歪な手紙 4
風のように早く移り変わる景色に、時折混ざる汽笛。
ざわざわと人の話し声が聞こえる車内で、サモンは肘をついて外を眺めていた。
「……ストレンジ先生。汽車、初めてだったんですね。意外でした」
ふと、向かいの席に座ったミーシャが話を振った。
周りの楽しそうな雰囲気に、耐えられなかったのだろう。
サモンは「そうだよ」と、外を眺めたまま返した。
時刻表も読めないし、切符の買い方も知らない。
電車の乗り方だって、ミーシャが側にいなければ、何一つ分からない。
「先生は物知りだと聞いていたから、てっきり」
「『物知り』は、この世の常識全般とは限らないよ。一分野、一部分に精通していることも、『物知り』と言うだろう?」
「でも、生活に必要な公共交通機関に疎いなんて。ストレンジ先生の出身は田舎ですか?」
「田舎なんて大層なものじゃないよ。森さ、精霊の森」
そんな他愛もない話をしながら、汽車に揺られ、乗り換え、宿に泊まってまた汽車に乗り、を繰り返し、ようやくミーシャの故郷に辿り着いた。
思っていた以上の長旅と、常に人が居る状況での泊まりに、サモンは疲弊していた。
眠れないのは普段と変わらないにしても、車内の寝台や、安い宿はとても狭くて吐き気がした。
最悪の記憶が蘇っては、ミーシャに気づかれないように、外で仮眠を取ったり、自己暗示をかけたりと、朝が来るまで自分をあやした。
ミーシャも疲れているだろうが、ちょっとした里帰りのおかげか、想定よりも元気そうだった。
汽車を降りて、ミーシャを先頭に、件の草原まで歩く。
「ミーシャは草原で遊ぶ時、友達は連れていたのかい?」
「いいえ。一人で遊んでいました。同年代の子は、オシャレとかお人形とか、そういったものに興味を持っていたので。私みたいに外で遊び回る子はいなかったですね」
ミーシャは懐かしみながら、話をしてくれた。
自分が男みたいになるんじゃないかと、心配した父親に可愛い服を買ってもらったこと。
母親は女っ気がないことを気にせず、好きにさせてくれたこと。
可愛い格好と剣術の両立は、両親がいてこそだった、と。
草原でずっと遊ぶことを、止めなかったから、今があることを。
「二人には感謝しています。だから私は、可愛くて、かっこいい自分になれたんですから」
「そりゃあいい。いいご両親だ」
「うふふ、嘘ばっかり」
「そうだよ。適当に言ってる」
「興味ないから?」
「その通り」
サモンに両親は居ない。いたのは精霊。
親代わりではあったが、親ではない。
精霊たちの付き合いはちょっと独特で、深く踏み込んでいるが、決して一線を超えない。
あくまでも『精霊』。
あくまでも『人間』。
愛だなんだと言いつつも、その境界を超えてくることはない。
人間の親子も、血の繋がりのない家族も、サモンにはピンとこないのだ。
「着きましたよ! ここが……私の…………好きだった、草原」
ミーシャの声は小さくなっていく。
見開かれた目は、現実を否定していた。
青い草が生い茂った大地は、コンクリートの下敷きに。
どこまでも見渡せた空は、地平線は、多くの家で隠れている。
溢れかえった人々の、強すぎる香水と自動車の煙が、サモンとミーシャの鼻を攻撃する。
「………………そん、な」
ミーシャは声も出なかった。
たった数年。
たったその期間で、草原の美しい景色は失われた。
ミーシャの思い出は埋められた。
すっかり変わった景色に、ミーシャは唇を震わせる。
サモンはミーシャの肩を抱き寄せて、「来てよかったろう」なんて皮肉を言った。
ミーシャは悲しげな表情で、すっかり変わった世界へと歩き出す。
ミーシャが記憶を辿る道中、色々な人がサモンとミーシャに目を向けた。
学生と大人の組み合わせが、珍しいのか汚らわしいのか。
流行とかけ離れた姿の二人がダサく見えるのか。
ただでさえ、ミーシャは思い出を踏み潰されて辛いのに。
好奇の目はサモンの感情を揺さぶる。
「ねぇオニーサン、この街じゃ見かけないね」
金髪の男が話しかけてきた。
見たところ、いかがわしい店の客引きだろう。
男はミーシャを見ると、するりと手を滑らせて、肩を抱いた。
「君、可愛いね。君ならお店で一番になれるよ」
