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神道神秘主義 あるいは 日本的オカルティズムの世界、太古、日本は世界の支配者だった??改訂版2019、5、23

作者: 舜風人

明治維新という大変革はまた、日本宗教界の大変革でもあった。


ご存じのように明治政府は

天皇の求心力で近代国家の統一と発展を成し遂げようとして

国家神道による、天皇の神格化を急速化させたのである。

天皇家にかかわる「国家神道」とそれ以外の数多の既存の神道の分別化を図ったのである、

国家神道の「礼典」化?を図り、今までの神社神道とは一線を画したという路線が取られたのである。

いわゆるそこらにいくらでもあるような「神社神道」とは違うという選別化を進行したのである。


ましてや今までの歴代の天皇が仏教に心酔し、国家鎮護を仏教に託しただのという忌まわしい?歴史は封印したかったのである。皇国のすめらみことが仏教に鎮護国家を依拠?していた?などということはまさに「皇国史観」に反することだったからである。


かくして皆様ご存じのように具体策としては


「神仏分離」と「廃仏毀釈」が強力に推進されることとなった。


それまで日本の「仏教界」ひいては日本の寺院は

「寺受け制度」という幕府の保証?のもと宗教界に確固たる礎を確立していた。

もちろん江戸期の天皇も仏教の保護者?だった?


それは同時に日本の切支丹化?防止のためでもあったのだ、

切支丹は江戸期厳重に禁止されていた。

それは「島原の乱」という幕府への敵対行為。

もっと言えば、国家転覆計画の内乱への苦い経験が元だったのである。


振り返れば、、、



織田信長は切支丹に対して融和策を取り、、、内心はともかく?

表面づらは

伴天連(布教師)や南蛮寺(教会)を、許由していた。

彼は西洋の進んだ文明利器に魅されたからである。

もちろん信長も日本国が切支丹化すればよい?などとこれっぽちも思ってはいなかったのは確かであるが。


信長という人は、それまで仏教界からひどい目にあっていたからその意趣返し?という意味でも

切支丹を優遇する、そぶりを見せた?ともいえるであろう。

だが、、もちろん、、彼本人は決して切支丹、伴天連に気を許してはいなかったのである。


その次の秀吉になると、彼はインドや東南アジアで西洋国が未開国を奴隷化して収奪しているという情報を聞きつけて、それが彼の「伴天連追放令」につながったと言われている。


事実、、西洋諸国家は、まずキリスト教の布教師(伴天連)をこれらの未開国に派遣して現地住民に「愛と平和」を説いて安心させて?同時に現地情報をこれらの布教師が本国に送って植民の侵略の基礎知識にしたという恐ろしい事実があるわけです。


なんのことはない。


これらのキリスト教の布教師(伴天連)は、ていのいい植民地化への現地偵察隊、、要するに、キリスト教の仮面をかぶった「スパイ」だったのです。


その事実を知ったからこそ秀吉はキリスト教を徹底的に弾圧したのである。

もしそうしなかったら日本は西洋国の植民地になってしまっていたであろう。

その後の西洋国の植民地化を見ればこの秀吉の予見は大正解だったのである、

英領インドしかり

蘭領インドネシアしかり

ポルトガル領フィリピンしかり

フランス領ベトナムしかり


日本史においては、秀吉は、キリスト教を弾圧した極悪人というレッテルが今の日本では張られているわけですが、、

当時の切支丹の布教師(伴天連)たちは、こういう派遣国の植民地化への先遣隊『スパイ』だったという事実も忘れてはいけないでしょうね。


ほっとけば、やがて蔓延した切支丹は、スパイである伴天連の扇動のもと日本乗っ取りをたくらんだことは明白でしょう。仏教寺院を焼き払い、僧侶を皆殺しにしたでしょう。

神社もみんな焼き討ちです、

なぜ?

