表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

フォトンベルトの謎と人類滅亡の日






                      奇蹟


 2029年10月1日、大山京一はマルドクから、暗殺指令を受ける。

 岐阜県郡上郡八幡町にサンバークランド大鍾乳洞がある。そこから約4キロ南下したところに夕谷という景勝地がある。そこに小さな祠がある。

 10月12日午前11時半。50歳くらいの男が居る。山高帽を被っている。交通事故に見せかけて殺せ。

当日、大山は岐阜市内に住む部下と2人で暗殺の準備に入る。10時頃、サンバークランド大鍾乳洞に到着。

 ここから1・5キロ南下すると東西に走る県道がある。交差するところが美山。西に行くと八幡町、そのまま南に2・5キロ下ると夕谷。道は蛇行している。下り坂なので夕谷の祠は良く見える。周囲は灌木が生い茂っている。一旦道路に入ると、周囲が見えなくなる。

 美山の交差点から1キロ程下る。祠が見える。双眼鏡で監視する。車は中型貨物。伐採用の荷物を積んでいる。高台に居るので、夕谷の方から眺めると、大鍾乳洞の方から車が南下してくるように見える。

11時半頃、祠の前に1人の男が現れる。

マルデクの言った通りだ。山高帽子を被っている。作業ズボンに茶の長袖シャツを着ている。ハイキング姿だ。年の頃も50くらい。

 ・・・この男だ・・・と思った瞬間、双眼鏡から男の姿が消える。

・・・あれ?・・・あわてて双眼鏡をずらす。レンズに写ったのは女の子を連れた中年の男。

 10月とは言え、日中の山の中は暑い。男は小柄だ。眼鏡をかけている。長袖のシャツを着ている。女の子は4~5歳。おかっぱ頭。眼が大きい。子供用のズボンに花柄模様のブラウスを着ている。

・・・あの親子がターゲットだ・・・

 マルデクからの暗殺指令が脳裏からかき消えている。親子連れが暗殺指令の人物と思い込む。暗殺指令が一瞬の内にすり替わっていたのだ。大山も部下もその事に気付いてはいない。ターゲットへの距離は1・5キロ。夕谷にはこの親子以外誰もいない。周囲に人の気配がないのを確認する。 

 親子は祠に向かっている。道路の真ん中を歩いている。上り坂だ。2人の足取りは遅い。道幅は4メートル。その左右は雑木林。

 中型の貨物車は猛スピードで南下する。道は蛇行している。灌木があるので走って来る車は、陽中公平には見えない。百メートル手前から直線コースだ。

 車が見えたと思った時は、避ける事は出来ない。

大山は2人をひき殺す目的でハンドルを握っている。猛スピードだ。しかも下り坂。2人が見えたと思った瞬間、2人を跳ね飛ばすまでの時間は僅か3~4秒だ。

 中型貨物車がスピードを緩めずに突進してくる。避ける間がない。

――危ない――公平は日奈子を道路端に突き飛ばして、自分も車を避けようとする。だが間一髪で車は2人を跳ね飛ばす。

 陽中公平は跳ね飛ばされて、1メートル下の雑木林に転がり落ちる。全身打撲、血だらけとなり即死。

日奈子はゴムまりのように雑木林に投げ飛ばされる。全身を強く打って、血が飛び散り、即死――

 アクセルを一杯に踏み込んだ大山の感触だ。ボンネットへの衝撃も大きい。手慣れた暗殺者は、ターゲットが死んだかどうか、感触で判る。

「やりましたね」助手席の部下はにやっと笑う。

 大山の車はそのまま猛スピードで南下していく。

 大山の車が消えて間もなく、時間にして僅10秒足らず、血だるまで即死した筈の日奈子がむっくりと起き上がる。血が出ていない。服も破れていない。

 雑木林のなだらかな崖地をよじ登る。道路に立つ。アスファルト舗装だ。道路の反対側に行く。道路に陽中公平の血が点々としている。

 日奈子の父親は崖地の反対側に転がっている。夥しい血が流れている。公平は雑木林に頭を打っている。即死だ。その光景を目の当たりに見て、日奈子はにこっと笑う。

 日奈子は手を高々と上げる。周囲が暗くなる。2人の間だけが明かりがさしている。黄金の驟雨が2人を包み込む。陽中公平の流した血が大地に吸い込まれる。雨が止む。

 再び周囲が明るくなる。死んだはずの陽中公平がむっくりと起き上がる。

 笑顔の日奈子を仰ぎ見る。崖をよじ登る。日奈子を固く抱きしめる。


 祠の後ろに隠れていた男が驚愕の眼差しを向ける。彼は日奈子と眼があった時、

・・・隠れて・・・子供の声を聴いている。切羽詰まった声だった。彼は慌てて祠の裏に逃げ込む。

そして――

 事件の一部始終を見守っていた。車が突進する。2人を跳ね飛ばす。死んだはずの人間が生き返る。

――奇蹟だ――驚愕した時、

・・・こちらへ来て・・・子供の声が頭の中で響く。周囲には誰もいない。明らかに、前方にいる女の子のだ。直感で悟る。男は祠を後にする。公平たちの方に近づく。

 彼の表情は、神を仰ぎ見る様に脅威に満ちている。


                プラズマ宇宙


 陽中公平は激しい勢いで車にぶつけられた事は意識していた。気がついたら、道路から1メートル崖下に転がっていた。かすり傷1つ負っていない。奇蹟というのか、何処も痛くもない。

 目の前に日奈子が立っている。ニコニコして公平を見ている。

――無事だったか――公平はぴょこんと起き上がり、崖を登ると、日奈子を抱きしめる。

「ご無事で何より・・・」背後で声がかかる。

山高帽子を被っている。顔の表情から50歳くらいと判断する。作業ズボンに茶の長袖シャツを着ている。眉が濃い。眼に張りがある。中肉中背。

 公平と日奈子を畏敬の念で見ている。

「どなた?」公平は殺されかかったばかりだ。警戒の目で見る。日奈子を後ろに隠す。

「私こういう者で・・・」男は山高帽子をとる。7・3に分けた髪がふわっと盛り上がる。白いものが混じっている。男はシャツの胸ポケットから名刺を取り出すと公平に渡す。

――帝都大学、宇宙物理学教授、宇佐見景三――

・・・何か知らないが、偉い人みたいだ・・・

 陽中公平は卑屈にペコペコする。公平の後ろで日奈子がにこにこして、宇佐見景三を見ている。

・・・車の事は言わないで・・・日奈子の思念が宇佐見に伝わる。

「いやあ、無事で何よりですなあ。それにしても暴走運転ですな」宇佐見は心にない事を喋る。

「暴走運転が多くて困ります」公平は相槌を打つ。

 宇佐見は電車やバスを乗り継いできている。

 公平や宇佐見たちは本覚寺まで歩く。道々、宇佐見は夕谷で50名の部落民が行方不明になった事実を話す。

「大学の偉い先生がそんなことを調べるんですか」

 公平は驚く。大学教授で宇宙物理学の博士号を持っている。行方不明者を捜すのは大変危険だ。暴走運転は宇佐見を狙ったものだろう。公平たちがいたので、慌てて逃げ去ったに違いない。

「私、太陽活動を調べておりました」

 宇佐見は太陽の異常活動が地球温暖化の元凶だと言うのだ。それと行方不明とどういう関係があるのか。公平は思わず口に出かかる。ぐっと飲み込む。

 本覚寺には土産物店や休憩所がある。観光客がいない。店員は手持無沙汰だ。

 休憩所で昼食を摂りながら、宇佐見の話に耳を傾ける。

 日奈子はお子様ランチを食べている。アイスクリームをおねだりする。彼女は食べる事に夢中だ。

 宇佐見の話は驚愕に値するものだ。


――地球温暖化の原因は二酸化炭素にある――

 このように言われて久しい。この説はあくまでも仮説だ。それが政治力によって定説化してしまっている。

 真の原因は何か。

 オレゴン科学医学研究所のアーサー・ロビンソン博士と、ザカリ・ロビンソン博士は、太陽活動によると発表。

 18世紀以来の地球の平均気温の推移は、常に太陽の磁気の変化と連動している。現在の太陽の磁気は百年前と比較して2倍以上に膨れ上がっている。これが地球温暖化の原因というのだ。

 地球の平均気温は周期的に上がったり下がったりする。このサイクルの中、現在は温暖化の方向に向かったいる。ただし、地球温暖化論者は、近年の温暖化のペースは急激すぎると主張。それに伴う異常気象も激しすぎる。

 太陽活動の変化は長期的かつ安定的なので、これ程の短期的突発的な影響を及ぼさないと叫ぶ。

――しかしですな、彼らは事実を曲げているんですな――

 宇佐見は真剣な表情だ。


 2002年以来、太陽は極大期のまま異常活動を続けている。その事実として、大規模な太陽フレアが頻発している。フレアとは太陽表面の爆発だ。太陽周辺のプラズマ、そのガスに蓄えられた磁場のエネルギー、これが一瞬にして爆発的に放出される現象だ。黒点の近くで現れる事が多い。約11年の黒点サイクルに連動して起こるのが普通だ。

 だが最近ではサイクル運動を無視して頻発化している。2001年4月、大規模な太陽フレアが発生。ただしこのフレアはほぼ黒点サイクルに則っている。

 2003年10月。太陽フレアは断続的に発生。史上最大の大きさだ。世界各地で通信障害が発生。現在でも大規模な太陽フレアが頻発している。

 本来なら太陽活動はピークを過ぎて、黒点サイクルは極小に向かうはずだ。現実には太陽活動は史上最大規模の爆発を続けている。太陽フレアとそれに引き続いて起こるコロナ質量放出現象、これが地球の磁気圏を大きく歪めているのだ。

 太陽――地球の約110倍。質量は地球の約33万倍。その質量は太陽系全体の99パーセントを占めている。

 太陽の内部は電磁波を通さない。内部の観測は不可能。

我々が習った太陽の内部は核融合反応が起こっているとしている。太陽の中心核で核融合反応が起きる。その熱が内部を対流する。10万年かけて熱は表面に到達する。その熱は太陽表面から宇宙空間ね放射される。

 この理論では熱源は太陽中心にある。当然、熱源は最も温度が高い。熱源から離れる程温度は低くなる。

 太陽の中心に温度は1万5千度、表面温度は6千度。

 ところが――太陽熱源から最も遠いコロナは、百万~2百万度なのだ。太陽表面よりも周辺の大気の方が熱い。

――コロナ加熱問題――と言われている。太陽の謎だ。

 次に太陽内部で核融合反応が起こっているなら、大量の素粒子ニュートリノが放出されることになる。事実は理論上の半分でしかない。


 「太陽は未知の恒星なんですな」

 昼食も終わる。宇佐見の食欲は健啖だ。デザートを注文する。コーヒーも飲む。

――宇宙は重力によって成り立っている――

 現代科学で認められた宇宙論だ。地球が太陽を回るのも、物が落下するのも重力があるからだ。

――宇宙にはね、重力以上の大きな力が有るんです――

 宇佐見はアイスコーヒーを喉を鳴らして飲み込む。食が満たされて満足そうな顔をしている。


 話の内容は驚きに満ちている。

――プラズマ――宇宙の正体なんですよ。

 宇佐見の眼が子供のように笑う。子供と言えば、日奈子はアイスクリームを食べて、頭を公平の膝に乗せて眠っている。


 物質は温度上昇によって個体、液体、気体と変化する。さらに温度上昇によって気体が変化する。これがプラズマだ。プラズマに一定の電圧を加えたり、磁場に入れたりすると内部に電流が生まれる。電気を通す――プラズマの重要な特性だ。

 宇宙の99パーセントはプラズマで構成されている。

 太陽系も地球や火星などの岩石を省いてすべてがプラズマである。何もない宇宙空間にも希薄なプラズマが充満している。

 宇宙を支配する力は電気なのだ。これをプラズマ宇宙と言う。

 個々の天体はプラズマの大海に浮かぶ泡沫のような物。プラズマ内を流れる電気の潮流によって天体が生まれる。逆に一瞬にして消え去る。

 従来の宇宙論では、恒星には充分な質量が必要とされる。内部が自分の重力で潰れて核融合反応を起こす。その結果光と熱を発するのだ。

 しかし――プラズマ宇宙論では・・・。

 天体が光と熱を発するかどうかは、周辺の電気環境によって決まる。天体は電磁体だから、電気環境が天体の性質を決定する事になる。

 よって太陽は周囲のプラズマに電磁気エネルギーが集中する。光りと熱を発する天体となる。

――太陽の熱源は天体を包み込むプラズマであって、太陽の内部ではない――

 太陽の熱と光を発しているのは周囲のコロナなのだ。

 ――太陽の内部は石のように冷たい――

 太陽から大量のニュートリノが放出されない。太陽の熱源が核融合ではないからだ。

 現在、太陽は爆発的な活動を続けている。史上かってない程の莫大な電気エネルギーが太陽に集中している。それだけではない。探査機カッシーニの観測によると土星の磁気圏が20年前よりも5倍に増大。土星最大の衛星タイタンも発光している事実が明らかになった。

 電気エネルギーの影響は地球にも及ぶ。環境激変の要因なのだ。

――問題はですな。これ程の電気エネルギーがどこからやってくるのか、という事ですなあ――

 電気エネルギーは年々増大しているというのだ。

 宇佐見は窓の外を眺める。右の方に本覚寺の宏大な伽藍堂が見える。南の方、遠方に海抜569メートルの水晶山が聳えている。周囲は山また山の中だ。

 店内は陽中公平たち以外客はいない。ウエイトレスも手持ち無沙汰だ。40席はあろうか、10月の日差しを受けて、店内は明るい。

 陽中公平は宇佐見の話を予測している。巨大な電気エネルギー、フォトンベルト。

 案の定、宇佐見はフォトンベルトを持ち出す。

 2032年の事も当然知っている筈だ。

 公平の予測通りになる。

 だが――、行方不明者について、彼が太陽と深い関係があると言い出した時は、眼を見張る。


                  宇佐見景三


 宇佐見が行方不明者と太陽が深い関係にあると言い出した時、公平の膝枕で寝ていた日奈子がむっくりと出す。腕時計をみると午後1時。

「おしっこ」日奈子は眠たそうな顔を上げる。無邪気な表情だ。宇佐見は思わず微笑する。公平はあわてて日奈子を抱きかかえる。4歳とはいえ赤ん坊同然だ。トイレにかけ込む。

 宇佐見はあたふたする親子を見送る。不思議な気持ちになる。中型貨物に衝突される。怪我一つ無く道路に立つ。周囲が暗くなる。黄金色の激しいにわか雨が降る。血だらけで即死の父親が元の姿で立ち上がる。

 この時の女の子の顔は輝いていた。無邪気な子供の顔ではない。

――神――神々しい。大地に平伏してしまいたい程の表情をしていた。

今――女の子はべそをかきながらおしっこを要求している。幼児の顔だ。


 間もなく2人が帰ってくる。日奈子はせいせいした顔をしている。

「私達、八幡町の初音温泉で一泊します」あなたの予定はと公平は宇佐見に尋ねる。

「気ままな身分ですから」大学教授なのに気ままな身分とは?公平は不審に思うが、それ以上詮索はしない。

 一緒に一泊しないかと誘う。宇佐見は願ったり叶ったりだ。もっと日奈子の側にいたいのだ。

 本覚寺の駐車場から、陽中公平の白のクラウンが発進する。

「行方不明者と太陽の関係を教えてくれますか」

 公平はハンドルを握りながら助手席の宇佐見に問う。後部座席で横になる日奈子をチラリと見る。

「私、実はね・・・」公平は今までの経緯を述べる。宇佐見は驚きの表情だ。

車は夕谷を通過する。坂道を蛇行する。やがて美山の交差点に出る。直進して北上するとサンバークランド大鍾乳洞に入る。車は左折して西に向かう。約8キロ先に八幡町がある。八幡町から北へ2キロ行くと初音温泉だ。

