36 四阿の社交
「まあ、ご当主のムゲ様は王都にはいらっしゃらないのね。残念だわ。でもご立派」
頬に勇ましい刀傷の跡が残る老婦人が、感心した声を上げた。隣に掛ける貴婦人も大きく頷く。
「本当に。最近では王都に生活の場を移して、ろくに所領にいない貴族も増えていますのに。さすがはバルセームですわね」
「王家から禄を頂いている官吏領主ならまだしも、古くからの家がそれでは示しがつきませんものね」
ほほほ、と優美な笑い声が美しい四阿に響く。
(怖いなあ……)
ラーニャは隅で控えながら顔を強張らせた。エイジェに付き従い、ラーニャはある邸宅を訪れている。
行われているのは、ザフル建国以前からこの地を治める、土着の貴族達とのお茶会だ。刀傷のある老婦人は主催者のセレン・カスタナ。古い秩序を重んじ、王家にも簡単には従わない厄介な人だと聞く。ラーニャの主エイジェは、彼等が崇拝する亡国の帝室の血を引くため、王家との橋渡しの役目を女王に期待されている。
(せっかくの美しい庭も、これじゃ楽しめそうにない)
ラーニャが少し庭園に目をやると、ちょうどエイジェも同じように辺りを見回した。気づいたセレンが誇らしげに言う。
「美しい庭でございましょう、バルセーム様。ザフル中の花が咲き乱れているといっても過言ではありませんのよ」
「ええ、まるで花の精の楽園だと感服しておりました。お恥ずかしながら花には明るくありませんが、先日陛下にそれは芳しい花を頂きまして、興味が出てきたところなのです」
「まあ、一体何をいただきましたの?やはりチューリップかしら」
「いいえ……確か、金砂草とか」
エイジェが小首を傾げながら答えると、その場の婦人達が顔を見合わせた。
「それは……この庭には無い唯一かもしれませんわね」
「滅多にないことですわよ」
「それほど珍しい花なのですか?」
おや、とラーニャも内心前のめりになる。王都ではありふれた花なのかと思っていたが、もし珍しいものならラーニャの出身地が分かるかもしれない。
「ええ。あれは、宰相殿下のみが種をお持ちなのです。盗んだ者もいたそうですが育てることに成功した話は聞きませんわ」
「殿下のご伴侶はマタル国の方なのです。ほら、20年近く前にムジャウハラートに滅ぼされた南の小国ですわ。その王宮で保護されていた希少種の種を、ご伴侶が持ち出されていて」
「それが金砂草なのです。王宮は焼け落ちましたから、きっとこの世で宰相殿下の宮にしか咲かない、それは貴重な花なのですよ。この庭にないのも詮無きことかと……」
庭園の印象を落としたくないのだろうか、貴婦人たちは熱心に、口々にエイジェに語りかける。エイジェは少し圧倒されているようだ。
「わたくし、そんなことも知らずに……もっときちんとお礼を申し上げるべきでした」
「バルセーム様は長く市井に隠されておいででしたもの、仕方のないことですわ」
「それにしても、なぜよりによって金砂草を……そちらの方が気になるところですわね」
貴婦人たちが話し込み始めたところで、エイジェがまた無知を恥じる顔をしていることに気付き、慌てて主催者のセレンが説明をしてくれる。
「ニスリーン陛下はチューリップがお印でしょう、王族は花をそれぞれ冠しているのです。金砂草は、宰相殿下の姫君のお印なのですわ。それで、なぜ陛下の従姉姫の花をバルセーム様にお与えになったのか……皆で不思議に思っているのです」
ドキドキしながら話に耳を傾けているラーニャは、宰相の住まいで同じ年頃の貴婦人に会ったことを思い出した。ニスリーン女王とよく似た雰囲気の彼女が、その姫君だったのだろうか。
「ええと……確かシャリーファ姫でしたか。そう言われてみると、たしかに不思議ですね……。私の侍女はお会いしたようですが、特に陛下との話題に上がったこともありませんもの」
エイジェの言葉に、全員が驚いた顔をした。一人が、恐る恐るといった様子で質問する。
「それは、確かでしょうか……?どのような方でしたの……?」
「ええと……ラーニャ、どうかしら」
貴婦人だけでなく、周りに控える使用人達の視線もラーニャに集中する。ラーニャは唾を飲みこんで慎重に口を開いた。
「お名前を伺ったわけではございませんので確証はございませんが、宰相殿下の宮でお話を。髪を下ろされて、軽装の寛いだご様子でしたので、殿下のご家族ではないかと推察致しました。陛下や宰相殿下と同じ、日に当たると麦穂色に輝く、明るい御髪の貴婦人でいらっしゃいました」
「お顔立ちは?どうであった」
「……陛下のお顔を拝見して初めて、似ている、と感じました。陛下は華やかなお顔立ちでいらっしゃいますが、その方は……落ち着いた魅力のある美しいお顔立ちでした」
不敬にならないように言葉を選んで答える。貴婦人たちは、真剣に何ごとか考えこんでいた。ラーニャはなんとか乗り切れたようだ。
「髪を下ろして、軽装……となると、やはりお身内しか考えられませんわね」
「しかし、今になって?」
「だからこそ金砂草を下賜されたのでは?お支えせよとの命令ではありませんの?」
「陛下とは瓜二つ、まるで双子のようだったと聞きます。あの髪色も顔立ちも共に似ている者はそうそう用意できませんわ」
「では、やはり……」
再び置いてけぼりを食らったエイジェは、ラーニャに(またこれだよ)とでも言いたげに目配せをして、何事もなかったふりをして声を上げた。
「その……シャリーファ姫は、あまり人前にはお出でにならないのですか?」
「ええ。むしろ、全くお出でになりません」
比較的若い貴婦人が、きっぱりと首を振って答えた。
「陛下のご成人の儀で現れるものと囁かれていたのですが、それもなく。実はお亡くなりになっているのではとの噂もありますの」
「それどころか、実は亡くなっているのは陛下で、シャリーファ様が成り代わっているという噂まで」
「陛下のお母君、アスラール女王が弑されてから、宰相が厳重にシャリーファ姫を隠すようになりましてね」
「宰相殿下も同じ毒で生死を彷徨われたでしょう、そのせいでもうお子を成せないとか」
「ニスリーン陛下とシャリーファ殿下がお子を残さず亡くなれば、王統は紅薔薇王の派閥に移りますから、こうなればお世継ぎができるまで身を隠されるのではと、もっぱらの噂なのです」
「しかし、まさかこんな形でご生存を知るなんて」
貴婦人達は、とびきりの話題に興奮した。
とりわけセレンは何やら思惑を巡らせた様子で、皺の寄った手で口元を抑え笑い声を漏らす。
「これで、北のお花様はますます後がなくなりましたわね」




