争いの火種
遠くで鳴る鐘の音が、サモンに卒業式の終わりを教える。サモンは紅茶を片手に、それをぼんやりと聞いていた。
もうじき、卒業生が校舎を出て、寮に帰り、まとめた荷物を持って校門をくぐる。
在校生は、卒業生が校門を抜けるまでの僅かな時間しか、別れを惜しむことが出来ない。
サモンは卒業生の、晴れ舞台すら見られないが。
サモンは校舎を出てきた生徒たちを遠目に見つめる。泣いて、笑って、思い出に浸る。青春の一ページらしい光景に、頬杖をついてため息をつく。
去年であれば、生徒たちのために会場を作って、卒業の祝いに花を降らせる魔法で裏方参加したが、今年は何もしない。
「せめて、花だけでも」
サモンは塔の外に出ると、畑に咲いた花を一輪摘んで、すうっと匂いを嗅ぐ。
うん、春らしい。とても良い花だ。
サモンは杖を花に向けて、一言二言、呪文を唱える。
魔法をかけた花に息を吹きかけると、花は花弁を散らし、幾重にもなって生徒たちの方へと飛んでいく。
突然飛んできた花びらに、生徒たちは驚いていた。生徒に触れた花びらは、ブローチ、イヤリング、指輪やヘアアクセサリーと形を変えて、生徒たちを飾り立てる。
「これくらいは、ねぇ」
バチは当たるまい。サモンは餞別だ、と笑って喜ぶ生徒たちを見守った。
今日の仕事はこれで終わり。さぁ、あとはいつも通りに──……
……──と、思っていた。
よろけてしまうほど強い風が吹いたかと思うと、目の前にアズマが立っていた。
長く綺麗な髪を整えることもせず、よれた青のアイシャドウにも気づかない。随分と焦っている様子に、サモンもただ事ではないと察する。
「サモン、今すぐここを逃げな!」
サモンの袖を掴んで、アズマは森へと走ろうとする。
サモンが理由を聞こうとしても、アズマは「後で」と教えてくれない。サモンは何とかアズマの手を解き、説明を求める。
「一体どうしたんだい。君がそんなに焦るなんて」
「どうしたもこうしたも、お前があぶねぇって言ってんだろ!」
「どう危ないのかの説明がまだだよ」
理由を聞くまでは、てこでも動かないサモンに、アズマも深く息を吐く。
「全ての妖精の森に、お前が精霊の力を持っていることが知れ渡った。ここにいることも、魔力が安定していないこともバレてらぁ。お前を始末しようと、妖精たちがこっちに向かってんだ」
「それがどうしたってのさ。私が誰に育てられたと? 妖精くらい……」
「一千匹を相手にする戦い方は教えてねぇ」
「一千……匹……?」
それ以上かもな、とアズマはため息をつく。流石にそれはマズいかも? サモン一人ならともかく、学園を巻き込むのは裂けたい。
アズマは後ろをしきりに気にしては、早く、とサモンを急かす。
けれど、サモンは学園の方を振り返る。
学生たちの門出。
暇取りの巣立ちの儀式を終えたばかりだ。
新たな世界に飛び出す先輩と見送る後輩の、最後の交流。
邪魔をしたくない。けれど、学園長に言わずに消えたら、きっと泣いて怒るだろう。
「サモン!」
「……っ!」
決断を迫られるその時、サモンのスマホが鳴った。
サモンが慌ててスマホを出す。画面には、シュリュッセルの名前が出ている。
「シュリュッセル? 仲良いのか?」
「恩人の君と比べたら、そこまで良くないよ」
サモンは未だぎこちない仕草で、スマホの画面をスワイプする。
電話に出ると、シュリュッセルが焦った声で「良かった!」と言う。
『電話が繋がる距離にいたのね。サモン、王都から軍隊が来るわ。今すぐそこから逃げて!』
「アンタもか」
『誰かにもう言われた? それなら助かるわ。先頭切ってた小隊をクラーウィスが片付けたわ』
「それって、ちゃんと原形残ってるんだよねぇ?」
『クラーウィスよ? きちんと後片付けも済ませたわ』
(きっと何も残ってないな)
サモンはため息をついた。
でも、クラーウィスが出向いて、シュリュッセルがサモンに電話した。学園が危険なだけなら、学園長に電話する。
しかも、「逃げろ」と言われた。サモンに関する何かが起きる?
『クラーウィスが片付ける前に聞いたの。《精霊のように強い力を使える魔法使いが学園にいる》《桃色の瞳の羊飼いだ》、と』
サモンは眉間をぎゅっとつまんで、遅れてくる頭痛に耐える。
最悪が最悪を重ねてやってくる。
アズマやシュリュッセルの言う通り、今すぐ逃げた方がいい。
サモンは森に足を向けた。
いなくなった方が、学園に迷惑はかからない。サモンがいないと言えば、妖精も人間も帰ってくれるだろう。
「サモン、行こうぜ」
アズマがまたサモンを急かす。サモンは頷いて、森に進んでいく。
「遅かれ早かれ、こうなる運命だった」
そう自分に言い聞かせて、サモンは目を伏せる。
森の外での生活は、思っていたより短かかったなぁ。なんて、思っていたところで、特に思い入れも無かった。
(本当に──?)
レーガを初めとした生徒たちとの交流、話をしなかった教師たちとの会話。
全部、本当に思い入れがなかったのか?
サモンの足が、ピタと止まる。
本当にこのまま帰っていいのだろうか。
生徒たちに何も言わず、教師たちに事情も言わず、自分の都合だけで、帰っていいのだろうか。
森に、また、引きこもって。
本と薬草と、薬と魔法に囲まれて。
また、誰とも関わらずに生きていく。
それで本当にいいのだろうか。
「アズマ」
サモンの口が先に動いた。考えるよりも早く。
それは、一度出てしまうと、止まらなくて。抑えられなくて。
これが、サモンの人生で最大のわがままかもしれない。
「ごめんよ。忠告してくれて、心配してくれて、守ろうとしてくれてる。凄く嬉しいんだ。でもね」
アズマは、サモンが言おうとしていることを汲み取ると、呆れたような、今にも泣きそうな顔で微笑んだ。
サモンも、こんなに気持ちが高ぶったことがない。
「妖精と兵隊が、私がいないと知って大人しく帰るとも思わないのさ。だから、学園の危機を守ってからでも良いかねぇ?」
サモンの輝く桃色の瞳に、アズマは何も言えない。文句も、反対も。可愛い子供の頼みなら、聞いてしまいたくなるのが親心というものだ。
「どうせ、止めたって聞きやしねぇだろ。行ってこいよ。仲間には、ちゃんと伝えておくさ」
「ありがとう。ちゃんと、帰ってくるから」
サモンはアズマに送り出されて、学園に走った。
今日、巣立っていったのは、生徒たちだけでは無い。サモンも、自分で未来を選択したのだ。