ミーシャの耳元で囁く男に、サモンは「お止めなさい」と声をかけた。
「あ、オニーサンこの子と関係持ってた? 若い子が好きなら、いい女の子紹介出来るよ」
虫唾が走るお誘いに、サモンはため息をついた。
「ミーシャ、私は君には言ってないよ」
男がキョトンとする。
サモンの言葉の直後、ミーシャは肩に置かれた男の手を掴む。
そのまま無言で、一本背負いをした。
地面に叩きつけられた男に、ミーシャは「気持ち悪い」と吐き捨てる。
「先生、行きましょう。この先ですから」
「あぁ、もちろん」
サモンは男を踏みつけて、ミーシャの後ろを歩いた。
***
街から少し離れると、まだ開拓が進んでいない場所があった。
地面が掘り起こされ、配水管が埋められていたり、建設中の家や店があるが、思い出の景色の面影がある。
「この先、あの木があるんです」
緩やかな傾斜を登り、ようやく着いた先には、枯れかけの木が一本立っていた。
葉を増やすどころか、枝を伸ばす元気もない。
皮は剥がれ、ボロボロになり、幹もすっかりやせ細っている。
ミーシャはその木に寄り添い、幹をさする。
「あんなに、立派だったのに」
ミーシャはそうこぼした。
記憶では、この木はとても大きかった。
幼子の記憶違いか? そうでは無さそうだ。
サモンは木のそばにしゃがむと、土の匂いを嗅ぐ。
土を少量手に取って、少し考える。
「農薬かな? 強めの」
「!? じゃあ、木が弱ってるのは……」
「そのせいだろうね。彼らはこの木を切り落とすつもりだ」
サモンはそう言うと、街の方を見やった。
自分たちの生活のため。便利な日々のため。
自然を壊すことも、荒らすことも平気でする、彼らの浅ましい姿が、遠くからでもくっきりと見えた。
「先生、何とか出来ませんか?」
「私は樹木医じゃないし、彼らを罰するためにここに来たわけじゃないよ。それに、仮にこの木を助けられたとしても、もって数日。苦しみが長引くだけで、救いにもなりゃしない」
サモンの厳しい答えに、ミーシャは「でも」とすがった。
どうしようもない結果に、サモンは「これが現実だ」と、冷たくあしらった。
「私の、私の思い出の場所なのに……」
「思い出は変わらなくても、土地は変わる。常に移り変わって、変化しないものは無い。いつしか飽きて、捨てて、最後はみんな土に還る」
「そんな言い方……!」
「世界はいつだって変化する。目まぐるしく、ちょっとでも気を抜けば置いていかれるくらいね。君が声を荒らげても、涙をこぼしても、君の思い出の場所はもう無いよ」
取り付く島もないまま、ミーシャはポタポタと涙をこぼす。
それを慰めるように、木の枝が揺れた。
風もなく揺れた枝は、パキと音を立てて落ちる。
ミーシャが木を見上げた。
サモンは「顔を出しておやりなさい」と、杖で幹を叩いた。
「アンタの客だ。アンタが呼んだんだ。それなのに、顔を見せずにもてなす気かい? あぁ、顔を出すだけの力も無いと。それなら、手伝ってやろうじゃあないか」
サモンは杖で幹をなぞった。
「命は土より芽吹き 土へと還る
大樹は空へと伸びて 枝葉は世界へと伸びる
命よ生まれる喜びを知れ 命よ死する覚悟を決めろ
樹木の懸命なる志よ 愚かなる人の祈りを聞き届けたまえ」
サモンは杖を下ろすと、幹に触れ、額を寄せる。
そのまま直接、魔力を流し込んだ。
「木の精霊──『瞬きの逢瀬』」
サモンが呪文を唱えると、光の粒が足元から舞い上がった。
それは木の上で人の形を成すと、若草色の服を着た男へと変わる。
やせ細った姿の男は、木の上からふわりと降り立つ。
「……よく、私だと」
男はそう言った。
ミーシャはハッとして青い結晶を出した。
「あなたの魔力を、固めたものです。ここから、種族を特定して、思い当たる人物を」
「この、小さな石で、私を?」
「はい。その、どうして」
ミーシャは男に尋ねた。
手紙を、どうして送ったのかと。
怖い思いをした一ヶ月に、納得のいく理由が欲しかった。
サモンとマリアレッタは「恋心」だと言った。
ミーシャは「そんなことはない」と信じていた。
男は困ったように笑った。
「……すまない。君を困らせてしまった。あのような書き方をして、本当にすまない。手紙は、人間が使う連絡手段だと、鳥に聞いていたから。でも、書いたことも、見たことも無かったから、あれで良いのか分からなかったんだ。
