35 生き残りの姉妹
「金砂草か……初めて聞いたな」
バルセームの屋敷からの帰り道で、ファイサルは考え込んだ。なんとかラーニャの力になりたいが、どこから手をつけたものか。ナジャー商会に戻る馬車の中で、だらしなく長い脚を伸ばす。
ラーニャが都に来てから、二人で街歩きをしたり、手紙のやりとりをしたり、地道な努力を積み重ね、二人の距離は縮まってきている。ファイサルは、そろそろもう一歩踏み出しても良い頃合いなのではないかと、焦りに似た感情を覚え始めていた。
何かラーニャの出自に繋がるような手がかりを見つけて、喜んでもらいたい。何とかラーニャの心に自分を留めておきたい。ラーニャが身を置く華やかな世界では、いくら名門貴族の血を引くとはいえ、ファイサルは見劣りする自覚があった。
優秀で努力家なのに、変なところで世間知らずなかわいいラーニャ。このところ主に付き添って外出も増えたと聞く。ラーニャの友達のサナのような、万人に称賛される類の美貌ではないが、ラーニャは品の良い綺麗な顔立ちをしている。下手な貴族に目を付けられないか気が気でなかった。
ナジャー商会に戻ると、商会の使用人がもの言いたげに視線を向けてきた。
「ただいま。なにかあったのか?」
「ファイサル坊ちゃん、あんまり罪なことはしちゃいけませんよ。可哀想だ」
「奥でずっと待ってますよ」
「……ん?」
わけも分からず、「早くいってあげてください」と急かされるままに応接室に向かうと、一人の娘が緊張した様子でそこにいた。ファイサルに気づくと、安心した笑みを浮かべる。
「ファイサル様……!」
しばらく会わないうちに、より綺麗になった。そう思うのは、絹糸のような髪を下ろして簡素な私服を着ているからだろうか。
「サナ……」
オミウにいるはずの美しい女中は、顔をほころばせて頷いた。
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ラーニャは新しい服に袖を通した。寸法はぴったり、着心地も良い。
エイジェが嬉しそうにラーニャの姿を上から下まで観察する。
「かわいい!似合ってるよ」
「服に着られてませんか?」
「大丈夫、額飾りも良い具合に馴染んでるわ」
良かった、と胸をなでおろして、ラーニャは大きな姿見を覗き込んだ。年季の入った鏡は屋敷に眠っていたもので、足元が少しだけ歪んでいる。エイジェの亡き兄達が使っていたらしい。
鏡の中のラーニャは、少し化粧をして、上品な美しい服を着て、別人みたいに気取って立っていた。
「自分のための服なんて初めてです。ありがとうございます」
「いいの、侍女を着飾るのも主の役目!って先生が仰ってたし。陛下のお側でも胸を張れるようにしなくちゃね」
女王の侍女たちは思い思いの美しい服を着ている。女王から下賜された衣装もあるそうだ。女王の側近であるエイジェに仕えている以上、ラーニャも場に馴染む装いをしなくてはならないと、エイジェが大慌てでラーニャの服を仕立てさせたのだ。
「王家から戻ってきた宝飾品も直に手入れが終わると思うの。そうしたらラーニャもいくつかあげなくちゃね」
「エイジェ様、それはなりません」
ラーニャはぎょっとして首を横に振った。バルセー厶の財宝の多くは、前当主が殺されてからは王家が管理していた。エイジェとその姉の身分回復に伴い、金銀財宝が返還されたのだ。長らく放置されていたため、一部はナジャー商会を通じて修繕に出されている。
「ご家族の形見でしょう、縁もゆかりもない私が頂くわけにはいきません。どうせなら殉死なさった使用人の方々のご家族に。姉君とよく相談してお決めになってください」
「……たしかにそうだね。ありがとう、ラーニャ」
ああ、とエイジェは頭を抱えた。そのまま行儀悪く床に座り込むと、手を伸ばして鏡のへこみをなぞった。
「どうもまだ、ピンときてないところがあるみたい。存在も知らなかった家族と、ここで暮らしていたんだと言われても、正直なところ他人事みたいに感じてるの」
私の家族は、ここで生きてて、殺されたんだよね。
エイジェはしみじみと呟いた。
「考えてみれば私は仇の娘に世話してもらってるのか。お兄様たちやお母様、お父様、お祖母様にお祖父様……みんなどう思うんだろう」
「エイジェ様、陛下もまた被害者です。7人もご兄姉を亡くされたのですから」
「そうね。大丈夫、分かってるよ」
でも、と小さく続ける。
「私は分かってるけど、近頃、姉様の様子がおかしい気がする。早くお会いできれば良いんだけど」
エイジェの姉ムゲは、幼い頃に受けた心の傷のせいで都に上れず、バルセーム領に留まっている。エイジェが会いにいくしかないのだが、馬を急がせても往路だけで4日はかかってしまうため、女王に仕える今は訪れることもままならない。
「姉君は、都での日々を覚えていらっしゃるとか……」
「ええ、だから心配なの。特に最近は求婚者もよく来るらしくて、変なのに唆されないか……姉様はひねくれてるから」
エイジェは視線を上げた。鏡越しに表情を硬くした己に気が付いたのだろう、不自然に笑顔を取り繕った。
エイジェは王家に発見され、相応しい教育を施されていくなかで、彼女が培ってきた価値観や考え方を矯正された。その結果として、自分の心の声を信じることが苦手になってしまった。少なくともラーニャはそう感じている。共に日々を過ごす中で、エイジェが他人の顔色を窺って自分の考えを変える場面を幾度となく見てきた。
「なんて、気にし過ぎだよね。ごめんごめん。ほら、この服も着てみせて」
「エイジェ様、バルセーム領に行けないか、陛下にご相談されてみては?慈悲深い方です、きっと許してくださいますよ」
「でも……」
「姉君のことを一番理解しているのはエイジェ様です。杞憂ならそれでよいではありませんか。たった二人のご家族なんです、話したいことも山積みでしょう」
ラーニャは畳み掛けた。孤児院にいたころ、下の子たちの相談相手になっていた思い出が蘇る。
「そりゃあそうだけど……駄目って言われたら……」
「その時はその時です。相談する前から諦めちゃだめですよ。相談の積み重ねも効果があったりするんですから」
「そう、だね。わかった。ラーニャ……なんだか頼もしいのね」
最終的に、ラーニャの主は少し呆気にとられた顔で頷いたのだった。




