月の浮かぶ湖 5
生徒たちは無事に外に逃げられただろうか。
なんせ即日即興で作った魔法で逃がしたのだ。魔法の維持も、耐久性も何も考えていない。
これで万が一、湖の途中で魔法が切れました~なんてことがあったら、学園長にもロベルトにも怒られてしまう。
「まぁいっか。剣術科は泳げる生徒が多いし」
いざとなったら、助け合って逃げてくれ。
サモンは適当なことを考えながら、ヴォジャノーイたちに向き合う。
彼らは生徒たちを逃がされたことを、心底不満そうにしている。その原因たるサモンを、これでもかと睨んでいた。
サモンは大きく欠伸をして、杖を構える。
「さぁて、私も帰らせてもらうよ。妖精の住処に長居は無用だ」
「はっ! 我らに恐れをなしたか!」
「君らが怖いって言うよりは、用が済んだから帰るって感じかな」
ヴォジャノーイの厄介性を知る者として、交戦は出来れば避けたい。
だが人間嫌いの彼らが、サモンを易々と帰すとも思えない。
面倒な奴らに囲まれた、面倒な魔法使い。
これほど面白そうな局面もない。
出来ることなら、このまま派手に戦ってみたいものだ。
「勝てると思うか? 人間風情で、このヴォジャノーイ様に」
「魔法が使えなければ、確率なんて鼻で笑うがね。私だって、何も知らずに精霊に育てられたわけじゃないよ」
のびのびと育ててくれる精霊なら、どんなに良かっただろう。
彼らは過保護だが、全てを自分たちで守ろうとはしなかった。
自分を守る術を、敵と戦う術を、一人でも生きられる術をサモンに叩き込んだ。
人間のトラウマだのなんだのが混ぜ合わって、偏屈で面倒な大人に仕上がってしまったが、妖精魔法の腕だけなら誰にも負けない。──それこそ、妖精すら凌駕する。
「変化!」
ヴォジャノーイが先手を打った。
彼らは、先程まで酷使していた生徒たちに姿を変える。
剣術学科の面々が、サモンに向かって襲いかかる。
サモンは冷たい視線で、杖を振った。
「水の精霊──『渦潮』」
サモンを中心に、水の流れが変わってヴォジャノーイ達を飲み込んでいく。
宮殿内をグルグル回る水の流れに、ヴォジャノーイが変化を解いた。
しかし、腐っても水の妖精。すぐに流れを掴むと、その勢いを利用してサモンに攻撃を加えた。
「あたっ!」
背中、脇腹、首や足。
渦潮から飛び出し、サモンを殴って水に戻る。
サモンが視認する前に、彼らは水の中に姿を消す。
数が多いだけに、連撃が早い。しかも、人間の弱点になりうる箇所を、的確に狙ってくる。
反撃の隙もなく、サモンは身を守るのに精一杯だった。
ヴォジャノーイたちの協調性が嫌になる。群れで生活するような生き物は、どうして連携がやたら上手いのやら。
彼らの得意領域の魔法はやはり不利だ。
サモンは魔法を解くと、杖の振り方を変える。
「世界を渡れ 果てまで巡れ
荒ぶる風は恐れを知らぬ 遠く遠くへ吹き荒ぶ東の風よ
愚かな人の祈りを笑え」
サモンの足元から風が舞い上がり、それは水すら吹き飛ばす。
サモンは床に叩きつける勢いで、杖を振り下ろした。
「風の精霊──『災いの東風』」
今度は、宮殿内に強風が吹きつける。
ヴォジャノーイたちは風の威力に抗えず、壁まで吹き飛ばされ、そのまま磔にされる。
宮殿内に満ちていた水は外に逃げ出し、外界とほとんど変わらない空間になる。
水がないと、水晶の宮殿はキラキラと光って一層綺麗だ。
氷のような輝きは、ダイヤのように強く光る。
ヴォジャノーイには眩しいのか、目を細めて痛そうに瞬きをしていた。
次第にヴォジャノーイの体は乾き始め、うめき声があちこちから聞こえてくる。
サモンは彼らに哀れんだ表情を向ける。それなのに、サモンは魔法を解かずに、じりじりと宮殿の外に向かう。
「そろそろ帰るとしよう。私も仕事が残ってるからねぇ」
サモンが外に出ようとした時、いきなり何かに突き飛ばされた。
(なんだ? 何がぶつかった?)
