Aランクダンジョン(前編)
清水村のAランクダンジョンの情報は大西さんから聞いており、資料写真も見せてもらっていたので、飛び上がるほどの驚きはなかった。
だがそれでも、見るのと聞くのは大違いだ。
まず入ってすぐ目の前に広がっているのは、見渡す限りの湖であり、蛍石が光を放つ自然の洞窟の中に存在するので、地底湖と言うべきだろうか。
「後ろにはダンジョンの入口で、ナビ子は地底湖を指してる。はぁ…行くしかないよね」
突入と同時に自動追尾弾を展開した結果、今も水中に向かってヒュンヒュンという風切り音と、水しぶきが絶え間なく上がり続けている。
底が見えないほどに深く、息継ぎなしで泳ぐのは難しそうだ。
「濡れるのは嫌だし、そもそも息が続かないよ」
メイドフォームの効果で窒息しないだろうが、実験する気は起きないし、何より服や荷物が濡れるのは嫌だ。
それに車内でダンジョンの資料を読んでいる時に、自分なりに解決策を考えてきた。
「それじゃ新魔法。…シャボンバリア!」
シャボン玉のような半透明の黒いボールを自分を中心に大きく広げて、何かこうフワフワと浮遊して収縮と柔軟性の高いイメージを思い描く。
「おっ…おおっ? 思い通りに動かせるし、成功かな?」
巨大な黒いシャボン玉は私をすっぽりと包み込んだ状態でフワフワと宙を飛んでいき、やがて重力に任せるように下降を開始する。
地底湖の水面に音もなく接触すると、そのままゆっくりと沈んでいった。
「ちょっと見通しが悪いけど、そこはまあ私の個性魔法全般の仕様だしね。
何より水に濡れないし、泳ぐ必要がないのが良いね」
最大まで広げて大型のエレベーターと同じぐらいにはしてあるので、そう簡単に空気がなくなることはない。
そして新魔法はどれも私のイメージに引きずられるようで、今回のシャボンバリアは時速三十キロが限界だった。
「中に入れようとすると水も入っちゃうし、魔石は無視したほうが良さそうだね」
原付バイクの制限速度ギリギリのスピードで水底に潜りながら、妖精にデフォルメされた私の案内に従い、暗い地底湖を灯りも付けず奥へ奥へと進んでいく。
その間にも、シャボン玉の外に展開した自動追尾弾は忙しく働いているので、間引きはきちんと行われているのだろう。
大西さんから渡されたAランクダンジョンの資料に目を通して、どれぐらいの時間が経ったのか、唐突に降下が止まって湖底の砂地を巻き上げた。
だがいつ空気がなくなるのか不安なので、私はナビ子が案内する方向を目指して、今度は地面スレスレを浮遊移動させる。
何だかハムスターの回し車をコロコロしているような気分だが、乗っている私は全く揺れないし、ちゃんと前に進んでいるので問題はない。
そして湖底にも蛍石の欠片や雪のような物が、キラキラと美しく輝いていて灯り代わりになっているので、暗闇で何処かにぶつかったり、転んだりしなくて助かった。
「ん? あれは…遺跡かな?」
湖底の遺跡には興味があるが、まずは問題は内部に空気があるかどうかを確認するのが重要である。
何にせよ私にはナビ子の案内通りに、水中にあるパルテノン神殿っぽい謎の建物を目指すしかないので、わざわざ考えるまでもなく、ひたすら全速前進を続けるのだった。
魔石も素材も入手できないので、今回大損なのでは? …と思ったが、そもそも中学二年生で既に一生遊んで暮らせるだけの蓄えはあるし、ダンジョン探索も武器や防具を揃える必要がないので、お金は殆どかからない。
今回のAランクダンジョン攻略も、このまま水中散歩を続けたところで、私の休日が潰れるだけだ。
「うーん、柱の隙間が大きいから、何処からでも入れそう?」
私は目の前のパルテノン神殿に平行移動で近づき、一応玄関っぽく大きく開いている場所からお邪魔する。
黒いシャボン玉は弾力と収縮性に優れており、状況に応じて水風船のように自由に形を変えられたので、通り抜けるのも楽だった
「一階はあちこち崩れてるね。本命は二階かな?」
外から見るとボロボロであちこち崩れていたが、中央には瓦礫の山があり、ナビ子に障害物の向こうに進むようにと言われたので、私は自動追尾弾をマニュアル操作して、対象を変更する。
すると水の抵抗は関係ないとばかりに、人の目で捉えるのは難しい速度で飛んでいき、たちまちのうちに綺麗サッパリ吹き飛ばした。
