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孤児でも私は勝ち取りたい  作者: 水山みこと
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6 呼び出し

 ファイサルはしばらくは屋敷に滞在するようで、若い女中達を大いに喜ばせた。老いた主達の屋敷は、良くも悪くも停滞しており、刺激に欠けるのだ。若く見目の良い若者の滞在は、大歓迎であった。

 休憩時間の使用人食堂に、女中達の歓声が響く。マリアムが、例の騒動を身振りを交えて語り聞かせていた。

 

 「そこで、飛べ!と仰ったの。本当に頼もしくて、お優しくて、私、まるで物語のお姫様になったみたいだった…。」


 再び歓声を上げ、女中達はうっとりと手を組んだ。


 「素敵…。何度聞いても飽きないわあ。」

 「あんなに気さくで、笑顔の爽やかな人、そうそういないよねえ。」

 「ああ、どうしよう、胸が苦しい。本当に恋に落ちちゃいそう。」


 サナが呻く。ラーニャは、「分かる分かる。」とその背をさすった。同年代の女中達と共通の話題を楽しんでいる内に、ラーニャもすっかりファイサルの虜になっていた。不思議なことに、直接会ったときは特に感情は動かなかったのが、女中仲間と、あそこが素敵だ、こんな親切をされた、と話している内に、気づけば夢中になってしまった。実際のファイサルの虜というよりは、女中たちで空想し作り上げた「ファイサル様」の虜になっている様にも思える。ちなみに先週までは、女中一同、旅一座の花形役者に同じように骨抜きにされていた。その前のお気に入りは新しく館に出入りし始めた八百屋の息子だ。

 

「マハは、以前からファイサル様のことは知っていたんでしょう?昔のネタは無いの?」


 マハは、ラーニャ達新人の指導係もするくらいの古株だ。ラーニャの言葉に、皆が期待に目を輝かせてマハを見る。


 「うーん…。ほら、奥様も、若奥様も、貴族の方でしょう?だから、昔はファイサル様もとてもお行儀が良かったの。成人して仕事を任されるようになって、今の様に変わられたけど、あのころの距離のある感じも、近寄りがたくて素敵だったね。」


 マハの言葉に、皆がスッと息を吸い天を仰ぐ。そして一呼吸置き、やれ二面性だ、やれ陽気な男の隠された過去だの、悲鳴を上げつつ興奮のままに騒ぎ立てた。


 「あなた達、声が大きいですよ。控えなさい。」


 突如、鋭い叱責が喧騒を貫いた。

 皆で慌てて立ち上がり、食堂の入り口に現れた声の主に、身を縮こめて頭を下げた。


 「申し訳ありません、家政婦長。」

 

 家政婦長は、ふん、と鼻を鳴らしたが、やはり忙しいのか、いつものように長いお説教を始めるときの様子では無かった。


 「息抜きは良いですが、ナジャー家の品位を貶めることがあってはなりません。良いですね。」

 「はい、家政婦長。」

 

 簡潔に話を終え、家政婦長はラーニャを見る。

 

 「ラーニャ、あなたを呼びに来ました。旦那様がお呼びです。」

 「旦那様が?ですが、私はまだ、旦那様の御前に伺える立場では…。」


 驚いて声を上げる。主とは言葉を交わしたこともないのに、どういうことだろうか。 


 「ええ、私もそのように申しましたが、構わないと仰せです。まあ、所作や言葉遣いは良くなりましたし、そろそろ御前に出ても良い頃ではあります。いくつか覚えておくべきことは、向かいながら説明しましょう。参りますよ。」

 「はい、家政婦長。」


 家政婦長は必要なことだけ述べると、さっさと食堂を出てしまった。ラーニャは、仲間たちの気遣わし気な視線を背に感じながら、家政婦長の後を追った。


 屋敷の主の書斎の前まで来ると、家政婦長は、ひとつ咳払いし、「ギョズデでございます。」と部屋の中に声を掛けた。部屋の中に控えている者が取り次ぐ気配がし、低い男の声が聞こえた後、扉が開かれた。家政婦長は、ラーニャを伴い入室する。ふわりと、茶葉の良い香りが鼻腔をくすぐった。

 書斎の中では、屋敷の主であるリヤード・ナジャーと、その孫ファイサルが、同じ机を囲み、何やら大量の書類に向き合っていた。

 家政婦長が丁寧に腰を折る。

 

 「旦那様、ラーニャを連れて参りました。」

 「おお、ご苦労、ギョズデ。お前にこのようなことを申し付けて悪かったね。もう下がって良いぞ。」


 (良くない!)


