日本への帰還
神々の神殿の探索描写を大幅にカットして、最深部である地下百階の光り輝く転移の魔法陣の前に、私たちは立っていた。
この辛く苦しい旅の大切な相棒である魔王と、真面目な顔をして向かい合う。
「本当にいいの? この先が地球だって保証は…」
「くどい。最初に決めた通り、妾はアヤカと共に行く。
そこがどんな世界であろうと、二人ならば寂しくはないじゃろう?」
最深部の大邪神はリザードマンをグロテスクにして、腕をたくさん生やした感じの超巨大怪獣だった。しかし開幕の超重力砲の一撃で、塵も残さずに消し飛ばした。
ラストバトルの興奮もなにもあったものではないが、とにかくこれで二度と氾濫は起きなくなった。
そんな平和になった異世界に残る選択もあったはずだ。だが魔王は私に付いて来ると言う。
これでもし、地球とは別の場所に飛ぶか、地上に戻るだけなら赤面ものだ。しかし何となくだが、それは絶対にないという予感がした。
「それを言うならアヤカは良いのか?
平和になったこの世界で、帰りを待っておる者もおるのじゃろう?」
「えっ? いやー…私は、何というか。ここで帰ったら、二度と外に出してもらえない気がして…」
年頃の女性に大人気な私は、各国の思惑以上にそっち系の人を惹きつけるようで、亡国の王女パメラや女暗殺者のお姉さん、お世話係のメイド衆を始めとする、アヤカちゃんとニャンニャンしたい派の勢力は増すばかりであった。
もしここで帰還でもしようものなら、これまで心配をかけた償いと称して、今後一生地下室のベッドから離れられない体にされる。
そこでは痛みや苦しみとは無縁な、永遠に終わることのない幸せに包まれ、きっと百合の花が咲き乱れる楽園なのだろう。
「妾には甘えてくるのだから、やはり好きなのではないか?」
「いやいや、それは魔王の近くが落ち着くからだよ。…でも、何でだろう?」
「そんなこと、妾が知るものか」
ダンジョン探索で休むときは、殆どと言っていいほど魔王にくっついていた。彼女は隙あらば私を押し倒したりしない。
なので普通に甘えられて、一緒に居ると心が安らぐのだ。
これはパメラやメイドたち、暗殺者のお姉さんとは違う何かを魔王が持っているためだろうが、最深部に到達しても安牌以外の理由はわからなかった。
だがまあ知らないと不味いこともないので、別にこのままで良いかと、私は光を放っている魔法陣に向き直る。
「それじゃ、行こうか」
「うむ、楽しみじゃのう」
この一年ですっかり薄汚れてしまった登山用のリュックサックを背負い直し、私たちは魔法陣の中心に向かう。
するとたちまち全身を眩い光に包まれて、美女と幼女の二人は予想通りに、この世界から忽然と姿を消したのだった。
光が収まって目を開けると、そこは自然に囲まれた何処かの森の奥だった。すぐ隣には魔王が居ることに安堵し、続いてキョロキョロと周囲を見回す。
「ふむ、失敗か。神々の神殿の外ではないが、どれもこれも見たことのある植物ばかりじゃのう」
彼女はそう言って溜息を吐いた。
言われた通り、確かに周囲の自然は北の果てではないが、異世界では珍しくはない植物ばかりだ。
しかし私の背後には、直径十メートルほどのとても深い穴が開いて、底がどうなっているのかまるでわからないのを見つけて、慌ててナビ子を呼び出す。
「ナビ子! 南鳥島は何処!?」
『前方、二百キロです』
ナビ子の返答を聞いて、私は思わず顔をほころばせて両手をグッと握る。
自分が地球で最後に訪れた謎の島の近くには、南鳥島があった。つまりここは私が攻略して異世界に飛ばされた、あのダンジョンに間違いない。
色々おかしな所があるが、何はともあれ地球に帰って来られたのは確かだ。
苦節一年、感極まって嬉しさのあまり両手を上げて、バンザーイ、バンザーイ…と何度も繰り返す。
そんな挙動不審な私を、魔王は水を差すのは無粋と判断したのか、少し離れた位置から微笑ましく見守るのだった。
地球に帰還してまず最初にしたのは、清水村の実家に帰ることだった。
あれからどのぐらいの時間が経過したかはわからないが、とにかく家族の顔を見て懐かしの我が家に帰りたかった。
だがナビ子に実家の検索をかけても、うんともすんとも言わない。仕方ないので最寄りの施設を片っ端から口に出しても無反応であり、この時点で背中に冷や汗をかき、何とも嫌な予感が頭を離れない。
とにかく何かが起きているのは確かであり、その原因を確かめるには日本を目指すのが手っ取り早いのだが、太平洋を闇雲に飛んだ所で迷子になるのがオチだ。
なので取りあえずナビ子に日本というアバウトな検索を頼りに、案内に従って魔王と二人で空を飛んで行くことに決める。
清水村に向かってもいいのだが、そこに行っても家族が誰も居ないかもと、私は二の足を踏んでいた。
「異世界の人に会ったらびっくりするかもだから、幻惑魔法で誤魔化してよ」
「容易いことだ」
魔王の速さに合わせてゆっくり空を飛んでいると、彼女のヤギの角が消えて赤色の髪と瞳が、私と同色に変化する。
「アヤカを参考にしてみたが、どうじゃ?」
「羽も後で消せるだろうし、何処から見ても日本人だね
ちょっとスタイル抜群過ぎて、そこだけが不自然だけど」
二十代の妖艶な日本人女性に化けた魔王と一緒に空を飛び、やがて遠くに本土が見えてきた。
やはり異世界人には東京の町並みが珍しいのか、隣の美女が大いに驚く。
