30 女王ニスリーン
豪華絢爛、という言葉を具現化したら、このようになるに違いない。
いよいよ訪れた女王成人の日。ラーニャは、息を呑んできらびやかな空間を見回した。
床から高い天井まで、一部の隙もなく埋め尽くす精緻な装飾。女王のお印である、チューリップの花が、主を待つ玉座を埋め尽くさんばかりに飾り付けている。天井は信じられないほどに高く、糸杉の大木ですら抱え込めそうだ。
そして、その中でさんざめく、色とりどりの衣装を纏った貴人たち。全員が、今日という特別な日を祝うため国の内外からこの花の王城に馳せ参じたのだ。
「ラーニャ、交代!私も見たい!」
「エイジェ様、今代わったばかりじゃないですか」
二人がいるのは、会場を一望できる2階の控室だ。これまたずっしりと豪華な仕切り布の隙間から、人々を盗み見ている。
ラーニャは、しぶしぶと主に場所を代わり、後ろに下がる。ついでに背後からエイジェの姿を再確認し、よしと頷いた。
美しく編み込んだ明るい髪を飾るのは、白詰草を思わせる螺鈿と水晶、金細工。丹精込めて手入れした肌は輝きを放っている。豪奢な正装にも負けていない、立派なお姫様だ。
ラーニャは、緊張から生唾を飲んだ。
今宵、バルセーム家は、ラーニャの主は、かつての身分を取り戻すのだ。無事にこの日を終えなくてはならない。
眼下で、壮年の男が高らかに何やら述べ始めた。時間だ。人々の注意がそれた合間に、エイジェを広間へ誘う。ラーニャもエイジェも緊張のあまり無言になってしまった。
そして。
「高貴なる花の王、ニスリーン・ザフル陛下のお成りでございます!」
金襴の旗が揚がる。
ラーニャは息を詰めて、人々の視線の先を凝視した。
ゆっくりと、堂々と、足音が響きはじめる。
広間にいる人々が、一斉に頭を下げる。その衣擦れの音が、まるで巨大な大鷲の羽ばたきのように、一つの音となって木霊した。
足音が、玉座の前で止まる。
「楽にせよ」
高くも、朗々とした女の声が、存外に柔らかく耳に届いた。そっと、恐る恐る視線を上げる。
まず視界に入ったのは、この世のものとは思えぬ、光り輝く絹ごろも。
次に、数え切れないほどの真珠、宝石、金細工。
それらを纏い、豊かな明るい髪を高く結い上げた女性が、玉座にいた。
「皆の者、よくぞ参じてくれた」
女王ニスリーン・ザフル。慈悲深きニスリーン。
語るその人は、ラーニャより一つ下、いや、本来ならば同い年くらいのはずだが、初々しさは感じない。
人生のほぼ全てを、女王として生きる人だ。表情も、声も、指先の動き一つをとっても、つい頭を垂れたくなる威厳に満ちている。
まさか、自分がこの目で女王を拝むことができるとは、夢にも思わなかった。ラーニャは生唾を飲んだ。
ラーニャが育ったファラウラ孤児院も、ナジャー家に勤めることを可能にした孤児救済政策も、この女王の名の下にできたものだ。ラーニャにとって女王は、天の使いに等しかった。
美しく紅を引いた唇が紡ぎ続ける言葉の内容が、どうも頭に残らない。よく響くその声、凛と鋭いその眼差しに、ラーニャは釘付けになった。それらには、どうしようもなく心惹かれるものがあった。
お偉そうな老人による女王成人の宣言と、人々の賛同を受け儀は完了し、ご馳走の匂いの立ち込める、これまたきらびやかな広間に移動する。そして宴が始まった。
身分の高そうな者達から、順に女王の席に挨拶に向かっていく。皆、席で会話を楽しみながら、上手く機を見計らって立ち上がるのだから大したものだ。
エイジェの衣装は、他の貴婦人と比べて一二を争う上等さだ。そんな彼女が、なかなか席を立たないことに、周囲が気づき始めてきた。
人の良さそうな貴婦人がエイジェに声をかける。
「そろそろでは?よろしいのですか?」
「ええ、今のわたくしでは」
周囲の視線が、それとなくエイジェに集まり始める。既に挨拶を残すはエイジェのみとなっていた。
見慣れない娘が、場を乱している。あれはどこの家の者だと、視線が刺さる。
「今宵はめでたい日だ」
唐突に、女王の声が響いた。
金銀宝石、そしてみずみずしいチューリップの花に覆われた女王は、ラーニャたち人間とは違う生き物のように見える。
「全くもって。偉大なる女王よ」
女王の傍に座る、宰相と思われる人が恭しく言った。宰相は、女王の即位から今日に至るまで、摂政として権限を預かり国政を担ってきた。女王の伯母にあたる王族だ。
「このニスリーンが全権を得た。何もそれだけではない。枯れたと思えた花が、息を吹き返した」
息を飲む音。一拍おいて、どよめきが走った。
花とはつまり、王家を祖とする一族を指す。枯れた……断絶した大貴族の、隠された後継者が見つかったと、若き君主は言っているのだ。
皆が皆、知らぬ顔を探して視線を彷徨わせる。
そして、はたと気づいて、暗黙の掟をわきまえぬ娘に、再び視線が集まった。
あの娘、身に纏う装飾は、花ではないか?
