プロローグ-1
主人公とヒロインの登場です。
転移するまではあと2話ほどお待ち下さい…!(土下座)
「またお越しくださいませ」
閉店間際に駆け込んだというのに、嫌な顔ひとつ見せること無く終始笑顔で対応を行ってくれた店員さんの挨拶を背に受けながら、俺は緊張した足取りのまま自動ドアをくぐる。
これで男、大河内純也が入手を急いでいた正に『決戦装備』とも呼べる最後のピースが手に入った。
よもや、一人で決意を胸に宝飾店に足を運ぶ事がここまで緊張するモノだとは思ってもいなかった。
普段ならば確実に鬱陶しく感じるであろう入店した瞬間から背後に張り付く店員さんも、一世一代の大勝負を前にしてはまるで遭難した雪山で偶然見付けた人里の灯りがごとく輝いて見えるとは恐れ入った。
いつもより気持ち早足になっているのは、緊張で心臓が痛いほどに高鳴っていることとは決して無関係ではないのだろう。
いつ、彼女に打ち明けよう。
やっぱり、いつも通り玄関に迎えに来てくれるであろう彼女に、不意討ち的に伝えるのが良いだろうか。
いや、今日の仕事はいつもより忙しかったため汗臭い体のままはまずいか?ならば、風呂上がりなんてどうだろう?
頭のなかでそんなシチュエーションを忙しく模索する。
しかし、頭の中でせわしない考えを巡らせながらも安全確認はおこたらない。
何せ、ゴールである自宅兼本日の大勝負の舞台となるマンションの敷地に入る直前には、割りと大きめの交差点があるのだ。
考え事をしていて車に轢かれましたなんて事があれば、確実に地縛霊と変わる自信があるし、何より彼女が後を追って身投げしかねない。
ゆえに、早足かつ思考をフル回転させながらも、絶対に危機管理だけは怠ってなるものかと目も爛々と輝かせている。
……客観的に見ると、俺の様子はどうだろう。
早足で、あちらこちらに落ち着き無く視線をさまよわせる人混みから頭ひとつ飛び出た大男。
……ここに国家権力に所属するお歴々がいれば、すぐさま上着に隠されたARデバイスに指を滑らせて笑顔で近付いてくること請け合いである。
しかも間の悪いことに。昨今世間をときめかせている連続放火魔が、俺の自宅がある地区を最後に足取りをくらませたなどと、今朝出勤前に見たニュースで報じられていたのだ。
十数年前と比べて、5メートル間隔で街中に張り巡らされた監視カメラを掻い潜って逃げおおせているらしい犯人を未だ捕まえることができないのは警察組織の怠慢であるとか何とか『ゆーしきしゃさま』が賢しげに宣っていたのが五月蝿くて途中から聞き流していたなあ…と、別のことを考えたために思考が明後日の方向に流れていくのを自覚しながらも、俺は立ち止まった。
急いで帰らねばならないというのに、何とままならないことか!
……などと、心の中で叫んではみるものの、明らかに悪いのは今の自分だ。
ふぅーっと逸る心を落ち着かせるべく息を吐く。
大丈夫。大丈夫だ。
職場で急なクライアントからの仕様変更を告げられたとしても、いつだって心の中(主に帰宅が遅れるという理由)でありったけの罵詈雑言を吐きながら、表面上はクールに振る舞えるだけの胆力を俺は持っているはずだ。
「ちょっと、よろしいですか~?」
……嗚呼、やっぱりだめだったよ。
◇
結局、話し掛けてきた親切なお兄さんとナイスミドルなお二人と共に道端で奇異の視線にさらされること十五分弱。
懇切丁寧にプレゼンテーションを行い、最終的に本日の『でんせつのつるぎ』を見せたことで疑いは晴れた。
ナイスミドルからはさもありなんと苦笑され、親切なお兄さんからはサムズアップと「ご武運を!」と笑顔と励ましをいただきながら、自宅マンションまでパンダカラーの素敵なタクシーで送って貰えた次第。
……少々想定外の事があったが、切り替えねばなるまい。
何故なら、これからが大勝負のクライマックスなのだから。
オートロックの自動ドアにARデバイスをかざして、エレベーターホールへと踏み入る。
たまたまスタンバイしていたエレベーターへと体を滑り込ませて、震える指で『8』と刻印されたボタンを押せば静かなモーター音を響かせながらそれは俺を運んでいく。
さて、これに乗り込んだが最後。俺から『にげる』コマンドは失われる。
元より逃げることなど毛頭考えてなどいないが、そう思うとエレベーターの速度が嫌に遅く感じられた。
大丈夫。ここは2000年代なホラーゲームでも安全地帯だったじゃないか。続編でストレスによる頭髪後退を起こしていた主人公さんの癒しポイントだ。
