夏休みが明けて登校したら…
夏休みが終わる頃には、私の睡眠時間と休日を犠牲にすることで、清水村のダンジョン事情もかなり落ち着いてきた。
何しろナビ子と、自動追尾弾のコンボが強力すぎて、入り口から深層までの最短ルートを歩き、落ちている魔石を拾うだけのRTAになってしまったのだ。
一日で二つも三つもダンジョンを攻略することも珍しくなく、そのたびに祖母も大西さんも私をヨイショした。
結局夏休みが終わるまでは休みなしで連日ダンジョンを攻略し、家に帰ったらお風呂に入ってご飯を食べて、あとはもう寝るだけ状態であった。
「ねえねえ! 小坂井さんって冒険者のトップランカーなの?」
「…えっ? トップランカー? なっ…何?」
連日連夜ダンジョン漬けの生活を送っていたため、夏休み明けに地元の中学に登校して、校門の前で大勢の生徒に囲まれた時はとても驚いた。
大西さんや清水村役場の関係者には、自分が攻略していることを秘密にしてもらう契約を結んだのだが、これは一体どういうことか。
「ダンジョン攻略で凄い実績を上げた人のことよ! もう! とぼけちゃってー!」
「一人で清水村のダンジョンの殆ど攻略したんだって? マジ凄えって!」
「小坂井さんはどんな魔法が使えるの? 魔物と戦うのは怖くなかった?」
「あっ…あわわ! えっ…えっと! …あの!」
私は聖徳太子ではないのだから、そんな一度に質問されても答えられるはずがない。
しかもどさくさに紛れて複数の女子生徒が、可愛い可愛い言って頭を撫でたり体のあちこちをペタペタ触ってくる有様だ。
見た目こそ幼女でも年齢的には中学生なので、自分にとってはくすぐったくて恥ずかしい行為である。
ならば逃げるが勝ちだ。今が非常事態だと判断した私は、すぐにメイドフォームになった。
この状態の自分は疲れ知らずであり、重い荷物が持てる。つまり当然身体能力も強化されているのだ。
「おっ……おさらばでございます!」
人混みから逃れるために咄嗟に跳躍した私は、百メートル近く飛び上がって、中学校の下駄箱付近に華麗に着地する。
そのまま後ろを振り返らずにひた走って上履きに履き替えると、一陣の風になって廊下を駆け抜け、二年一組の教室に急いで飛び込んだ。
「ふぅ…ここまで来れば一安し…」
「小坂井さん! 夏休みのことで聞きたいんだけど!」
「日本のトップランカーって、どうやったらなれるの!」
「俺も冒険者になりたいんだけど! アドバイスか何かある?」
私は教室の自分の席に座る前にクラスメイトに取り囲まれてしまい、変身を解除することもできずに、質問の嵐を受ける。
それでも強化された身体能力を発揮して強引に押し退けて進み、時間はかかったが何とか囲みを突破して自分の席へと辿り着いた。
腰を下ろしたタイミングで担任の教室に先生が入ってきて、ホームルームが始まり、ホッと胸を撫でおろす。
だが既に私の心は満身創痍であり、本当に何故こんなことになってしまったのかと、頭の中は大混乱中であった。
地元の中学校は清水村と隣町の中間にあり、在校生の数が多いのも辛い一因である。
まるで津波のように夏休みのダンジョン攻略について次から次へと質問されたが、私がしていることは一般常識から外れた、RTA走者さながらのへんてこな魔法だ。
どういう原理で動いているのは不明とか、やれると思ったらできたというぐらいの、適当な答えしか返せない。
結局午前中で授業が終わって帰宅時間になるまで、休憩時間のたびに行われる怒涛の質問責めを曖昧に笑って誤魔化し、当たり障りのない答えを返すのが精一杯であった。
なお中学校まで大西さんが車で迎えに来てくれたので、本当に助かった。
清水村役場ではなく、小坂井彩花の個人資産で購入した軽乗用車の助手席に腰を下ろし、ぐったりと背中をもたせかける。
そんな心身共に疲れ果てている私に、大西さんはハンドルを操って法定速度で運転していた。
「夏休み明けの初登校はどうでしたか?」
「どうもこうもないよ! 皆トップランカーがどうとか言って、訳が分からなかったよ!」