 公平は携帯電話をスイッチオンにする。

 初音温泉に、1人予約を追加する。一旦初音温泉に入る。到着予定は午後1時半、八幡城、五町観音、郡上八幡自然公園を午後4時ごろまで散策予定。


 車中で公平は陽中部落について話す。2032年12月22日をもって人類は滅亡すると聞いている。行方不明者はそれまで何者かによって庇護されていると考える。

 問題は彼らが何処へ消えたかだ。


 間もなく車は初音温泉に到着。部屋に通される。8帖の和室だ。30分休憩、お茶を飲む。仁奈子は和菓子にかじりつく。お茶をがぶ飲みする。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、じっとしていない。

 2時、3人は散策する。温泉は川沿いにある。ここは長良川の上流だ。せせらぎの音が姦しい。

八幡城、5町観音を見て歩く。足は郡上八幡自然公園に向かう。日奈子は行く先々で飴玉やアイスクリームをねだる。

「そんなに食べると、夜の料理が食べれなくなるよ」公平の苦言は耳に入らない。


 公平と宇佐見は散策しながら話す。

行方不明者の部落が太陽名と関係がある事は公平も判っている。だが、直接太陽そのものと関係があるとはってもみない。

・・・太陽とねえ・・・公平はやや西に傾きかけた太陽を見上げる。10月とは言え、日中の日差しは暑い。


 ――私、不思議な体験をしましてねえ・・・――

 宇佐見は子猫のように動き回る日奈子を見る。驚愕の事実が語られる・

 2029年現在、宇佐見景三、55歳。

 彼は若くして俊才の誉れ高く、将来を嘱望されていた。25歳で結婚。35歳で帝都大学の教授という要職に就く。異例の出世だ。地位、名誉、財力を得る。欠けている事と言えば子供に恵まれなかった事だ。

 彼は科学万能主義の先鋭者だ。神秘思想、霊、占いなどを非科学主義として斥けている。

 順風満帆の人生も、45歳を境にして陰りを見せ始める。

妻の病没。彼女は宇佐見を陰ひなたから支えてきた。彼が大学で研究に没頭できたのも妻のお陰と言ってよい。

 2020年、46歳。大学は緊縮財政で予算を削減。報酬は現状維持だが、研究費は大幅に削られる。

 彼の専攻は宇宙物理学。太陽やその他木製や火星などの惑星の研究が主だ。惑星や星の運行の調査研究は気の長い観測が必要となる。天体望遠鏡の利用、コンピューターを駆使しての重力の計算は厖大な費用が掛かる。

 宇佐見の研究は縮小される。学生に教えるだけの生活が主となる。彼は根っからの職人気質だ。社交性もない。他の教授仲間や学生と飲んだり騒いだりすることもない。仕事が終われば真っ直ぐ帰宅する。車を運転できないので電車で通勤する。

 妻が生存中は、朝起きると、暖かい朝食が待っている。背広やネクタイも準備できている。夕方帰宅する。夕食や風呂が沸いている。夕食後、机に向かう。就寝の1時間前後妻とお茶を飲む。

 妻の死後、帰宅しても出迎える者もいない。夕食は近くのコンビニで弁当を買う。夜机に向かうが、心が落ち着かない。再婚の話もあるが、その気にもなれない。

 大学の仕事も、好きな研究に没頭できない。 健康管理も上手くいかず、1年2年と立つうちに急に足腰が弱くなる。大学での講義も精彩を欠くようになる。学生の人気も落ちる。

 50歳になる。彼の発表する論文は、誰にも顧みられなくなる。それでも宇宙起源論の研究に打ち込む。彼に必要なのは、朝起きてから夜寝るまでの全生活を支えてくれる人がいる事だ。その上で1つの事に没頭できる環境がある事だった。

 食事はほとんど外食ですます。洗濯物は全自動洗濯機がある。1ヵ月に一回、シルバー人材センターに家の掃除を依頼する。念願の宇宙起源論を発表しようと意気込む。

 51歳春。

宇佐見は――ビッグバン宇宙はなかった――を発表。

 ビッグバン宇宙論の否定説は以前から登場している。

だが――、学会は、頑なにビッグバン宇宙説を支持している。帝都大学の同僚の教授たちもビッグバン支持者だ。


                  ビッグバン宇宙論


 ビッグバン宇宙論はスティ-ブン・ホーキングがとなえるインフレション宇宙論として知られている。

――百数十億年前、宇宙は存在しなかった。真空エネルギーが満ちていた。そのエネルギーの”ゆらぎ”から原子よりも小さな高密度の物質が生まれる。それが超高速で膨張する。これをインフレーションという――

 原子よりも小さな物質が一瞬の内に数百万光年の大きさに膨張する。真空エネルギーは熱エネルギーに変わる。一気に解放されて、宇宙は巨大な火の玉となる。

 これがビッグバン宇宙論だ。

 宇宙は膨張を続ける。内部で粒子と反粒子の対消滅で光子が生成される。対消滅しない粒子は水素とヘリュウム等の軽い元素を生成する。

 ビッグバンから3~15分で、宇宙は光子、電子、軽い原子核のプラズマ状態となる。第一段階の終わりだ。

 第二段階は、ビッグバンから30万年後、一千億度あった温度も約四千度まで下がる。水素やヘリュウムの原子核は原子を取り込む。原子は安定した形で生成される。

 光子は光として直進する。宇宙は透明になる。この状態を”宇宙の晴れ上がり”と呼ぶ。水素やヘリュウムはガスとなる。これが第三段。段階これらは巨大な塊を形成する。

 ビッグバンからから2億年後、最初の星が生まれる。銀河が誕生する。

 以上がビッグバン宇宙論だ。この根拠の第一となったのが、遠くの銀河の赤方偏移だ。

 1928年、天文学者のエドウィン・ハップルは、遠くの銀河ほど光の波長が長く引き伸ばされることを発見。遠ざかる救急車のサイレンの音が低くなるように、光もまた波長が長く引き伸ばされているのだ。これは光源が遠ざかっている事を意味する。赤方偏移が大きく遠くの銀河程速いスピードで遠ざかっている事になる。この発見から宇宙は膨張していると推測された。

 第2の根拠は宇宙背景放射の発見だ。

 1965年、アメリカのベル研究所、ロバート・ウイルソンとアーノ・ベンジャズは、天空の全方向から正体不明の電波が飛来するのを発見。後にこの電波は宇宙背景放射と名付けられる。 

 ビッグバン論者は、この電波を宇宙の晴れ上がりの光の名残であると主張する。赤方偏移によって電波の波長にまで伸びきった状態で受信されたと言うのだ。

 1948年、ビッグバン宇宙論を提唱したジョージ・ガモフは宇宙背景放射の存在を予言している。


 宇佐見は、当初ビッグバン宇宙論を支持していた。論文にも発表もし、異説を排斥するために論陣も張る。同僚の教授や学界から拍手喝采を浴びていた。宇佐見の得意満面の時期であった。

 妻の死後、環境が激変する。宇佐見の生活態度にも少なからず変化を与える。

 研究費を削減させられ、大学の講義以外暇を持て余すことになる。反ビッグバン宇宙論が世に出る。学界では無視される。初めの内宇佐見は興味を抱かなかった。宇佐見の元に贈呈本として郵送される。読んでみる気になる。

 ビッグバン宇宙論は観測による事実の蓄積が少ない。理論の統一性が重要視されている。この傾向は宇佐見も認めるところだ。

 ビッグバン宇宙論は、遠くの銀河の赤方偏移と宇宙背景放射の発見の2つしかない。

 近年になって赤方偏移は強い重力の作用によっても起こる事が判ってきた。宇宙背景放射は宇宙空間のちりが発光した可能性がある事も指摘される。

 ビッグバン宇宙論は現実の観測結果に対して理論的に説明できない部分が多すぎるのだ。

 例として、

 インフレーションの時、原初の高密度物質は超高速で膨張したとする。これはアインシュタインの特殊相対性理論に反する。ビッグバン宇宙論者は、宇宙の誕生当初は物理法則が適用しない世界(これを特異点という)なので、超高速でもかまわないとする。

 つまり――宇宙誕生当初は物理法則が適用しない世界だから現在の科学では説明できないと公言する。

 科学、物理の世界は冷徹だ。実験、観測事実に反する理論は空論でしかない。

 ビッグバン宇宙論は宇宙は重力によって成り立っているとする。だが観測の結果、眼に見える物質の重力だけでは銀河宇宙はバラバラになってしまう事が判明している。

 眼に見える物質の10倍の目に見えない物質が存在している事も判ってきた。

 ビッグバン宇宙論者はこれを逆手に取る。暗黒物質こそがインフレーションの力だと言うのだ。

 だが暗黒物質の正体は今だに不明なのだ。

 また宇宙の大規模構造もビッグバン宇宙を否定する。銀河は宇宙に均等に分布していない。数十個から数百個の銀河が寄り集まる、銀河軍団を形成している。

 我々の銀河系もアンドロメダ銀河やマゼラン星雲など約30の銀河と共に局所銀河系を作っている。これら群団は直径数億光年の超銀河団を生成する。

 超銀河団は壁のような構造を示している。グレート・ウオールと呼ばれている。グレート・ウオール同士の間には、直径一億光年以上のボイド(超空洞)の領域が広がっている。そこには銀河も星も存在しない。これが宇宙の大規模構造と呼ばれるものだ。

 宇宙はグレート・ウオールとボイルが組み合わさっている。全体として幾重にも積み重なった泡のような構造をしている。泡の表面に銀河が存在する。泡の内部の空間には何も存在しない。

 インフレーションで均等に膨張したとするビッグバン宇宙論に反する事実が観測されている。

 ビッグバン宇宙論は1つの仮説にすぎないのだ。それがいつの間にか宇宙誕生の絶対法則のように祭り上げられる。観測結果に反する事実が浮上する。つじつま合わせの理論で強行突破しようとする。


 宇佐見はビッグバン宇宙論は間違いではないかと考える。

それなら――宇宙は何によって出来ているのか。

――宇宙空間に電気が流れる――

 ノルウェーの科学者クリスチャン・ビルケラーはオーロラの研究者だ。19世紀末から20世紀初頭、太陽の黒点から発せられる荷電粒子が地球の磁場に誘導される。結果、発光現象を起こしている事を証明。

 1977年、スウェーデンの物理学者ハネス・アルフベンはオスカー・クラインと共にエレクトリック・ユニバ―ス論を発表。別名プラズマ宇宙論。

 これは以下の事実を前提としている。


                プラズマ宇宙論


 ――・・・――

 宇佐見は言葉を切る。眼が覚めた思いで陽中公平を見る。浮かぬ顔をしているのだ。

・・・話は面白くないのかな・・・宇佐見は口を閉ざす。

「どうかしましたか」公平は度の強い眼鏡をたくし上げる。

「いえ、あなたが浮かぬ顔をしてたものですから」

 公平は苦笑する。浮かぬ顔をしてたのではない。宇佐見の話は判るようで判らないところがあるのだ。

 宇宙は泡宇宙だという。宇宙には無数の泡がある。泡の被膜に銀河宇宙がこびりついている。泡の内側には何もない。ビッグバン宇宙論では説明不可というのだ。

 公平は問いただす。宇佐見は微笑する。

――銀河は宇宙に均等に分布しているのではない――

 インフレーションによって均等に粒子が飛び散ったとするなら、空洞だらけ大規模構造を説明できない。

だが、ビッグバン宇宙論者は、泡宇宙の超空洞には暗黒物質が満ちていると主張。眼に見えない物質も計算に入れると宇宙には均等に物質が存在する事になるのだという。


 最近では宇宙背景放射にも”温度のゆらぎ”の存在が確かめられている。それが銀河の偏在の理由であると主張。

 近年になって、”ひも宇宙論”が飛び出す。そんなものは今だに確認されていない。ビッグバン宇宙論の弱点だ。


 1977年のプラズマ宇宙論の事実。以下。

 第一に、宇宙の99パーセントはプラズマである。

 プラズマは物質の第4状態と呼ばれる。気体の温度が上昇する。分子が解離する。原子となる。さらに温度が上昇する。原子はマイナスの極性を持った電子とプラスの極性を持った原子核に分離する。これを電離という。電離した荷電粒子を含んでいる気体をプラズマとよぶ。

 プラズマに一定の電圧を加えたり、磁場に入れたりすると、内部の荷電粒子が自由に動き回る。その動きが電流を生み出す。電気を通す――プラズマの特性だ。

 太陽など恒星は完全に電離したプラズマだ。太陽系の惑星にしても一部火星のような岩石惑星をはぶいて、プラズマで構成されている。宇宙空間にも希薄なプラズマが拡がっている。

 第二に、宇宙は同量の物質と反物質で構成されている。反物質は構成する素粒子の物質量が逆の性質を持つ。

 物質の電子はマイナスの極性を帯びているが、反物質の電子(反電子)はプラズマの極性を帯びている。

 物質と反物質が出会うとつい消滅を起す。莫大なエネルギーが生じる。0・5グラムずつ物質と反物質が出会うと、27キロトンのTNT火薬の爆発量のエネルギーが発生する。

 第三に、人類が観測できる宇宙は、ほんの一部分なのだ。

アルフベンは宇宙膨張の原因を、物質と反物質の出会いによる大爆発と推測。物質と反物質は宇宙の電磁場で分離されている。それぞれの密度が高くなる。衝突して大爆発を起こす。全てが対消滅しない。残った物質や反物質が爆発の衝撃で飛び散る。

 ここで問題なのは、物質と反物質の大爆発は、宇宙全体からみると局地的な出来事でしかないという事だ。宇宙の部分的な爆発が膨張を続けているだけなのだ。

 アルフベンの弟子のアントニー・ベラットはプラズマ実験装置とコンピューターで、プラズマと電気から銀河が生まれるプロセスをシュミレートしている。

――プラズマは内部を流れる電流の作用でフィラメント状の構造を作り出す。複数のフィラメントが出来る。それらは互いに回転しながら絡み合う。太い螺旋状のフィラメントになる。ここから螺旋状の渦巻き銀河が生まれる。

 銀河は巨大な発電機となる。独自の電流を発生させる。それが銀河の内部に星を生み出していく。

――宇宙を支配する力は電気だ。重力ではない――

 問題は地球だ。地球は岩石惑星だ。プラズマではない。宇宙に存在する1パーセント以下の異端者だ。宏大なプラズマの海に浮かぶ石ころなのだ。


 宇佐見は肩を落とす。彼はビッグバン宇宙論を捨てた。プラズマ宇宙論を公表する。公表すると言っても以前からある説の紹介だ。世に問うてみたのだ。ビッグバン宇宙論の誤りを。

