23 隠し事
ラーニャは、朝の日差しに目を細めた。夜の間に積もった雪が、足の裏でキシキシと音をたてる。
「よく晴れたね。」
「そうだね。もう少ししたら暖かくなるかな。」
マリアムが襟巻きに丸い頬を埋めて答えた。柔らかい明るい髪が陽の光に透けている。その隣を歩きながら、サナが愛らしい顔を歪めてのん気にあくびをしていた。3人はそれぞれ、料理長に持たされた焼き菓子を抱えている。ナジャー家からオミウ湖に伸びる道には、滑り止めを撒く男を先頭に、荷馬車や、大荷物を抱えた男たちがぞろぞろと列を為していた。
今日は喜捨の日だ。
貧しい人に、お金や食べ物、清潔な布地などを分け与えるのだ。日頃から喜捨は行われているが、冬も佳境のこの日は、年に一度の大規模な喜捨がザフル王国中で行われる。女主人の死後間もないときであっても、おろそかにはできない大切な一大行事だ。
昨年までその恩恵にあずかっていた身として、ラーニャ、サナ、マリアムもその手伝いに加わっている。
(3人でこうして過ごすのも久しぶりだな。)
ラーニャは嬉しくなって、隣を歩くマリアムに肩を寄せた。どうせ周りも下働きの人たちばかり。多少緩んでも叱られることはない。
「ちょっと!滑ったらお菓子が割れちゃうでしょ。浮かれないの。」
「これくらい平気じゃん!そんな道も凍ってないし!」
「え、割れるお菓子なの?さっき振り回しちゃった……。」
「大丈夫、割れるのは私が持ってるのだけ。料理長はサナとラーニャは迂闊だから二人には割れたりしないお菓子を持たせるって言ってたよ。」
「待って、サナだけじゃなくて?私もなの?」
周りで荷物を抱える男たちが、ひそかに視線を合わせ、よく喋る娘たちだと笑みを交わす。
三人娘は、周りからの温かな視線には気付かないまま、ああでもないこうでもないとペチャクチャ喋りながら雪道を下っていった。
「マリアム!サナ!ラーニャ!」
「院長先生ー!なんか来たーー!!」
まだ門は先だと言うのに、孤児院にいる子供たちの声が耳にキーンと響く。喜捨の訪問客を今か今かと待ち構えていたようだ。懐かしい感覚にラーニャは笑みを浮かべた。息を吸って大声を飛ばす。
「なんかとは何だー!!」
「そうだぞちびども!」
「きゃー!」
何がおかしいのか、きゃあきゃあ声を上げて子供たちは建物の中に姿を消していった。
出迎えの院長とナジャーの代表が簡単に挨拶を交わしてから、塩や布地、豆など、まずは重い荷を男達が手分けして運び入れていく。
「おかえり、3人とも。」
白い息を吐きながら話しかけてきたのは、年長の少年少女だ。
離れている間に、随分と背が伸びた気がするが、彼らの熱烈な視線が向けられているのは、ラーニャ達が抱えるお菓子の包みだ。背は伸びても変わらないなと、ラーニャは苦笑して包みを渡した。
「ただいま。はい、お菓子。後で食べて。」
「やった!やっぱナジャーはすげえな。」
「ねえ、サナがくれた分、潰れてるんだけど!」
「え!ごめん!気をつけたんだけどなあ。」
ラーニャは門塀にもたれかかった。よくこうしてマリアムやサナとお喋りしたものだ。懐かしい感覚に笑みが漏れる。
「今日はナジャーが一番乗り?」
「ううん、紙問屋も来た。」
「ああ、まあ近いもんねえ。」
毎年ファラウラ孤児院に喜捨する紙問屋といえば、王都にも店を構える大店だ。確か侍女仲間のアミナの実家だった気がする。
手を出しては邪魔になる大きな荷は運び入れ終わったようだ。さて、と雑談を切り上げて、残りの荷運びに取り掛かる。思っていたより重労働だったが、子供たちも手伝ってくれたし、男手が多いため、さほど時間は掛からなかった。男たちはさっさと切り上げていったが、ラーニャたちは少しだけゆっくりしてから帰ることにした。
興奮したちび達の面倒を見つつ、年の近い子達と近況報告をする。ラーニャは、雪を寄せた小山から飛び降りるのを見てほしいらしい子を適当にいなしながら手短に話した。
「え!ラーニャ、都に行くの?いつまで?」
「サナは?マリアムは?」
「ラーニャだけ。まあ、あたしもいつまでもオミウに収まってるような人間じゃないけどね!実は色々声がかかって…。」
「はいはーい。そうだ、サナを狙ってた宿屋のおっさん、懲りずにサナのこと聞いてきたよ!」
「うっげえ…あんた達も気をつけなよ。子供に手を出そうとする変態だからね。このあたしほど美しくなくても油断は禁物。」
「マリアム、マリアムはずっとオミウにいるよね?」
「ラーニャ、跳ぶから見てて!ちゃんと見て!」
「うえええん!ザインが噛んだあああ!」
「マリアムは徴税人ね!あたしは正義の大どろぼう!」
(孤児院って、こんなうるさかったっけ…?)