私としてはただ、氾濫危険域の高いダンジョンを攻略しただけだ。そこに清水村の経済を活性化するとか、隣町への吸収合併を防いだり、特典や報酬も美味しかったので、お財布も重くなって貯金通帳にゼロがたくさん付くようになった。
秘密のままなら一人勝ちでウハウハの人生を送れたのに、どうしてこうなったのやらだ。
「有名人やお金持ちになると、友人が増えるって言うけどさぁ」
「私は経験がありませんが、多分それに近いかと」
窓を開けて涼しい風を入れて、私は大きく溜息を吐く。正直に言えば降って湧いた力で無双して、周りからチヤホヤされるのは気分が良かった。
でもそれは祖母が褒めてくれるからやったことであり、お金を稼ぐのもこれまで育ててくれた祖母に、少しでも良い暮らしをさせてあげたかったからだ。
「私は祖母さえ元気で居てくれれば、どうでもいいんだけどなぁ」
物心がついた頃からいつも一緒にいるのは年老いた祖母一人だけだった。
そして物心がつく前のことを思い出そうとすると、全身にゾクゾクとした震えが走って、これ以上踏み込むのは不味いと本能が警告するのだ。
そのようなこともあり、原因はどうあれ私は根っからのおばあちゃん子として育った。
徒歩通学ができる距離なので、物思いに耽っているとあっという間に家に到着し、大西さんは門柱の間から敷地内に車を入れて、駐車する。
扉を開けて外に出たのでこちらも後に続いて思考を中断すると、敷地の外には黒服の男たちがウロウロしていることに、今さらながらに気がづいた。
「今は少し…いえ、かなり面倒な状況になっています。ですので勝手ながら、小坂井さんには警護を付けさせてもらいました」
「けっ…警護?」
何とも不穏な発言に冷や汗をかきながら、横目で家の周りを巡回している警護の人たちを観察する。
そして合鍵を差し込んで立て付けの悪い引き戸を開けた大西さんに続き、私も玄関の敷居をまたぐのだった。
取りあえず説明の前に何か食べたほうが良いということで、お昼に素麺をいただいた。
食事が済むと、食器を流し台に運んだ後は座って待つように言われたので、黙って座布団に腰を下ろす。
その間にエプロンを付けた大西さんが一つ一つを丁寧に洗い。終わったら居間のちゃぶ台に二人分のガラスのコップを並べて、冷蔵庫から持ってきた二リットルペットボトルの麦茶を注いでいく。
夏休みの間に、彼女は下宿先を引き払って我が家に引っ越した。今は共同生活をしているので、もはや勝手知ったるである。
それもこれも私の専属の仕事を少しでも効率的に行うためだ。
だがしかし、新学期が始まる頃には氾濫危険域のダンジョンはあらかた制覇したので、当分はわざわざ潜る必要はなく、普通の女子中学生として学業に専念して、大西さんは清水村役場の魔法科担当に戻る。…はずだった。
「小坂井彩花さんの機密情報が漏れました」
「あー…やっぱり?」
席についた大西さんがお茶を一口飲んで説明を始めるが、概ね予想通りだった。と言うか今日の状況を見る限り、それ以外の可能性はほぼなかった。
「漏洩させた犯人が言うには、創造主様が夢に出てきて、小坂井彩花ちゃんの輝かしい記録を公表しないのは、全世界の損失…と、力強く告げられたとのことです」
思わずガラスのコップを持つ手が震える。これはどう考えても犯人の口からでまかせで、犯罪を犯した罪を創造主様になすりつける策略である。…と、声を大にして叫びたい衝動に駆られる。
確か六十年前に人類に魔法を授けたり、地球の兵器を砂に変えたり、ラジオ局を通じてメッセージを伝えたりしたと聞いたが、それが何で今さら表に出てきがてら私なんかを推しているのか。
「さらに犯人は一人ではなく複数です。その誰もが今と同じ証言を繰り返しています」
「じっ…事前に打ち合わせをしたとか?」
もし夢のお告げが本当だとしたら六十年ぶりのおめでただが、正直大事件の中心人物にされた身としては、溜まったものではない。
「小坂井さんのことを知らなかった者も、創造主様に夢の中で教えられたらしいです」
大西さんが言うには昨晩創造主様は夢を使って私の情報を拡散させた。選定基準は完全にランダムだが、特定の時間帯に眠っている二人に一人という高確率であり、範囲は全世界という話だ。
