚的にそう感じるのだろうか? いや、だとしても遠目に見えた顔が、近くに来るといないことがチラホラある。
クラーウィスは、すぐさまシュリュッセルに連絡を取る。攻撃する手を止めることなく、耳に装着した通信機に手を当てて、彼の名前を呼んだ。
「シュリュッセル! 兵士が足りない! アタシの勘違いかもしれないけど、確認してくれ!」
三秒置いて、シュリュッセルから連絡が返ってくる。
あちらも忙しいのか、キーの操作音やら警告音やらで騒がしかった。
『勘違いじゃないわ。抜け道を見つけてる。……っていうか、学園の塀に穴を開けてくれちゃって。迎撃ドローンがフル稼働だし、防衛システムが間に合わないわ!』
苛立ったような、面白がっているような声が返ってきて、クラーウィスも思わず微笑む。
この弱っちい生き物は、どこまでも粘って、アタシたちを追い詰める。これがどうして面白くないと思えるのか!
「分かった、こっちで出来るだけ減らしてやるよ。学園内は頼んだぜ」
『任せてちょうだい。使いたいシステムがいっぱいあるの。あぁどうしましょ。ボク、ちょっと興奮してる』
「分かるぜ、シュリュッセル。アタシもだ」
通信を切ると、クラーウィスは目の前にいた兵士の頭を両断する。口から下を残して絶命する兵士を踏み潰して、クラーウィスは剣を振り上げる。
「ツユクサ! とにかく水を集めてくれ!」
「何をする気だ」
「最っ高に楽しいことだ!」
そう言ったクラーウィスは、剣を組み替えて、大きな杖にする。その杖を地面に突き立て、詠唱を始めた。
「幸せは永遠に続かない 苦しみは永遠に続かない
歌よ響け 美しく響け
姿を変えても愛しさは消えない
歌よ響け 悲しく響け
この身が失せても貴方だけを想い続けよう!」
クラーウィスに集まる水は、泡立ち、渦巻いて、大きな波を作り出す。逃げ道のない災害に、この後どうなるかなんて聞かなくても分かる。逃げ出す兵士を嘲笑って、クラーウィスは魔法を放った。
「殲滅固有術式──『深海の泡沫となりて』!」
放たれた水は津波となり、兵士も、樹木も、何もかもを飲み込んでいく。水に飲み込まれたものは全て、泡となって消えた。何も残らないそこに、クラーウィスは誇らしげな笑みを浮かべた。その様子を、ツユクサが冷めた目で見つめる。
「何もかもを殺めたというのに、良心の呵責もないか」
ツユクサの冷たい物言いに、クラーウィスは鼻で笑う。人の心を問われたって、クラーウィスには分からない。
「アタシは人じゃねぇ」
……そうだ。そう言うしかないのだ。
それでも、ツユクサは自身の爪を見ながら、彼女に言う。
「改造されたところで、人間という種族に変わりない。君が自分を人と思えなくても、私には、君がサモンと同じに見えるよ」
彼の言葉に、クラーウィスは驚いた顔をする。そんなことを言ってくれる人なんていなかった。学園長ですら、兵器である自分たちの力を求めて、学園のセキュリティ管理を任せたのだから。
「そうかよ」
純粋な水の精霊が言うのだから、きっと間違いはないのだろう。
クラーウィスは続々と列をなす、遠くの軍隊を見据える。杖を構えて、迎撃の備えをする。
「次が来るぞ。トンチンカンなこと言ってねぇで、早く構えろよ」
「分かっているとも──人間」
ツユクサの返事を笑って、クラーウィスが魔法の詠唱を始めた。
背中がムズムズする。胸がじんわりと温かい。この感覚は久しぶりだ。
(期待、しちまうだろうが)
人間に、戻れるかも。……なんて。
***
一方──森の中
カメリアは懸命に走っていた。
目の前にいる小さな妖精を追いかけていた。小さい妖精は小回りの利く体を使いこなして、木々の隙間、岩の下など、カメリアが着いて来れない道を行く。
カメリアも、騎士だった経験から、木に飛び乗り、岩を飛び越え、必死に食らいついていく。
何とか妖精を捕まえると、暴れる妖精に話しかける。
「いてて、噛むな。そっちに行ってはいけない! 罠がある。東に進め」
傷だらけの手で妖精を掴んだまま、罠のない道を歩き、安全な場所で離す。首を傾げる妖精に、疲れた笑みを浮かべた。
「ド変態な医者がいると思わなかった。体を壊したこともなかったし、あの医者と話すこともなかったからな。あれに捕まるな。捕まったら、とんでもない目に遭うぞ」
妖精に忠告を残し、カメリアはサッとその場を離れた。彼女が次に向かったのは、罠が仕掛けられた場所だ。妖精を捕まえるために、自身の戦略のために仕掛けた罠が、まさか仇になるとは思ってもみなかった。
だって罠とは、相手をはめて隙を作ったり、決定的な一撃を食らわせるための補助として使うものだ。
「そのはずなのになぁ……」
カメリアは、自分で仕掛けた罠を、解除して回っていた。そうでないと、ろくな使い方をされないからだ。
今向かっているのは、トラバサミを仕掛けた所だ。そこに向かって走っていると、何かの悲鳴と、気色悪い笑い声が聞こえてくる。
「最悪だ」
見つかっている!
