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孤児でも私は勝ち取りたい  作者: 水山みこと
27/45

27 新生活

 姉は、高いところが好きだった。

 周囲の大人たちが止めるのも聞かず、時間を見つけては里の周りの木や建物、切り立った崖に登り、遠くを見つめて時を過ごしていた。


 尋ねたことがある。一体何が楽しいのかと。すると、姉は首を横に振って苦笑した。


 「楽しいんじゃないよ。待っているの。」

 「誰を?」

 「……お父様とお母様。お兄様たち」

 「そんな人たちいないじゃん」

 「いるんだよ。私達の、本当の家族。全部落ち着いたら、必ず迎えに来てくれる。約束したの」

 「ふうん」


 幼い私は、姉の言うことは、ごっこ遊びの延長だと思っていた。私はやんちゃな子達と駆け回ったりするのが日常だったが、姉には夢見がちなところがあった。よく、お姫様ごっこやらなんやらをしていたのだ。

 それがごっこ遊びなどではないと知ったのは、私が成人を迎えて一年が経ってからだった。


 祖父と呼んでいた人が、里の掟を破って山を下りた。それだけでも恐ろしいことなのに、何と物騒な男たちを連れて戻ってきたのだ。


 彼らの腰の剣を見て青ざめる私をよそに、祖母達は至って冷静で、私と姉を穴蔵に閉じ込めた。しばらくして、安全だから出ておいでと、外に連れ出されると、余所者たちは一斉に跪いた。

 

 「貴き方々、花の血を継ぐ姫よ。我等は花の王に仕える者。お迎えに上がりました」


 訳がわからず震える私とは違い、姉は冷静だった。応える透き通った声は、凛と背を伸ばした姉の口から発せられた。


 「白詰草ではなく、花の剣が参った理由を申せ」

 

 目の前の男は、仰々しく頭を下げ、低い声で言った。


 「白詰草の迎えは参るはずがございません。白詰草を冠する方は、最早お二人のみにございます」


 ✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵

 

 温めた香油が、エイジェの冷えた脚を優しくほぐす。鼻の利くエイジェのために、香りが強くない、花の精油だけで仄かに香り付けされた品をラーニャが用意してくれたのだ。心地よさに、己の瞼がとろんと落ちてきているのが分かる。


 「ラーニャ、わたし、幸せぇ……」

 「ふふ、よかったです」


 ラーニャがエイジェに仕えるようになって、10日が過ぎた。ラーニャは服の趣味も良いし、礼儀正しいため、屋敷内の貴族達にも馴染めている様だ。きっと、孤児院出の平民とは知らない者が多い。額を飾る神秘的な赤い石も、ラーニャを古い家柄の娘に思わせた。


 バルセームには大勢の使用人がいるが、その殆どが王家から貸し与えられた者達だ。

 バルセームは一族郎党が粛清の対象となり、運良く生き延びた使用人も各地に散り散りになってしまった。暮らしを整え、新たな人員を雇えるまでは、ザフル王家が後見となって衣食住を支えてくれている。感謝しなくてはならないよと姉は言ったが、王の愚かな行為が招いたことなのだから、王家が尻ぬぐいするのは当然だ。


 侍女は他にもいるが、バルセームに属するのはラーニャひとりだ。貴族の侍女などまっぴらごめんだ。どんなに良い人でも、肩が凝ってしかたがない。ラーニャはお願いしたら、二人のときだけは少し砕けた口調になってくれたし、字も信じられないほど上手い。何より考え方が重なるところが多く、安心して一緒にいられる。平民の侍女が欲しいと駄々をこねた甲斐があったというものだ。

 

 「ねえ、明日はなんの授業だったっけ……?」

 「宮廷作法と、縁戚関係のおさらい、主だった法と、バルセーム領の法、人を率いる術の授業です」

 「ああ、憂鬱だ……」

 