だってキリスト教だけが正しいんですよ。

仏教も、神社もそんなものは「邪教」でしかないからです。、

邪教は悪魔であり。悪魔宗教は抹殺しても何ら差し支えないからです。

むしろ、、それこそが、「神の正義」だからです。キリスト教国における異端裁判や宗教戦争、

魔女裁判、などの歴史を見れば。それは明々白々なのです。


事実この辺の経過は伴天連が送った、厖大な報告書がこれらの事実を証明している通りです。


さて本題に戻ります。


明治維新は、ぬるま湯につかっていた仏教界を徹底的に破壊しました、

またそれまでの、いわゆる「神仏混交」だった寺院や神社はどちらかにハッキリト区別されました。

たとえば、、修験道などはまさに神仏混交の典型ですが

その祈願寺は神社でもあり寺院でもあったわけです。

そう言うところは結局、神社として生き残ってゆくことになりますが。

こういう山岳信仰、修験道の神社で今現在そこに行くと

「五重塔」があったり『鐘撞堂』が残存したりしている光景が見受けられるのは、そういう

歴史があったからなのです。


さてこうして一見神社神道が明治以降優遇されてゆく?という流れに見えますが

ところが明治政府がもくろんだのはあくまでも天皇の神格化の確立という一点だけですから

いわゆるそれまでの「神道」という曖昧模糊としたいわば「カーオス」の部分については

許容しなかったのです。

つまりそこらの神社神道などは「雑草」みたいなものでしかなく

「国家神道」だけが国家の礼典であり、正義だという主張です。


つまり、例えば、、とある神社神道が、、天皇家よりも古い神の系統を持っている、、などと主張したらそういうものは即、弾圧して抹殺です。

そもそも神道は自然発生的な自然宗教ですから

古事記以前の伝承や古事記以外の神々の伝承を伝える神道の系統などはいくらでもあるわけです。

デモ?そんなものがあったら天皇の権威はどうなりますか?

というわけで

天皇家の国家神道以外は徹底的に弾圧されたというわけです。


そもそも日本固有の民族宗教である「神道」は祖先崇拝とか、自然宗教が基本であって、


鎮魂

帰神

かんながらの道

八百万の神


が本筋です、


ですから神道には「神道神学」?とか「神道哲学」?なんてそんなものはありえないのです。


ところが明治政府はそこ(神道)に天皇の神格化の根拠を求めたわけですから

勢い神道の厳密化と教理化が推進されたのです。

国家神道だけが正しく、、それ以外の神社神道が、、例えば独自の

神道説や神道観などを述べたら即弾圧です。あるいは古事記の新解釈などを述べることなどタブーだったのです。


そしてこういう道筋に合わないようないわゆる神道の諸派。。

つまり異端派?は切り捨てられたのです。


そういう大きい流れの中でこうして切り捨てられた?神道系の諸派から

生まれてきたのがいわゆる明治以降の「神道神秘主義」という流れなのです。


以下代表的な諸派・神道家について紹介・概説しようというわけですが

これらの神道系の諸派・神道家は天皇以上の神々を祭ったために戦前は徹底的に弾圧されたのです。


代表的な人物としては以下のような人がいます。

彼ら以外にも錚々たる「神道家」や「異端派神道」?がいっぱいいるわけですが

今回はとりあえず、以下の人物に絞ってみました、


が、、それでも彼らの全てを語りつくせるものではないのです。


ということで、、ほんのサワリだけですので、ご承知おきくださいませ」






〇 大石凝 真素美 オオイシゴリ マスミ


幕末、高野山や比叡山で学ぶ。のち、、本当の「神道」を求めて諸国を遍歴する。

その結果、独自の「言霊学」を提唱するようになる。

幕末の動乱に際しては「大神人」こそが日本を救済できるとしてその探索の旅に出る。

明治三年神仏分離令が発動されるや旧神道の全廃をアジり、逮捕される。

その後古事記の研究に没頭し、独自の「神道宇宙論」を展開するに至る。

その結果、伊勢神宮の炎上を予言し、それが的中して犯人として逮捕される(もちろん無実である)