耳が痛くなるくらいの喧騒に、ラーニャは思わず天を仰いだ。すっかりナジャー家の静けさに慣れてしまったみたいだ。
少しだけげんなりしながら、雪の小山から跳ぶ子を受け止めていると、突然ラーニャの足元に幼子がまとわりついてきた。運の悪いことに、ちょうど次の子がラーニャ目掛けて跳ぶところであった。
サナと他の子は喧嘩の仲裁、マリアムはごっこ遊びに巻き込まれている。
(あぶない…!)
踏ん張れば幼子を蹴飛ばしてしまう。体勢を崩して倒れそうになったそのとき、力強い腕がラーニャを支えた。なんとか体勢を整え、跳んできた子を柔らかい雪の上に下ろす。
ラーニャは、ふう、と安堵の息を吐いて顔を上げ、支えてくれた人物に笑顔を向けた。
「ありがとう!ほんっと、すっごい助かっ」
た…。
最後の音は口の中に消えた。
「どういたしまして!危ないとこだったね。」
びっくりした様子の幼子を抱え上げてから、その人は大きな口で笑みを浮かべた。
屈託ないその頬に、子供っぽく下ろしたままの髪がかかる。その巻毛に覚えがあった。
「エイジェ様……大変失礼を致しました。」
ラーニャはサッと礼をとった。内心は冷や汗がダラダラと流れるような心地だ。
エイジェが幼子を雪の少ない地面に下ろす。状況がよく分かっていないのだろう、その子はリスのようにキョトンとした顔で、ポテポテと別の子供たちの方へ向かって行った。
その様子を見守りながら、何故かエイジェの方が困った様子で髪を触った。
「えっと、いいよ、気にしないで。その、まさかラーニャさんだと思わなくて……。ごめんね。」
「なぜ謝るのですか?」
ラーニャは首を傾げた。失礼をしたのはこっちの方なのに。
エイジェは、温かそうだが、飾り気のない服装をしている。彼女も喜捨に来たのだろう。
敢えて目立たない格好で喜捨に来る人はそれなりにいるし、別に不思議はない。使用人ではなく主自らが足を運ぶのは好ましく思えた。
「こんな……ちゃんとしてない姿で、びっくりさせちゃったでしょ。言葉遣いも……。ナジャーの皆様が帰ってたから大丈夫だと思って……。」
「いえそんな……」
滅相もない。
言いながら、視界の端でエイジェの付き人を探す。
ラーニャと一緒に来たナジャーの人たちは、マリアムとサナを除いて皆帰ってしまった。さすがに王家に連なる花付きの大貴族を、一人で外にいさせる訳にはいかない。
ひとまず遠くで控えている人影に気づき胸をなで下ろした。
「その、寒くはありませんか?お茶でもいかがでしょう。」
「いいえ、悪いわ。孤児院は今日は忙しいのよ。」
「私の実家のようなものですから、お気になさらず。」
「実家?」
「ええ、私はここで育った孤児ですので。お耳に入ってはいませんか?」
ひょっとして、言っちゃいけなかった?最後は少し緊張して告げる。
動揺が少し落ち着いて、言葉遣いも戻ってきたエイジェが、不思議と明るい表情でラーニャを見た。
「本当だったのね。」
ぶわっと白い息が溢れる。
「本当は、ラーニャさん、良いところのお嬢さんなんじゃないかって疑ってたの。でも、本当なんだ。そっか。」
噛み締めるように言って、笑う。ラーニャより少し年上のはずなのに、なんだか幼く見えた。
「私、このまま都に戻るの。待ってるから、どうか早く来てね。これからよろしく、ラーニャさん。」
「こちらこそ。」
つられてラーニャの顔も緩む。
親しみやすい人だ。エバや家政婦長とは随分振る舞いが違うが、世代が離れているためだろうと、ラーニャはすんなり受け止めた。
ひょっとすると、アミナやマリアムなら、エイジェの言動が貴族の娘としては粗雑に過ぎることは気づいたかもしれない。
しかし、人生の殆どを孤児院で過ごしたラーニャにとって、世の中は知らないことで溢れている。当たり前のことと、当たり前でないこと、その区別はまだ難しい。それが逆に功を奏し、ラーニャは新しい主の特殊な状態を違和感なく受け入れたのだった。
なんだか嬉しそうな様子で、喜捨のために孤児院の建物内に向かうエイジェを見送り、ラーニャはマリアム、サナとナジャー家への帰路についた。
途中の分かれ道で、サナがちらりとマリアムを見た。
「ちょっと回り道していく?」
「いいよ、気を遣わなくて。こないだ家賃を貰いに行ったばかりだし。」
「そう?それならいいけど。」
少し迂回すれば、マリアムの生家の前を通って帰れる。
マリアムは素っ気なく断ったが、少しその声音には険がある気がした。
以前にサナから聞いた、マリアムの不審な行動。隣国シャガルの工作員であったために処刑された両親を持つマリアムが、シャガル人と接触していた…。