 ラーニャは、1人にしないでくれと念を込め、縋るように家政婦長を見る。家政婦長も、わずかに瞳を揺らし動揺を見せたが、そのまま礼をして退室してしまった。頼みの綱が消え、狩られる前の兎の心境になる。


 「待ってたよ、ラーニャ。ちょっと手伝ってくれ。」


 ファイサルが手招きする。憧れの君に声を掛けられ嬉しいが、それどころではない。別の状況であれば良かったのに、と内心嘆きつつ、恐る恐る近寄ると、彼はひと綴りの冊子を手に、箱いっぱいに乱雑に収められた書類を指した。


 「この冊子に書いてある一覧と、この箱の中の紙が一致するか確認して欲しいんだ。それで、できれば一覧に振ってある番号順に紙を整理してまとめて欲しい。不一致や過不足、おかしなものがあれば、一覧に書いて分かるようにしておいてくれ。出来そうか?」

 「は、はい。」

 「よし。たぶん今日は終わらないと思うけど、明日続きが終わったら、今度はこっちの箱だ。封筒が山ほどあるだろ。全部に宛名を書いてくれ。手本はこれだ。宛先名簿はこれ。同じ箱に入れとくよ。」


 ファイサルは立て続けに言葉を紡ぐ。ラーニャは動揺しながら、急いで指示内容を手帳に書き留めた。初めての状況が重なり、頭が追いついていない。


 「悪いね、突然で驚いているだろう。」


 リヤードが、笑いを含んだ声で言った。年の割には朗々とした若い声だ。主と面と向かって顔を合わせるのは初めてのことである。思っていたよりもずっと好々爺然として穏やかそうだ。


 「滅相も無いことでございます、旦那様。」

 「いや、いいんだ。思いがけず急ぎの仕事が入ってね。急に手伝いが必要になったんだ。今までは手伝わせる当てがあったんだが、気づけば皆老眼になっていてね。ちっとも読めやしない。いや、年とは怖いもんだ。それで困っていたら、孫がラーニャという女中が読み書きできると。それも、大層綺麗な字を書くそうじゃないか。ギョズデも君なら出来るだろうと言ってくれてね。手伝いは一人いれば十分だったし、折角ならと呼んだんだ。うん、本当に綺麗な字を書く。これは素晴らしい。期待できそうだ。頼んだよ。」


 リヤードは、にこにこと顔の皺を深めて話しながら、体を傾けてラーニャの手帳を覗き込み、感嘆の声を上げた。

 雇い主とは言えど不躾な振る舞いだったが、不思議と不快さを感じさせない何かがあった。


 「この机は満員だから、そっちのを使ってくれ。分からないことがあったらすぐ聞いてくれよ。間違われる方が面倒なんだ。」

 「承知致しました。」


 一方で孫は少し癪な言い方をする。家族のくせに、こういう所は遺伝しないんだなと、仕返しとばかりに心の中で失礼なことを思ってやった。空想の中のファイサル様のことは大好きだが、現実のファイサル様のことはそこまで好きではないな、と興醒めに思う。

 宛がわれた机に冊子を置き、次いで書類の箱を移動させようとすると、丁度ファイサルが箱を2つ同時にラーニャの側に置くところだった。

 驚いて顔を上げると、ファイサルと視線が交わる。ファイサルは、ニッとラーニャに笑いかけ、何も言わずに祖父の向かいの席に戻った。


 (かっこいい…。)


 ぐっと胸のときめきを堪える。ラーニャは、やっぱりファイサル様は素敵な方だな、と思い直し、仕事に取り掛かったのだった。


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