 だが――彼の意に反して、学界から白い目で見られる。同僚の学者からも冷たくあしらわれる。

 たった1つの救いは、講義を傾聴する学生から、感嘆の声で迎えられた事だ。

 以来、彼は世に発表することなく、プラズマ宇宙論を研究していく。


                  黄金の異界


 公平は宇佐見の話を遮る。

「先ほど、不思議な体験をされたとか・・・」

「そうでしたな。それが話の主題でしたな」

 心の内が屈折しているのか、宇佐見は我を忘れている。心の中の苦悶を吐き出している。自分の事、大学の事、宇宙論と、話は延々と続いていた。宇佐見は心の鬱積を吐露して明るい顔をしている。

 プラズマ宇宙論を発表してから、学界からは異端と見られるようになる。だが学生からは熱狂的な支持を得ている。その為に、大学をクビにならずに済んでいる。

 ・・・宇佐見は専門家ほど偏見に囚われるのを、身をもって知った。長年かけて築いた経験、専門知識は自分の体の一部となっている。それを捨てる事がいかに困難か・・・。

 その点、学生は思考が柔軟だ。囚われるものがない。定説に反する説を、眼を輝かして吸収していく。未来を築き上げるのは彼らなのだ。


 郡上八幡は水の豊富なところだ。良水がいたるところで湧いている。ここ自然公園は明媚な場所だ。べンチに腰を降ろす。缶コーヒーを飲む。日奈子は花壇の間を走り回る。ブランコに乗る。忙しく動き回る。


 去年の春でしたなあ。宇佐見の眼は遠くを見ている。

 名古屋の大学に招かれる。宇宙物理学の講演を行う。講演といっても肩苦しい内容ではない。学生の他にも一般人の聴講も認められていたからだ。

 題は”ビッグバン宇宙論は正しいか”

 日本の物理学者の大半はビッグバン宇宙論の支持者だ。学界も仮説ではなく、定説として承認している。

宇佐見はビッグバン宇宙論の矛盾点をさらけ出す。プラズマ宇宙論こそ、真の宇宙論であると締めくくる。学界や物理学者は無視を決め込む。

 宇佐見は学界や物理学者を相手にしていない。学生や一般人が興味を持ってくれればそれで良しとした。

 名古屋市内に一泊。翌日、夕谷にやってきた。この地は彼の母の在所なのだ。母は彼が25歳の時に死亡。宇佐見の父は東京生まれ。彼が30歳の時に死んでいる。

彼は母の実家には1度も足を運んだことがない。母も無くなるまで、夕谷村の事は1度も口にしない。

 母が死んでから4年後の2003年、夕谷村の住民約50名が忽然として姿を消す。この事件は新聞やテレビで報道されていない。宇佐見自身も知らない。

 ただ――、生前、母から夕谷村は貧しく、周囲から見放された土地だと聞いている。

 母の故郷に興味を覚える。名古屋に来たついでに寄ってみようという気になる。母の身内に会えるかも知れない。

 夕谷に来て唖然とする。小さな祠があるだけだ。本覚寺の土産店で尋ねる。誰1人として、部落があったとは言わない。古いハガキや封書が母の遺品にある。住所は夕谷部落なのだ。

 彼は部落があったと確信している。跡を見つけようと丹念に足を踏み入れる。何もない。一旦は諦める。本覚寺に戻ろうと道路に出る。彼は車に乗れない。疲れた足取りで道路を歩く。人や車はめったに通らない。時刻も夕方4時頃、突然後ろから乗用車が走ってくる。車の気配に気づく。

 危ない! 思わず道路脇に身を寄せる。間に合わず、背中を車のボンネットで弾き飛ばされる。

 あっという間もない。宇佐見の体は道路下の雑木林の中に突っ込んだ。落ちた場所が良かった。怪我をしなかった。だが、気を失う。


 意識が回復する。横になったまま眼を開ける。不思議な光景が広がっている。空に雲がない。青くもない。黄金色の空が目いっぱいに拡がっている。

 車にはね飛ばされたことまでは記憶がある。

周囲の景色がおかしい。・・・死んだのか・・・ここは天国か。起き上がる。どこも痛くない。周囲が田や畑で一杯だ。

 ゴムまりのように飛ばされて、道路下の雑木林に放り出された。わずか一瞬だが、その光景は目に焼き付いている。雑木林がない。道路もない。季節は春だ。立ち上がって辺りを見渡す。田植えを終わったばかりの稲田が拡がっている。遠くに山々が聳えている。青い山々、緑の稲草、の筈だ。目に映るのは黄金色だ。眼がおかしくなったのかと眼をこする。だが映る風景はすべて黄金色に輝いている。自分の体を見る。来ている服は背広、白のワイシャツにネクタイ。

 西の方に鳥居が見える。赤い鳥居の筈だが、すべてが黄金色。鳥居の奥に社がある。その手前に藁ぶきの家がある。数十軒ある。一軒一軒の軒下から煙が上がっている。

 人がいる。服装は野良着姿、作業服、ゴム長靴、ズボンと皆マチマチだ。背景は日本の古代の雰囲気だが人だけが現代人のようだ。全てが金色に輝いている。

宇佐見景三は立ち上がる。人家の方へ歩く。足が軽い。人々は宇佐見を見ても驚きもしない。ニコニコして、おいでおいでををする。

――景三――、家の中から1人の老婆が飛び出す。

「景三,よう来たの」老婆は宇佐見の手を取る。

「母さん!」宇佐見は驚く。こんな所で母と対面しようとは・・・。

「お父さんもおるよ」母の優しい顔だ。家の中から父が出てくる。久し振りの親子の再会だ。

「ここはどこ?」宇佐見は車にぶつけられて気絶した事を話す。

――郡上八幡の夕谷村――時代背景は江戸末期。

「私達は死んでから、ここにやってきた」母は驚愕の事実を述べる。母達以外は生きたままこの世界に入り込んでいる。50数名が一瞬にして、異界に隔離される。2003年に行方不明になった夕谷村の住民たちだ。

 この世界に太陽はない。否、黄金色の輝きがこの世界の太陽だ。夕方になると闇の帳が落ちる。朝、世界全体が明るくなる。人々は起き出す。

 人々は食を求める事はしない。秋になって稲穂を刈り取る事もしない。春は夏になる。やがて秋になる。稲穂は自然に刈り取られる。誰も手を下さない。冬になれば雪が降る。四季の折々の景色が移り変わる。

 ――食事は?――欲しい物は、思うだけで目の前に現れる。

「私は東京育ちだから、ビフテキがたべたい時があってな」父は破顔する――


 宇佐見は日奈子を見る。ブランコに乗って、懸命にアイスクリームをなめている。

「私は、この時悟りました」

 2032年12月22日、一部の人間を残して、人類は滅亡する事を・・・。もっとも両親に教えられたのですがね。

 宇佐見は1人おかしそうに笑う。すぐにも真顔になる。不可思議な世界に行って両親に会った。だから2032年のことを知らされても、すぐに理解できた。

「私は一週間ばかり居たのでしょうかね」

 母から、元の世界に戻りなさいと言われた。宇佐見は驚く。死んでこの世界に来たとばかり思っていた。寂しそうな宇佐見を見て、母は答える。2年後にもう一度、ここに来ますよ。宇佐見は頷く。

 宇佐見が意識を回復したのは郡上八幡の病院であった。看護師の話だと、宇佐見は夕谷で気絶して倒れていた。通りかかった観光客の通報で、病院に運ばれた。

「今、何時?」夜の8時と聞いてびっくりする。車にはね飛ばされて、気を失う。病院で回復するまで4時間しかたっていない。

 しかも車はスピードを出していた。骨が砕けてもおかしくはない。ベッドから起き上がると、何処も痛くない。気を失う前よりも丈夫になった感じだ。

・・・両親に助けられた・・・

 宇佐見は両手を合わせる。


 ――私、霊の存在を信じるようになりました――

・・・科学的ではないから・・・人は安易に科学を口に出す。だが、その科学はどこまで優れているのか・・・

 神のような存在者から、人間の科学はどのようにみられているのだろうか。

「私は母の故郷をもっと知りたいと思って・・・」

 宇佐見は夕谷を訪問したのである。


 ブランコに乗っていた日奈子がぐずり出す。

・・・眠い・・・子供は忙しなく動き回る。食べて遊んで疲れて・・・。

 陽中公平は日奈子をおんぶする。

「そろそろ旅館に行きましょうか」宇佐見は日奈子の頭を撫ぜる。


                  異変


 西暦2千年初頭から、世界の気候に異変が現れる。

2001年、2年当初は目立った動きはない。3年4年と立つと、南アメリカに常在的に大型ハリケーンが襲来する。日本でも大雨や地震が多発。旱魃の被害も多くなる。

 夏暑く、40度を超える猛暑、冬、厳冬の零下10度を超える日が珍しくなくなった。

 2005年、6年と比較的過ごしやすい日が続く。

 2007年頃から気候の異常が顕著になる。大雨や地震は常態化している。酷暑で死ぬ者も続出する。冬の寒さは尋常ではない。数メートルを超える積雪も当たり前となる。

 2020年前後から夏の暑さ、冬の寒さの落差が大きくなる。世界の経済は低迷し、自国優先の政策がとられるようになる。ウイルスが蔓延化し、人々の暮らしも厳しくなる。


 2029年10月、陽中公平と会った宇佐見は一旦東京へ帰る。黄金の異界で死んだ両親と会う。2030年には”ここ、黄金の異界”に還る身と知る。

 宇佐見は大学の職を辞す。土地や屋敷を売り払う。黄金の異界に移るまで、常滑の陽中邸に引っ越す。

 4歳の日奈子は小柄だ。普段は親に甘える子供だ。だが、時として、はっとする表情が現れる。

 郡上八幡から帰って、すぐに、地下室を造れ、命令するような口調で公平に言う。

 公平は業者に仕事を発注する。

 陽中邸は50坪程の屋敷だ。南に玄関がある。西側に一間の広縁、田の字型の8帖の和室,玄関を入ると、奥に行く廊下がある。西が和室。東が洋間。廊下の奥にキッチン、フロ、トイレがある。

 陽中邸は常滑港の東の高台に位置している。

飛行場が良く見える。幸いなことに飛行機の離発着による騒音は聞こえない。伊勢湾の向こうには四日市港、津、伊勢が見える。天気の良い日には鈴鹿の山々が良く見える。

 日奈子の指示する地下室は15帖程の大きさ。地面から2メートル程下。

和室一部屋を板張りとする。地下室への階段を造る。部屋はコンクリート造り。地下室の床から西に穴を掘る。排気と排水施設をつくるためだ。暖炉はレンガで造る。

 暖房用の、薪、携帯用の食料、飲料水など、半年間の備蓄を確保。簡易ベッドを3基。

 10月下旬、宇佐見景三が引っ越してくる。彼は学者だ。大量の専門書を急ごしらえのプレハブに保管する。

 11月、寒波の到来。九州、沖縄でも2メートル程の積雪を記録。気温は零下15度。テレビの天気予報は今年12月末に寒波は収まると予測。

 日本は恵まれた国だ。春夏秋冬、野菜、果物、穀物、肉魚類が豊富にある。スーパーやコンビニに行けば、欲しい物は何でも買える。ガソリンや灯油は高騰しているとはいえ、いつでも補給できる。

 11月の寒波到来はこの事実を覆していく。

 豊かな生活に慣れた日本人は、食料、石油、電気はいつでもどこでも手に入ると信じていた。

 急激な寒波は海上に台風並みの時化を呼ぶ。

 石油や食料などの輸入は困難となる。日本の石油の備蓄量は約半年。それも平穏な日々を想定しての事だ。ガソリンや灯油の需要が跳ね上がる。

 日本の発電所はガス、石油による火力発電が主力となっている。ダムなどの水力発電は、電力を供給するまでの費用が大きいために、減少傾向にある。代わって登場したのが原子力発電。これは数年前からトラブル続きで増えていない。

 石油の供給が途絶える。ガソリンや灯油が無くなる。冬の寒波や夏の酷暑は地球規模の現象だ。世界中の食料供給も年々減っていく。

 11月の寒波到来は予測されていた。だが専門家、政治関係者、業界の責任者は楽観していた。寒波は主に東北地方、しかも2週間から長くて1ヵ月ぐらいと計算していた。


 11月上旬から降り始めた雪は、日を重ねるごとに激しさを増す。北海道、東北地方に降る雪が南下する。12月には沖縄地方も激しい寒波に見舞われる。

 2030年1月、スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドからは、食料やガソリン、灯油が消えていく。電力の供給もぐらつく。寒波による停電が日増しに長時間となる。死者が続出する。1人暮らしの老人が命を落とす。日を追うごとに死者が増える。

 行政はなすすべがない。学校や職場も休みとなる。工場の生産能力は一気に落ちる。愛知県は東海市、知多市の沿岸に工場地帯を抱えている。名古屋南部、豊田、岡崎は自動車産業の中心地だ。

 すべての産業は操業中止に追い込まれる。

 野菜、果物の温室栽培も悲観的となる。日本は資源の大部分を輸入に頼っている。供給が止まる。

 トヨタのカンバン方式は在庫を抱えない。よって供給が止まれば生産ラインも止まる。寒波の為に交通もストップしている。飛行機の運行も中止している。

 在庫の備蓄は下請け、孫請けが抱えている。1ヵ月くらいの操業停止ならば復旧も早い。

 寒波は2030年3月中旬まで続く。食料品、衣料、ガソリン、灯油が不足している。売り惜しみが続出。商店の打ちこわし、襲撃が日常化する。警察もわが身を守るのに精一杯だ。暴徒を止める者がいない。

 やがて――、食料が底をつく。死者が続出。

 2030年3月下旬。寒波は去る。気温も上昇。

産業界も息を吹き返す。食料などの日用品の供給も復旧。3月から半年間、破壊された商店、ガソリンスタンド、スーパーなども営業再開にこぎつける。

 行政、政府機関も機能を取り戻す。

 昨年11月から、今年3月までの約5ヵ月間で、死者の数は一千万人と発表。人々の気持ちも、ようやく落ち着いてきた7月、今度は猛暑が襲う。

 日本や世界の経済はこの年をもって急激に落ち込んでいく。人々の暮らしの悪化、それに輪をかけるように、凶悪犯罪が増加する。

 ――世の終末が近いのだ――


                    疑惑


 2030年4月、内閣情報局、室長の斉田は仕事に忙殺されていた。彼を含めて10名全員が事務室で寝泊まりする有様だ。

 昨年11月の寒波到来はマルデクから知らされていた。

斉田は首相官邸の地下室に閉じこもる。半年分の食料、灯油、生活必需品、それに自家発電用の重油など、政府高官として優先的に確保される。

 気象庁の現場職員から、寒波は長期間にわたると知らされていた。斉田は政府高官、気象庁幹部に、この事実を国民に知らせるよう要請する。

 しかし事実は、政府の楽観的な報道。テレビの天気予報も、寒波は2週間から1ヵ月程度と放送。

結果、国民の一千万人が死亡、全世界でも約10億人が亡くなっている。この事実に非難が政府に向けられる。その対応に政府首脳は右往左往するのみ。

 内閣情報室は世界中から寒波による被害状況を集積する。2032年に向けて、誰を地下壕に避難させるのか。時間も余すところ、2年余しかないのだ。


「いいかね、我々の使命は、一部の国民を地下シェルターに避難させる事だ」

 斉田は9人の部下を見回す。総理官邸の地下室、内閣情報室を知る者は一部の人間しかいない。総理大臣も知らない。斉田75歳を筆頭に、9名の者は70歳前後。彼らは官庁を退職後、ここに配属された。