そんな四方山事を考えていたのがいけなかったのだろう。
俺は、癒しポイントさんを降りた瞬間に目に飛び込んできた光景に、一瞬息をすることを忘れてしまった。
「お帰り。たっちゃん遅かったから、迎えに来ちゃった」
――そこには、天使がたたずんでいた。
上質なシルクのように艶やかな輝きを湛えた肩口まで伸ばした黒髪。こちらを上目使いに覗き込むのは、長いまつげに縁取られた磨きあげられたオニキスがごとく輝きを宿した、ちょっとつり目がちな瞳。
その上にあるちょっと持ち上がった愛らしい眉。
すっと美しく通った鼻梁の先は、外気が寒かったからか、少しだけ赤くなっている。
薄く歓喜の笑みをたたえた薄桃色の形のよい唇。
控えめに言って奇跡的なバランスでそれらが両手ですっぽりと隠してしまえそうな、小さな顔に配置されている様は、かのモナ・リザですら裸足で逃げ出すと俺は確信している。
完全にフリーズした俺を不思議に思ったのか、彼女が顔を近付けようとぐっと身を乗り出せば、その細い体に似合わず立派な二つの膨らみが強調され、思わず拝んでしまいそうだ。
「たっちゃん?」
「あ、ああ。ただいま、くぅちゃん。」
……完全に彼女から発せられた神々しさに魂が召されかけていた。
5年も一緒に暮らしているというのに、今日この日は、まるで出会ったあの日のように彼女が輝いて見え、息をするのさえ忘れてしまった。
いやいや、決戦の場に入った瞬間にラスボスと遭遇かましたら誰だってそうなるだろう、うん。
誰に向けたかわからない言い訳を心の中でしていると、そんな事情を知らない彼女はにへらと相好を崩す。
「寒かったでしょ?今日はお鍋だから、早く帰ろ」
そう言ってくるりと背を向けて、機嫌良さげな足取りで二人の家へと彼女は歩き出す。
そんな彼女の後ろ姿を見つめながら、ゆっくりと止めっぱなしになっていたエレベーターから決意を胸に足を踏み出す。
……今日俺は5年続いた愛しい彼女―『楠きらら』との関係に終止符を打ち、新しい関係へとステップアップするのだと。
◇
夕飯として彼女の用意していた鱈の寄せ鍋は、控えめに表現して絶品であった。
なんだ?完璧じゃないか、俺の愛する人は。
自動調理機が全盛期となり、今や手料理という文化が廃れつつあるというのに、毎日毎日仕事から帰った俺を手料理で労ってくれる彼女に頭が下がる。
鼻唄を歌いながら食洗機に食器をセットしていく彼女の後ろ姿を眺めながら、いったい俺のどこが良いのだろうと考える。
正直に言って、顔は十人並み。特徴と言えば2メートル近い上背ぐらいのもの。
給料こそ役職手当てやらなんやらで人より多くもらっているが、彼女が押し掛けてきた当初はそこまでじゃなくて、突然の二人暮らしで色々と苦労もかけた。
ならば実家はと言えば、俺はあいにく天涯孤独であり、俺の師範でもある男性夫婦の運営している養護施設育ちである。
考えていて悲しくなってくるが、俺に惚れる要素が見当たらない。
ましてや、彼女は『絶世の』と頭につけてもなんら不思議がないほどの美人である。
確かに、育ってきた環境ゆえ表情の変化がどこか薄い印象のと、少しばかり特殊な事情こそあれ、黙っていても男がダース単位でアタックを掛けてくること間違いない。
それでも、彼女は数多ある選択肢の中から俺を選んでくれたのだ。
でかいだけの凡庸な男ではあるが、その奇跡とも思える共同生活の中で彼女が与えてくれる愛に対し、同じだけの物を返してきた自負もある。
食洗機の操作を終えた彼女が、ゆっくりと対面の椅子に腰かける。
勘の良い彼女のことだ。恐らく、俺が何か言おうとしている事に気付いてはいるだろう。
それでも何も言わずにこちらへ微笑みを向けてくるだけなのは、自惚れでなければ俺から切り出すことを待ってくれているのではなかろうか。
心臓が高鳴る。指が震えそうだ。
ただ、用意した物を取り出して。それで彼女に伝えれば良い。言葉にすれば、それだけなのに。
(受け入れてくれるだろうか)
ここ数週間何度も繰り返した自問自答が頭の中を駆け巡る。
不安がないと言えば、嘘になる。
お互いに確かな愛情でもって繋がっていることを自覚していても、本当は独りよがりな錯覚だったのではないかという不安が心をよぎる。
それでも。
それでも、伝えねばなるまい。
意を決した俺は、乾いた唇を軽く舐めて湿らして口を開いた。
「……今日が何の日か、覚えてる?」
そんな、一緒に住むようになってからは毎年。いつもは彼女から掛けられる言葉を俺が言うと、にこりと微笑んで彼女は頷いた。
「うん。あの日、あの公園で二人が出会った日。