「おおっ! 何じゃあの赤い塔は! 高いのう!」
「東京タワーだよ。私も東京観光で昔登っ……あれ?」
確かに東京の町にそびえ立つ赤い塔は目立つ。だがそれより先に、無数のビル群と大勢の人や車、大型タンカーや貨物が行き交う港、駅や列車等の様々な物が目を引くはずだ。
しかしそれらは数が少なく、小さな電車が路上を走ったり、全体的に古臭い物ばかりが建ち並んでいる。
「何だか昭和のドラマみたい」
「あれがアヤカが言っておった車か! なるほど、確かに速いのう!」
魔王が注目する車もあちこちに走っているが、全体的にゴツゴツとした四角いフォルムであり、現代のように流動的な感じではない。
まるで昭和にタイムスリップしたかのような東京に私は呆然として、とにかく現状を把握しようと震える声で隣の美女に指示を出す。
「魔王、取りあえず目立たない場所に降りて、目立たず慎重に情報収集するよ。
ここは私の知っている地球とは、ちょっと違うみたいだからね」
「うむ、了解じゃ」
貴重品が入っているのでなるべく持ち歩きたいが、体格的に不釣り合いな登山用のリュックサックはとても目立つので、魔王に頼んで魔法で収納してもらった。
その後、人の少ない場所を探して、光の屈折を操作して私たちの姿を隠す。ただしメイドフォームは通常の魔法を無効化するので、幼女を美女がギュッと抱き締め、柔らかな体ですっぽりと包み込んで隠蔽する必要がある。
他にも色々やりようはあるが、これがもっとも手っ取り早いと彼女が希望するので、仕方ないかと受け入れ、私は胸囲の格差社会を嘆くのだった。
東京の町に降り立った私と魔王は、まずは裏通りで簡単に体を洗い、最低限の身だしなみを整える。
その後、情報を集めるために歩き回るが、まず日本語で話していても微妙に通じない。そして日本円の価値が現在と違うので、念の為に所持していた通貨は、使用不能であった。
ついでに服装と容姿が周囲と違い過ぎるのか目立ってしまった。
何しろ片方は可愛い系の極みのメイド幼女で、もう片方は儀礼服を着たお色気ムンムンの妖艶な美女だ。
すぐに何処からともなくカメラマンが大勢集まってきて、路上で行き交う人々の視線を集めながら、撮影会が開かれることになった。
「ふーん、今は西暦千九百六十年なの」
「そうそう、世界中にダンジョンと魔法使いが現れて、もう大混乱でね。
あっ、彩花ちゃん、目線はこっちでお願い」
人が集まったおかげで情報収集が捗るのはいいが、ポーズの要求が細かいので、なかなかに気疲れする。
ちなみにだが、魔王は日本名として小坂井真央で私は本名のままだ。二人はとある田舎から東京観光に出て来た姉妹という設定である。
もしここが現代の地球ならば、名前が世界中に知られているので、隠さず名乗ったほうが状況の把握がしやすいと思った。
だがここは自分が知っている時代よりも六十年ほど昔だと教えられ、ただの一般人になった私の名前は、何の効力も持たなくなった。
「それで、ダンジョン探索はどの程度進んでるの?」
「そんなもの、何処も完全封鎖よ。銃火器が通じない魔物と、どう戦えって言うのよ」
私は女性カメラマンの返答に驚く。まさか地球の銃火器がまだ残っているとは思わなかったが、それで魔物と戦うのは無謀にも程がある。
ダンジョン産の装備か魔法使いでないと、奴らには傷一つ与えられないのだ。
「えっ? いや…それはもちろん、魔法で…」
「魔法使いは貴重だし、新エネルギーは国のために使うべきでしょ?
無駄死になんてさせられないわよ」
その言葉を聞いて私は口を閉じる。何だか私の知る現代の地球と違いすぎる。
犠牲者を出すことを嫌った日本政府はダンジョンを全面封鎖して、唯一の対抗手段である魔法使いの行動まで制限している。
世界各国がこれでは、いつ地球全土で氾濫が起きてもおかしくなく。はっきり言って、人類は詰み一歩手前である。
「今は調査団を派遣して戦闘を避けながら一階層を調べてるし、そのうち何かわかるでしょ」
悠長に構えている暇はないと思うが、私が口を出したところで幼女の戯言と受け取られる。さらには何の意味もないどころか、国家反逆罪でお縄になる可能性すらある。
もうこの際例の島に戻ってダンジョン最深部を目指し、異世界転移ガチャを回したほうが良い気がする。
しかしここも一応地球なので、目前まで迫った危機を放置して逃げ出すのも躊躇われる。
「彩花、そろそろ行くぞ」
「あっ、うん。わかったよ。真央」
魔王の翻訳魔法を使うことによって、周囲の人には母国語に聞こえる。
異世界語を頑張って覚えた私の苦労は何だったのか。詠唱魔法の天才はこれだからと、思わずジト目になる。
自分の個性魔法は魔物との戦闘特化なので、幅広くカバーしている彼女は本当に羨ましい。
さらに隣の美女は撮影を許可する代わりに日本円を要求したので、しばらく生活には困らないぐらいの現地のお金が手に入った。
一言お礼を言ってからカメラマンの人たちとお別れして、幼女と美女の二人は東京の町中を適当にぶらつく。
露天でウィンドウショッピングしたり、適当な店に入って料理を注文後に一喜一憂する姿は、東京観光に来た仲のいい姉妹にしか見えない。
それでも仕立ての良い異国の服装と整った容姿が人目を引き、離さない。
とある民宿を仮拠点にして一週間ほど情報を集めた頃には、東京浅草の美人姉妹という特集記事が、有名なファッション雑誌に掲載されるほどの大人気モデルとなっていたのだった。