カメリアは走る速度を上げた。
着いた先には、大型の妖精が罠にかかっていた。樹木がそのまま動き出したような見た目に、カメリアは驚くが、それもすぐ真顔に引き戻される。
捕まっている妖精の正面に、あのド変態がいるのだ。
「この葉っぱは、回復薬に使う素材に似ているなぁ。いいや、素材そのままだ。はっ、もしや、君があの葉っぱの生産者!? 素晴らしい素材の提供をありがとう! おぉ、神よ! これも貴方のお導き! この出会いに感謝を!」
なにか喜んだと思ったら、急に祈りだした。
ストレンジは、この医者と本当に仲が良かったのか? 話だけは聞いていたが、全くの正反対な性格にカメリアは風邪を引きそうなほど引いた。
エイルは正気じゃない。きっと、悪いキノコか何かを食べたのだ。そう思わないとやっていられない。
立候補したことすら後悔しそうだ。
エイルはカメリアの心境も知らず、ひとりでずっと喋り続ける。
「むっ、この足から出ているのはなんだ!? トラバサミで挟まれて怪我をしたのか! 妖精は傷が膿んだりするか? それとも、すぐに治るのか? さっきの妖精は三秒で治っていたが……これは、血ではない。樹液!? キャーーー! 樹液出るんだー!」
どこに興奮してるんだ。
というか、興奮している理由も、喜ぶポイントも分からない。頭が痛くなってきた。
カメリアはとりあえず、鞘でエイルの頭を強く殴った。倒れて動かない隙にトラバサミを解除し、妖精を逃がす。
「東だ。東に逃げろ」
妖精を迎撃するはずだったのに、気がつけば妖精の避難指示に回っている。カメリアは、妖精が無事に逃げたのを確認して、エイルが起きるのを待った。
エイルはすぐに起き上がる。妖精が居なくなっていることに気がつくと、大粒の涙を流した。
「せっかくの被検体がっ!!」
「レディって言うな。気色悪い」
「乃公のこと強く殴ったな」
「気持ち悪すぎて、妖精が可哀想だったんでな」
「骨が破壊されて、脳まで侵食する痛みが最高に心地よかった。もう一度殴ってくれ」
「お望みのままに」
カメリアはもう一度殴ると、気絶したエイルを置いて、次の罠の元へ走る。
しばらく走ったところで、罠の位置を確認するために、地図を開いた。
広い森だし、妖精の大軍と聞いて、多く罠を仕掛けたが、エイルのおかげで全てがダメになった。作戦だって立てていたのに、エイルが完全に独走して作戦の「さ」の字もない。
カメリアはため息をついて、地図の罠のマークにバツ印をつけていく。
「潰した、潰した。ここは潰れた。エイルが先に回ってて、ここも潰れた。今はここで……」
「あぁ、ここはさっき行ったところだ。こっちは不発だったから、回収しておいたぞ」
「あぁ、助かる。…………ん?」
カメリアが顔を上げると、ついさっき気絶させたエイルが、一緒に地図を覗き込んでいた。
カメリアは驚いて、エイルの顎にアッパーをかます。エイルは、焦点の合わない目でふらついたと思ったら、直ぐに回復する。顎を痛そうにさすると、ヘラヘラと笑う。
「さすがは元騎士だ。力が全然違う」
「当たり前だ。学園の基礎的な体術なんか使わない。実践的な、生きるための戦術を使うからな」
「痺れるなぁ。その答えも、今の拳も」
カメリアはエイルにため息をつく。サモンの気持ちが何となく分かった。
「本当に幼なじみか? ストレンジ先生とは、全然タイプが違うな」