やること成すことがあまりにも壮大過ぎて、私は病気でもないのに頭が痛くなってきた。
「さらに夏休み中のダンジョン攻略を、全十二時間の動画にまとめて、インターネットにアップしたようです」
「創造主様はどれだけ私を推してるの!?」
もはや頭を押さえて大声で叫ばずにはいられない。さらに大西さんがそれとは別に、二時間の番外編があることを告げられた。
それを聞いた私はとうとう耐えきれなくなり、ちゃぶ台に突っ伏してしまう。どうしてこうなったのかが完全に理解不能であり、遠い目をしながら遥か過去へと思いを馳せるのだった。
六十年前にはまだインターネットはなかったがラジオやテレビはあった。各局にダンジョン攻略QアンドAという謎のテープを配布し、下準備をしてから攻略できるように創造主様が取り計らっていた。
人類の科学技術が発展してインターネットを使えるようになると、最初期から創造主様の小窓というホームページが存在し、ダンジョン攻略QアンドAというフルカラー動画と、テレビ版とラジオ版が張られていた。
そのホームページは編集も削除、検索やアクセスを制限することもできず、現在に至るまで変わらずに存在し続けている。
そして西暦二千二十年、創造主様の小窓は六十年ぶりに更新され、ダンジョン攻略QアンドA以外にも、私がリアルRTAを行う動画が張られた。
ダンジョン攻略QアンドAは絵や文字で三十分にも満たない簡単な作りだった。
しかし私の攻略動画は、番外編も合わせて全十四時間の大長編だ。
さらに一体どうやって撮影したのか不明なカメラアングルも絶妙で、スカート丈のギリギリを維持して見えそうで見えない絶対領域や、迫力のあるカメラ演出等が際立ち、高度なVFXと潤沢な予算を余すことなく使用した、良質なアクション映画のようだった。
夏休み中に攻略した氾濫危険域のE、Dランクのダンジョンは石ころを拾いながら、最短ルートを最深部まで突き進むだけで済んだ。
だがC、Bランクのフロアボスはそうはいかず、魔法抵抗力が高いのか、自動追尾黒弾を受けてもなかなか倒れずに、果敢に向かってくるのだ。
そのためにフロアボスでは毎度大立ち回りをするハメになったのだが、メイドフォームはどれだけ動き回っても疲れないので、鬼ごっこを続けるだけなら私のほうが有利だ。
逃げ続ければいつかは敵が先に倒れるのだが、そこで悪戯心が顔を出した。
悪ノリとも言うが、ただボスの体力が尽きるまで自動追尾黒弾をペチペチと浴びせ続けるより、新魔法や新技の実験台や、その場の勢いでプロレス勝負をしてもらったのだ。
黒い大剣を手の平から生み出してすれ違いざまに一刀両断したり、黒い霧のような鎧をまとってガチンコで殴り合ったり、黒い翼を生やして飛翔して空中でドッグファイトをしたり、身体強化のみでノーガードで巨人と殴り合い、勝利後に屍の上でエイドリアーンと叫んだりと、フロアボスを相手にその場の勢いでやりたい放題させてもらったので、凄く楽しかった。
あの時は一人カラオケのノリだから色々できたのであり、こうなるとわかっていれば、我が家の庭のダンジョンにも潜らずに、お役所仕事に任せていた。
しかし創造主様が動画にして全世界に拡散してしまったため、密約のこともバレたが、あれは清水村役場に依頼の条件に関して交渉しただけで、夏休み中に向こうの指示に従う代わりに、ちょっと色を付けてもらったのだ。
動画の作成主も、彩花ちゃんと役場の人は何も悪くなく、公正な取引である。…と字幕で弁護してくれているので、外から突き上げをくらうことはなかった。
後ろ盾になってくれるのはありがたいが、かかる期待が半端ではないので、正直冷や汗ダラダラなのだった。
夏休み開けの初登校の次の日、降って湧いた休日に、居間でくつろぎながらスマートフォンで創造主様の小窓にアクセスするが、動画を閲覧するたびに精神的な古傷が傷んで頭を抱え、段々見るのも辛くなってきた。
それでもやっちまった現実は変わらないので、少しでも気分を変えようとスマホを消して、買い替えたばかりの薄型テレビをつける。
