村役場に行きました
結論から言えば、五階より下はなかった。巨大なオーガを討伐した後、魔石と宝箱を回収して、転移の魔法陣に入った私は、そのまま外に出ることができた。
庭の片隅のダンジョンは今も変わらずそこにあるが、これでもう最深部のボスが出現することも、氾濫が起きることもなくなった。
設置された感知石の色は、白でも黒でもなく透明に変わっており、近くには最下層と繋がる魔法陣が薄っすらと光を放っていた。
無事の帰還を果たした私はメイドフォームを解除して家の中に上がり込み、当初の目的であった夏休みの自由研究を進めることに決めた。
我が家のダンジョン探索と魔物の生態、そしてフロアボスの巨大オーガの討伐のことを記載したが、第一印象以上の情報は得られなかったので、どうにも薄っぺらいものになってしまった。
とは言え、これで長期休みの宿題が片付いたので、めでたいことには変わりない。
今回家のダンジョンの探索は無事に終えたわけだが、他は一体どうなっているのだろうと、自由研究をまとめながら疑問に思った。
なばら善は急げと言うし、明日の朝一番で清水村役場で感知石と最深部まで踏破したことを報告して、家に帰らずにそのまま隣町に行って魔法科で魔石とアイテムの換金、そして都会のホットなダンジョン事情を聞きに行こうと、決意を新たにするのだった。
次の日、メイドフォームに変身した私は旅行用鞄を背負い、祖母に大型のキャリーケースをわざわざ借りて、朝一番に歩いて清水村の役所に向かう。
蝉の声がやかましい夏の炎天下だが、変身中は常に快適な湿度と気温に保たれているようで、羞恥心にさえ耐えられれば、頼もしいことこの上ない。
だがすれ違う人が皆驚いて、思わず振り向いて二度見する程に目立っているので、大変恥ずかしい。しかも通行人がスマホや携帯のカメラで、勝手にパシャパシャ撮っているのだ。
祖母がメイドフォームをあまり他人に見せないようにと、口を酸っぱくして私に言い聞かせていたのは、きっとこのせいだったのだ。
だが変身していれば疲労を感じずに重い荷物も軽々と持ち運べる。役所に寄った後に魔石やアイテムを売りに町へ向かうには、ずっとメイドフォームを維持する必要があるだろう。
魔物を倒しても全く成長しないひ弱な幼女体型が恨めしくなるが、毎日牛乳を飲んで柔軟体操もしているので、希望を捨てるにはまだ早いと自分に言い聞かせる。
日本はダンジョンの外では非常時以外の魔法の使用は禁止されているが、律儀に守っている人は少なく、日常生活で不便だと感じている場面を、魔法で補うことが多い。
なので私のことも見逃してくれるとありがたい。
徒歩で二十分かけてようやく役所に到着し、肉体は元気いっぱいだが精神的疲労を感じながらガラスの扉を開ける。
人口が少ないからか地元住民がまばらなフロアをキョロキョロしながら、利用者が少ないのか隅に追いやられている魔法科の窓口を見つけ、真っ直ぐ向かった。
「あら? 小坂井さん。どうかされましたか?」
今年で二十代後半に入った役所のマドンナこと大西さんが、私に気づいてにこやかに声をかけてくる。
薄く茶が混じる黒髪と少しキツめの顔つきで、バリバリ仕事ができるキャリアウーマンという感じだ。
清水村では魔法関連の案件は少なく、予算が不足しがちで停滞しているので年中暇らしく、彼女のように入って間もない新人が担当になるのも珍しくない…と、祖母が言っていた。
「ダンジョンを攻略したので、感知石を返却しに来ました」
「はい、承りました。では数日後に係の者が確認をしに行きますので、予定が決まり次第ご連絡させていただきますね」
私は頷いて了承すると、メイド服の内ポケットから透明色の感知石を取り出して、小さな手で握って魔法科のカウンターの上に乗せる。
「ダンジョンはEランクですが、最深部は何階でしたか?」
「五階で、フロアボスは巨大なオーガだったよ」
大西さんは真面目な顔で私から話を聞き、専用の書類に丁寧に記載していく。
その間に役所の別の人が、ガラスのコップに注がれたグレープジュースを出してくれたので、お礼を言って椅子に腰かけ、一服させてもらう。
「では次に、小坂井さんが依頼した冒険者のことを教えてくれませんか?」
「依頼はしてないよ。私一人で攻略したから」
「えっ?」
「えっ?」
魔法が使えて学校の訓練も終えているし、冒険者証も清水村の役所に発行してもらった。
なので自分が攻略しても大丈夫なはずなのだが、大西や周りで話を聞いていた人たちはとても驚いている。
「もしかして、ダンジョンに潜っちゃ駄目だったとか?」
「いっいえ! そんなことはありません!
