41 家族
「嘘でしょ?」
ラーニャは口元に笑みを残したまま囁き返した。
明るい髪色によく合う、柔和な眼差しで微笑むマリアムの姿を思い出す。同時に、怪しげなシャガル人と会っていたことを咎められた際の、怒りに引き攣った顔も脳裏に浮かんだ。
「手紙を預かってる。一人で読むんだよ。読んだら燃やして」
十年近く前に処刑されたマリアムの両親は、隣国シャガルの工作員だった。マリアムは幼かったために見逃されたが、行いが露見すれば、良くても投獄だ。
ファイサルに見えないように渡された、懐かしい端切れ紙の感触を握りしめた。都では商品になった紙しか手にすることはなかったが、そうだ、故郷オミウでは紙工房に端切れをもらっていたんだった。
とぼとぼと部屋の隅から戻ると、ファイサルは何か思うところがあるだろうに、何も聞かずに商談を再開した。
持ち込んできた品をいくつか購入し、二人を見送る。別れ際に、ファイサルは少しおどけて、しかし眼差しに愛情を湛えて微笑んだ。
「困ったらいつでも頼ってくれよ。大切なラーニャのことで迷惑に思うことなんてないんだから」
ラーニャは胸がいっぱいになった。
「ありがとう、ファイサル様。私、変な噂を信じてしまったのに」
「ん?いや、俺の手落ちだよ。ナジャー商会のファイサルには、必ず口説き落とすと決めた人がいるって広め直しておかないとな」
そう言って片目を閉じた彼は、やはり誰よりも格好良いのだった。
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良い関係の男に、身重の恋人がいる。その噂は誤解だったと、申し訳なく思いながら伝えると、エイジェは「それが一番。良かったわね」と、あっけらかんと言ってくれた。
実は隠し部屋から一部始終を覗いていたなんてことがバレないように、努めて平気な顔をしていたのだが、ラーニャは気づかず主の寛大さに感謝した。
夕方から向かう晩餐会の支度を整えながら、「陛下にもご心配をおかけして、なんとご説明すれば良いか」とため息を吐く。
「何事もないのが一番。陛下もそう仰るはずよ」
「そうでしょうか……」
最高権力者に恋バナなんて、本当に恐れ多いことをしてしまった。噂が誤解だと分かったときは天にも昇る心地だったのに、今後のことを思うと気が重い。
なんとか気を取り直してエイジェの髪を結い上げ、大きな宝石の光る髪飾りを固定した。
「これは?新しい物?」
「ナジャー商会に修理に出していた内の一つですよ。さっき届きました」
「そうなの?綺麗ね」
エイジェは気に入った様子で、よく磨かれた鏡を覗き込み微笑んだ。
晩餐会は、馬車も不要と思えるほど近くの屋敷で行われた。領地に戻る前にと、都を惜しむように多くの客が参加したようだ。ひっきりなしにエイジェに挨拶があり、途中からラーニャは誰が誰だか分からなくなった。
「バルセーム様も領地へ戻られますの?」
「ええ、陛下のお許しがあればですが」
ほほ、と談笑するエイジェは、随分と社交に馴れた様子だ。毎晩のように宴に招かれた成果だろう。
バルセーム領は都の北方に位置し、馬に乗れば4日ほどと聞く。オミウよりも北なのに、冬でも雪は積もらないらしい。
エイジェの姉、バルセーム家当主ムゲには会ったことがない。エイジェも慣れない王都で長く肉親と離れて寂しいだろうと、ラーニャは胸を痛めた。
同時に、マリアムのことが脳裏をよぎる。ラーニャにとっての大切な家族。
ラーニャは腰の小物入れに手を当てた。その中には、昼にサナからたくされた手紙が入っている。内容は簡潔だった。
やはり、両親を殺したザフル王国を愛せないこと。
シャガル人として生きる道を選んだということ。
ラーニャとサナを愛しており、健康と幸せを祈っていること。
そして最後に、別れの言葉が記されていた。
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「あ?なんだって?」
庭師の男は、怪訝な顔でファイサルを振り返った。
「だから、金砂草って花を見たことあるか?って聞いてる。おっちゃん、あちこちのお屋敷に出入りしてるんだろう」
「そりゃあ俺は引く手数多の腕利きだが」
庭師は、大きな鋏を庭の土に突き刺すと、よく日焼けした額の汗を拭った。
「そんな花は知らねえな。どんな花だ」
「あー、色は赤、花弁に小さく金を散らしたみたいな模様がある。ただの斑点模様じゃなくて、星空みたいな模様らしい。形は……こんなだ」
ファイサルは、懐からハンカチを取り出した。ラーニャが施した刺繍を見せる。
「滅んだマタル王国の花らしい」
「マタル?あそこは若え頃に行ったことがあるが、湿っぽい国だった。ザフルじゃ育たねえんじゃねえか」
「それが、宰相が育ててるらしい。他にも育ててる家があるんじゃないかと思ったんだが」
あんたが知らないなら、他にはないのかもな。
肩を落とすと、庭師はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「マタルはもうムジャウハラート人の国だ、今更探しに行くのも厄介だ。諦めな」
どうやらファイサルが種を欲しがっていると思ったらしい。
(まあいいか)
ファイサルは頭を掻いた。
(この花が本当に宰相の屋敷にしか無いのなら、ラーニャはその周囲の生まれかもしれない)
庭師、洗濯係、掃除人。出入りする者は大勢いる。
従姉のウルファなら、宰相の屋敷で働く知り合いがいるかもしれないな、などと考えていると、遠くでファイサルを呼ぶ声がした。サナだ。
サナがファイサルの恋人だとラーニャに誤解されてしまったのは失態だった。
ラーニャは身分の差を気にしているが、女王にすら拝謁するラーニャは、既にファイサルと対等、いやそれ以上だ。だというのに、いつまでも孤児である身の上から不安そうにして、可愛い反面、気の毒にも思う。
ファイサルは、ラーニャの親をそれなりに裕福な人間だったのではないかと考えている。
幼いラーニャが身につけていた上等な肌着と、それに似合わぬ不慣れな花の刺繍から、どこかの屋敷に仕えていたと仮定すると辻褄が合うのだ。主から下げ渡された布地で赤子の肌着を作ったのではないだろうか。
ファイサルたちが幼い頃は、紅薔薇王の粛清で世の中が荒れていた。ラーニャが孤児になったことに影響していても不思議はない。
ラーニャの親族を探し出して、自信を持ってもらい、そして求婚する。
これが、今ファイサルが目指す未来だ。
仮に親族が良からぬ人たちであってもファイサルの心は変わらないし、求婚することに変わりはない。その場合は、親族についてラーニャに内緒にして墓まで持っていけばいいだけのことだ。
楽しい未来を描きつつ、ファイサルは足取り軽く庭を後にした。