後には神道と密教の融合を説き、末世の救済者はミロクであると説き

ミロクは日本国に化生されると予言する「ミロクメシア信仰論」を主張した。


参照 http://songoku.shenron.jp/Memo/Doc/Memo035.pdf



〇山本秀道


修験の家に生まれる。独自の修業で神道霊学を極めて、そこに密教の加持祈祷を取り入れ。

精神病治療所を開設する。その治療法はまさに「狂人、狂人を治す」と称されたそうです。

その治療所に、大石凝真素美が弟子として一時期勤めていました。








〇宮地 水位 ミヤジ スイイ


神官の家に生まれる。彼は独自の研鑽・修行に寄り、この現実世界のほかに「天狗界」「海神界」「神仙界」「仏仙界」「山人界」などの異界が存在することを突き止め、そこに自由に行き来できるようになったと主張した。そこで彼はあらゆる世界の奥義を極めたのである(と主張した)

まあ今の言葉でいえば「幻視者」ヴィジョン・ビューアー vision viewerである。

ただし彼はこうしたビジョンについて、秘したため。ほとんどは闇の中である。


参照   http://www.nihonkogaku.com/content/report.cgi?co=316







〇川面 凡児 カワツラ ボンジ


独自の神道霊学の確立者であるが一般的には「禊行」の発案者としてしか知られていない。

今現在あたかも神道の行の典型のように行われている「ミソギ」であるが。これはカワツラボンジの発明であってそれ以前にはこんな行法は行われていなかったのである。


さて彼の神道霊学とは、、山岳修行によって神仙界とコンタクトした彼は本当の神道とは

神代史以前の古神道こそが本物であると主張した。


霊魂は高次世界からの化生であり、階層的に、吸収→、集合→。合一という運動性を繰り返す、と説いた。

さらにその運動は、生きる 足る,留まるの階層的運動を経て

霊  魂  霊魂、と発展し

究極的には宇宙霊魂への合一すると考えた。


この辺りの、正。反。合の論理はなんだか?ヘーゲルの弁証法にも似ているが彼、凡児がヘーゲルを読んだという証拠はない。最後は「絶対精神」?というのもヘーゲルそっくりですよね?


彼の神道行法は、知識界の解放と、意識変容 (メタムルフォ-ゼス)だったと思われるのだが。

最終的には「アメノナカノミナカヌシ」との合体。合一が意識界の究極の到達点とされた。


こうした彼の見解は、明らかに当時の「国家神道」に敵対?するものであったのだがあまりにも難解であったために当局もその全貌が分からずに、、結局、、ただの「みそぎ行」の発案者程度の理解しかなかったために迫害されることもなかったのである。


参照   https://nagomi28.net/bonji/index.html





〇 中山みき


天理教の開祖である。農家の嫁であったみきにある日、神の霊言が降臨した。

その神は「ようきぐらし」「世界は一列」を啓示して、それ以後「お筆先」を、みき、に下すようになる

その神は記紀以前の「太古神」であり、天皇は、新参者と断じて太古神の復活を唱導したために、

天皇家を最高とする国家神道ともろにぶつかる内容だったために

みきは拘禁12回に及んだが信仰を捨てなかった。

この天皇家以前のもっと古い「太古神」というテーゼはその後の大本教の発生の糸口となった。


参照

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/rironco/ofudesakico/ofudesakico.htm