 成人までの遅れを取り戻すべく、エイジェは朝から晩まで予定を詰めて教養や知識を学んでいる。さすがに一年で慣れたが、今まで文字もろくに書けなかった身にはやはり堪える。はじめの頃は心労から髪の毛が抜けて大変だった。ラーニャも侍女として授業に同席した初日は顔を引きつらせていた。それ以降エイジェに甘くなった気がする。

 ラーニャがエイジェの脚に塗った香油を綿布で拭い、寝間着の裾を下ろす。ぽかぽかになった脚を毛布の中に引っ込めると、湯たんぽがちょうど良い温度に温めていてくれていた。寝台に身を横たえながら、ほう、とため息を吐く。


 「憂鬱だなんて。もうじき女王陛下にお会いするんですよ」

 「女王陛下ねえ……。私にできるかなあ。もう時間がないよ……」

 「エイジェ様ならできますとも。私だって昨年の今ごろは、ただの孤児でしたよ」

 「ううう……お姉さまがいらっしゃればなあ」

 「やはり、都にはいらっしゃれませんか」

 「うん……難しそう」


 ふわふわの枕に顔を埋める。絹が優しく頬に触れた。

 姉は、領地にあるバルセームの居城に留まっている。バルセームの所領は、幸運にも分割されず、全て王家に召し上げられている。拝謁後の領地返還に備え、姉は当主としてその手綱取りを学んでいるのだ。国境付近で怪しげな動きもあるため領地を離れられず、女王の成人の儀にはエイジェを名代とする。


 という、建前だ。

 

 姉は、都を恐れている。とりわけ、王宮は視界に入るだけで気分を悪くしてしまう。都にいると、姉は痩せ細り、悪夢にうなされ、ふと止まらない涙があふれる身体になってしまうのだ。

 周りの人々は寛大で、早々に姉を領地に籠もらせてくれた。

 エイジェと姉が都を逃れたとき、姉は既に物心がついていたそうだ。姉は幼かったものの、家族や知人が次々に命を落とす悪夢の日々を記憶している。その恐怖が、大人になった今でも姉を蝕んでいるのだ。

 

 「ラーニャ、明日はずっと一緒にいてくれる?」

 「他の方からの指導がなければ」

 「大丈夫だよ。タアラが言ってた。ラーニャの立ち振る舞いは申し分ないって」

 「まあ嬉しい。でも、慣れないお屋敷ですから、まだまだ覚えないといけないことが山積みなんですよ」

 

 蝋燭の明かりの中で、目を伏せて笑うラーニャの細い顔が、誰かに似ているような気がした。


 「今夜も私が眠るまで側にいてね」

 「心得てますよ、お姫様」

 

 ラーニャは側机をエイジェの寝台の脇に寄せて、書き物を始めた。筆が紙の上を走る規則的な音と、僅かな衣擦れの音が寝室を満たす。

 白い額で揺れる宝石をぼうっと眺めている内に、エイジェの意識は深い眠りに沈んでいった。


✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵


 手紙が書き終わるころ、エイジェの寝息が深くなった。視線だけ動かしてその寝顔を確認してから、丁寧に紙を折り、封をする。

 紙の産地であるオミウで育ったラーニャから見ても上質な紙だ。それを、少し皺が寄ったくらいで捨てようとする使用人がいたものだから、つい声をかけて沢山もらってしまった。あの驚いた顔、きっと良いところの貴族に違いない。


 エイジェは一人で眠ることに慣れていない。眠りに落ちるまで蝋燭を点けたまま側にいろと言われては、何かしなくてはもったいない。

 したがって、エイジェが眠るまでの時間は、手紙を書く時間となっていた。


 昨日はオミウにいるサナとマリアムに宛てた手紙を書いた。今夜はファイサルへの手紙だ。夜に書くと少し大胆な内容になる気がするが、まあいいだろう。今度ナジャー商会に寄ったときに届けてもらおう。