あなたが、わたしを見つけてくれた大切な日。」
はにかみながら、彼女が言う。
そう、8年前のあの日。俺は旅先の街の片隅にある公園で彼女をたまたま見かけた。
未だに、あの日の光景は鮮明に思い出せる。
ろくに街灯もない夜の公園で、月明かりに照らされたたずんでいた彼女を見て、冗談抜きで天使が舞い降りた瞬間ではないかと思った。
そして、気付いた時には手にしたカメラのシャッターを切っていた。
『不躾な人ですね』
突然撮影されたと言うのに、ため息混じりに淡々と告げられた言葉は、今でも鮮明に耳に焼き付いている。
お詫びにと、彼女に缶ジュースを渡して夜通し二人で語らって、お互い妙に馬があったため連絡先だけ交換して別れた。
今思えば、よく警察に通報されなかったものだと苦笑した。
「そして、くぅちゃんを迎えに行った日でもある」
「……その節はお世話をお掛けしました」
出会いから三年。春先に入社した会社の業務にやっと慣れてきた日に、突然警察から会社に電話がかかってきた。
何でも、身元引き受け人に俺を指定した女性を保護しているので確認してほしいと。
警察からの呼び出しとあって、タクシーを乗り継ぎながら超特急で向かった先で、俺は彼女と再開を果たした。
久しぶりに出会った彼女は、本当に美しい女性へと成長していた。
「たっちゃんと、一緒に暮らすようになった日でもあるね」
「だな」
突然始まった顔見知り程度の女性との二人暮らし。
何度も喧嘩して、何度もお互いに謝りながら始まったはずなのに、気付いた時には彼女を愛していたのだから、不思議なものだ。
「もう、5年。長いようで、短いような年月だな」
「……だね」
告白したのが、同居してから一年後。同じ部屋で寝るようになるまで更に一年。お互い初めてだから色んな事を手探りでやってきて、たくさんの時間を一緒に積み重ねてきた。
「そろそろ、区切りが良いと思う」
「……っ」
彼女が、息を飲む。不安からだろうか?それとも、期待だろうか。じっとこちらを見つめてくる彼女の瞳は、少しだけ濡れているように見えた。
俺は、何も言わずに彼女の左手をとる。
緊張したように、一瞬彼女はぴくりと手を震わせたが、されるがままに手を差し出してくれた。
細く、綺麗な彼女の手から薬指を選んで。
ずっとポケットに隠していたそれをそっとそこにはめてから、両手で彼女の左手を包む。
「これからも苦労をかけると思うし、すれ違うこともたくさんあると思う。
それでも、二人なら何とかできるって信じてきたし、これからも信じ続けてる」
手から視線を外して、彼女の顔へと移す。
こちらを見る彼女の目には、すでに涙が溜まっていた。
「くぅちゃん、いえ。楠きららさん」
彼女が、自分の名前を嫌っていて本気で改名を考えている事は知っている。それでも、今日この瞬間だけはこの名前で呼ぶことを許してほしい。
「どうか、俺と家族になってください」
万感の思いを込めて、そう告げる。
彼女の目に溜まっていた涙の堰が、決壊して流れ落ちる。
「わたしで、いいんですかっ」
「うん。くぅちゃんと、家族になりたい」
「あなたの…大好きなたっちゃんの顔もわからない欠陥品だよ!?」
「関係ない。そんなこと、関係ないんだよ!」
とうとうしゃくりあげるほどに泣き出した彼女を、立ち上がって抱き締める。
事情だって、理解した上のプロポーズだ。誰になんと言われたって、そこに躊躇いなどあろうか。
「……きっと!悲しませることもたくさんあるっ!
こど、もが、出来たって!その子の顔も覚えてあげられない!!いつか、いつか!後悔するかもしれない!!」
「後悔しない。二人なら、乗り越えられるって信じてる」
彼女の腕が腰に回される。すがり付いて、泣きながら。それでも、その言葉ははっきりと俺へと届いた。
「こんな、こんなわたしでいいなら…!純也さんの!家族に、なりたいですっ!」
嗚咽混じで、まるで叫ぶように彼女が口にしたのは、俺が待ち望んでいたプロポーズに対する肯定の言葉だった。
そのまましばらくの間。彼女は俺の腕の中で涙をながし続けていた。
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【Tips】
主人公達が暮らしているのは、今よりも進んだ未来です。
拡張現実(AR)や仮想現実(VR)技術が確立しており、今よりも人の暮らしは豊かになっています。
しかし、それに付随してさまざまな規制も蔓延っていて、いわば『監視社会』とも言える様相を呈しています。