 総理官邸内は上を下へと、てんやわんやの大騒動だ。寒波の打撃から立ち直れない日本経済。国民生活を圧迫している。救済策を求めて、政府高官や財界人、県知事が押し寄せる。

 地下室では10人の老人が,約百万人の避難人のリストアップに忙殺されている。 寒波の被害状況は地下シェルター建設に影響を及ぼす。資材の確保が困難になる恐れがあるからだ。

 だが、タイムリミットは後2年だ。

 他の国ではどのように対応しているのか、その情報収集にも力が入る。インターネットで送られてくる情報は役に立つものはない。

――自分の事は自分でやれって事か――

 決断すると、斉田の行動は素早い。

日本国内に数ヵ所建造中の地下シェルターは、もともと洞窟を利用している。地下水が豊富にある。一か所で約17万人を収容する。施設の基本構造はすでに完成している。

 後は1年分の食料、衣料、医薬品の確保。地下水を利用した自家発電装置は、1つのシェルターに10基取り付ける。洞窟内の天井や壁には磁気反射装置が設置されている。外部からの電磁波の侵入を防ぐためだ。

 自家発電で白熱灯をつける。食料の自家栽培を行う。17万人の人間が3~4年洞窟内で生活できる環境を作る事になる。その為の資材の確保が急務なのだ。

 その上で――、誰を避難させるか、最重要課題だ。9名の部下に意見を聞く。2032年以後、生存出来る者は全人口の2パーセントだ。80億の世界人口でも、生き残るのは約1億人。この人口で2032年以後の世界で生きていかねばならない。

 人類が長い時間をかけて営々として築き上げてきた文化、文明は崩壊する。食べる事に精一杯な世界での文明は消滅していく。

「まず、お救い申し上げるのは、宮家の方々・・・」

 1人が声をあげる。次に・・・と1人が手をあげる。

 政府高官とその家族、財界人の方々・・・。

 次に農業関係者、自家発電装置を維持していくために、電気技術者・・・。次々と名前が上がる。地下シェルターで生き抜くためには、必要な技術を有する者が優先される。一般国民は蚊帳の外となる。

「ではその線に沿って、リストアップを・・・」斉田は命令を下す。

 この結果は公表されることはない。2032年春までは秘匿される。ターゲットとなる人物は強制的に収容する。この事実が社会に暴露されたら大変な事になる。


 斉田は別室で1人になる。自分達はこの世界で死ねばよい。部下たちも承知している。X=マルデクは救ってやると言う。その心は嬉しいが、もう歳だ、充分に生きてきた。お国のためにも尽くしてきた。最後に国民を裏切る事になる。斉田は“やむを得なし”と決意を新たにする。

 斉田は四角い顔を撫ぜる。髪がめっきりと白くなってきた。皮膚の艶も悪い。

応接室のソファーに腰を降ろす。室内には装飾は一切ない。天井の蛍光灯が輝いている。白い壁紙が淡い光を反射している。

 彼は急に眠気に襲われる。

・・・マルデク・・・久し振りに訪れる肉体の感覚だ。

 

 斉田は意外だった。久し振りのマルデクの声。まずは労わりの声が聴こえると思っていた。

――人選は無用である――、厳しい声だ。しわがれているが心の内に強烈に響いてくる。抗う事の出来ない強さがある。

 一瞬、斉田は戸惑う。思考能力が停止する。

・・・誰を避難させるか・・・当然選択肢に入っていると思っていた。

 無用と言下する。地下施設だけを造ればよいと言うのだ。斉田と部下たちは命を削る思いで働いている。人選も一任されていると信じていた。一瞬の思考停止後、怒気が体中から噴き出す。

――では誰を避難させようと――ここまで言って、ぐっと喉に詰まる。胸が圧迫される。

――人間の分際で創造主に逆らうのか――

 マルデクの声はもはや声ではない。肉体を切り苛む響きがある。雷が全身に落下する。激しいショックが斉田を見舞う。

――宮家だ?、政府高官だ?――しばらくの沈黙の後、諭す声に変わる。

 地球上で約1億の人間が地下シェルターに入る。彼らの役目は二千年後の人類の生存の為にある。身分や地位など何の役にも立たない。

――良いか、身分や地位は、人間のエゴの産物だ――

 真に必要なのは――、優秀な意志と霊だ。

 マルデクの声が聴こえる。死のような静かさが斉田を襲う。大地の底から染み出すような微かな声。斉田の脳裡に、しっかりと刻み込まれる。

――非難する人間は運命に導かれる。彼らは無意識のうちに集まってくる――

・・・しかし・・・斉田は生真面目だ。政治家のように、水と油が混ざり合うような思考能力を持たない。

 地下シェルター内での避難生活は早くて4年、遅くとも10年と見ていたのだ。避難した人々が新しい世界を構築していくと信じていたのだ。

・・・2千年も地下で生活すると言うのか・・・

 マルデクの真意は何か? 斉田の心の中に黒い雲が湧き上がる。自分達は一体何の為にこんな仕事をしていたのだ。

 斉田の心の底に疑惑が広がる。彼はぐっと唾を飲み込む。


                    新たな事実

 2030年秋、

 宇佐見景三、角田健一、海野の3人は夕谷の祠の前で忽然と消える。

 2029年10月、角田と海野は陽中公平から連絡を受ける。

――地下室を造れ、半年分の食料や日常品を確保せよ――

 2人は地下室に退避して助かっている。

 3人は夕谷の祠の前で黄金の異界に入る。2032年の衝撃から身を守るためだ。


 2030年夏、猛暑は50度を超える。


 日本政府は冬の寒波に備える。食料、石油、その他の資源の備蓄を行う。約半年間の工場生産の停止を想定する。

 日本は世界でも有数のドル保有国だ。

 政府首脳は後2年で人類滅亡を知っている。トップシークレットだ。外部に漏れたら大変な事になる。いずれ紙屑になるドルを使い切ってしまう作戦に出る。

 2032年問題は世界の主要国の政府首脳も知っている。地下シェルターの建設もすでに完成している。そこで過ごす人間は世界規模で約1億人。生活資材の確保が急務だ。それに加えて冬の猛烈な寒波。夏の50度を超える猛暑、これらの異常気象の到来に、アメリカ、ロシア、中国、その他の持てる国は輸出を制限する。輸入に力を入れる。

 持たざる国は飢餓する国民を抱える。暴動が多発する。

 ここは日本の総理官邸地下室。

「室長、大変です」室長室に部下の1人が飛び込んでくる。

「アメリカ、中国、ロシアが輸出禁止措置をとりました」追従する国が現れると言う。

「売り惜しみが始まったな」斉田は呟く。

 予想はしていた。政府関係者に働きかけて、備蓄を要請していた。今年に冬は何とか乗り越えそうだ、との楽観的な予測が立てられていた。


 2030年9月。40度以上の猛暑が続く。

 新たな事実が次々と寄せられる。斉田達は眼をむく。

 2032年問題は一部の政府首脳、財界人に知らされている。日本で数ヵ所の地下シェルターが建設されている事も・・・。

 だが一部の特権階級から異論が出ていた。

 富士山麓の青木ヶ原のシェルターに避難できるのは約17万人。約四年間の避難生活と伝えてある。

”彼ら”は一般人との共同生活を拒絶していた。

 避難生活でも――今と同じ優雅な――生活を享受したい。自分達だけの地下シェルターを持ちたいと言うのだ。

 彼らの願望に沿って特別なシェルター室が作られていた。

長野県長野市松代町にある皆神山。海抜643メートルの山だ。太平洋戦争末期、この山の麓に大本営用地下壕が造られた。現在は地震観測所が設置されている。

 この地下壕は敗戦濃厚の時、秘かに天皇家と皇族方の避難場所として造られていた。

 斉田達の得た情報によると、政府首脳、財界関係者は宮家を庇護して皆神山の地下壕に避難する。彼らの人数は約5万人。彼らの従者、縁故者を含めて約10万人規模の人口を収容できる。

 約6年間の耐久生活に必要な資材が運び込まれている。

――それだけではないんですね――

 部下は呆れた顔になる。

 娯楽施設もある。書物、映画、音楽、パーティーも開ける広場さえある。自家発電が完備される。地上での優雅な生活をそのまま維持しようとする配慮が施されている。

――まさに贅を尽くした地下シェルター――なのだ。

 斉田は思わず笑いこける。部下は怪訝そうな顔をして引き下がる。

――これで日本の支配階級の処置は済んだ――

 この問題には、斉田も頭を悩ましていたのだ。

――マルデクの配慮か――

 地下での生活は2千年続く。贅を尽くした生活など望むべくもないのだ。

 世界中から同様の情報が寄せられる。アメリカは実力社会の国だ。やる事が露骨だ。アメリカの地下シェルターへの避難民は3千万人。

 政府高官や特権階級用の地下シェルターが建設されている。

――どこでも人間のやる事は同じだ――

 斉田の心は虚しい。


 マルデクの声を聴く。瞑想状態に入る。斉田の心の内は感謝の念に満ちている。

――私は何もしていない――マルデクのしわがれた声。

”まさか”斉田は戸惑う。皆神山の麓、地下シェルター建設、日本の支配階級のための避難場所だ。

――彼らは自分達の意志で造った――

 日本の支配階級の総資産は、約2割。国民全体の約千2百兆円の内の2百40兆円という巨額な財産を握っている。

 2032年以後、日本だけで生き残るのは約百万人。彼らはいつの時代でも支配階級であり続けたい二だ。

――お前たちはよく働いてくれた――

 マルデクは人間の神だ。一瞬の内に数億人の意志を聞き分ける。人間の将来は彼の意志に掛かっている。

 来年秋には青木ヶ原へ行けと言う。

・・・地下シェルターに避難して、我々はどうなります・・・

――生きるだけだ――

 薄暗い洞窟の中で生き死にを繰り返すのみ。

 2千年間、穴の中で生活する。子供を産む。育てる。年老いて死ぬ。2千年後、フォトンベルトから抜け出す。穴から出る。原始人として再出発だ。

 火をおこし、獣を追う。毛皮を纏う。道具は石器のみ。

 原始生活が千年続く。

 ある日、大きな変化が起こる。文明の担い手が出現する。シュメール文明がそうであったように、突如、高度な文明が登場する。原始人を導く。古代エジプト、マヤ、中国と次々と薫り高い文明が花開く。

 それから約一万年、極限に達した文明社会は、突如終末を迎える。フォトンベルトの到来だ。

そして――、地球文明は終わる。

――太陽は消滅する。2千年後、新しい太陽は・・・――

 マルデクの声が消える。斉田との交信は途絶える。斉田は悟る。政府という組織は1年半で崩壊する。世界中の国々もすべて消滅するのだ。

――この日をもって内閣情報室は解散する――


                   束の間の休息


 陽中公平は焦りを覚える。義兄の角田や大学教授の宇佐見たちはすでに避難している。自分達はまだなのだ。

 ”黄金の異界”妻の佐江子、両親もいると言う。

 2030年秋、まだ残暑が厳しい。近頃の天候不順は人々を不安に陥れている。季節は夏と冬だけになっている。夏は50度を超える。外を歩くと熱中症にやられる。若者も例外ではない。夏の高校野球は行われない。クーラーがなくては過ごせなくなっている。電力需要はうなぎのぼりだ。供給が追い付かない。停電が恒常化している。ガソリンも1リッター5百円となる。富裕層は車を足代わりに出来るが、低所得者層は軽4が精一杯だ。

 犯罪は日常茶飯事となる。親が子を殺す。子が親を刺し殺す。スーパーやコンビニの万引きは後を絶たない。万引きして警備員に捕まる。事務室に連行される。普段なら神妙な顔付で頭を下げる。

 暴徒と化した犯罪者は警備員を刺殺して逃走する。それが当たり前の風潮となる。スーパーの警備員に棍棒の携帯が許される。

 アメリカは銃の量産国だ。密輸入で大量に入ってくる。銀行強盗は容赦なく人質を銃で殺す。警察に包囲されて逃げきれぬと知るや、爆弾を爆発させる。人質を巻き添えにして爆死する。

 学校の虐めは陰湿化する。生徒が暴れる。先生が指導する。それが今では生徒が先生を殺す。先生は生徒を殴る。暴力学校は日常化する。

 飲酒運転撲滅が叫ばれて久し。今年に入って飲酒運転で捕まるドライバーが激動する。免許証を取り上げられる。無免許で飲酒運転をする。社会の模範となるべき公務員、警察関係者も飲酒運転をする。捕まっても反省の色もない。


 世界もまた同じような兆候を表す。

 持てる国と持たざる国の格差が激しくなる。異常気象の続く中、食料事情は悪化する。

 持てる国はまず自給自足の確保を優先する。輸出品は自動車、電気製品、コンピューター関係の製品に限られる。

 アメリカは世界有数の穀物生産国だ。異常気象で生産は激減する。穀物、牛肉、石油等の製品は輸出禁止となる。

 アメリカだけではない。食料は世界的に不足する。主要生産国の売り惜しみが続出する。

 持たざる国の困窮は激しさを増す。数年前、自国民が病幣しているのに、軍事増強、核兵器の増産を計った国があった。当時は核軍縮が世界的な取り組みだった。

 核をちらつかせる。食料や石油をせびる。それが可能だった。今――、核で世界を威嚇するが、相手にされない。むしろ反発をかう。食料や石油は入ってこない。崩壊寸前だ。

 日本も例外ではない。石油の代わりに液化石炭の利用が検討される。食料増産が官民一体で推進される。風力発電、太陽光発電が各地で増加する。

 ここ常滑は大型ショッピングセンターが誘致されて久しい。中部国際空港を抱えている。競艇場もある。

市の財政も潤っている。

 常滑で大きな製造工場は少ない。家内工業的な店が乱立する。大型のスーパーがあるが、これらのショッピングで働く者は、ほとんどがパートだ。それに人員も少ない。市民は働く場所がない。名古屋通勤となる。買い物は郊外に出る人も多い。

 昔、常滑は土管の町だった。昭和40年代後半まで、陶管製造で潤っていた。町に活気があった。

 今、土管は全滅、朱泥の急須、茶器などが細々と造られている。焼き物の町、常滑のイメージは過去の産物だ。

 飛行場で人口は増加する。分譲住宅、賃貸マンションの建設増で活気を呈したかに見える。

 だが、長引く景気の低迷、気候の激変で市民の所得は伸びない。工業団地を控える武豊、半田、知多、東海に人口が流出する。

 陽中公平も”2年後”を控えて、不動産を廃業。数ある賃貸住宅、アパート、借家などを処分する。現金に換える。食料、灯油、衣類、1年以上の”冬眠”生活に備える。


 2030年10月、暑い日がようやく終わる。

 気象庁の天気予報は、10月下旬から、寒波が日本列島を襲うと警告する。

 陽中はパソコンをやめる。テレビも見ない。ここ2~3年前から電磁波が乱れている。テレビ画像も見にくくなっている。

 インターネットは世界中を覆っているが、2032年初頭より衛星放送はその機能を停止すると予測されえている。パソコン、スマホ等電気を利用する機械は一切使用不可となる。テレビは映らなくなる。

