19 マリアム
※注意:絞首刑の描写があります。
「つっかれたあー!!!」
ラーニャは小さく叫ぶと、3人部屋の出入口に一番近いベッドに突っ伏した。ベッドの主であり、既に寝そべっていたマリアムが迷惑そうに身をよじる。
「今日はどうしたの。」
「なんか…お客様がいらしたの。それも、孤児院にいたころに失礼なことしちゃった方。」
「うわー!災難。大丈夫だった?」
マリアムが、明るい巻毛をいじりながら顔を歪める。それに頷いてから、そうだ、とラーニャは顔を上げた。
「カミル様って方なんだけど、会ったことある?私が丁度外に出てるときに院にいらしたみたい。春先。」
「あ~、おじさん?」
「うん、白髪交じりの。」
「来たね。サナも覚えてる?」
「うん、めずらしくまともなおじさんだったな。」
家政婦長が聞いたら、その無礼さに卒倒しそうな会話だ。
「お客様と話したの?」
「そう、孤児院の暮らしに興味があるんだって。」
「は~、ご立派。色々言ってやった?」
「もちろん。多分貴族の方なんだけど、なんも言われなかったから知らんぷりしてぶちまけてやったよ。」
ごろん、と仰向けに体勢を変える。マリアムがくすくす笑った。
「社会勉強の名目で職人に良いようにこき使われるとか?」
「たまに子供が攫われるとか?」
サナがとげとげしい声で言う。サナはお人形のように愛らしい顔立ちの上、小柄だから、危険な目に遭うことが他の子どもより多かった。
「言った言った。あと、孤児救済政策で勤め先が出来るのは良いけど、勤めるに値する人間になるための教育の機会がございません、とかね。」
ラーニャには、親元で優れた教育を受けたマリアムがいた。もし彼女に読み書きを教わらなければ、運よくナジャー家に雇われても、せいぜい洗濯係にしかなれなかっただろう。
そりゃそうだ、と二人が頷く。ひとしきり文句を言って笑い合うと、ふと静寂が部屋に満ちた。
黙って天井を見上げていると、静かになった部屋にマリアムの言葉が頼りなげに響く。
「…奥様はどうなの?やっぱり、もうだめなのかな。」
ラーニャは、うん…、とつぶやいた。
「覚悟は、しないといけない。」
「そう…。私達、どうなるんだろうね。」
マリアムの声音は重い。女主人が亡くなれば、ナジャー家に今ほどの人手は要らなくなる。場合によっては解雇されることだってあるのだ。孤児にとっては死活問題だ。
「ラーニャは、都に行くんだよね。」
「うん。マリアムは?」
「私は…オミウに残るよ。家族の墓も、遺してくれた家もオミウにあるもん。他所には行けない。」
「そう…。サナは?」
「考え中。」
はあ、と3人は揃ってため息を吐いた。
(いつまでも、3人で一緒にいられると思ってた。)
孤児院での日々を思い出す。カミルに話したように課題はあったし、恵まれてはいなかったが、だからと言って不幸ではなかった。衣食住足りて、気心の知れた友達と笑い合う毎日。
「どこに行っても、離れ離れになっても、必ずまた会おうね。」
「当たり前でしょ!私達、家族なんだから。」
弱気になるマリアムに、サナが笑った。
(家族…。)
その言葉に、一人の青年の顔が脳裏をよぎる。
ナジャー家を離れ、貴族の家で認められれば。二人の未来を阻む障壁は、今よりずっと低くなるはずだ。貴族に仕える侍女なら、まず身分としては問題ない。
希望と、不安な気持ちが胸中でくすぶり始める。ラーニャはそれを振り払うように視線をそらし、視界の端で何かが動くものに気が付いた。隣に寝そべるマリアムの指だ。落ち着きなく、指先を爪で弾いている。
マリアムは、両親を亡くしている。ラーニャ達と違って、長く親と暮らしていた。物心ついたころには孤児だったラーニャとは違い、家族の温もりを知っている。きっと離れ離れになる不安が、ひときわ大きいのだろう。ラーニャはそっと、その柔らかな体に身を寄せた。