サモンは、びっしょりと濡れた自分にハッとする。
水だ。
入口付近にはりついていたヴォジャノーイが、水を操作したのだ。
「さすが、水の妖精だねぇ」
サモンが倒れたことで、魔法が途切れてしまった。
その一瞬で、宮殿に水が満ちる。
ヴォジャノーイたちは元気を取り戻し、ニタニタと嫌らしい笑顔でサモンを取り囲んだ。
「どうした? その程度か?」
ヴォジャノーイはそう言って、サモンの頭を踏みつけた。
力が入っているんだか、入っていないんだか。カエルのような見た目のせいで、思ったより痛くない。
ぐりぐりと床に擦り付けるように、彼らはサモンの頭を転がす。
「大したことないなぁ」なんて、げらげらと下品に笑う彼らの声は、とても耳障りだった。
「これで精霊に育てられたって?」
「こんなヘナチョコな魔法でか?」
「どうせその精霊だって、大したことないんだろ」
(──そんなわけあるか)
精霊は妖精の上位互換。
妖精は決して精霊には勝てない。格が違いすぎるのだ。
自分が馬鹿にされるのは良い。
自分が負けて、貶されるのは、自分の力不足だ。
(精霊を侮辱するのは、頂けないなぁ)
サモンは抵抗しようとした。だが、ヴォジャノーイに腹を蹴られて転がされる。
空気の塊を吐き出しても、空へと昇る泡沫。
ヴォジャノーイの暇つぶしにもならない。
「こいつ、ツユクサに似ているな。ほら、俺らを住処から追い出した馬鹿な精霊。人間の奴隷が気に入らねぇって、森の品位に関わるってだけで、俺らを森から追い出したアレだ」
──アレ?
「ああ、いたなぁ。あの森に人間は入れるべきじゃないって、散々忠告してやったのに、耳を貸さなかった。あの、お高く止まった野郎だろ。あの赤子だって、俺らが有効活用してやるって言ったのに、キレやがって。あの勘違い野郎」
──お高く止まった? 勘違い野郎?
「赤子で料理作ってやろうとしたら、仲間の半分を殺して、俺らを追放しやがった。あんな人間好きが精霊なんて、世も末だな」
サモンは下品な笑い声を聞いて、拳を握る。
床に爪を立てた。水晶に傷が入るくらい、強く。
サモンは、ヴォジャノーイの足を叩いてどける。
サモンの反撃に、ヴォジャノーイたちの笑い声が止んだ。
サモンは、ゆら、と立ち上がり、ゆっくり息を吐く。
「…………なんだ? こいつ」
ヴォジャノーイが仲間に囁く。
サモンは指を一本、軽く立てた。
「……私を侮辱するのは許そう」
ゆっくり、優しい声色で、サモンは言葉を紡いでいく。
「私を嘲るのは、蔑むのは、一向に構わないよ。そんなこと、私はとっくの昔に慣れているからねぇ。でも」
サモンは顔を上げた。
桃色の瞳に、美しい青が混ざり、グラデーションになっている。
青筋を立て、歯が折れそうなほど食いしばり、サモンは彼らに言った。
「私の家族を嘲笑うのはお止めなさい。私は、彼らほど寛容じゃない」
サモンが指を、ぴっ、と横に振った。
その瞬間、目の前にいたヴォジャノーイの首が、ぴっ、と切れる。
驚く隙も与えなかった。
サモンは、目の前が赤く濁るのを見ながら、冷たい声で言った。
「私は家族を馬鹿にする奴を許さない。私は私を育ててくれた彼らに、強く恩を感じている。私は、家族に悪意を向けるもの全てを、排除する。……いくら、妖精であろうとも」
ヴォジャノーイたちが、ようやく異変に気がついた。
息をする間もなく死んだ仲間に驚いた。それすら遅い。
サモンが指を振る度に、一人、また一人と首が切れていく。
それは魔法だった。それでいて、魔法ではない。
サモンは息をはいた。大きく息をはいて、宣言した。
「──────皆殺しにしてやる」
***
────ザパッ!
湖から顔を出すと、青い月が迎えてくれた。
サモンが湖を出ると、外はとても静かで、風が優しく吹いていた。
夜の森は良い。音が少なく、穏やかだ。
風が冷たいのが難点だが、水に濡れた体では仕方がない。
「あぁ、もう。妖精のお手伝い──いや、魔力が足りないな。仕方がない、学園まで我慢しようかねぇ」
帰ったら体を洗って、着替えをして、暖かいお茶と、夜食の何かを腹に入れて。
その後は寝てしまおう。明日は朝から授業だったな。
サモンは懐中時計を開いて、学園までの時間を計算し、寝るまでの時間を考える。
「はぁ、どうしても夜中の一時になる」
魔法で帰るには遠すぎる。かといって、途中まで魔法を使ったら、その後が体力切れで辛い。
「……無駄な魔力を使わなければ」
サモンはちら、と湖を振り返り、眉間にシワを寄せる。
また精霊の魔力が強まった。サモンは頭をガシガシと掻いて、ため息をついた。
サモンは重い足取りで歩き出した。
空には、この上なく綺麗な満月が浮かんでいる。
湖は、来た時の青く澄んだ水と打って変わって、赤黒く濁っていた。
鼻の奥がツンとする、鉄錆のような臭いが充満している。
妖精が棲むには、到底無理な湖だった。