小坂井さんは冒険者証を既に持っていますので、敷地内のダンジョンを探索するかしないかは、本人の自由です!」
法律違反ではないことに、ホッと胸を撫でおろす。
小学生は保護者同伴で探索を行うのは必須だが、中学生はできるだけ複数での探索が推奨されている。
その点が引っかかったのではないかと、実は内心少しだけ不安だったのだ。
「ただ小学…いえ、中学生がEランクとはいえダンジョンを制覇するのは珍しかったので、つい驚いてしまって…」
中学生の単独攻略は不可能ではないが、確かに言われてみれば珍しいかも知れない。
だが私の場合は達成感や感動はかなり、そこまで大それた事を成した自覚はない。メイドフォームが強力過ぎるため、魔石や宝箱を開けながらマッピングをしていたら、いつの間にか無傷で最深部のボスを倒していたのだ。
とにかくこれで報告は終わったので、これ以上清水村の役所に留まる必要はない。
「では後のことは、役所にお任せします」
「了解しました。ところで小坂井さんは、大荷物を持って何処かにお出かけですか?」
大西さんは書類への記載を続けながら、椅子からよいしょっと飛び降りた私を横目で見ながら、声をかけてくる。
「ええと、これから隣町の魔法科に、ダンジョン産の魔石とアイテムを売りに行くんです。
ついでに探索用の道具も揃えたいし、あとは下見とか色々…」
咄嗟に誤魔化せずに殆どそのまま答えしまう。一応清水村役場では魔法科の予算がカツカツだから、安く買い叩かれそうだとは言わなかったが、これ以上留まるとボロが出そうなので、大西さんと笑顔でお別れする。
「小坂井さん! ちょっ…ちょっと待ってください!」
旅行用鞄を背負った私に向かって、大西さんが突然立ち上がって大声を出すので驚いて振り向くと、何とも鼻息荒く興奮状態なのが伺える。
「もしかして、その鞄に入っているのは…!」
「うん、ダンジョン産の魔石と道具だよ。
私の小物も少しは含まれてるけど」
全て売りに出すためには、家にあった一番大きな旅行用鞄と大型のキャリーケースが必要になるほどだ。
魔石はボスドロップ以外は小石だったので、重量はともかく場所は取らないが、装備品とアイテムが問題なのだ。
宝箱から手に入った剣や槍、小手や具足等の装備品は、持ち運びに不便なことこの上ない。
今も鞄の口からはみ出ていたり、適当にロープで縛ってくくりつけてある。一応は見えないように布をかぶせているが、目立つことこの上ない。
「小坂井さん! それをうちの魔法科に卸してください!」
「嫌です」
物を売るなら少しでも高く買ってくれるところが良い。予算がカツカツで安値しか出せない清水村役場に卸すつもりはない。
大西さんもそのことがわかっているのか、少し待っていてください! …と告げて、すぐ近くで聞き耳を立てていた上司や、他の職員たちを集めて何やら相談を始める。
「小坂井さん、どうぞ」
「どっ…どうも」
何故か二杯目のグレープジュースが、空になったガラスのコップに注がれて、目の前のカウンターに静かに置かれた。
これは相談が終わるまで帰す気はなさそうだと溜息を吐き、仕方なく旅行用鞄を降ろして、高めの椅子にピョコンと飛び乗る。
そのままチビチビとジュースを飲んでいると、役所の職員だけでなく、外からも大勢の人が入ってくる。
ついでに私も会議室に案内され、本人そっちのけで熱い話し合いが続く。
私はと言えばダンジョンの戦利品を机の上に広げたり、時々トイレに行ったり、お昼に出された幕の内弁当を食べたり、スマートフォンを弄って暇つぶしをしていた。