……手紙を書いたのは、君にもう一度だけ会いたかったから」
男はそう言った。
草原が、住宅地に変わっていく様子を見て、「これもまた運命」と受け入れようとした。
けれど、「家を建てるのに邪魔だ」と言われ、伐採されることを知った。
大きすぎる背丈と太い幹のおかげで、切り倒されはしなかったが、農薬を撒かれたこと。日に日に弱っていくこと。薬が強すぎて、抵抗出来ずに苦しみ続けること──……
「……息が、出来なかったんだ」
男は苦しそうに言った。
自分を何とも思わない人間が、憎いと思った。
生きているうちに、苦しめたいとすら思った。
けれど、ミーシャの笑顔がよぎって、出来なかった。
「君は、私のそばでずっと遊んでくれていた。君は、いつも私の膝で眠っていた。無邪気で、健やかで、愛おしい君すら憎んでしまいそうで怖かった」
最期に、ひと目だけでも。本の一度だけ、一瞬でいい。
──顔が見たい。
──あの笑顔が見たい。
ミーシャに届いて欲しいと願い、慣れない文字を書き、鳥に頼んで送らせた。
あと数日。その数日で自分は死ぬ。
その前に、ひと目だけでも。
男はミーシャの頬に手を添えた。
「……こんなにも、大きくなって」
ミーシャは男の手に、自分の手を重ねようとした。けれど、男がそれを止めた。
「だめだ。妖精の想いに応えては」
サモンが言ったように、男はミーシャを止める。
男はミーシャの額にキスをすると、微笑んで手を離した。
「一方的ですまないね。けれど、会えて本当に良かった」
魔法の時間が切れる。
男の足元から光の粒子がこぼれた。
ミーシャは男の最期を、何も言わずにただじっと見つめていた。
男はそれを、嬉しそうに微笑んでいる。
「……さらば、愛しい子。もっと違う形で、愛を伝えられたなら」
男は消えた。光の一粒も残さずに消えた。
サモンは男の、最後の一粒が消えるまで空を見上げていた。
ミーシャも同じだった。
消えていく男に、ミーシャは手に残った結晶を握る。
「……ストレンジ先生。もし、私が彼の想いに応えていたら、どうなっていましたか?」
サモンはため息をついた。深いため息だった。
「妖精は一途だ。ずっとその人だけを想い続ける。愛した相手が、他の相手に向くことを許さない。自分が消えたとしても。相手が死んだとしても。愛情深いが、嫉妬深くて、執着しやすい。それが、彼らの愛だ」
ミーシャはまだ未成年だ。人生だって先が長い。
死にかけの妖精に縛られて、彼女が誰も愛せずに孤独に生きるようなことは、誰も望んでいないだろう。
「君は若いから、いい相手はいっぱいいる。好きな人だってこれから嫌というほど会うだろう。それを、彼は自分の愛で縛りたくなかった」
「でも、私は彼に会ったのは初めてです。そりゃあ、昔はあの木の下で寝てたりもしましたが」
「彼はそうじゃない。小さい頃から、君を見ていた。ずっと、ずっとね」
「私は彼に好かれるようなことは、何もしていません」
ミーシャはキッパリと言った。
彼の想いに困惑しているからか、少し震えた声で。
でも、そこが妖精の面白いところ。
ほんのちょっとしたことが、妖精の救いであり、癒しである。
彼女がずっと、自分の傍にいた。
ただそれだけの事が、彼にとって嬉しいことだった。
ミーシャには言わないが、彼にとって、自分を害する人間の中に、彼女がいなかったことが、一番の救いだったのだ。
「妖精を理解するのは、まだ早い。必要なら、授業するよ。魔法学科の妖精学室においでなさい」
サモンは「帰るよ」と言って、ミーシャを連れて歩く。
死に絶えた木の傍を離れ、ミーシャはサモンの背中を追いかけた。
途中、ミーシャはあの木を振り返ろうとした。
サモンはそれを、振り向かずに「お止めなさい」と止める。
「振り返ってはいけないよ。彼を眠らせたいのなら、そのまま私と一緒に帰るんだ」
ミーシャは結晶を握って、サモンの後ろについた。
サモンは振り返らずに街へと戻る。
ミーシャは思い出の跡地に目をつぶった。
二人がいなくなった後で、草原の木は静かに揺れた。
そして根元から、パタリと倒れて、その命を終えた。
 




