三十七.欲望の果てに見えたもの
アンはレイに起きた異変に気づいていた。
離れていても分かる。レイが放つ闘気が創り出す空気は冷たく、頬に張り付いて来るようだった。
「いけない! 私がレイ様を護らないと!」
闇に呑まれてしまっては、レイはレイでなくなってしまう。それは水の勇者ロイドが人間としての理性や正義を失ってしまった事と同義だった。
ロイドとレイが同時に地面を蹴る。中央でぶつかり合う闘気は衝撃波を引き起こし、アンは吹き飛ばされないよう、必死に堪えていた。
研ぎ澄まされたロイドの刃がレイの左腕を斬り裂くも、そのまま槍を持ち、レイは自身の右脚で勇者の脚を掬いあげる。一回転するロイドの身体。魔剣から闇闘気による衝撃波を放ち、強制的に吹き飛ばされた彼の身体は平原にあった岩肌へと激突する。
「ふっ、やるね。でもまだだ」
「――黒妖魔弾」
放たれる弾丸は先程よりも重く、一発一発が生命力を奪い取っていくかのように、ロイドの水闘気を削り取り、身体へと減り込んでいく。朱と蒼 。闘気は勇者の血に染まり、欲望に溺れるが如く紫色へと変化していく。
「まだだ! まだだぁ~~!」
ロイドの槍先から放たれる水の刃とレイの魔弾。まるで終わらない銃撃戦のように戦場へ赤い花が咲き、両者の体躯を抉り取っていく。
「まだだ……僕は……僕は……」
(僕は……ナンナンダ?)
復讐、欲望。自身を満たすモノは何なのか? 朱い溜まりを作り、揺れる脳で考える。思考が定まらない。人間として扱われなかった幼少期。道具として利用されながらも、地獄より這い上がって来た青年期。使える者全てを利用し、今の地位を築いた大人になった自分。どれが本当のロイドなのか? 朦朧とする意識の中、漆黒の闘気を放ち自身の前に立ちはだかる障壁を認識する――
レイは今、黒い靄の中、戦っていた。何のために戦っているのか? 漆黒の海――静寂の中、揺蕩う自身の身体。この流れに身を任せてしまおう。心地いい感覚がレイの五感を支配していく――
――だいじょうぶ、わたしが傍にいますから
闇に覆われた世界に、凛とした声が響く。それは幼い頃に聞いた母の子守唄のよう。漆黒の海を漂っていた少年は、白い光に包まれる。少年が正気に戻った時、美しいエルフの胸に抱かれていた。
『迎えに来ましたレイ様』
『アン、ありがとう』
アンは戦場で言葉を紡ぎ、歌を謳っていた。レイが見た景色は幻だったのか、それとも……。
「餓鬼、オマエモ僕を満たす道具となれ!」
「闇は呑まれるものじゃない……制するものだ!」
レイが紅く光る瞳を見開いた瞬間、鮮明となった視界の先、水の勇者が水の刃を機関銃のように放った直後だった。しかし、レイの眼には、自身へ向けて放たれる刃がスローモーションに見える。
漆黒の闘気を魔剣に籠め、レイはロイド目掛けてあの技を放つ!
「【死属性スキル】――黒剣無重奏!」
「まだだぁ!」
槍を回転させ、自身を蹂躙せんと襲い掛かる魔剣を防ごうとするも、水流も槍も吹き飛ばし、レイの刃はロイドの体躯を穿つ。そして、水龍の魔槍に嵌め込まれた宝石が、衝撃で砕けるのだった。
――眠りなさい あなたに安らぎを
その旋律はまだこの世界に彼が産み落とされる前、暖かい部屋で聴いた歌声。自身を心から愛していた母の想い。
――もう、休んでいいのですよ
(僕は愛に満たされたかっただけなのか……)
ロイドの意識はここで途切れた――
「終わった……」
【レイ。ワタシモスコシ、ヤスムワネ】
ロイドが倒れる様子を見届け、レイが覆っていた漆黒の闘気が消えていく。闇闘気が消失し、産まれたままの姿で倒れるレイ。アンが慌ててレイの下へと駆け寄る。
「レイ様! すぐに回復させます!」
歌を紡ぎ、回復スキルを施すアン。しかし、レイの顔色は悪く、流れる血が止まってくれない。
「そんなレイ様! だめです、だめですからっ!」
『このままではレイが危ない。私がなんとかしないと』と考えていた矢先、ロイドが倒れた場所から何かの気配を感じて振り返るアン。
蒼い靄が上空へと舞い上がり、やがて、全身が水色の美しい羽衣を身につけた女性が顕現する。
【その者は妾を救ってくれた恩人。妾が責任を持って救いましょう】
「もしかして、ウンディーネ様?」
闇精霊ルシアや風精霊シルフよりも大人に見える包容力を感じさせる精霊。アンへ笑顔を見せたウンディーネは、そのままレイの身体へと入っていく。清浄な光に包まれた直後、彼の傷がみるみる塞がっていき、ウンディーネが再び彼の頭上に顕現する。
【もう大丈夫です。妾を救い出してくれてありがとう。レイ、アン】
「わたしの名前を?」
ウンディーネは微笑み、その場から姿を消す。
水の都の激闘は、こうして幕を閉じるのだった――
そして、数日後――
彼が目覚めると、真っ白い天井が視界へ入って来た。見た事のない景色。何が起きたのか、よく思い出せないのだ。どうやら、ベッドに寝かされているようで、横を向くと、見覚えのあるエルフが椅子に座った状態ですーすーと寝息を立てていた。
「……レイ様ぁ~~だめです……えっちぃのは……むにゃむにゃ」
「アン、アン」
「ふぇえ? レイ様ぁ~いいですよ、わたしの果実で包んであげま……ってレイ様!」
寝ぼけ眼だったアンが座っていた椅子を倒して飛び起きる。
「アン、此処は?」
「レイ様~! よかったぁ~、心配したんですよ~。ロイドとの戦いを終えた後、レイ様三日も眠っていたんですよ?」
泣きそうな表情でレイの胸へとダイブするアン。アンの言葉で思い出す。勇者ロイドと戦っていた時の事を。闇に呑まれそうになった時、アンが自分を呼び戻してくれた事も。
「アン、また助けてくれたんだな。ありがとう」
「わたしはレイ様の傍に仕える巫女ですよ? そんなの当然です! あ、でもレイ様の傷を治してくれたのは、わたしでもルシアさんでもなくて、水精霊ウンディーネ様だったんですよ?」
「ウンディーネ! そうだ、ウンディーネはどうなったんだ? ロイドは? エレイネの館は?」
レイが身体を起こそうとするも、脇腹に痛みを感じ、顔を歪めてしまう。
「レイ様、まだ完治していないんですから、無理しないで下さい! ……えっと、順を追って説明しますね」
そう言うとアンは、あの戦いの後起きた出来事、事の顛末を話し始めるのだった。




