42 貴族と平民
女王の成人の儀が終わり、それに伴う社交も一段落したこの頃、ザフル王国の各地から集まっていた貴族たちは、それぞれの所領へと戻り始めている。
別れを惜しむように連日宴が開かれ、ちょうど宰相アーディラ・ザフルの宮でも、明るい日差しの下で大勢の貴族が歌や踊りを楽しんでいた。エイジェもまた招かれたひとりだ。
「改めてすごいわね、みーんな偉い人よ、私が一番雑魚だわ」
「エイジェ様、お声を小さく」
「おっと……」
ラーニャがたしなめると、エイジェは口をすぼめて誤魔化した。
遠くでひときわ大きな笑い声が上がる。宰相を中心とした大御所の貴族たちの前で、飼いならされた猿が芸を披露しているようだ。
ラーニャ達の周りにいた数人が、同じように猿に視線をやって嘲るような笑みを浮かべた。
「私の領民も、あれくらいできれば良いのに。猿以下でね。嘆かわしいことだ」
「心中お察しいたしますよ。うちも碌に税も納めないのに、金ばかりかかって」
「そろそろ孤児やら貧民の救済政策は予算を削ってもよいのでは?事務手続きだけでもなかなか手間だ」
「まあ、宰相殿下の…おっと失礼、我らが女王陛下の肝いりですからな」
「しかしもう隠された方も出尽くしたろうに…。民がつけあがる」
あれは、あくまで、市井に隠された高貴な人間を守るための政策なのだから。
「ラーニャ、木陰に行きましょう」
エイジェが何か気づいた様子で、ラーニャに声をかけた。
視線に混じる気づかわし気な色に、ラーニャは自分の顔が強張っていたことに気づいた。
「むかつく奴らね。ああいう手合いに限って、自分は博愛主義者とか思ってるのよ」
「……あれが、貴族の皆様の本音なのでしょうね。もちろんエイジェ様は違うと分かっています」
「孤児救済政策とかそのあたりなら、きっと目的の大部分は占めるのでしょうね。でも、それだけじゃないわ。治安が良くなるし、お金も回る。国にとって利のある政策よ。そうでもなくちゃ、こんなに長く続ける訳ない」
ラーニャは微笑みを返しつつ、胸の奥にもやもやと黒い感情が燻るのを感じた。
(そうだとしても、さっきの貴族達のような考えが主流なんだろうな)
少なくない人が周囲にいたが、平民を蔑む言葉は、ただの挨拶程度の気軽さで聞き流されていた。むしろ、発言者に同意する表情を見せた者が多かった。
エイジェは市井で育ったとはいえ、高貴な人間だ。彼女自身は違う考えでも、いつか生まれるであろう子や孫は、貴族として育って、無意識にあの傲慢さを獲得していくのかもしれない。
ラーニャは、国の保護を受けた孤児院で養育され、国の後押しもあって良い勤め先を得、その他の幸運と努力で貴族社会に関わるようになった。
王家には大恩がある。
しかし、それを自覚していてもなお、貴族達の価値観には受け入れがたいものがあった。
(たまたま、良い主に恵まれてきただけ。平民の私は、本来は猿と同列の命なんだ)
「あら、陛下がこちらを見ているわ。行きましょう、ラーニャ」
エイジェの視線をたどると、大勢の人に囲まれた女王ニスリーンが、涼し気な室内でこちらに微笑みかけていた。
話しかけてくる人々をいなしながら向かうと、女王は「暑いな」と目を細めた。
「エイジェ、少しはしゃぎすぎた。奥の部屋で休もう」
「かしこまりました」
若い女王は手にした杯を空け、流れるように立ち上がった。叔母の屋敷ということもあり、慣れた様子で屋敷の奥に向かう。
着いたのは、休憩用の客室というよりは、住人の私室のような部屋だった。
「ここは?」
「私の部屋だ。この宮を訪れることは多いからな。ああ疲れた。そなたら、好きに座れ」
言いながら窮屈な靴を脱ぎ捨て、髪が乱れるのも厭わずふかふかの長椅子に寝転がる。
この頃、女王も気を許した姿をエイジェ達に見せることが増えてきた。
無防備な姿を見ると、女王もラーニャ達と同じ年頃の娘なのだと、不敬な親近感を覚えてしまう。
女王の侍女であるナダが座るのを見て、ラーニャもエイジェの隣に腰を下ろした。侍女は宴の最中も立っていることが多いので、ありがたい。今日は久しぶりに暑い日で、暑気あたりしてしまいそうだったのだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、女王がじっとラーニャを見つめていた。
「ラーニャ、そなたのような立場の者からは、伯母上はどう映った?」
「私でございますか?」
思いがけない質問に、目を瞬かせる。
先ほどまでいた宴席では、宰相とエイジェが会話をする場面もあった。それほど接点があるわけではない。ほとんど一人で国を背負ってきたような傑物だ。その眼差しには鋭利な色も当然含まれ、やや苦手であった。
宰相は、女王の伯母にあたる。先代のアスラール女王の姉にして、先々代のアスアド王の妹だ。
アスラール女王の死後は、幼いニスリーン女王の摂政として、国を治めてきた。件の孤児救済政策は女王が赤ん坊のころに出来たはずだから、宰相の意向でできたものだろう。
「……厳しさの中に、慈悲を秘めた方のように感じます」
ラーニャは、宰相がいなければ、野垂れ死んだり、物乞いとなったりしていてもおかしくはない孤児の身の上だ。
内心はどうであったにせよ、恩人と言える。当たり障りない回答をしたつもりだ。
至高の女王は少し不満そうに、「ふうん」と鼻を鳴らした。