 間もなく、人間は眼や耳、手を失うのだ。

 2030年10月中旬、わずか10日余りの日が秋の気配だ。1年で一番過ごしやすい日だ。

 束の間の休息なのだ。


                    太陽の謎


 冬の訪れは去年よりも2週間も早くやってきた。

 10月下旬には冷たい風が吹き荒れる。雪も降る。昨年と違う事は、冬の備えは出来ている事だ。

 2030年10月下旬、陽中公平は地下室への避難の準備を終えている。食料、衣料、灯油、約1年間の”冬ごもり”その準備は万全だ。それでもまだ地下室へ避難する寒さではない。

 夕方、1人の少年が玄関に立つ。

 陽中家の玄関は鍵がかかっている。訪問客はチャイムを鳴らす。世の中が物騒になっている。いつ泥棒や強盗に押し入れられるか判らない。警察は当てにならない。家の周囲は人が近ずくと、センサーでチャイムが鳴るようになっている。

 この時、公平はキッチンで夕食の支度をしている。

「ごめん下さい」少年特有の透き通る声だ。

「はい!」返事をしてはっとする。思わずプロパンガスの元栓を閉じる。都市ガスはいつ供給が止まるか判らない。キッチンの横にプロパンガスのボンベが置いてある。地下室にも常備している。

 あわてて玄関に走る。そこで見た物は、少年と対応する日奈子だ。2人は向かい会って立っている。5歳になった日奈子は少し背が伸びた。それでも1メートル未満だ。彼女は白のセーターを着ている。髪の肩まである。目鼻立ちがくっきりしている。

 一方の少年は白衣姿。髪が女のように長い。少年の全身から威光が発している。玄関先も廊下も暗い。電気が来ていないのだ。あるのは食堂のテーブルの上のローソクのみ。

 瞬間、公平の脳裡に角田健一の話がよぎる。

 恵那市大井町の角田の家。雪の夜の少年の訪問。不思議な予言。佐江子との結婚。

 公平は自分が角田健一本人のような錯覚を覚える。

「あなたは・・・」公平は声を詰まらせる。

 少年と日奈子が黄金の光に包まれる。暗い家の中が明るくなる。公平は呆然と立ち竦すのみ。一瞬、公平は気を失う。夢のような世界が、彼の前に拡がる。


 宇宙は電気で満ちている。人類の進化は電気によってもたらされる。その源は太陽だ。

 太陽は20日周期で自転している。地球からみると28日サイクルで回転している様に観測される。

 太陽の極領域は遅くなる。実に37日かかる。地球からみると、その位置での一回転は40・5日になる。極と赤道で異なる自転スピードが、一ヵ月に一回太陽風を発生させる事になる。この事実は1963年に打ち上げられた惑星探査機マリナー2号によって発見された。

 1979年、イギリスの天文学者イアン・ニコルソンによって、太陽風が地球のヴァン・アレン帯に衝突、磁場の変化を起こすことを発見。

 モーリス・コテレルはメキシコ・バレンチ遺跡にあるマヤ族の王バカル・ボタンの石棺の蓋の絵文字を科学的に解読した人物だ。

 その彼が1ヵ月事に起きるソーラーエネルギーの”電磁場的な爆発(太陽風のこと)”が地球上の生命体に影響を与えると発表。

 受胎時に太陽風を浴びると人間のDNAは大きな影響を受ける。

 人間のホルモンは、その行動を司る役割を負っている。ホルモンの中でも、アドレナミンの分泌は恐怖心、怒り、暴力につながる。メラトニンは穏やかな気持ちを誘う。眠りを誘発する。

 1987年、レーガン大統領の首席補佐官長を務めていたロス・アイディは、細胞はお互いに信号を送りながらコミュニケーションをしていると発表。電磁場による細胞膜への影響を研究。

 それによると、松果体の細胞の約20パーセントが地球の磁場の変化に反応する事を発見。

 つまり――人間の受精期にわずかな電磁エネルギーの違いでDNAに突然変異が起きる――

 さらに――、女性の28日の月経周期は、太陽の28日間の(地球から見た太陽の赤道の)回転につながっている。

 そして――松果体と、脳下垂体、視床下部を通って人間の内分泌系全体が太陽によって制御されている。

 松果体は太陽の電磁場エネルギーをメラトニンに変える働きをする。視床下部、脳下垂体はバイオリズムに従ってメラトニンを生成するエストロゲン(発情ホルモン)と、プロゲステロン(月経ホルモン)を促す。

 電磁エネルギーをホルモンに転換するシステムを、電気化学的トランスダクション(変換)と呼ぶ。

 古代マヤ、エジプトでは太陽を受胎力の神として崇拝。

 現代――世界中に拡がる混沌と不安、情緒不安定、出産率の低下は太陽の変化と密接な関係がある。

 太陽は今――フォトンベルトに突入しよとしている。


 陽中公平は肉体的には気絶している。にも拘らず彼の心の中は鮮やかな映像が展開している。太陽と地球、女性、古代エジプト、マヤ文明。走馬灯のようにめまぐるしく脳裡を駆け巡っている。

――父さん、太陽をみせてあげるね――日奈子の声だ。


 太陽コロナは、丁度地球の雲に似ている。太陽の表面は”光球”と呼ばれる厚さ500キロの大気層がある。温度は6千度。この光球に、温度が低く強烈な磁場を持つ黒点が斑点の様に現れる。その出現は極小期から極大期まで11年のサイクルで増減する。黒点サイクルだ。

 黒点サイクルは太陽活動サイクルとも呼ばれる。黒点の上空で磁場のエネルギーが一気に解放されるからだ。解放されて起こる太陽表面の爆発現象の1つが太陽フレアである。この領域が何千万度という高温になる。

 太陽にはもう1つの爆発現象がある。太陽の最も外側の薄い大気層のコロナで起きる大規模ガス噴出だ。

地球で例えるなら、太陽フレアは雲の漂う高さで起きる。コロナは衛星が回る大気層の高度に相当する。

 コロナは太陽の上空2500キロメートルから拡がる。それは惑星間物資の中へ飲み込まれていく。

 コロナで生じる大規模ガス噴出は時速数百キロで、何十億トンもの荷電粒を含むプラズマを吹き出す。この時の太陽の温度は1億度を超える。

 太陽には地球のような岩石はない。海もない。液体のような塊で出来ている。いわば電球のような存在で中心は電気の集合体だ。

 太陽は周囲のプラズマ宇宙より1000万ボルトも多い陽電荷を持っている。その為に銀河宇宙の中心から電気エネルギーを吸収する。ビルケラント電流が、螺旋状に太陽に侵入している。

 太陽は電気の性質を持っているので強力な磁場に満ちている。そのために赤道付近では時速約7150キロで回転している。26日で一回転するのだ。

 ところで両極は時速875キロまで回転速度が落ちる。一回転するのに約36日かかる。太陽のN極とS極は、11年ごとに逆向きになる。磁場の配置が元通りのサイクルに戻るのに22年かかる。

 この磁場が太陽の黒点、フレアなどを引き起こす。磁場の活動は太陽表面から離れる程活発となる。温度は急激に上昇する。

 太陽の”大地”は地球の海の様に流動している。この”海”は電気エネルギーで充満している。

海から”空”を見上げると、黄金色に輝いている。大地と空は黄金色に塗りつぶされている。

・・・太陽に生命は存在するのだろうか・・・

 陽中公平は叫ぶ。生命が存在するには、養うだけの”食べ物”が必要だ。地球上では”炭素ユニット”と呼ばれる肉体を持つ。肉体を養うための食物がある。口から入れて、間接的にエネルギーとして体内に吸収する。

 太陽では肉体を必要としない。否、肉体は存在できない。霊体として、電気エネルギーを吸収して生活する。


 2032年12月22日、フォトンベルトに突入。

銀河宇宙の中心から電気エネルギーが途絶える。食物を食べない生物と同じだ。太陽フレア、コロナ活動が起こらなくなる。熱も放出しない。光りも消える。

 電源を切られた電球のようだ。太陽内部の電気エネルギーは分解する。そのエネルギーは、霊体としての生命体と共に、銀河宇宙の中心に吸い込まれていく。

 マヤ文明に伝承されている、5番目の太陽の消滅だ。

 2千年後、フォトンベルトから抜け出た後、6番目の太陽が形成される。


                 2030年冬


 陽中公平は絶句する。太陽が滅びる。衝撃的な映像が目の前に展開する。公平の想像を超えた世界だ。

・・・日奈子・・・夢見のなかで声をたてる。

 はっとする。意識が戻る。ずいぶん長い時間、夢を見ていた気がする。だが――、現実は1分と経っていない。

 少年が玄関に立っている。日奈子が対応している。公平は少年の正体を知っている。応接室に招き入れようとする。

「ここでよい」少年の声はきびきびしている。大人びた響きだ。

「あなたは・・・」公平を見上げる。この家にいて、2年後の苦難を乗り切る。

――彼女があなたを守る――少年は涼し気な表情をする。

 公平は悟る。公平と日奈子以外の者は黄金の異界に避難している。自分は何かの役目があってこの地にいるのだ。

 公平は愁眉を開く。


 同じ季節。

 大山京一は自宅の地下の瞑想室で胡座する。北設楽郡稲武町の山間の町中だ。夏は猛烈な暑さに襲われる。秋の気配は短い。10月中旬というのにすでに雪がチラつく。

 大山は部下10名と共に、これからの長い冬を乗り切る。本当ならば全国に散らばる部下を一同に集めたい。その施設がない。連絡を密にして今後の方針を模索するしかない。

 ――マルデクからの指令―― 

 2030年をもって、大山達への仕事の依頼は停止する。来年8月中に全員が富士山麓の青木ヶ原に直行する事。

 2030年の暮れを待たずに、政府の機能は解体される。国民への医療、食料の補給等はストップされる。餓死者が続出する。犯罪も増える。1人1人が自衛手段をとる。行政や警察を当てにするのは愚の骨頂となる。

 2031年には地震や台風、災害が頻発する。約二千万人の国民が死ぬ。それでも2032年と比較すれば天国なのだ。本当の地獄絵図はその後に起こる。

 2030年冬、国民はようやく政府の真意を知る。

二酸化炭素の増加が地球温暖化現象と教え込まれてきた。ここ2~3年の異常気象は別の要因だと知る。

 フォトンベルトの到来。人類最後の日が近い。

最後の最後まで政府に騙されてと知った国民の怒り。政府要人、高級官僚、財界人、その家族が殺戮される。暴動は地方にも波及する。

 工業地帯は収奪の的になる。警察、自衛隊は機能を失う。否!、警察、自衛隊そのものが収奪者に変貌している。無秩序が日本を支配する。それは世界各地でも同じこと。政府要人、財界人の避難用地下シェルターの存在が暴露される。理性を失った暴徒の手で破壊される。

 東京、大阪、名古屋などの都会の暴動は激化する。商店街、スーパー、地下街は略奪の対象でしかない。

 人類が生存する筈の生産設備が、人類の手で破壊される。生活物質のの争奪戦が繰り広げられる。まず女、子供が生命を奪われる。次に老人や病人が・・・。

 生き残った者は地下街、ガス、水道、排水施設のための地下坑道に逃げ込む。


 瞑想中の大山達の脳裏にはこれから起こる凄惨な光景が展開されていく。

大山の心に絶望感が拡がっていく。

 彼の仕事は”暗殺”である。複雑な社会機構が存在する。利害、欲得が絡み合う。他人を押しのけてでも権力をわが手に納めようとする。対敵者が邪魔になる。彼らを排除するのが大山達の仕事なのだ。

 ここ数年、マルデクの命令で、権力闘争とは関係のない者を殺してきた。常滑市民病院の赤ん坊の殺害は後味の悪い物になった。マルデクの指令で、富士山麓の青木ヶ原へ行く。地下のシェルターに避難する。その後の事は・・・。

 マルデクは沈黙したままだ。

「隊長!」部下の1人が不安な顔を向ける・

 大山は四角い顔を上げる。瞑想と言っても、眼を瞑っているだけだ。それだけでもマルデクの意志が大山達の心を支配する。

「我々はどうなるのでしょうか」

 尋ねられても答える方法がない。殺すことは平気でやるが、自分が死ぬとなると恐怖が先立つのだ。人間は身勝手なものだと、ふと、大山の口から笑いが漏れる。

「私の質問おかしいですか」部下は不審げに口を尖らす。

 大山は悪かったとばかりに頭を振る。

「皆、聴いてくれ」大山はマルデクの指令を伝える。


 来年8月下旬、青木ヶ原の地下シェルターに入る。

命は助かる。ただしそれだけの事だ。死ぬまでそこから抜け出せない。娯楽はない。寝て起きた、食って、女を抱いて寝る。毎日がその繰り返し。フォトンベルトから脱出する二千年後まで、生きては死にを繰り返すのみ。

 そして――、地下から出る時は、文化文明を忘れた原始生活が始まる。

 部下は憮然として聴いている。何のことはない。地下牢の中で食糧と女をあてがわれて死ぬまで生き続けるだけなのだ。

 人間は1つの目的に向かって生きていく。そこに生きる喜びがある。仕事で成果をあげる。趣味に生きる。子育てに専念する。

 その人生の喜びを奪われる。暗い地下で生きながらえる。本当に生活できるのだろうか。

・・・将来をはかなんで自殺・・・考えられない事ではない。

「隊長、俺たちは思いきって何かをやりたいんです」

 2年先に、死ぬと判っていても壮絶な生き方をしたいのだ。

 だが、何をやったらいいのか・・・。大山もその気持ちは理解できる。

 人類が営々として築き上げてきた文明、社会は危機に瀕しているのだ。


                  最後の戦い


 大山邸の地下室のベルが鳴る。瞑想室とは名付けているものの、万一の避難場所なのだ。3つの部屋がある。1つはスポーツジム。ここは食料や灯油などの備蓄室にもなっている。1つは武器庫。武器は建物への侵入者を防ぐために地上の建物内に配備している。瞑想室も食料の備蓄室に早替わりしている。 

 大山邸は風力発電装置を完備している。風力と言っても、扇風機のお化けのようなものではない。家庭用の扇風機を風の力で回す。電力を発生させる。それが屋根の上に10基並んでいる。夏は太陽光発電。

 電力会社からの電力の供給はストップしている。自家発電の為に室内は程よい暖房が効いている。

 ベルが鳴る。不審な者の出入りを封じるためだ。

インターホンが鳴る。テレビ電話が玄関先の訪問者を映し出す。

「お前達!」大山達は仰天する。あわてて階段を駆け上がる。玄関戸を開ける。

 外は吹雪だ。肌寒い。30名の部下が勢ぞろいしている。防寒コートを着ている。暗闇の中だ。

「隊長!」屈強な男達だ。

「とにかく入れ!」大山は急ぎ招き入れる。

 和室を改造した、田の字型の洋間の間仕切りを取り払う。部下たちがコートを脱ぐ。大山達は2度驚く。彼らは自衛隊の迷彩服を着ている。帽子も持っている。

 30名の部下は勢揃いする。

「敬礼!」1人が号令をかける。一斉に大山に対して直立不動になる。敬礼をする。

「一体何があったのだ。大山はその場に彼らを座らせる。暖かいコーヒーが配られる。


 40名の暗殺者が一堂に会する。

「隊長、私達!」1人が喋る。

 ここ2~3年、自分達の仕事がなくなった。世の中が平穏なら、有り余る財産で充分に食っていける。

今は非常時だ。2年後には人類滅亡という極限状況がやってくる。マルデクのお陰で生き延びる事が出来る。

「私達、3年前に話し合いました」

 30名の代表格の男は名古屋市在住の部下だ。平素は名古屋市南区でラーメン屋をやっている。実直で忠実な男だ。

 2032年を生き延びたところで、永遠に穴倉生活と聞いている。生きる目的もなく年老いて死んでいくだけ。

「私は、それでも生きろと命じたぞ」

 大山は叱責する。何があっても生き延びる事。

 暗殺者はターゲットを殺すだけが目的ではない。殺した後、逃げおおせる事も大事なのだ。何があっても生き延びる。暗殺者の鉄則だ。その為に暗殺は綿密に計画する。予想外の事件が起きる。暗殺計画が変更になる。だが目的は遂行されねばならない。その為に幾通りもの計画が用意される。

