25 都の乙女
「さて、このまま勤め先に送りたいところだが…ラーニャも着替えたいだろう。本当はうちに寄れたんだけどなあ。どうしたもんか。」
「着替え?別にこのままで良いですよ。」
ラーニャは、きょとんとして首をかしげる。バルセーム家でも恥ずかしくないように、一張羅を着てきたのだ。靴はなんと敬愛するエバがラーニャのためだけに誂えてくれた。
ところが、ファイサルは信じられないものを見る目でラーニャを見てきた。
「ラーニャ、例の家の侍女となると、お洒落も仕事のうちだぞ。」
「え……あっ、皺がついてますか?」
「……よし、分かった。ちょっと寄り道しよう。」
そのまま、ラーニャは賑やかな大通りの先にある、立派な屋敷に連れて行かれた。とはいえ、オミウのナジャー家の館よりはこぢんまりとしている。
「ここは?」
「叔母の家だ。」
使用人がファイサルに気付くと、すぐに中に案内された。
「お嬢様、外套をお預かりします。」
「あ、ありがとうございます。」
気が引けるものを感じながら大人しくもてなしを受ける。
縮こまったラーニャとは対照的に、ファイサルは随分くつろいだ様子だ。すぐに現れた女性は、ラーニャと歳の近そうな利発な眼差しの人だった。
「ウルファ、久しぶり。」
「おかえり、ファイサル。その方は?」
「友人のラーニャだ。オミウから一緒に来た。ラーニャ、従姉のウルファだ。」
「はじめまして、ラーニャさん。」
「はじめまして。」
ウルファは、ファイサルとよく似た、人好きのする笑顔で歓迎してくれた。軽く挨拶を済ませてから、本題に入る。
「ラーニャは今後貴族に侍女としてお仕えするんだけど、行き違いがあって服がないんだ。何着か工面してくれないか?」
「ああ、分かった。私ので良ければ。急ぐの?」
「今日にはご対面だ。」
「なるほどね。じゃあちょっとラーニャさんを借りるよ。ラーニャさん、こちらへ。」
服はあるのに!戸惑いながらも、侍女の癖でつい口を挟めずに空気を読んでしまった。
衣装部屋と思われる部屋に案内され、恐縮して頭を下げる。
「申し訳ありません、突然このような。」
「いいの、気にしないで。今から仕立てるんじゃ間に合わないでしょ。旅装で働き始めるなんて惨めな思いはさせられないよ。見ての通り、服なら山ほどあるの。」
(りょ、旅装…。)
なるほど、ラーニャの一張羅はそう見えるのか。恥ずかしさで顔が赤くなる。
ウルファは、部屋を埋め尽くす服をかき分け、奥の方から何着か品の良さそうなものを持ってきてくれた。
「大きさは合うかな?ちょっと着てみて。飾り気はないけど、使用人としてはちょうどいいと思うの。生地もしっかりしてるから長持ちするはず。」
「ありがとうございます。」
物陰で着替えると、大きすぎず小さすぎず、ちょうど良さそうに思えた。
「ああ、いい感じ。ラーニャさんは背が高いのね。少し裾が短いけど、侍女なら動きやすくて良いかな。ちょっとお腹周りが緩い?気になったら詰めてみて。靴は…大丈夫そうだね。昔の服も合いそうだから持ってくるね。」
「お、恐れ入ります…!」
ウルファは再び部屋の奥に潜っていった。
残されたラーニャは、ドキドキしながら、視界に入った立派な鏡を覗いてみた。柄の無い服は、しまい込まれていたとは思えないほど状態が良い。しっかりとした生地が描く優美な曲線は、ラーニャの骨ばった体に柔らかな印象を与えてくれた。流行に左右されない作りで、深い色はまとう者を知的に見せる。こんなに上等な服は着たことがない。
「おまたせ!楽しくなって色々持ってきちゃった。うん、顔色にも良く合うね。重いだろうからファイサルに持たせて。全部あげるよ。」
「そんな、いけません、こんなにたくさん。お気持ちは嬉しいのですが…。」
「いらなければ捨てて構わないの。ほら、見ての通りすごいでしょう、服道楽でね。衣装だけで3部屋埋まってて、早く処分しろって怒られてるの。でも思い入れがあるから決心がつかなくてね…お願い、助けると思ってもらってくれない?」
子犬のように眉を下げた様子が、どこかのお坊ちゃんとそっくりだ。相手に気を遣わせない心配りも。
ラーニャはおずおずと笑みを浮かべた。
「そういうことでしたら…ご親切に感謝いたします。」
「助かるわあ!その服、丁度いいからこのまま着ていって。あ、この服は少し装飾品があるだけで可愛く映えるの。何か合わせられそうなのは持ってる?」
宝石まで出してきそうな勢いを感じ、ラーニャは慌てて頷いた。
「はい、はい!少々お待ちを…こちらです!持ってます!」
苦労して袖を捲り、盗難や紛失対策として腕に巻き付けていた飾りを掲げる。金の鎖がシャラりと揺れた。
「ちょっと見せてね。綺麗な赤ね、珍しい。腕飾りじゃないね。」
窓からの光を受けた宝石が、ウルファの手を赤く染める。つい先日、亡き主エバの形見分けで譲り受けた大切な宝物だ。透き通る赤い石の中にきらきらと星空のような煌めきが閉じ込められていて、ひと目見て気に入ったのだ。
「ああ、これは額飾りだね。ラーニャさん、少し屈んで。」
ウルファは慣れた手付きでラーニャの髪に触れる。額に石と金のひやりとした感触を覚えた。留め具で固定する音の後、ウルファが頼もしく頷く。
「うん、よく似合う。古風だけど、余計な飾りもないからすごく映えるよ。かえって新しいかも。私も誂えようかなあ。」
