特別なお茶 2
人魚のように、水の中を生活拠点とする種族には、『水を飲む』という概念がない。
陸での生活に着いて学ぶ時、一番最初に教わるのが水分補給の仕方だと言われるくらいだ。
パトリックは、紅茶缶をサモンに見せる。
「これ、すごく美味しかったんです。セレナティエ先輩が淹れてくれて」
「そりゃあ良かったね。でも、海の中で紅茶を飲む必要はないだろう?」
サモンがそう言うと、パトリックは目に見えて落ち込む。
「そうなんですけど。でも人魚は一生を海の中で過ごす生き物です。僕みたいに、陸に上がって生活するような物好きは少ないんです」
そのせいもあってか、人魚は陸の生活にはとても疎い。
それに、人魚はかつて、不老不死の噂のせいで人間に乱獲された歴史がある。のちにその噂は嘘だったと断言された。
酷い扱いを受けた人魚たちは、その頃からの偏見も、根強く残っているらしい。
「僕が、人間の暮らしを仲間たちに伝えれば、昔とは違うって、知ってもらえるかもしれない。また、人間と人魚が、仲良く生きられる世界になるかもしれないんです」
「その手始めに、紅茶の共有? いきなり無理難題だよ」
サモンが否定すると、パトリックは「きっと出来ます!」と声を大きくする。
「どこかの国は、人魚たちに紅茶を分けるために、海の水で紅茶を水出ししたと聞いています!」
「それは、ただの人間の抗議運動だよ。紅茶の銘柄にちなんで『ルーチェプトン抗議事件』と呼ばれていてね」
「でもあれ普通に水質汚染なので、ちゃんとした方法でシェアしたいです!」
「あぁ、うん。そうだよね」
パトリックの本気は伝わった。
けれど、液体を海に持っていっても、同じ水だ。溶けだしてしまう。
「水筒に入れて、ストローで飲むような形にすれば、水の中でも飲めるだろうね」
サモンはテーブルの上を見た。
水筒に入れる案は既に出ていたようで、空の水筒がいくつか並んでいた。
蓋が取れるものや、ワンプッシュで開くもの、サバイバルで使うようなものもあるが、どれも口が大きくて、水の中で開けそうにない。
「ストローと一体型のもあるけど、ここじゃ手に入らないわ。もっと大きな町に行かないと」
ロゼッタが、スマホでその水筒を見せてくれた。
けれど、ストローが太くて、結局水の中では使えそうにない。
「人魚用の容器とかないの?」
「レーガ、人魚は陸に上がらない。そんなもの売ってないわ」
「そうだよね」
パトリックもしょぼんとする。
サモンは少し飽きて、テーブルにあったティーセットで紅茶を淹れる。
「紅茶をジェル状にしたら?」
「水の中でバラバラになってしまいます。ストローだと、きっと中で詰まってしまう」
「固形にしたら・・・・・・ダメね。紅茶が違う形で伝わってしまう」
生徒たちがウンウンと唸る横で、サモンは優雅に紅茶を嗜む。
パトリックが気に入るのも分かる。
あっさりしていて、飲みやすい。
変な渋みもなくて、香りも良い。
「サモン先生、どうしたらいい?」
「知らないよ。私がなんでも知ってると思ったら、大間違いだよ。私は妖精学の担当であって、可哀想な生徒のお助けがかりじゃないんだから」
双子に水筒を作ってもらった方が早いとは、サモンは決して言わない。
けれど、新たな発明品に頼らなくても、サモンには秘策があった。
「先生、ヒントだけでも」
ロゼッタがサモンに頼った。
サモンはため息を着いて、ヒントを出した。
「水と水は交わるものだ。でも、それが交わらなければ、紅茶は海の中に持って行ける」
「でも、それが出来る水筒なんてないよ」
「もっと簡単なことだよ」
「水じゃなくなればいいってこと?」
レーガのトンチンカンな答えを、サモンは鼻で笑った。
「間抜け。アンタ、自分の所属を言ってごらんなさい」
「え? 魔法学科二年──あっ!」
レーガはハッとする。
そうだ。魔法を使えばいい。
そのための力なのだから。
でも、ここでまた問題が発生する。
「どんな魔法を使えばいいのかしら」
パトリックは一年生で、習った魔法は少ない。
ロゼッタやレーガも、それぞれ得意分野が違う。
「風魔法で、水筒の周りを空気で包んでしまえば」
「ロゼッタ、それだと人魚の体が乾いちゃう」
「そうよね。妖精魔法で使えそうなものは?」
「いいや。水の中で使えるような魔法はないよ」
ロゼッタとレーガがお互いの知恵を共有して、策を練る。
サモンはそれを傍観していたが、パトリックが「やっぱりダメでしょうか」と諦念を匂わせる。
サモンは「できるよ」と、パトリックに言った。
パトリックは、表情を明るくする。
「本当ですか!?」
「もちろんさ。でもあの二人が頑張ってるから言わない」
「そんな!」
露骨にガッカリするパトリックを見て、ロゼッタがニヤリと笑った。
「気にしなくていいわ。ストレンジ先生が言わないのは、本当はそんな方法がないからよ」
「おや、ロゼッタ。学年トップの頭でこんなことも出来ないのに、随分余裕そうじゃないか」