「幼なじみだとも。同じ性格だったら、長続きしないしな」
「そんなものか? いや、でも、『類は友を呼ぶ』とは言うし」
カメリアは考えながら、次の罠へと向かう。エイルはカメリアの隣を歩いてついて行く。
エイルとの無言の時間も、耐え難くて、何となく、質問を増やした。
「医者を志した経験は?」
「そうだな。最初は神父になりたかった。乃公に『死』は縁がない。だから、人の最期を、美しく思っていた。だが、サモンに言われたんだ。『医者に向いてそう』って」
「まさか、それだけか?」
「それだけだ。でも、正解だったとも。死にゆく人の運命に抗う姿も、最後まで捨てない希望も。この手で救われた命が、再び走り出す姿も美しかった」
エイルは語る。「命は、どの瞬間も美しい」と。その気持ちは、奪ってばかりのカメリアには、理解し難い。相手が人間なら、ある程度分かるのかもしれない。けれど、ほかの種族にまでそう思うものか?
エイルはカメリアの表情に気がつくと、悲しそうに微笑んだ。
「いつか分かるさ」
彼の言葉に、カメリアはつい、冷たく返してしまう。
「どうだろうな。私は、周りが見えないから」
居場所を作るのに精一杯で、他を気にしている暇がない。生徒からの信頼が厚くても、教師陣からの信頼がないと、そこに居ても許されるかが分からない。
体育祭で、サモンに言われてから、心は軽くなった。でも、どう行動しても、裏目に出ていそうで不安だ。自分のことで手一杯なのに、周りにまで目を配ることが出来ない。
「それでいいんじゃないか?」
エイルは、カメリアの悩みにあっけらかんとして返す。他人にとって、自分の悩みはそんなものか、と思うのもつかの間。エイルはカメリアにきちんと向き合った。
「自分のことに手一杯な時は、周りが見えなくて当たり前だ。自分のことで忙しいのに、他人に手助けなんてしている場合じゃない。今はそれで構わない。でも、肩の荷がおりたとき、自分のことが片付いた時に、周りを見渡して欲しい。助けを求める誰かのために、動いて欲しい。それまでは、何も構わなくていいんだ」
エイルは、カメリアの手を取ると、優しく微笑む。患者に向き合う医者の目であり、悩める人を救う神父の目だ。
「困っているなら、乃公が助ける。乃公でダメなら、サモンが助ける。あいつは口が悪いけど、困ってる奴を見捨てない。本当は優しいやつなんだ」
カメリアはこの時、「誰かに頼っていいのか」と、ようやく気がついた。ひとりで突っ走ってきた彼女には、頼るという選択肢が自然と消えていた。それに気付かされるなんて。
エイルは、ちゃんとした医者で、神父だった。ただの変態ではなかったのだ。
「そうさせてもらおう。……この戦いが終わったあとで」
「そうだな」
歩いているうちに、罠の元にたどり着いた。
麻の縄で編んだ古典的な罠に、たくさんの妖精が捕まっている。小さくて羽を持つ妖精は、鱗粉を散らしながら、罠から抜け出そうと抗っていた。
その様子に、カメリアは罠の解除の準備をする。しかし、変態のエイルが早かった。
「待った! 鱗粉を散らすな貴重なサンプルが無駄になってあああああああああああああ!」
「今逃がしてやるからな~。そいつに捕まらないように、東に逃げるんだぞ~」
鱗粉の採取に積極的なエイルと、妖精を逃がす方が上手くなっていくカメリア。
さっきのセリフが嘘だと思えるくらい、変態性に塗り替えられていく。