 今まで死者を出さずにやってこれた。これも周到な計画のお陰なのだ。

「判っております。でも、これ以上生き延びる価値はあるのでしょうか」

 人類が滅亡する。僅か一握りの人間として、細々と生き延びる。大山は返答に詰まる。先ほどまで地下室で9名の部下と話をしたばかりだ。

 大山は黙したまま、話を促す。

 彼の名は吉雄耕一、35歳。25歳の時にこの道に入っている。2年前、吉雄は全国に散らばる40名の同志に声をかける。このまま青木ヶ原に行くか、もう一花咲かして、あの世に行くか、賛同者は吉雄を入れて30名、残りの者は家族がいる。家族の為に青木ヶ原に行くと言う。

「どうして相談しなかった」身勝手な行動は厳罰に処する。

「そのつもりでした。しかし・・・」

 吉雄は臆せずに大山を見る。言えば引き留められる事は目に見えている。

「私達は戦うために生き延びてきました」30名が一斉に答える。

 最後まで戦って死にたい。


 大山は9名の部下にどうだと問う。彼らは50名の部下の内から選りすぐれた者たちだ。40名の部下を指導する立場にある。来年の8月まで大山と行動を共にする。8月下旬、40名の部下を引き連れて青木ヶ原に集合する。その手筈となっていた。

「隊長、やりましょう。最後の戦いを・・・」

「やるか!」大山は活を入れる。

「おう!」割れるような歓声が響く。

 最後の戦い――、国民を食い物にした政府高官、高級官僚、財界人を一掃する事だ。

 政府はすでに存在しない。行政や司法も消滅している。

 長野県長野市松代町、皆神山の麓の地下シェルター。宮家を擁立して地下生活を送る。政府高官、財界人とその家族。約15万名。ここに備蓄された物資は彼らの財力で賄われている。

 だが、今年の春先に1つの事実が発覚する。

政府高官、官僚の一部の者が、莫大な量の国庫資金を横領している。本来ならば生き延びる国民の為に提出すべきものなのだ。

 彼らの人数は家族も含めて約1万人。それに自衛隊上りの軍人約千人が警固している。

 この事実を、大山はマルデクに問う。

「放っておけ」彼らはいずれ自滅する。手を下すまでもない。大山のそのつもりでいた。

「私達は赤ん坊や罪のない者を殺した」吉雄が叫ぶ。暗殺者でも心の痛みはある。でめてその罪滅ぼしを・・・。

「よいか、今度ばかりは生きて帰れぬぞ・・・」

 大山は全員を睥睨する。


                    いざ出陣


 最後の戦いといっても相手の居場所が不明だ。さてどうしたものか、大山は思案顔になる。

「場所は判っています」吉雄は横にいる自衛隊服の男に、話す様に促す。

「近江河内の風穴に集合しています」促されて、いがぐり頭の男は即答する。彼は自衛隊上りだ。

 男の声に熱がこもる。

――政府要人、高級官僚、財界人の一部の国家財産の横流しは4~5年前から噂されていた。現役の自衛隊の関与も聞こえてくる。男――増谷は暗殺者になっても、旧友とは情報交換を行っていた。

 フォトンベルトの事は、その頃から噂されていたのだ。ただし、表立って話をすると身に災いが及ぶ。助かる方法はただ1つ、地下に潜りこむ事だ。

 現役の自衛官、退役軍人に勧誘の声が懸けられる。勧誘という言葉は不適切かもしれないが、高い報酬でボデイガードの役を甘誘される。仕事は政府高官、財界人を守る事。その時にフォトンベルトの話が出る。2032年を待たずして地下に避難する。一緒に来ないかと誘う。彼らの役目は国家備蓄の物資を密かに運び出す事だ。

 国家が滅びれば、誰の者でもない。生き延びるために頂戴するだけだ。

「増谷君から、この話を聞いた時、怒り心頭に発しましてね・・・」吉雄が話を引継ぐ。

「隊長に相談しても・・・」吉雄は大山の顎の張った顔を見る。マルデクの言葉通り”放っておけ”と言われるに違いない。

 しかし、自分達は生きている意味がないと感じている。華々しく討ち死にしようと同志に呼びかける。2年前はスマホも、インターネットも使えた。昨年の冬の異常寒波で利用が制限される。

「私、知り合いの自衛官に金を握らせまして・・・」と増谷。

「金は我々30名がかき集めました」と吉雄。

 自衛隊の武器、弾薬、戦闘用ジープ、運搬車を盗みだす。

そして――、3日前の夜半に、私が南区で借りている倉庫に運びました。

「本当は・・・、我々30名でやろうと考えました」

 吉雄は大山に叱責されるのを覚悟に上で喋っている。

「やるなら、隊長に相談してからと一決しました」

 全員が真剣な面持ちで大山を見る。


 大山は何も言わない。最後の戦いは全員一致で決定した。事後報告は無視するしかない。

「マルデクの指令は無視しよう」大山の決意だ。

 どうせ死ぬのだ。後日マルデクの激しい怒りをかって死ぬよりもマシと言うものだ。

 決意が固まる。行動は素早い。吉雄が用意した自衛隊の迷彩服を着る。胸に階級章をつける。大山は陸将だ。

 相手は千人。こちらは40人。真面に戦っては勝ち目はない。味方と偽って、中に紛れ込む。まずは指導者を抹殺する。相手の武器、火薬を爆破する。戦意を喪失させる。後の始末は簡単だ。非戦闘員など、どうにでもなる。

 盗み取ったジープは15台。運搬用トラックは5台。武器弾薬は満載している。大山邸内の武器、弾薬、食料などの物資も積み込む。

 外は零下5度。強風が吹いている。雪の降っている。


 北設楽郡稲武町は山の中だ。大山の家は国道155号線沿いにある。今の季節、車の通行はまれだ。

 稲武町役場を中心に田口高校分校、稲武小中学校、農協などが密集している。

 吉雄の話――、ここに来るまでに数十人の暴徒に襲われている。荒っぽいやり方だが機関銃で追い払っている。

 ジープやトラックには機関銃や機関砲を装備しておく。狂気と化した暴徒を射撃して追い払って前進する。

 夜10時、全員が軍服に身を固める。家の中の武器弾薬、食料とをすべて車に積み込む。

 稲武町の役場の窓ガラスが割られている。周辺は住宅街だ。明かりのついている家はない。人の気配もない。僅か数週間でゴーストタウンと化している。

 ジープ15台、軍事用トラック5台、乗用車、2トントラック5台は153号線を西に向かう。約40キロを走る。東名高速道路豊田インターが第一の目的地だ。

 水晶山の麓を通過。伊勢神トンネルをくぐる。足助町に入る。闇の中だ。吹雪が車のライトに照らされる。無人の野を走る。時速40キロ。道路端の周囲を懐中電灯で照らす。助手席に乗るの者は機関銃を装備している。

 11時豊田市街を通過。人家やビルに明かりはない。人の気配もない。自動車の製造はストップしている。下請け孫請け工場も操業を停止している。コンビニ、スーパーはシャッターや窓ガラスが破られている。荒廃した気配が漂っている。

 行き通う車もない。繁栄を誇った車の町も見る影もない。道路のあちらこちらに乗用車やトラックが乗り捨ててある。激しく衝突した車もある。ガラスが散乱している。

 豊田インター近くに来た時、鉄パイプやバットを持った暴徒が近づいてくる。車のライトに照らされた彼らの表情は鬼のようだ。眼は血走っている。

「止まれ!」大山の一喝。3台のジープが横に並ぶ。暴徒が駆け寄ってくる。3名の部下がジープから降りる。

「撃て!」大山の命令。機関銃から容赦のない弾丸が、暴徒に浴びせられる。たちまちバタバタと人が倒れる。暴徒は驚いて逃げ惑う。


 インターの料金所は打ち壊されて跡形もない。

 豊田インターから名神高速道路に入る。名古屋インターをこえ、小牧、一宮を通過。大垣、養老を抜ける。彦根インターまで約2時間。犬上郡多賀町まで約10分。

 吹雪は激しくなる。目的の近江河内の風穴まで10分で行ける。県道沿いのレストランの駐車場で車を止める。5名の部下に周囲の警戒に当たらせる。

「よいか、最後の確認だ」大山は増谷に忠告する。

 増谷は自衛隊上りだ。彼は陸上自衛隊を一等陸士で退役している。彼の強みは多くの同僚を得た事だ。金を握らせる。情報を貰う。お互い持ちつ持たれつの関係だ。

 政府の備蓄資材の横流しの噂は知っていた。陸上自衛隊員がごっそりと抜ける。一万余の政府高官、財界人、高級官僚と共に行方不明になった事実を・・・。

 まだスマホが使用できた時の事だ。増谷は偶然にも行方不明となった自衛隊員と連絡をとる事が出来た。

”隠れ家”が判明した時、彼は一計を案ずる。食料などの生活物資を提供したい。代償として40名の自衛隊員を”仲間”に入れてほしい。その中には陸将級の人もいる。陸将は大将クラスの肩書になる。

 話の内容から、彼らのリーダーは1等陸佐である事が判明。

 現地に到着したら懐中電灯で合図を送る約束をしている。それ以後の計画の再確認を行う。大山や吉雄その他の部下たちは緊張している。


                 近江河内の風穴


 多賀大社から北東の方、雲仙山の麓に向かう道路がある。雲仙山の手前、鍋尻山、標高836メートルの麓に近江河内の風穴がある。ここは観光地だがあまり知られていない。地元民の憩いの場所となっている。雲仙山と鍋尻山の間は平地が拡がっている。道路に沿って川が流れている。

 風穴と言われるように洞窟内は風が吹いている。昔、この穴に入り込んだ犬が伊勢の方から出てきたとの謂れがある。洞窟の入口は小さい。中に入ると、5階建てのビルがすっぽりと収まるほどの空洞がある。ここから縄文時代の土器が発見されている。洞窟は南の方角へ、延々と10キロ程続く。小穴もいくつかある。風が吹き抜けている。洞窟内に小川が流れている。1万人どころか10万人も収容できる空間なのだ。温度は1年を通じて摂氏10度。住むには最適な場所なのだ。

 地上は軍隊さへ駐留出来る程の広さがある。南北を山に囲まれている。東の方は大森林だ。西は川が流れ丘が続いている。吹雪もここでは勢力を落とす。

 もしここへ攻め込むとするなら、北の雲仙山への小道か西の多賀大社への道しかない。この2つを制圧しておけば、襲撃されてもビクともしない。

 武器弾薬は林の中に隠して置ける。食料などの生活資材は大洞窟の中に保管できる。

「自然の要塞ですな」吉雄は大山に答える。


 近江河内の風穴へ向かう大山達の車の速度は20キロ。

増谷と相手の自衛官との間で手筈が整っている。と言っても用心にこした事はない。大山達は毎日厳しい訓練を重ねている。戦闘だけが彼らの特技ではない。不意打ち、裏切り、戦闘に関するあらゆる駆け引きも訓練の内だ。

”協力”とみせかけて、皆殺しにする。武器弾薬、食料等の物資の争奪を目的とする。最悪の事態を想定して行動する必要がある。

 ジープ、運搬用トラックは不意打ちを食らってもいいように、機関銃や機関砲を装備する。運転手はノクトビジョンをつける。暗闇でも、ものが見える。車のライトを消している。

 周囲は田や畑だ。今年は春先から暴風に見舞われている。2~3週間の春の気配の後、40度を超える日々が続く。7月8月は50度を超える日も珍しくない。田や畑の不作が続く。荒れた農地が多い。

 しばらく前進する。前方右手に鍋尻山、左手に屏風山。甲頭倉と呼ばれる丘が見える。道路幅は5メートル程。渓谷を走ることになる。丘の上から不意に襲われる可能性がある。全員ノクトビジョンをつける。

 1キロ程行く。急に広々とした平地に出る。近江河内の風穴前の広場だ。広場の奥に数百台のジープ、トラック、装甲車が止まっている。温度計は零下10度、激しい吹雪が吹き募る。

 双眼鏡で駐車している車の奥を見る。鬱蒼たる森だ。一抱えもある杉の木が聳えている。その木立の間から白い影が見える。厖大な量の武器弾薬だ。白いテントから砲台が顔を覗かせている。

「誰もいないのか・・・」大山は注意を怠らない。

「増谷、やれ!」大山の命令。

 風穴の方向に向かって懐中電灯を点滅させる。合図のモールス信号だ。風穴は高さ10メートル程の山肌にある。入り口は人1人が通れる広さだ。

 入り口には見張りがいるのだろう。すぐにも点滅信号の合図がある。全員ノクトビジョンを外す。途端に入り口付近にしつらえたサーチライトが大山達の車を照らす。

「増谷です。吉田一等陸士殿にお会いしたい」

 増谷は拡声器にしがみつく。入り口から10人程の男が出てくる。防寒コートを着ている。機関銃を肩にかけている。大山達は全員車から降りる。大山が一歩前に出る。部下は大山の後ろで整列する。

「吉田です」男の声に、増谷は小走りで駆け寄り、敬礼する。

「こちら、大山陸将殿」増谷の紹介に、吉田は身を硬直させる。10名全員が最敬礼する。

「ここでは何ですから、中へ・・・」吉田は洞窟の入り口を指さす。

「車を林の方へ移動させます」増谷は了解を得る。

 大山は相手が無線機を持っていないのを確認する。洞窟内とのやり取りは、岩が邪魔して無理なのだ。

「食料と生活物資はすぐに運んでおきたい。皆さんへの挨拶はそれからで・・・」増谷は話が上手い。手伝ってもらえないかと10名を林の中へ導く。ジープやトラックなどがその後に続く。

 本来ならば車を洞窟の入り口近くに移動させる。食料などを移した後に駐車場に移動させるべきだ。吉田達10名はその事に気づかない。サーチライトの光は駐車場まで届かない。

 全員決死の覚悟でいる。だが犠牲者が少なければそれに越したことはない。幸い、穴から出てきたのは10名。夜も遅い。寒さも厳しい。入り口に見張りを置いただけで、全員穴倉で寝入っていると推察。