そのままいくつか取り留めもない話に花を咲かせていると、やがて規則正しい寝息が隣から聞こえてきた。マリアムだ。
もういい時間のようだ。さて自分も寝るかと、慎重にマリアムのベッドから降りる。
「ねえ、ラーニャ。」
ちょっといいかな、と、サナが囁いた。
「どうしたの?」
何か真剣な声音を感じ取り、今度はサナのベッドに近寄る。サナはそのままラーニャごと毛布を被った。孤児院時代からおなじみの、秘密の話をするときの体勢だ。
毛布の闇の中で、サナの大きな目が緊張した光を湛えて瞬く。気にしすぎかもしれないんだけど、と、前置きしてから口を開いた。
「この間ね、マリアムの家を通りがかったの。」
マリアムは、生家を人に貸している。たしか、ひょろっとした男性だった。いつも本を抱えて、おどおどした人だ。
孤児院から近く、ラーニャとサナも一緒に家の様子を見に行くこともあった。少し遠回りにはなるが、ナジャー家と孤児院の間に位置する立派な家だ。
「ちょうど人が2人入ってくところでさ、おじさんの友達かぁって見てたの。おじさんは細っこいけど、やけに体格の良い人たちだったから気になって。職人かなって感じの、声もでっかくて、陽気な人たちだった。」
なんだけど、と、声が低くなる。
「妙に違和感があって、実は借金取りなんじゃないかなって。ほら、借金があるなら家賃の回収にも障りが出るでしょ。これは確認しなくちゃって思って。」
マリアムに教えてもらった死角から、家の中を窺ったのだという。
陽気な職人に思えた2人は、家の中に入ると様子が一変した。妙に空気が張り詰めていて、これは勘が当たったぞとサナは冷や汗をかいたらしい。
「でも違った。あの人たち、きっと兵士か何かだ。背をピシャって伸ばして、お腹から声出して、きびきび動いてた。しかもね、おじさんもそうだったの。いつも蚊の鳴くみたいな声なのに、お客さんとおんなじだったの。それで、言葉もザフル語じゃなかった。外ではザフル語だったのに!たぶん、シャガルの人たちだよ。あれはシャガル語だった。」
ラーニャは生唾を飲んだ。
隣国シャガル。オミウでシャガル人は珍しくはない。国境に近いし、商人の町だ。ただ、マリアムの家というのが良くない。マリアムの両親の姿が脳裏をよぎった。
「それって、マリアムに言った方が良いよ。起こす?」
「ううん、マリアムには言えない。」
「どうして?」
マリアムの家で起きていることだ。ただでさえ、両親のことでオミウでのマリアムの立場は弱いのだから、これ以上の厄介ごとは避けられるようにするべきだ。
サナはそっと毛布から顔を出し、マリアムの寝息を確認した。再び毛布に戻り、囁く。
「マリアムもいたの。」
「…家賃の回収で居合わせたんじゃなくて…?」
そうであってほしい。
孤児院にいたころは、職員が代わりに対応してくれていたが、成人した今はマリアムが直接取り立てているはずだ。
もし、そうした事情がないのであれば…マリアムの行為は命知らずもいいところだ。
「違う。マリアムも、シャガル語を話してた…。」
自分の呻き声が、遠くに聞こえた気がした。
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マリアムは、ラーニャとサナと共にファラウラ孤児院で育った家族だ。しかし、実はその付き合いはそこまで長くはない。ラーニャとサナが、物心つく頃には既に孤児院にいたのに対し、マリアムは10歳になるまで両親と暮らしていた。女中一人なら雇えるくらいの、中流階級の娘だった。