あの花は、まさか。見間違いだろうか。
かの家は確かに潰えたはずでは。
「ここへ、我が再従姉妹殿。花の血をひく同胞よ」
ラーニャは祈る気持ちでエイジェの背を見た。
エイジェが、手を組み震えを抑えながら、席を立ちその長身を顕わにした。一歩、また一歩と、女王に近付いていく。そして、その御前で美しく頭を垂れた。
「白詰草の娘エイジェ・バルセーム。母は花の姫ムニーラ・ザフル、父は白詰草の息子サブリ・バルセーム。この血肉の他は全て失った身ではございますが、女王陛下のご成人を末席にてお祝いすべく、姉ムゲ・バルセームの名代として馳せ参じましてございます」
バルセーム!
バルセームだ!
あれはまさしく白詰草!
ある者は大声を上げ、ある者はその名を呆然と繰り返す。エイジェの姿を見ようと、我も我もと腰を浮かせる。ラーニャは数歩下がり、その人々の中に紛れた。
「我が父は」
水を打ったように、その一声で静寂が場を満たした。
「我が父アスアド王は、紛れもなく暴君であった」
女王が立ち上がると、滑らかな衣が生き物のように波打った。
「このニスリーンには7人の兄姉があったが、18を迎えた者は誰一人としておらぬ。エイジェ、そなたにも兄が2人いたと聞く。」
女王は、エイジェを真っ直ぐに見据え近付いた。一瞬、ラーニャとも視線が交わりそうになり、不敬を恐れ慌てて目線を下げる。
女王はエイジェの目の前で歩みを止めた。緊張で青ざめたエイジェの頬に手を当て微笑む。
「エイジェ・バルセーム。よく生き延びてくれた。よく命を繋いでくれた。この上ない、成人の贈り物だ」
そして、手を下ろすと、声を張って続ける。
「そなたの姉ムゲ・バルセームを当主と認め、所領、屋敷、宝の全てをその手に戻そう。加えて南のガンマーザを新たに与える。参じたエイジェ・バルセームにはカウスの地と、宮殿に室を与える」
ラーニャの周囲の人々が色めき立つ。
女王は堂々と視線を巡らせた。
「皆々、今このときをもって、バルセームは蘇りを遂げた。さあ、宴を続けよ。エイジェ、よく語らおう。こちらにおいで」
女王の席に伴われるエイジェの後ろ姿に、ラーニャは、誇らしさで胸がいっぱいになる。
一人が立ち上がって女王とエイジェを迎えた。
「エイジェ殿、よくぞお戻りに」
「宰相殿下」
エイジェのほっとした声に、ラーニャは、ああやはりあの方が宰相かと瞬きした。
女王とよく似た明るい髪色のその女性は、深い知性の宿る眼差しをしていた。仕草の一つ一つが洗練され美しい。若くはないが、宰相という位から想像していたよりも年を重ねてはいないと見える。
「そう硬くならないで。わたくしは母君の従妹なのだから」
「エイジェ、伯母上と話すと長い。さあ、そなたの話を聴かせてくれ」
「これ、陛下」
エイジェが貴人たちとあれこれ話を始めたのを視界に捉えつつ、少し遠くにいると、ラーニャの周りに人だかりができ始めていた。
「あなた、エイジェ様の侍女でしょう。驚いたわ。少し教えて頂戴、エイジェ様の姉君は都にはお出ででないの?」
「兄君たちはやはりお亡くなりに……?仲良くさせていただいていたのだ」
「生き残られたのは何名なの?私の親族も、共に果てたことになっているわ」
ラーニャはたじろいで後ずさりした。
「は、はい、当主は姉君でいらっしゃるムゲ様が。お二人と、僅かな使用人のほかはご存命とは聞き及んでおりません……」
まさか自分にまで及ぶと思わなかった。どこまで答えて良いのだろうと冷や汗をかいていると、朗らかな笑い声が届いた。
「これ、皆様方。少しは手加減をして差し上げねば。長く隠れていた方々なのです。公の場には慣れていらっしゃいますまい」
「あら、そうね、ごめんなさいね。困らせるつもりはなかったのよ。興奮してしまって」
「滅相もないことでございます」
貴婦人に、美しく整えられた眉を下げて謝らせてしまい、かえって怖くなる。悪い人たちではないはずだが、たくさんの貴族と関わるのは初めてで勝手が分からない。
助け舟を出してくれた男性は、ラーニャを安心させるように微笑んだ。白髪混じりの黒髪を撫でつけ、王様みたいに立派な服を着ている。どこか見覚えがあるような……。
「大丈夫ですか。皆、バルセームに思い入れがあるのです。許してやってください」
「とんでもない……あの、カミル様でいらっしゃいますか?」
随分と雰囲気が違うが、きっとそうだ。
故郷オミウで会った旅の貴族。亡き主エバとも親しかった人だ。この人に宛てた手紙を何度も代筆した。
男は目を瞬かせた。
「いかにも。失礼ですが、どちらで……。むむ?もしや、オミウでお会いした乙女では?」
「はい、お久しぶりでございます、閣下。エバ様の亡き後は、都でエイジェ様にお仕えしております」
「それはそれは。あなたとは何かと縁があるようです。若い乙女が斯様に世を渡っていらっしゃるのは喜びだ。」
カミルはニコニコとほほえみ、「よろしければ乾杯しましょう」と酒杯をラーニャの手に握らせた。
「我らが女王と、生き残った白詰草に!」