 車を駐車場に置く。荷物降ろしを10名の者に手伝わせる。間髪をおかずサイレンサー付きピストルで10名全員を射殺。

「いよいよ、これからですね・・・」吉雄が悲愴な声をです。

 洞窟に入る。機関銃や機関砲を乱射する。相手は民間人も含めて1万1千人。多勢に無勢。死ぬ覚悟は出来ている。


 その時だ、40名全員を淡い光が包み込む。

大山の脳裡に稲妻のような閃きが走る。

「皆ついてこい」大山は林の奥に走る。白いテントをはぎ取る。

「あったぞ!」大山が手にしたのは地対空ミサイルだ。核弾頭をはずす。タイマーを装着する。大山は手際よく処理していく。

 ぐずぐずしていては、入り口の見張りに怪しまれる。

吉雄や増谷ら数名の部下は、手に申し訳程度の荷物を持つ。風穴の入り口に向かう。

「こんな吹雪の中じゃ、手間取ります」吉雄は見張りの者に言う。

応援を出そうかと見張りの1人が言う。吉雄は手を振る。

「大丈夫です。もう少し時間を下さい」笑いながら答える。

――武器と食料がごちゃ混ぜになっているので、取り出すのに手間取ります――吉雄の手慣れた会話だ。

 その時、核弾頭を毛布にくるんだ大山達がやってくる。

「吉田達は?」見張りの1人が怪しむ。


 洞窟の入り口は地面から10メートルの高さにある。岩肌を削っただけの階段がついている。入り口は2坪程の広さがある。

 入り口からはサーチライトで照らしても駐車場は見えない。小川が流れて、幅4メートルの石橋があり、樹が生い茂っているからだ。

 大山達が毛布の包みを担いで駆けてくる。石段を登りきると、

「今来ますよ」大山達は有無を言わさずサイレンサーで撃ち殺す。

 大山は核弾頭のタイマーを10秒にセットする。同時に入り口の中に放り投げる。全員必死な思いで石段を駆け降りる。

 激しい地響きが起きる。全員地面に伏せる。入り口から閃光が飛び出す。入り口の岩が粉々に吹き飛ぶ。大山達の体に岩や石が雨あられと降る。怪我をした者はいない。

・・・終わった・・・大山は身を起こす。

 全員死ぬつもりだった。1万1千人の命は、あっけなく葬り去りさった。

・・・あの時、淡い光の中で閃いたのは何だったのか・・・


                  マルデクの出現


 ――皆、無事か――

 体に落ちた石や岩を払いのける。大山の肉体は頑強だ。それでも雨あられと降りしきる石にたたきつけられて、節々が痛い。怪我をした部下がいるようだが、軽傷のようだ。

・・・皆、無事のようだ・・・大山は暗闇の中で懐中電灯を照らす。洞窟の入り口に設置してあるサーチライトは吹き飛んで跡形もない。

「全員、無事です」吉雄の声に張りがある。

 全員が駐車場の大型トラックの荷台に避難する。

「まさか、助かるとは・・・、奇跡ですね」1人が声をあげる。

「しかし、呆気なかったですねえ」増谷が感嘆の声をあげる。

「隊長、核ミサイルがあるってよく判りましたねえ」

 洞窟内でミサイルを爆発させる。風が通っている。爆発の衝撃は風穴の方向に進む。いわば鉄砲に火薬をこめて打ち込むようなものだ。火薬の衝撃は筒先に向かって進む。

「いや、あれは・・・」大山の咄嗟の思いつきなのだ。体が一人でに動く。白のテントをはぎ取る。そこにミサイルがあるのを知っていたかのように、手が伸びる。

・・・タイマーの装着だって・・・

 大山には知識も経験もない。にもかかわらず、テキパキと取り付けていく。

・・・これはひょっとしたら・・・

 トラックは兵隊運搬の専用車だ。ヂーゼルエンジンでヒーターが荷台に送り込まれる。

 40名が急激な眠りに襲われる。

――その通り、私の意思だ――マルデクのしわがれた声が脳裏に響く。

 来年夏には、50名全員が富士山麓の青木ヶ原に行く。これはマルデクの意志だ。

・・・私達はあなたの意志に逆らいました・・・大山は頭の中で叫ぶ。

死を覚悟で風穴にやってきたのだ。

――お前たちの意志だと言うのか――マルデクの声は圧倒的な迫力に満ちている。この戦いはマルデクが与えた仕事だと言うのだ。

 増谷や吉雄達に、戦闘の衝動を植え付ける。大山が同意する。そして、行動を起こす。

 大山の計画は当初、外にいる者や見張りを倒す。風穴内に入る。機関銃を乱射する。全員討ち死にの覚悟だった。それが外れた。ミサイルなどは思いつきもしなかった。ましてやタイマーを装着する事など、素人では無理な作業なのだ。

――洞窟内で死んだ1万1千人。この中には女も子供も、赤ん坊もいた――

 この事実を想定していたのかと、マルデクは問うた。

 誰も返事は出来ない。冷静に考えれば判る事だ。皆熱に浮かされたように、自分達の死ぬことばかりを考えていた。

”常滑市民病院の赤ん坊虐殺。罪のない民間人の事故死”、罪の意識から逃れようと、自滅の道を選んだのだ。


しばらく沈黙が続く。

――今回の行動は、2つの事を学ばせるために仕組んだ――

 マルデクの言葉は高圧的だ。

 1つは、戦争となれば女、子供も死から免れない。生きるために殺さねばならぬ。この厳然たる事実を身をもって知る事。罪悪感は無用の長物と知れ。

 2つは、1万1千人の肉体は滅んだ。だが魂はマルデクの元にいる。2千年後、彼らは肉体をもって生れ出る。

 大山達が殺した赤ん坊、民間人、これらの魂もマルデクの手の内のある。2千年後、彼らは肉体をもって生れてくる。

 大山達の心は戸惑っている。マルデクの言葉は理解不能だ。彼の存在自体が想像を超えている。

――あなたは一体、何者ですか。姿を見せてください――

 大山達の欲求だ。

――見せてやろう――最初にして最後だ。

 大山達の脳裡が光輝く。無限の空間が広がる。

 裸の自分が漂っている。目の前に無数の点が現れる。それが大きくなっていく。

 その1つ1つが形をとり始める。


 大山が叫び声をあげる。彼だけではない。39名の部下も激しい嗚咽を漏らす。泣き叫ぶ。

 彼らは生死の境を潜り抜けてきた暗殺者だ。死も恐れない。その彼らが・・・、子供のように泣き喚く。

 彼らの脳裡に映じた異常な光景とは・・・。


 10歳の時、大山はいじめっ子に虐められていた。大山だけを目の敵にする。虐められては泣く。泣いては虐められる。いじめっ子は手鏡を見せつける。

「お前の泣きべそ、面白いだろ」大山はくしゃくしゃな自分の顔を見る。その時の屈辱感、悔しさ、恐怖は今だに忘れない。以後彼は武道に励む。

 3年後、いじめっ子と対決。思う存分叩きのめす。それでも虐められた時の自分の顔を忘れる事はない。


 今――彼の目の前に、虐めにあった自分が出現している。1人や2人ではない。虐められる瞬時瞬時の自分が、無数に現れる。大山の心は10歳の時に還っている。

 彼は泣き叫ぶばかりだ。


 大山の部下も同様だ。人間だれしも弱点がある。他人に見せたくない自分、思い出したくない過去の思い出。

 その時の自分に還る。恐怖、屈辱、孤独に苛まれた自分がいる。無数にいて、その時の自分に迫ってくる。

部下たちは恐怖心におののき、泣き叫ぶ。

――お前達の弱点、それが私だ――マルデクの声が響く。

 その恐怖心が勇気を奮い立たせる。

 憎しみ、怨みの力は愛の力に勝る。人類の進化のパワーなのだ。忘れるな、恐怖、憎しみが心に芽生えたら、マルデクがいると知れ。


                   寒波到来


 2030年12月。

 激しい強風、零下20度。地上で生活できる生物は人間だけだ。家の中に閉じこもる。電気は送電されない。テレビやラジオ、インターネット、携帯通話さえ使用不能だ。

 すべての産業も操業停止に追い込まれている。デパート、スーパー、コンビニ、商店街もシャッターが閉じたままだ。

 家の中で暖を取る。ストーブが主役となる。灯油が有るうちはまだよい。無くなると家の板壁や床を剥す。薪として使用する。火の不始末から火事が発生する。住宅密集地帯では火事は強風にあおられる。たちまちに内に火は住宅街に燃え広がる。一旦燃え出した火は、人の手には負えなくなる。死傷者が出る。病院は閉鎖している。

 人々は逃げ惑うのみ。狂気が支配する。恐怖がそれを増長する。暴徒と化して、住宅やスーパー、コンビニなどを襲う。火をつける。

 家々を襲っては食料や燃料を奪う。無法と化した街に殺戮者が横行する。


 陽中公平は地下室に避難している。日奈子はもうすぐ6歳だ。地下室のベッドの中で死んだように眠ている。

 この地域に暴徒は襲ってこない。西の崖下に保示町がある。幸い火事は起きていない。保示港の4キロ先に中部国際空港がある。今年に入って、飛行機の離発着は1機もない。飛行場は無人だ。陽中家から北西の方角に市役所の建物がある。建物内の機材は略奪されて、がらんどうだ。

 飛行場の建物、全ての公共施設は略奪の対象だ。

・・・これから何が起こるのか・・・公平は暗闇の中でまんじりともしない。地上は昼でも暗い。空は厚い雲で覆われている。台風なみの風が吹き募っている。吹雪も舞っている。

 2032年を待たずに、人類は滅亡するのでは・・・。

 外部からの情報は全く入ってこない。ただじっと耐え忍ぶだけだ。1人でいたら気が狂っていたかも知れない。日奈子がいてくれて慰められている。

 ぜんまい仕掛けの時計を2つ、骨董品店から購入。電気で動く器具類は不調だ。この原因は太陽にある。

 2001年以来、太陽は極大期のまま異常活動を続けている。大規模な太陽フレアが頻繁に生じているのだ。

磁場エネルギーが太陽周辺のプラズマガスに蓄えられる。それが爆発的な力で一瞬に放出される。この現象が太陽フレアだ。黒点の近くで現れる事が多い。約11年の黒点サイクルに連動して生じるのが通常だ。黒点サイクルを無視して頻発化しているのが現状なのだ。

 2003年に発生した太陽フレアは史上最大の規模だ。世界各地で通信障害を起こしている。本来ならば黒点サイクルに従って極小期に向かうはずだ。

 現実は太陽活動は史上最大規模の爆発を続けている。太陽フレアとそれに引き続いて起こるコロナ質量放出現象が地球の磁気圏を大きく歪めている。それが気候に影響を与えている。季節外れの台風。雪が降らない筈の地域が豪雪に見舞われる。夏の猛暑は40度を超える。ついに50度を突破する。

 フォトンベルト突入の日が近ずく。太陽フレアの活動が激しくなる。40ワットの電球に60ワット、百ワットの電気を送り込むようなものだ。電球はやがて許容電気を超える。その結果は・・・。

 それが2032年12月22日に起こる。

 猛暑と寒波、2つの極端な気候が地球を襲っているのだ。


                   最後の審判


 2030年、フォトンベルトの影響はすでに始まっているのだ。異常気象がそうだ。やがて巨大太陽フレアを間近で見る日が来る。強烈な黄金の光が天と地を覆い尽くす。全てのものが強烈な光りの奔流と振動を浴びる。

 ある者は肉体を保つ。ある者は肉体を失う。共通しているのはフォトンベルトの振動で魂が体から離脱することだ。

 優しい心の持ち主は魂も肉体も、その世界に包み込まれる。荒々しい人は、肉体も魂も荒々しく打ち砕かれる。

 前者を天国とするなら、後者は地獄の住人となる。

 聖書に言う最後の審判が間近い。キリストの再臨とは、1万1千年周期で訪れるフォトンベルトを意味している。

 2029年は80億の全人類の10パーセントが死滅。2030年は20パーセントの約16億の人類が滅亡。

 自然の猛威で死ぬ者。フォトンベルトの高い振動数に耐え切れず発狂する者。被害妄想の末、他人を殺し、殺される者。

 2032年12月で生き残る人類は約1億人。彼らは人類の創造主マルデクの庇護の下、洞窟内で2千年間の生と死を繰り返す。


 ――見よ、主の日が来る。残忍で激しい怒りを伴ってこの地を荒らし、その中から罪びとを立ち滅ぼすためにくる。

天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない――イザヤ書第3章

――しかし、その時に起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことを止め、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。その時、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地の全ての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

 また、彼は大いなるラッパの音と共にみ使いたちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう――マタイによる福音書第4章

 イザヤ書に見える”主の日”マタイ伝の”人の子”とは何を表すのだろうか。

 ズバリ”太陽の住人、神”なのだ

――ロゴス――

 ギリシャ人は究極の真理をロゴスと名付けた。世界はロゴスという秩序で統一されていると考えた。ロゴスとはキリスト教の全知全能の神なのだ。

 紀元前6世紀エフェソスのヘラクレトスは、火を万物の原理とした。火が万物へ、万物はまた火へと転化する。

”万物は流転する”のだ。この変化は多くの物の対立によって生ずる。この対立こそが、逆に万物に調和を与えている。この生成変化こそが、究極の真理。

 生成変化を支配する永遠の原理をロゴスとヘラクレトスは考えた。

――世界は神々や人間によってつくられたのではない。ロゴスによって燃え、ロゴスによって消える永遠の火――


 ギリシャ語のロゴスは、”はじめにロゴスがあった”で始まる。ヨハネの福音書のプロローグに使用される。聖書が翻訳されるうちに、ロゴスは”ことば”の意味に置き換えられる。

 ロゴスは宇宙の秩序、究極の真理としての最高法則で、眼には見えない。我々の世界はロゴスの影なのだ。この2つの世界の間に扉がある。太陽はその扉なのだ。

 古代ギリシア人は太陽をロゴス(神)の息子と考えた。ロゴスが目にみえる形で現れたのが太陽。太陽は神の反映としての宇宙の秩序が物質として現れたものだ。


――太陽はロゴス――キリスト教の原型となっている。古代エジプト、は、最古の太陽神ラーを祀っていた。ラーは頭上に聖蛇の付いた日輪を載せている。

 紀元前30年頃、ギリシャ哲学と旧約聖書に基ずくユダヤ教の思想に融合を与えた哲学者がいる。フィロンである。

アレキサンドリアに生まれたフィロンは、ロゴスの思想を取り入れた。神を霊的な太陽と呼んだ。太陽を神の子と位置付けたのだ。後のキリストを神の子と呼ぶ。キリスト教の宗教的基盤の形成だ。

 キリスト教は太陽信仰的な祭儀を行っている。キリスト教徒がサンディ(太陽の日)に教会へ行く。キリストの誕生日の12月25日はもともと12月22日の冬至の日だった。

 2005年4月2日、ヨハネ・パウロ2世ローマ法王の葬儀はバチカンのサン・ピエトロ広場で行われた。ここにはオべリスク(古代エジプトでは太陽の塔)がある。サン・ピエトロ広場はオベリスクを中心に古代エジプトの神バールのシンボルである太陽ホイールがある。

 葬儀の時に用いられた祭壇の布にも太陽を模したマークが描かれている。

 イエスキリスト=神の子=太陽という概念が、キリスト教の思想的な深層に埋め込まれている。

――時はもう昼の12時頃であったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、3時におよんだ。そして聖所の幕が真中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた。「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引き取られた。――ルカによる福音書第23章

 キリストの死、即ち太陽の死(暗黒)聖所の幕が真中から裂かれる――見えるロゴスと見えないロゴスの扉――太陽が消える事を意味する。

 この日最後の審判が下される。

 フォトンベルト突入の日、2032年12月22日、キリスト誕生の日、地の底を這い、苦悶死する人々。

 キリストの復活、人間の日の終わりと神々の日の始まり。

至福2千年はフォトンベルト突入の日から、脱出までの間つづく。太陽神としての神々の時代――最後の審判の日なのだ。


                   アンダイの周期十字架


 1926年、フルカネリは”大聖堂の秘密” ”賢者の邸宅”を著す。この作品の中で、錬金術の偉大な秘密が、パリのノートルダム大聖堂の壁に多く託されている事実を解明している。

 フルカネリはヨーロッパ中の大聖堂の石にくまなく刻まれたメッセージを解読したのだ。

その中でもっとも重要な解読は、アンダイの塔だ。正方形の台座に立つモニュメントの、さらに一番上に十字架が載っている。これがアンダイの塔だ。ヨーロッパの村に行けば、どこにでもある。

 アドルフ・ヒトラーは権力の頂点を極める。彼はスペインとフランスの国境に接したバスク地方に赴く。アンダイの塔に彫られているシンボルを見ている。重要な暗号が隠された塔なのだ。

 フルカネリはアンダイの周期十字架について述べる。

――アンダイの十字架は、その台座の装飾によって、かって見たことがない原始至福千年の説の象徴表現である――

 原始至福千年説とはグノーシス教の中心的発想である。アンダイの周期十字架は17世紀ごろ、レベルの高い錬金術師によって作られている。

 アンダイの塔の上にはギリシャ風の十字架が設置されている。その腕木にはラテン語で”われわれの唯一の希望、十字の木よ”と書かれてる。これを4つのAという。

 フルカネルはこれを”生命はただ1つの場所に逃れる”と解読した。彼はさらに解読を研究、”我々はこの2つが重なり天地異変が起こる時でさえ、”死が人間に達しない地方がある事を知ると”という意味を浮き彫りにする。

 十字架にはもう1つの文字が裏に彫られている。

”INRI”と言うラテン語でナザレのキリストを意味する言葉だ。錬金術の世界では”火によって大自然は完全に再生される”と解釈されている。

 フルカネルは独自の解釈を見出した。

”北半球は火によって浄化される。最後の審判の日に善人を悪人から分離する。火によって・・・!