やはり、マリアムは何か隠しているのだろうか。
三人の間に、それとなく緊張感が漂った。
「ねえ、何か言いたいことがあるならはっきり言って。」
「いや、そんなの特にないけど……。いつもなら帰りがてら寄るからさ。」
「大家が必要以上にうろついてたら良い気はしないでしょ。」
「あー、確かにそうかも。えへへ。」
サナが無理に笑って場を和ませようとする。
「誤魔化さないで。」
マリアムらしからぬ低い声に、ラーニャの顔が引きつる。
完全に不機嫌になってしまった。こうなると面倒だ。サナが煽られた様子でキッと眉を上げる。サナは愛らしい見た目に反して、喧嘩っ早いのだ。
「怒りたいのはこっちの方だよ!何さピリピリして!」
「はあ?コソコソ探ろうとしてきたのはそっちでしょ!気分悪い!」
「やめなって!落ち着きなよ、二人とも。」
売り言葉に買い言葉。ラーニャの制止など全く意味がない。
「マリアムが隠すからでしょう?!自分だけが賢いみたいな顔しないでよ!心配してるのに、なにそれ!」
「そっちが勝手に悩んでるだけじゃん!責任転嫁しないで。なにもかも全部サナに教えなくちゃ満足しないの?私達は別の人間だって分かってないの?」
「そういう問題じゃない!極論にすり替えないでよ!もういい、マリアム、あたし見たの。」
「サナ!」
人通りは少ないが、町中だ。誰かに聞かれたら大変なことになる。
ラーニャの心配をよそに、サナは声を潜めてマリアムを睨んだ。
「マリアム、シャガル人とつるんでるでしょ。」
「……知らないけど。」
「誤魔化さないで。言ったでしょ、あたし見たの。」
マリアムが、サッと目元を赤くしてサナを睨み返した。
「だったら何?私はシャガル人よ。同胞と会って何が悪いの。」
「何って……!」
サナが言葉を無くす。
ラーニャも流石に静観できなくなった。マリアムの柔らかな腕を掴み、顔を寄せる。
「マリアム、落ち着いて。周りに聞かれる。」
「そんなのどうだっていい。」
「親の二の舞いになる気?ヤケにならないで。」
「そうね、ザフル人は野蛮だもんね、危なかった、ありがとう。」
「マリアム!」
取り付く島もない。マリアムは身をひねってラーニャから逃れた。
「ラーニャ、冷静な自分気取りはやめて。私がいなかったらナジャー家の女中にすらなれなかった癖に。誰が行儀を教えたの?誰が字を教えたの?貴族の侍女になるのがそんなに誇らしいの。」
「ちょっと、嫌味は止めてよ。そういう話じゃないでしょ。」
「そういう話なの。」
マリアムは自嘲気味に笑った。
「私が色々教えてやった友達は、才能を認められて外に羽ばたいていく。でも私は逃げられない。字が書けても、学があっても、所詮は罪人の娘。オミウに、ザフルにいる限り、一生それを背負っていく。」
「それは…。」
ラーニャは、たまたまファイサルに字を認められた。しかし、何かが掛け違って、ファイサルが先にマリアムの字を見ていたら、彼女は取り立てられていただろうか?罪人の娘のマリアムが。
能力に大きな違いがあるわけでもないのに、主たちに気に入られ、みるみる待遇が良くなっていくラーニャを、マリアムはどんな思いで見ていたのだろう。
声を詰まらせたラーニャを、マリアムは静かな目で見つめた。ぽつりと呟く。
「シャガルから見たら、私は国に殉じた臣民の娘になれるの。それに縋って何が悪いの。」
最後の言葉は、ひどく頼りない声音だった。ラーニャも、サナも、何も言えなくなってしまう。
マリアムは家族だ。彼女が抱える苦しみは誰よりも二人が理解していた。
マリアム、と呼びかける。
「私もサナも、心配してるの。危ない目にあってほしくない。」
「……そうだね。分かってるよ、ありがとう。」
ひとまずはその場が落ち着き、3人は再び雪道を登り出した。とはいえ、何かが好転した訳ではない。マリアムがシャガル人と繋がっていることは明白になってしまったし、それを止めさせる手立ては分からないままだ。
気まずい空気の中で、ラーニャは、細く息を吐く。
きっと、マリアムはシャガルのために生き始める。これを止めることはできないだろう。
しかし、サナが見たという男達。商人に扮した異国の兵士風の人間なんて、きな臭くて仕方がない。何か危険なことに巻き込まれている気がする。ただでさえ危うい身の上なのに。
なんとか、マリアムに考え直してもらわないといけないが、下手に動けば頑なになりかねない。
ラーニャの白いため息が、オミウの空に霧散して消えた。