孤児院の子供たちは、喜捨や支援へのお礼や、社会勉強の名目で、日ごろから製紙工房や農家の手伝いに駆り出されている。マリアムの父親は取引相手か何かで、製紙工房に出入りすることもあったので、幼いラーニャたちと顔見知りだった。いつも楽しい話をしてくれて、その工房に通う孤児たちは「おじちゃん」と慕っていた。マリアムと同じ、明るい髪をした、優しい人だった。孤児院に対し、個人的な寄付もしてくれていたようだ。
よく見かける人だったのに、とんとその姿を見なくなったのはいつからだったろう。ちょうど同じころ、大人たちの様子が変だったことは覚えている。それでも、特に大きな違和感を覚えることはなく、ラーニャ達は日常を過ごしていた。同じ年頃の娘がもうすぐ孤児院に来るとは聞いていて、予告があるなんて珍しいなと感じていた程度だ。
そんなある日、オミウ中に震撼が走った。広場で縛り首の刑が行われるというお触れが出たのだ。
オミウで公開処刑は滅多にあることではない。度胸試しだと息巻く年上の男の子たちに連れられ広場に行き、人だかりをくぐって前の方に出ると、すでに刑は執行された後だった。群衆の興奮したざわめきの中で、罪人が2人、不気味に風に揺れていた。
明るい髪の男女だった。汚れて絡まった髪のところどころから、繊細で優しい色合いの部分が覗いていた。苦しみで歪んだその顔に、覚えがある気がした。
あいつらどんな悪いことしたんだろう、なんて声を潜めておしゃべりする男の子達に、周りの野次馬が話しかける声が遠くに聞こえた。隣国シャガルの工作員だった、王族を殺そうとした…。
ラーニャは耐えきれなくなって、サナの手を引いて広場を後にし、おじちゃんの家を目指した。
きっと、勘違いだ。髪の色が同じなだけで、きっと別人だ。顔も変だったし、違う人に違いない。
おじちゃんが自慢していた、紫のお花が咲いた玄関の家。広場を上がった先の、かわいいお家。
(あそこだ!)
息せき切って坂を上ると、おじちゃんの話にぴったり合う家を見つけた。そして、同じ年頃の女の子の姿が目に入った。
明るい髪色のその子は、染みも毛玉もほつれもない、大きさもぴったりの綺麗な服を着て、青ざめた顔で道に立ち竦んでいた。
立派な家の前で、ぎゅっと拳を握りしめて、ラーニャ達の背後、遠く道の先を見つめていた。
…ラーニャには分かってしまった。それでも、サナと目を合わせてから一歩踏み出し、かすれた声を絞り出す。
『こんにちは。ここの家の子?わたしたち、ファラウラの子なんだけど、おじちゃ、さんに会いたくて。』
女の子は広場の方角を見つめたまま、何も答えなかった。代わりに、下唇にぐっと力が入り、顎に皺が寄る。
『下で、絞首刑を見たの。それでその、不安になって…。おじさんって今どこか遠くを行商してるの?』
女の子は何も答えず、いよいよ大粒の涙を流して、紫の花が咲く玄関に飛び込んでいった。
ばたん!と大きな音を立てて閉まった扉に手を伸ばしかけ、力なく下ろす。
俯いたラーニャの喉が嗚咽を漏らすと、サナにも伝染した。
そのまま、ラーニャとサナは込み上げてきた熱を抑えきれず、大声で泣きながら、ファラウラ孤児院に戻っていったのだった。
マリアムが二人の家族になったのは、そのひと月ほど後のことだ。
マリアムの両親は、長年ザフル王国に潜伏していた、シャガル人の工作員だった。
娘のマリアムですら、両親が捕らえられるまで、自分がシャガル人の血を引いているとは知らなかった。シャガル語も挨拶程度しか使えない。だからマリアムは見逃されたのだ。
それなのに。
怪しげなシャガル人と接触し、シャガル語を話している。これが本当なら、両親の二の舞になりかねない。
広場で明るい髪の娘が揺れる様子が脳裏に浮かび、ラーニャは青ざめた唇を噛んだ。