 立ち上がり、手持ちの燭台に火を移してから寝室の灯りを落とす。

 控えている女中に目配せしてから、音を立てない様にそっと廊下に出た。少し北に行けば、ラーニャの部屋だ。前の主エバは歳を重ねた貴族だったし、病がちだったため、侍女が不寝番をしていたが、バルセームでは女中の仕事らしい。ありがたいことだ。


 音を立てないように注意を払って自室に滑り込む。あくびを噛み殺しながら額飾りを外し、ウルファにもらった服を脱いだ。もう手慣れたものだ。

 ナジャーでは侍女にお仕着せがあったが、バルセームでは自分で服を用意しなくてはならない。ウルファにもらった服はどれも派手すぎず、貧相にも見えない、素晴らしい塩梅で、貴族や良家の人間だらけのバルセームの屋敷でも何とか浮かずに過ごすことができている。特にエバの形見の額飾りを褒められることが多いのは嬉しかった。

 ラーニャに色々と仕込んだギョズデ家政婦長は、古風な作法を教えてくれていたようで、今どきの若者にしては珍しくちゃんとしていると、年長者からの受けも良い。

 平民の割には上手くやれていると思うのは、勘違いではないだろう。

 

 『ラーニャさんは、楽でいい。肩の力を抜いて過ごせる』


 初めてエイジェの侍女としての一日を終えたとき、新しい主は安心した顔で笑った。


 貴族出の侍女も良い人達だが、何かに付けてそんなことも知らないのかと、心の内で失望されている気がしてならず、気が抜けなかったそうだ。


 何が当たり前で、何がおかしいことなのかも分からない。ずっと寄る辺のない浮草の思いだったと、そう溢す主に、ラーニャは大いに親近感を覚えたのだった。


 冷えた寝台に潜り込んで、灯りを落とす。

 ラーニャにとっても、まだ慣れない一人寝の夜だ。

 

✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵✵


 「坊ちゃん、ファイサル坊ちゃん!」


 店の裏で、新しく扱い始めた染め物の出来栄えを確認していたファイサルは、はっと顔を上げた。


 声をかけてきた使用人が指し示す先には、所在なく一人の女性がいる。誰だろう、見覚えがない。


 「こんにちは、お嬢さん。何かご用でしょうか」


 にっこり笑いかけると、女性は少し安心した面持ちで、手紙らしきものを差し出してきた。


 「ファイサル・ナジャー殿に手紙を預かって参りました。ラーニャ・ファラウラからです」

 「ありがとうございます」


 ファラウラは、ラーニャの育った孤児院の名だ。

 受け取ると、大きめの包みの中にいくつも封書が入っていた。オミウの仲良し娘たちに宛てたもの、ギョズデ家政婦長、従姉のウルファ、ファイサルの名もある。

 包みとは別に、封のない紙もあった。


 手紙はオミウに荷を運ぶときにでも一緒に届けてほしいということ、今使っている精油を主が気に入ったので、同じ物を遣いの人に持たせて欲しい……など、要望が簡素にまとめられていた。


 (了解……っと)


 希望の品を使用人に持ってこさせ、在庫が余っているちょっとした物など、少し色を付けて遣いの女性に持たせる。

 

 金のやり取りなどは他に任せ、いそいそと店の奥に引っ込んでファイサル宛の手紙を確認した。

 流麗な文字で綴られた朴訥な言葉をうっとりと眺める。


 「ちょっと、何にやけてんの」

 「うっわ……驚かせんなよ、ウルファ」


 慌てて従姉から手紙を遠ざけた。変に興味を持たれる前にと、顎で手紙の入った包みを指す。


 「ウルファにも手紙が来たぜ。こないだ服をあげたラーニャからだ」

 「あら!律儀なこと……え、意味分かんないほど字きれいね。……えー!ちょっと、やだあ、なんていい子なの。かわいい〜!こんな喜んでくれると逆に申し訳ないわあ」

 

 ウルファはさっと手紙に目を通して嬉しそうにしている。

 その隙に、ファイサルは手紙をしっかりしまい込んで厄介な従姉から逃げだしたのだった。


 

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