「大人のパーティーが横に並んで下りられるなら、幼女体型の私は残りの細かい瓦礫を取り除くまでもなかったよ」
最初は障害物を避けて広い階段を降りていた私だったが、途中からはどういう理屈か水の膜を潜り抜けて、風が流れる神殿のダンジョンに変化した。
天井部分から水が滝のように絶えることなく流れ落ちているので、魔法的な仕掛けの一つなのだろうと、ぼんやりと考える。
「神殿の底の湖にかかる橋と、滝が幻想的だね。とてもここが水中とは思えないよ」
神殿の底には滝から注がれた綺麗な水が流れており、今の私はナビ子の案内に従って、その上にかけられた横幅十メートルほどもある石造りの橋を歩いている。この上が地底湖だとは思えないほど、幻想的な風景だ。
なお自動追尾弾が飛び交っていなければ、もっと感動的な気分を味わえたはずである。
「橋の上にも魔物が居たようだし、通り道の石は拾って行こうかな」
見も知らぬ魔物がまた勝手に倒されたのか、Bランクのダンジョンよりも大きな魔石があちこちに落ちているので、進路上の物はありがたく拾わせてもらう。
湖底にもゴロゴロ転がっていたり、ゆっくり落下してきていたが、黒いシャボン玉は外から物を中に入れられないので、泣く泣くスルーした。
「…ん? 橋の上に魔物? でも自動追尾弾は反応してないし、どういうこと?」
私がウキウキ気分で魔石を拾いながら歩いていると、大橋のど真ん中にはライオンに蛇とヤギの頭がくっついたかのような、へんてこで巨大な魔物が立ち塞がり、こちらを視界に収めて低い唸り声をあげていることに気がついた。
しかし自動追尾弾は反応せず、三つともフヨフヨと私の周囲を浮遊するのみで、これまでにない状況に首を傾げる。
取りあえず襲いかかってこないようなので、私はその場で立ち止まって、登山用のリュックサックを大橋の上に下ろす。
中からレジャーシートを取り出して石畳に敷いて、その上に小さなお尻を乗せる。
「魔物にしか見えないけど、襲いかかってこないし、自動追尾弾も反応しない。
他の魔物はちゃんと倒してるのに、…何で?」
Aランクダンジョンの情報は乏しいが、多分あれはフロアボスのキマイラだ。上位ランカーがパーティーを組んで討伐した記録があるので、倒せない相手ではない。
とは言え私が単独で挑んで勝てるかと言うと、大いに疑問である。
それでも相性は悪くはない。キマイラの行動パターンは、巨体を生かした突進、さらに噛みつきと爪の物理攻撃。
そしてライオンは炎、蛇は毒、ヤギは石化のブレスをそれぞれが吐くが、射程距離は短い。
つまり翼で空を飛べて遠距離攻撃が得意な私にとっては、戦い方さえ間違えなければ負ける要素はないのだ。
普通に戦えば勝てる相手から逃げる必要はないので、挑む方針を固めると、大橋を通せんぼしているキマイラを観察する。
背後には水面から突き出た巨大な塔があるので、きっと門番でありフロアボスという役割があるのだろう。
となると周囲に扉はないが、一定の範囲まで近づくかダメージを与えると、結界的なもので閉じ込められて、戦闘が始まる可能性が高い。
「モグモグ…焼きそばパン美味しい」
目の前で堂々と昼食を摂る私を見て、キマイラが恨めしそうな表情を浮かべているが関係ない。
続いてコロッケパンに手を伸ばして包装を破り、小さな口に咥える。
「問題は自動追尾弾が反応しないことだけど、今までこんなことはなかったし。
うーん、……わからないや!」
惣菜パンを食べ終わったので、水筒から温かいお茶を付属のコップに注いで喉を潤す。
いよいよフロアボス戦闘いうことでナビ子を消し、自動追尾弾を油断なく展開したまま、反応しない原因を探ることを決めたのだった。
キマイラと戦うことを決めた私は、登山用のリュックサックを足元に置いて、小さなシャボンバリアを展開してすっぽりと包み込む。
この魔法は一つしか生み出せないが、その分拡張性が高いので、なかなか便利に使えそうだ。
これまでいくつもの登山用のリュックサックが犠牲になってきた。メイドフォームで守られてるのは服と私だけで、荷物は対象外だ。
だがこれでもう、フロアボス戦で所持品が巻き添えになり、破壊されることはない。今までの犠牲は無駄ではなかったのだ。
「まあそれはともかく、まずは手動で試さないと」