〇 出口王仁三郎

彼は日本霊学界の大巨人です。

古代神の復活を大胆に提唱して、大本教を始めました。

おおもとの神こそが日本国の正当な本当の神であるとして

それまでの国家神道を廃止して、大本教を国教にせよと政府に迫った。

さらに記紀神話を大胆に書き換えて、アマテラス(天皇家)の正当性を否定した。

これだけでも相当過激なわけで大本教は大弾圧を受けることとなります。

さらに王仁三郎は彼に下った霊言お筆先をかき集めて、膨大な「霊界物語」を執筆しています。


参照 https://reikaimonogatari.net/







〇 竹内巨麿 タケウチキヨマロ


古史古伝である「竹内文献」で知られている古神道の天津教の教祖である。

この神代史の奇書「竹内文書」は記紀よりも古い日本に神話時代を語りつくしており戦前は弾圧されました。何しろ伊勢神宮よりも古いのですから天皇家よりも古いのです。

これは相当過激な内容ですね。

正に古事記以前の書であり、この神代史は神武天皇よりもさか上ること72代の天皇?について記述されているのです。

竹内文書によれば、、、

超古代、日本の王は、「天の浮舟」に載って世界を巡航して支配していたという、

日本が世界の支配者だったのです??


参照   

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/jyokodaico/takeuthibunkenco/takeuthibunkenco.htm






〇荒深道斎


昭和2年彼に突然、神が降臨する。その神はイワイヌシと名乗り、数々の霊言を伝たえた。

それによると世界は、万物の造化力によってなり、

人間は下り魂と上り魂の相互作用で生まれ、光の玉となって顕現するのである。

人類の発祥は天孫降臨神話に求め、太古日本は世界の中心だったと幻視するのである。


参照   https://michihiraki.web.fc2.com/






〇岡本天明


神がかりとなって自動書記された霊言「日月神示」によって知られています。

昭和19年敗色濃厚の日本、、天明に神が降臨した。

手が勝手に動き何やら数字を紙に書き出した。

それを解読すると、それは日月の神の神示だった。

この霊言は出口ナオの「お筆先」の継承だと天明は言う。

神示は、日本の敗戦やその後の復興の予言

さらに戦後では。日本とユダヤの協力による世界平和まで予言している。


参照 http://heiwatori.com/







〇 友清歓真

大本教に入信するも、のち、離脱。大正8年,[鎮魂帰神の原理と応用」を発表する、

これは神道霊学の古典とされて今も影響力がある。

戦中には「霊的国防」を唱えて行法も行っている、

さらには神道霊学を極めて秘教エソテリズムとしての秘密結社活動も行っているが

詳細はここでは述べられない。


参照  https://blogs.yahoo.co.jp/yyyyyokada/31127316.html




以上のような有名人?のほかにも無名の「祈祷師」「神女」「巫女」「御師」「霊能者」など

が日本各地に存在していたのです。



ですがもちろん彼らは埋もれてしまって今やだれも知りません。

そんな中何とか名前が残っているものもいます。


御船千鶴子

長南年恵

前橋神女

などです。


御船千鶴子

長南年恵

この二人はウイキペディアにも出てますのでそちらでお調べください。

ここでは書きません。


前橋神女  については全く無名?ですのでここで少しだけ書いておきます

というか以下引用になります


『<前橋神女  富士の女神に授かった奇しき神事の数々>』


<童女に与えられる不思議>


・明治維新後に13歳の童女が神憑りとなり、神界の神々と親しく交渉した記録がある。上野国群馬郡前橋の藩士富田政清の長女鎧がいが、はじめて神憑った明治3(1870)年10月6日から翌年11月30日までの神との直接的な関係を、父清政が日記の形式でつづったものである。」


こちらを参照くださいませ。↓

https://blog.goo.ne.jp/karasusan_001/e/7e4155fa8fc70be4e67616868b37b314






後書き


以上の異端の古神道家についてもっと、詳しく知りたい方はご自分でネット検索等でお調べくださいませ。











参考文献(手に入れやすいものとしては、、)


エソテリカ 古神道の本

 〃    神道の本

      道教の本

      神仙道の本

      道教の本

      神道行法の本

      修験道の本 

      呪術の本

      陰陽道の本

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