すると政府広報のニュースの真っ最中だった。
「昨晩、世界中の人々が同一の夢を見るという現象が起こり、これは今から六十年前…」
創造主様が作成した私の動画を、モザイク付きで背景に映しているニュース番組を無言で消す。
普通の報道でも一大事なのに、政府広報でも自分の話題を強調するのは、明らかに異常事態である。
そして話題の中心である自分にも、正直これから何が起こるかまるで想像がつかない。
「はぁ…何も起こらないといいけど」
「もう既に大事になっていますし、望みは薄そうですね」
お茶を一杯飲んで気持ちを落ち着かせようとしたが、手の震えも嫌な汗も止まらない。今日だけでもこれまでの人生で一番驚いたが、動揺しているだけでは駄目だ。創造主様が私に何をさせたいのか、まずはその目的を考える必要がある。
「大西さんは、創造主様の目的は何かわかる?」
「やはり、ダンジョン攻略をして欲しいのではないでしょうか?」
確かに私の活躍を余すことなく収録した、本編十二時間と番外編二時間の動画をネットにアップしたことから、ダンジョン攻略に本腰を入れて欲しいのは間違いない。
夏休みが終わったら中学生活が始まるので、しばらくのんびり過ごすつもりだったが、これは予定変更せざるを得ない。
「あとは単純に、小坂井さんの大ファンとか」
「あははっ、まさかそんなはずは…」
私はわざとらしく戯けてみたが、大西さんは真面目な表情でこちらをじっと見つめる。
何だか嫌な汗が止まらないので、百歩譲って推しの彩花ちゃん説もあり得るとして、問題はこれからどう動くかだ。
「小坂井さん、明日は中学校を休んでください。その間に行政府を通じて圧力をかけます」
「あうー…了解」
普通に歩くのも苦労するほど、大勢の人に囲まれて、質問責めにされるのは勘弁してもらいたい。
既にメイド服を着た幼女がダンジョンで無双する動画は世界中に拡散されてしまった。何処に逃げても無駄なら、通い慣れている地元の中学校に居たい。
「これからの送迎は私が担当しますから、一人では出歩かないでください」
「はぁ…それしかないよねぇ」
田舎なので余所者はすぐわかるが、怪しい人には近づかないに越したことはない。しかしこれまでの生活とは違いすぎて、頭がクラクラしてきた。
「そう言えば私は日本のトップランカーとか聞いたんだけど。何位なの?」
「小坂井さんのランクは、日本では五位。世界では九十八位ですね」
思った以上に高ランクで驚く。フロアボスの撃破と魔石や魔道具の売却、その他の貢献点が加算されることで、ランキングが変動するらしい。
ちなみに私の場合は、リアルRTAで最深部のボスを目指して突き進み、ポイントを荒稼ぎしていた。
それにしても、八月上旬から休みなく潜っていたが、かなりランクが上がったものだ。だからこそ創造主様に注目されたと言えるが、勝手に世界的な有名人にされた身としてはいい迷惑である。
「これからですが、小坂井さんはどうするつもりですか?」
「ダンジョン攻略を続けるよ。ここで止めたら天罰が落ちそうだし」
創造主様が彩花ちゃんを推すせいで、ダンジョン攻略を止めて普通の女の子に戻るという選択肢が消去され、続けるしかなくなった。
何しろ相手は世界中の兵器や核燃料を一瞬で砂に変えたり、全人類にメッセージを伝えるのを一瞬で行える、高次元の存在だ。
それに世界を守らせるために人類に魔法を与えたのだから、味方であるのは間違いない。ならば下手に逆らわずに大人しく従ったほうが、きっと良いことなのだろう。
だが職業選択の自由がなくなり、終身冒険者となってしまったのが、少しだけ寂しかった。
「まあ夏休みは終わったし、攻略ペースは落とすけどね」
そう言って私は大きく息を吐き、古びた天井をぼんやりと見つめる。何にせよこれからの予定は決まった。
できれば平穏な日常が良かったが、情勢がこうも大きく変わってしまったのなら仕方ない。
取りあえずは明日は降って湧いた休日だと考えて、悪ノリによる黒歴史が大々的暴露されたことは考えないことにして、家でふて寝してさっさと忘れようと気持ちを切り替えるのだった。