ロゼッタに煽られて、サモンは上体を前に出す。
レーガが止めようとするが、ロゼッタは聞こうとしない。
「だって、先生だって分からないのに、私に出来るわけないじゃない」
「できるとも。頭が硬いだけさ。ほら、ちゃんと考えて」
「そう言って、私から妙案を引き出そうとしてる。本当は何も考えてないでしょ」
「いつも私から答えを与えては、君たちの小さい脳みそが使われなくて、より一層小さくなってしまうだろう?」
「ほら、煽り返すだけで、いつまで経ってもその方法をチラつかせもしない。絶対何も考えてないわ」
ロゼッタの煽りに、サモンはついに立ち上がる。
「そこまで言うなら見せてあげよう。ちゃぁんとご覧なさい」
サモンはティーカップに紅茶を注いだ。
杖を出すと、生徒たちに授業を始める。
「水と水が交わらないようにするには、いくつか方法がある。ひとつはさっき言ってた、『片方の状態を変える』こと。もうひとつは『物質の間に壁を隔てること』」
サモンはゴブレットの底を叩いて水を呼ぶ。
それを宙に漂わせて、今言ったように、水をジェル状に変えたり、間にティーカップのソーサーを挟んだりと、目で見て分かるようにする。
「そして、これは魔法を使わなければなし得ない方法だけど、『物質を固定する』方法」
サモンは宙を漂う水を杖でつつく。
すると、水は形を変えるのをやめて、その場に留まり続ける。
「石化魔法ですか?」
「パトリックいい線いってるよ」
「ストレンジ先生、石化魔法って、人体にしか作用するんじゃなかった?」
「そうだよロゼッタ。でも、私は他の魔法を使わない」
つまり、これは妖精魔法だ。
けれど、妖精魔法に石化系の呪文はない。
「精霊の魔法?」
「水の中に紅茶を運ぶだけのことに、そんな高度な魔法使うもんか」
「じゃあ、それは何の呪文なの?」
レーガの問いに、ロゼッタとパトリックが唾を飲み込む。
サモンはケロッとして、呪文を教えた。
「『動くな』だよ」
──動くな?
それは『相手の動きを止める』妨害魔法だ。
それがどうして紅茶問題に使えるのか。
サモンは「頭をお使いなさい」と、こめかみを叩く。
「これは、妨害魔法として扱われる。レーガとロゼッタは知っているね。でも『相手の動きを止める』魔法じゃない。よく勘違いされているがね」
サモンはそう言うと、飲みかけの紅茶にその魔法をかけた。
そして、ティーカップを逆さまにして、三人に見せる。
「これは、『対象をその場に固定する』魔法なんだよ」
逆さまにしたティーカップからは、紅茶が一滴も落ちない。
振ればゆらゆらと揺れるが、カップの外には出ていかない。
「使い方によるけれどね。対象に『そこにいろ』と命じるだけなら、石化魔法にも劣らない威力を発揮するよ。でも、細かく命令すれば?」
「例えば、『ティーカップに留まれ』とか」
場所を細かく指定するだけで、対象はある程度の自由を確保しつつ、指定の場所に固定される。
そんなことを考えつくのは、サモンくらいなものだ。
レーガはすごく納得すると、近くの水筒を手に取った。
「じゃあ、これに紅茶を入れて、『水筒から出るな』って魔法をかければ」
「水筒から漏れ出ることは無いよ」
「そっか! さすが先生だ!」
パトリックは早速水筒に紅茶を入れた。
レーガが水筒に魔法をかけると、紅茶は水筒から出てこなかった。
「これなら、海の中でも飲めますね! あ、えと、飲めるん・・・・・・ですか?」
「飲めるよ。水筒から出るなとは言っても、飲まれるなとは言ってないし。それに口がつけば、口が水筒の延長線になる」
「良かった。これで友達に飲ませてあげられる!」
パトリックの友達には、人魚たちの偏見で陸に上がれなかった子がいるらしい。
陸について学びたかったこのためにも、パトリックが陸のことを人魚たちに伝えたいのだという。
パトリックは早速みんなに飲ませると言って、食堂を出ていった。
ロゼッタは、ティーカップの片付けをして、レーガは集めた水筒を元の位置に返す。
サモンは使った場所の掃除をして、食堂を出た。
廊下で、サモンはレーガとロゼッタに絡まれる。
「先生やっぱり方法分かってたんじゃない」
「うるさいな。たまには黙っておかないと、アンタらすぐ頼るだろう」
「ロゼッタが先生をからかった時は、僕焦ったよ。喧嘩になるんじゃないかって」
「だって、ああでもしないと、先生喋んないんだもん」
サモンはわざと煽られたことに、呆れて何も言えなかった。
つい載せられてしまったことも、ちょっと悔しい。
「でも先生がいてくれて良かった!」
「そうね。動くなの使い方、もうちょっと考えなくちゃ」
意図せず妖精魔法の授業をしたが、生徒の知識が増えたことは喜ばしい。
サモンはため息をついた。面倒ごとはお断りだと、言ったところでこの子達は何らかの事を持ってくる。
「今後もお励みなさい」
「はい!」
その度に突っぱねるのも、馬鹿らしくなってきた。