 アンダイの塔の台座の4つのモチーフ。

 右上にある星のシンボルは東向き、その下の太陽は西、左下の月は北、左上の4つのAは南向きに配置されている。このモチーフは、太陽の周期を表す幾何学的図形を示している。

 ジェイ・ウエイドナーはその著”時間の終焉までの塔”の中で、フルカネリが追求した暗号を解明している。

 16世紀初頭ペルーのインカ帝国を支配したスペイン人のフェリッペ・グアマン・デ・アヤラによって書かれた”インカのシンボル”の中で、太陽、月、星、洞窟のスケッチが描かれている。洞窟のイメージには”A”の文字が浮き彫りになっている。

 アンダイの十字架とペルー共通点が発見される。

 アンダイの十字架のあるフランス・バスク地方の民族は、浅黒い肌をしている。ヨーロッパの白色人種ではない。

 バスク民族のDNAは、ペルーのケチュワ族と同じなのだ。

――生命はただ1つの場所に逃れる――

 フルカネルが解釈した”場所”はラテン語の”クスコの洞窟”である事を突き止めている。そのラテン語の上に2つのXが彫られている。数字の20を意味する。

 タロットカード興味がある方は気付くはずだ。

 星はXVⅡ、月はXVⅢ、太陽はXVⅣ、そして最後の審判はXXなのだ。

 最後の審判を表す4つのAは、グレートイヤー(約26000年周期)を4つに分けた”黄金の時代””銀の時代””青銅の時代”そして現代の”鉄の時代”である。

 中南米の先史民族は人類の歴史を4つに分けている。最後の時代が2012年12月22日で終わる。

 アンダイの十字架のモチーフにあらわれる月は左下、太陽は右下、お互いに向き合っている。太陽は男、月は女。星は右上によって東を向いている。タロットの星のカードから判るように、シリウス星を表している。

 星は人類の象徴なのだ。人類は猿から進化したのではない。シリウス星からやってきた。マルデクによって進化の道をたどっている。

 西を向く太陽の顔は怒りに満ちている。

 フルカネルは言う。怒れる太陽は1つのサイクルの終わりを表している。怒れる太陽は、人類に災害をもたらす太陽フレアの影響を意味しているのだ。

 タロットカードの太陽は、その裏に月が隠されている。

太陽の顔は厳しい。太陽の下に2人の子供がいる。右側の子供は白い岩に乗っている。左の子供の肩を招き寄せている。左側の子には尻尾がある。川の中にいる。

 タロットの18番目のカードは月。19番目の太陽と合体しているのだ。2人の子供は、やがて一体となることを暗示している。20番目も審判のカードは最後の審判ではない。

 アンダイの塔の4つのAは審判を表す。だが最後ではない。

 マルデクの指令によって、大山は暗殺を試みた。常滑市民病院の赤ん坊の殺戮だ。

 日奈子の生命は老婆の出現によって救われた。この事が、本来は最後であるべき筈の審判が、最後でなくなった。

 審判は人類滅亡を意味する。最後の審判は太陽も月も、太陽系そのものが消滅する事を意味する。

 タイムリミットが2032年12月22日であるのは言うまでもない。

 マルデクがそれを食い止めたのだ。2千年後に太陽系はフォトンベルトから脱出する。1万1千年後、再びフォトンベルトに突入する。その時こそ、太陽も地球も月も永遠に消滅する。


                  日奈子とマルデク


 1日中地下室にいて、やる事がない。腹が減れば飯を食う。眠たければ寝る。明かりもない。拷問部屋に入っていると同じだ。

 陽中公平は、地下室に入った当初、イライラに悩まされた。3日、4日、1週間と立つ。このまま死ぬのではないか・・・。恐怖心に悩まされる。イラついてはローソクの灯をつける。暖は石油ストーブのみ。いずれ灯油も無くなる。後は薪のみ。燃料が乏しい。暖が無くなったら・・・。

 外は零下10度を超えている。台風並みの風が吹いている。2031年以降、地殻変動、つまり地震が頻発すると予想される。

・・・本当に生き残れるのか・・・大丈夫だと思っても、不安が先立つ。

――日奈子――娘を抱きしめながら横になる。不安が解消する。

 1週間、2週間と日がたつ。気持ちが落ち着いてくる。

 瞑目する。頭の中が白くなる。それが光となる。色々な光景が脳裏に浮かぶ。キリスト教の最後の審判。アンダイの十字架。人類の故郷、シリウス星・・・。

 公平の脳裡に浮かぶのは未知の情景ばかりだ。太古から続く太陽信仰、公平は映画でも見る様にして、道の情景を吸収していく。体力は充実している。時間がたつのも忘れてしまう。

 乾電池内臓のデジタル時計はまだ2年は使える。大量の乾電池を買い集めている。日付と時間だけは記録している。

 2030年12月29日。夜も昼もない。

 日中は黒い雲が垂れ下がる。豪雨が吹き荒れる。地下室から出る。家の中から外を見る。審判の日が刻1刻と近ずいている。電波障害でテレビもラジオも利用できない。インターネット、携帯通話など、文明の利器は使用不能だ。

 政府などの行政機構はすでに存在していない。

 公平の脳裡に展開する光景は、世界の現状の有様も投影される。アメリカは一億丁の銃の保有国だ。殺戮の凄惨な場面が映し出される。

――武器で身を守る者は武器で殺される――


 公平は地下室に籠る。日奈子を抱いて寝る。

 その時だ――激しい物音がする。はっとして起きる。日奈子を守る。ストーブの火は小さい。室内温度は20度を保っている。その小さな火が照らす物は・・・。

・・・子供?・・・公平はいぶかしそうに見る。いつ地下室に侵入したのか、地下室は中から鍵がかかっている。外からは入れない筈だ。

・・・それにこのものすごい音は何だ・・・

 子供は片膝をついている。頭を下げて腕を床に付けている。

「日奈子様、久し振りでございます。マルデクです」少年を黄色い声をあげる。

「面をあげよ」日奈子の凛とした声だ。公平は驚いて腕の中の日奈子を見る。日奈子は公平の腕の中で寝入っている。

 と思う間もない。公平は再度瞠目する。地下室がぐんぐんと拡がっていく。薄暗い灯りも鮮やかになっていく。

 公平の目の前に、一対の少年と少女が立っている。それを見ている公平は腕の中に日奈子を抱いている。空いた口が塞がらない。

 2人の男女は公平を無視している。男児は日奈子に臣下の礼をとっている。

 2人の会話がはっきりと聞き取れる。

「私はあなた様を殺めようとしました」顔を上げた少年は紅顔の美少年だ。寂しい表情だ。

「知っておる」日奈子の大人びた声。

――常滑市民病院の育児室爆破事件――公平は理解する。

「お前の意思を感じた」日奈子は腰を降ろす。少年の手を取る。

「そんなにしてまで、人間を救いたいか」

「私は人間の創造主です」少年の眼から涙が浮かぶ。

――不可解な会話だ――

・・・日奈子を殺そうとした男だ。憎くはないのか・・・

 公平の人間的な観念だ。

 日奈子は慈しみのある表情で少年を見る。

「マルデク、お前の霊力は限界にきていよう」

 これ以上の人類救済はマルデクの自滅を招くと言うのだ。

「あと1億人・・・」マルデクは訴える。


 2032年12月22日が最後の審判の筈だった。

 最後――黄金の異界に避難している人類、彼らを最後として、地球も太陽も、すべての惑星は消滅する。

――太陽神に選ばれた者――を省いて、永遠に消滅する。それが最後の審判なのだ。文字通りこの世の終わりだ。

 マルデクはもう一回審判をくれと言うのだ。

 2032年から2千年かけて、太陽系はフォトンベルトを通過する。その後1万1千年の期間、1億人の人類救済の機会を与える事になる。

 日奈子は大きく頷く。

 その時はマルデクも消滅する。1万3千年後、1億人の生命と引き換えに、マルデクの生命は亡くなるのだ。


 2人の会話は陽中公平の人智を超えている。

マルデクという少年、一体何者なのか。人類の創造主という。こんな子供が・・・。

 日奈子?・・・。お前も一体何者。公平は腕の中で寝入っている娘を見る。。もうすく6歳になろうとする幼児にすぎない。

 マルデクと対峙するもう1人の日奈子。全身から燃えるような黄金のオーラを発散している。少年のオーラは白色。

2人は地下室にいる。炉がある。薪の代わりに石油ストーブが置いてある。壁際には食料用の段ボールが山積みになっている。ベッドが2つ。そこに陽中公平が日奈子を抱いて座っている。もう1人の日奈子と少年が階段のところで話をしている。

 地下室の広さは15帖程。それが今・・・、百帖程の広さになっている。公平から2人の子供までの距離は20メートル程。遠いにもかかわらず2人の会話は手に取るように聞こえる。

「最後の審判を延ばしてやろう」日奈子の声は断定的だ。

 少年の顔が喜色になる。

「だが、消滅してはならぬ。我らが助ける」

 日奈子が手をかざす。地下室のコンクリートの壁がスクリーンの様に輝く。1万3千年後の太陽・・・。

 陽中公平の脳裡に響く声。

 眩しいほどに光り輝く太陽。太陽のエネルギーはビルゲランド電流によってチャージされている。この電流は宇宙空間を螺旋状に流れている。宇宙空間を漂っている時は低電流だ。星や宇宙塵にぶつかると、アンペア数が高くなる。これを電磁場Zピンチプラズマ効果という。

 太陽は瞬時にエネルギーを放射し続ける。宇宙空間に充満する電子の入力、太陽から放出される陽イオンの出力。この組み合わせによってプラズマが発生するからだ。

――電気の機能を持つ荷電された巨大なガス球――これが太陽なのだ。

 太陽表面の電気プラズマがアーク放電する。つまり気体中を巨大な電流が流れる。この時電気的な火花が発する。高熱を出して強烈な光りを放つ。

 このアーク放電が銀河を満たしているプラズマと接触する。そこにフォトンベルトが覆いかぶさる。太陽は荷重のプラズマに襲われる。

 燃える太陽は風によってさらに大きな火となる。だが台風並みの風は火の勢いを殺ぐ。火は消えてしまう。

 この時太陽表面のアーク放電が消える。ガス球体の、黒い太陽が姿を現す。

 ガス球体――この中に、日奈子やマルデクのような、とびぬけた霊力をもつ意識体が存在する。その数は不明。推測する手がかりとして、地球の審判は過去4回あった。後2年後に迫った審判を入れると5回目。1回目の審判で、太陽の住人になるのは約6千万人。よって現在太陽に存在する生命体は3億。この意識体(太陽神)が太陽のガスを球体として保持している。この事で太陽としての活動を可能にしている。

 太陽神が太陽を離れる。銀河宇宙の中心に飛来する。

太陽が消滅する時だ。太陽のない太陽系。彗星や金星、地球、火星、木星などの惑星は・・・。

 太陽の周りを惑星が回転する。その回転力はどこからくるのか。銀河宇宙に充満するプラズマ電気の力で引っ張り合っているのだ。

 太陽が消える。惑星は回転力を失う。宇宙の彼方に飛び散るか、宇宙塵となるか、流れ星として漂うか・・・。


 2人の少年は心を通わせている。

「マルデク、本性を見せよ」日奈子は言下する。

 少年の表情に戸惑いと恐怖の色があらわれる。


・・・本性とは何だ・・・公平は怪訝な顔をする。

「つまり、私を助ける・・・」

 救済治療をするためには患者の体を調べる必要がある・・・。という訳ですね。マルデクが日奈子を見る。その声はか細い。観念した顔付だ。日奈子の眼が光っている。

 2人は少年の姿をしているが人間ではない。1人は人類の創造主。旧約聖書に出てくる絶対神ヤハウエの投影だ。どの民族の神話にも人類の創造主がいる。マルデクはそれらを集約した姿なのだ。

 一方、日奈子は結婚して偉大な者を産むと予言されている。公平は親として晴れがましい。2年後、妻にも会えると教えられている。

 今は――、人類滅亡の序曲の日々だ。地球規模の急激な変化が襲来している。生みの苦しみに耐える日々だ。


 地下室が明るくなっていく。2百帖程の広さに拡大していく。眼を開けていられない程の眩しさが充満する。

 2人の少年少女の背は1メートル未満。少年が立ち上がる。2人の体がぐんぐんと大きくなる。日奈子の体が黄金色の卵に変化する。少年の体は白色の玉となる。

 公平は恐怖する。腕の中の日奈子を抱きしめる。

 地下室はいつの間にか消えている。宏大な黄金の空間に漂っている。日奈子の金の卵は月よりも大きい。

 白色の玉と化したマルデクの、輝きが少しずつ薄れていく。

 淡い影が姿を現す。巨大な影だ。それを眺めているのは陽中公平のみ。腕の中の日奈子は眠っている。否、魂の抜け殻だ。マルデクの巨大な影が鮮明になってくる。

 目の前に現れた異様な姿。公平は恐怖のあまり、失神する。


                             ――つづく――


お願い――この小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織等は現実の個人、団体、組織とは一切関係ありません。なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創作であり、現実の地名の情景ではありません


                             


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