何にせよ、今日は隣町に行くのは無理かな…と呟き、カーテンの向こうで夕暮れ模様に変わりつつある景色を、ぼんやりと眺めるのだった。
大会議室での話し合いは日が暮れる前に何とかまとまり、私は清水村役場の魔法科にダンジョンで入手した物品を卸すことになった。
隣町の相場よりは安いが、得られる特典が魅力的だったのだ。
1、ダンジョン攻略に必要な道具を優先的に、早く安く提供する。
2,地元のダンジョンの情報を受け取り、自由に探索できる。
3、買い取り価格はこれ以上安くせず、利益が出たらその分の値上げを行う。
4、小坂井彩花が清水村のダンジョンを攻略するのは機密事項であり、決して外部に漏らさない。
これらの契約を結び、私は地元の経済を活性化させるために、清水村のダンジョンを適時攻略していくこと承諾した。
四番目は、メイドフォームを見られるのが恥ずかしいのと、売れっ子ファッションモデルだった頃とは違い、今の祖母はあまり外に出たがらない。
なので私以外の余所者に、家の周りをウロウロされるのを嫌がるのが理由である。
とにかく話し合いは夕方には無事終わり、既に何度か打ち合わせをしたことのある大西さんが、私の担当となった。
彼女に役所の個室に案内されて、そこで今後の説明を受けるが、渡された書類に目を通すたびに、どうにも頭が痛くなってくる。
「…こんなにあるの?」
「はい、ダンジョンの発生地域には、人口が多い少ないは関係ありません。
おまけに清水村は、入場を管理する者と攻略する冒険者が足りませんので…」
大西さんから受け取ったダンジョンの分布図に目を通して、うんざりしてくる。うちはど田舎で人口が少ないが、山や田畑等の自然が多くて土地だけは無駄に広い。
隣の町と合併せずに清水村が独立できているのは、代々の地主がお金を持っているからなのだが、現在は資産を切り崩す形で何とか存続している有様だ。
「隣町に吸収合併させて、ダンジョン管理を一本化しようとする動きと。
清水村のみで攻略を行い、独立を保とうとする二大派閥が争っています」
「そんな情報は知りたくなかったなぁ」
私はまだ中学二年生なのに、大人のドロドロした派閥争いに引きずり込まれて、苦虫を噛み潰した表情で溜息を吐く。
祖母いわく、隣町と吸収合併したところで、得をするのは権力者の息がかかった役人だけで、清水村は弱者として搾取されるだけ…とのこと。
先程集められた人たちは皆地元出身であり、何とか独立を保とうと頑張っているらしい。
「それはとにかくとして、未攻略ダンジョンを優先して攻略していけばいいんだね」
「はい、攻略報酬はきちんとお支払いします。
それにダンジョンの数さえ減れば、あとは地元で管理を、…行えるといいですね」
会話の途中で露骨に視線をそらし、窓から夜の闇が広がる田園風景を眺める大西さんを見ていると、やはり田舎の人手不足は如何ともし難い問題らしい。
その時、個室の扉がノックされた。頼んでいた出前が届いたことが知らされて、私のお腹がくーっと鳴った。
「小坂井さんを家までは、私が車で送ります。
そして明日の朝に迎えに行きますから、よろしくお願いしますね」
「乗りかかった船だし、私も清水村の名が地図から消えるのは嫌ですしね。
一応協力はするけど、…あんまり期待しないでね」
私は明日攻略予定のダンジョンマップを片手に、扉の外からうどんの美味しそうな匂いを感じて、待ちきれずに自然に椅子から伸びた両足をブラブラ揺らす。
とにかく明日のことは明日考えればいい。今は天ぷらうどんで食欲を満たすことが最優先だと、そう心に決めたのであった。