「派手じゃありませんか?」
「全く!服が暗い色なのもあってすごく良い。ラーニャさんは顔に品があるね。ほら、鏡を見て。朝靄がけぶる深い森の髪に、夜色の服。その静けさの中で輝く朝日の宝玉。ね、素敵でしょ?」
鏡の中のラーニャは、叙情的な言葉に乗せられたのだろうか、自分でも驚くほど見違えた気がした。額に宝石が揺れるだけで、まるで貴族のご婦人のような気持ちになる。
なぜだろう、不思議と感極まって涙目になってしまった。
「ウルファさん…ありがとうございます。」
「待って、泣いてるの?ほら、笑って。ファイサルを驚かせてやりましょ。」
「ふふ…はい。」
なんて素敵な人なんだろう。ラーニャはすっかりウルファのことが大好きになった。
突然の訪問だったのに、こんなにも良くしてくれて、ラーニャとファイサルのことを詮索もしない。きっと恩返しをしようと、ラーニャは固く心に決めた。
ファイサルの元へウルファと戻ると、いつもの笑顔で振り返ってから、動揺した様子でこちらに向き直った。
ウルファが誇らしげに胸を張る。
「どう?素敵でしょう。」
「ああ…本当によく似合ってる。」
ファイサルが、まじまじとラーニャの全身を眺める。気恥ずかしくなり視線を逸した先で、使用人がなにやら大きな包みを持ってきた。あれは、まさか。
「じゃあ、ファイサルはこれをしっかりラーニャさんの勤め先に届けてね。あら、思ったよりたくさん。」
「待て待て、夜逃げみたいな量になってないか?」
「だってギュウギュウに詰めたら皺になるでしょ。」
ラーニャは衝撃で口が開きそうになるのを必死に堪えてウルファを見た。
「ウルファ様、こんなに…?」
「昔の服を探してたら色々出てきちゃってねえ。でもさっき言ったとおりだから本当に遠慮しないで!私はもう着ない服なの!」
「ラーニャ、せっかくだからもらっとけ。俺のことは気にするな。」
「そうそう!この人無駄に鍛えてるから体力はあるの!」
「無駄って言うなよ。まあいいか。ほら!問題ない。見た目ほどの重さじゃ…うん…ない。ないよ。」
ファイサルが意を決して包みを持った。少しよろめいたのは気のせいだろうか。
ウルファに見送られ、玄関で別れを告げる。
「本当にありがとうこざいました。突然押しかけたのに、こんなにご親切に…。」
「いいの、すごく楽しかった。嫌じゃなければまた貰ってって。服が減ると気兼ねなく新しいのを仕立てられるの。」
「本当にお好きなんですね…。」
ラーニャは羨望の眼差しでウルファを見つめた。その凛とした笑顔に、亡きエバの姿が重なる気がする。
何度も重ねて礼を述べ、ラーニャとファイサルは表通りに再び戻った。しばらく進むと上り坂になり、立派な門構えの家が増えてくる。門番も良い体躯の大男が多い。
先程までだったら緊張してしまっただろうが、ウルファにもらった服を着ていると、なんだか堂々とした気持ちになれた。今は厚い外套で隠れてしまっているが、上質な布は肌に触れるだけでも心地よい。自然と足取りが軽くなる。
「ちゃんと前を見て歩けよ。」
「子供扱いしないでくださいよ。」
「これは失礼を、素敵なお嬢さん。」
「うふふ、よろしくてよ。」
裾がはためく感触が楽しくて、くるりとファイサルを振り返る。
大荷物の彼は、何故かにんまりとラーニャを見つめた。
いや、微妙に視線が合わない。
「どこ見てるんです?」
「いや……その、おでこの飾り、良いのを選んだなと思ったのさ。お祖母様のだよな。」
「分かります?形見分けでいただいたんです。好きなのを選んで良いと言われて、ひと目見たときから素敵だなって。そうしたら私の番まで残ったから、もう運命だと思ったんです。よく見ると中に星空があるんですよ。ほら。」
ラーニャは、額飾りがよく見えるようにファイサルに顔を寄せた。
「うん、本当だ。綺麗だ。」
今度は、しっかりと視線が交わった。
「み、見る場所が違うのでは……。」
「ああ、悪い、間違えた。ラーニャの瞳が星空を閉じ込めたみたいに輝いているから。」
「なんですかそれ……」
なんて熱を帯びた目で見るんだろう。
顔を真っ赤にして固まるラーニャに、蕩けそうな眼差しはそのまま、いたずらっぽい笑みを向けてくる。
「俺の両手が塞がっていて助かったな、お嬢さん。」
「うぐ…これからもよろしくお願いします。」
両手が空いたら、とんでもないことが起きてしまう気がする。頭の中がぐちゃぐちゃになり、意味のわからないことを口走ってしまった。そのまま逃げるようにぎこちない足取りで歩みを再開する。
ファイサルが後ろで忍び笑いをする気配がした。
顔の火照りが落ち着いてきた頃、ファイサルが足を止めた。
「あそこだ。」
厳しく大きな門。古びた外壁の真ん中で、そこだけ新しく艶めいている。
「ラーニャ、もし嫌な場所だったら、すぐに逃げ出してこい。ナジャーに迷惑なんかかからないから気にするな。分かったな。」
「最後の手段として覚えておく…。」
ラーニャは緊張で顔を強張らせて頷いた。
そのまま歩き出そうとしたラーニャを軽く制し、ファイサルが長い指を伸ばしラーニャの髪を整える。
「これでよし。あはは、なんか俺が緊張してきた!まあなんとかなるさ。気張れよ、ラーニャ、」
ラーニャは深呼吸して顎を上げた。よし、私なら大丈夫。
「ありがとう、本当に。行ってきます!」