何だかやり切った感が凄くて、水上の塔を守護するキマイラなどそっちのけだったが、一応戦うことを決めたので、まずは牽制とばかりに自動追尾弾をマニュアル操作に切り替えて、強引に連射する。
「……えっ? ちょっ…ちょっとこれは…!」
私の攻撃がキマイラに当たったことが戦闘開始の合図だったのか、突然背後に透明な壁のようなものがせり上がって逃げ道を塞がれ、フロアボスの後ろにも同様に展開される。
おまけに天井もしっかりカバーしているようで、一人と一匹はあっという間に四角形の結界壁に閉じ込められてしまう。
「天井低いよ! これじゃ空にも逃げられないじゃない!」
予想外なのはそれだけでなく、先程から自動追尾弾をマニュアル操作で連射しているのに、全く効果がない。
キマイラは怯まず、大橋の上を疾風のように駆けて真っ直ぐに突っ込んでくるのだ。
「ちょっと…! 怯みもしないの! まさか、ノーダメージ!?」
当初の計画と違う最悪の展開に、私は大いに取り乱してしまい、とにかく少しでも距離を稼ごうと慌てて後ろに視線を向ける。
するとあと十歩も下がれば半透明の壁に当たってしまうのを、否応なしに自覚させられた。
「あわわわっ! 不味い! 不味いよ!」
横幅十メートルはある大橋なので、突進を避けるという手もあるが、今の私は予想外の出来事が重なって頭の中が大混乱中だ。
そうこうしているうちに巨大なキマイラが目の前まで迫る。
「……ぎえぴっ!!!」
まるで時速百キロで突っ込んでくるダンプカーに跳ね飛ばされたかのように、勢い良く吹き飛んでいき、背後に展開する逃走防止用の結界に無慈悲に背中から叩きつけられる。
そして数秒ほどで剥がれて落下し、大橋の上に仰向けに倒れてしまったのだった。
一分ほど経過したが動く気配がなかったので、キマイラは残虐な笑みを浮かべてうつ伏せに倒れているメイド服を着た幼女に、ゆっくりと近づいていく。
まだ結界が解除されていないので生きては居るだろうが虫の息だ。ならばトドメを刺すのも容易である。
あと数歩というところで幼子を噛みちぎろうと、キマイラは大きな口を開ける。
だがあろうことか、瀕死の重傷のはずの幼子は突然ガバっと飛び起きると、残った距離を一瞬で詰めて、大きな口の中に躊躇なく右腕を突っ込んだのだ。
「この距離ならバリアは張れないね! 超重力砲! 発射っ!」
別にバリアを張っているわけではないが、何だか言わなければいけない気がした。そして自動追尾弾が効かないなら、それより高火力の魔法を使うだけだ。
そして時速百キロの巨体に跳ね飛ばされたところで、メイドフォームの私は痛くも痒くもないということがわかった。
でもまあ、ほんの少しだけびっくりしたので、何が起きたのか状況を整理するのに時間がかかったが。
とにかく魔力こそパワーであり、ゼロ距離どころか敵の口の中に腕を突っ込んでいる状態で、私は超重力砲を発動させる。
その瞬間、キマイラの巨体を黒玉がすっぽりと包み込み、すぐに収束を開始する。僅か十秒足らずのことだった。
「それで、…これがキマイラの魔石かぁ」
大きな黒い玉は発動させた右の手の平に何事もなかったかのように戻り、気がつけば闇色の魔石が収まっていた。
そして水上の塔の入口近くから、今まで影も形もなかった宝箱が突如として現れて、逃走防止用の結界も空間に溶けるように、瞬く間にかき消えた。
念の為にメイド服の損傷具合をチェックして魔力を吸わせたが、相変わらず霧散してしまうことから、薄々気づいてはいたが今回もノーダメージだったようだ。
続いてシャボンバリアで包み込んだ登山用のリュックサックを、フワフワとこちらに引き寄せる。私が中に入って移動してきたので、操作のコツは掴んでいる。
近くまで寄せたら魔法を解除して、キマイラの落とした魔石をいそいそと収納する。
「もしかして自動追尾弾は、効果がないと判断して、キマイラを攻撃しなかったの?」
元々私の命令に忠実に従い、自動的に敵を攻撃していた。キマイラのように素の防御力を抜けない場合は、無駄に魔力を使わずに浮遊状態を維持したのかも知れない。
障壁を展開して無効化する他の魔物とは、対応が違うようだ。しかし何と賢い人工知能だろうか。
私はああでもないこうでもないと考えながら登山用のリュックサックを背負い、フロアボス撃破で現れた宝箱と入り口に戻る転移の魔法陣に向かって、トテトテと歩いて行くのだった。