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アイ、マイ、ミィ

作者: シグナル

文化祭で展示する作品です。どうぞお手柔らかに。

  吾輩は猫である。名前はあるかどうかすら分からない。そもそも名前など、人が吾輩たちを呼ぶときの俗称であるが故に、吾輩にとってはどうでもいいことである。吾輩が生まれて間もないころの記憶などは無く、気づいた時から箱の中で暮らしている。

 そう、捨て猫である。吾輩は捨て猫である。箱の中でゴロゴロとして過ごし、通り過ぎる人から様々な食べ物をもらい、暇になればぶらりと散歩をして戻ってくる。それが日常である。

 この暮らしには不自由がない。そのためか、前の飼い主に恨みなど何もない。もっと言ってしまうのであれば、前の飼い主など憶えていない。恐らく、生まれてすぐに捨てられたのであろう。憶えていない者を恨む通りはないのだ。

 強いて不自由があるとしたら、この暑さである。毎年太陽が高く昇る時期には、気温が高くなり、箱の中にいるだけでも疲れる。吾輩という猫は、のどの渇きなどには疎いようで、普段はあまり水を必要としないのだが、今年のこの暑さは尋常ではない。近所の野良猫も、暑さにやられて何匹か亡くなってしまったらしい。吾輩も死んでしまうのではないだろうか、と思うことも少なくない。

 ただ、不自由がないとはいえ、正直、することもすべきこともないこの人生、いや、猫生はつまらなくもある。そう考えると、いっそ、死んでしまっても良いかもしれない。そう思ってしまう日々ではあった。



 ———————————————

 吾輩は猫である。名前は「みぃ」。つい先日まで、外の世界の箱の中で、ただ一匹でのんびりと暮らしていた。

 そう、拾われたのである。吾輩は飼い猫である。涼しい家の中でゴロゴロとして過ごし、飼い主からキャットフードをもらい、暇になれば縁側で日向ぼっこをして過ごす。それが日常である。

 吾輩を拾った、髪の両サイドを三つ編みにしている、小さな女の子である。吾輩が見る人間の中では小さいため、恐らく歳はあまりとっていないのであろう。朝になれば家の前に来るバスに乗ってどこかへ行き、昼になればまたバスに乗って戻って来て、吾輩にちょっかいを出してくる。吾輩眠たいときでも、日向ぼっこをしているときでも、時間を問わず吾輩にかまう。そんな女の子である。

 吾輩が休んでいるときくらいは静かにしてもらいたいものであるが、その女の子は四六時中活発な様子で、朝に起きて夜に寝る時まで騒がしい。そう言えば、まだ捨て猫だった時に見かけたことのあるこの大きさの人間は、たいていこの女の子のように元気のある子か、それと正反対に吾輩におびえるような静かな子のどちらかであった気がする。人間の幼年期とは、こういうものが普通なのだろうか。

 そんなことをのうのうと考えながら、今日も吾輩はゴロゴロと過ごして、主人たる女の子の帰りを待つのであった。



 ———————————————

 吾輩は「みぃ」である。主人である女の子がつけた名前である。女の子がいつもバスに乗っていたのはずいぶん前のことで、今は毎朝、暑い時期には白と青の、寒い時期には黒色の服を着て、灰色のカバンを背負ってどこかに歩いていっている。

 もう、10年は昔のことである。吾輩は依然飼い猫である。女の子とその両親が、毎日、外で遊んでくれたり、なんといってるのかはよく分からないが、しゃがみこんで話しかけてくれたりしてくれるこの家には、捨て猫の時には無かった、あるものを感じる。くすぐったいような、それでいて心地いいような……なんと言えば良いのか、吾輩には分からないのだが、とにかくそういうものを感じるのだ。

 吾輩を拾ったときと比べて、女の子はずいぶんと大きくなったようである。女の子が立っているとき、吾輩が少し顔を上げれば見えていた顔が、大きく顔を上げないと見えないようになった今では、もはや別人なのではないかと思ってしまうほどの変わりようではある。しかし、その女の子の持つ雰囲気、におい、髪形、そして吾輩と遊んでくれる女の子の顔は、間違いなくあの小さかった女の子そのものである。他の人間のことはあまり覚えていないが、この女の子が、たとえどんなに変わってしまったとしても、吾輩は女の子のことを女の子であると分かるのであろう。そんな気がする。

 そうはいっても、やはり生物とは変化があるもののようで、女の子も昔と比べてだいぶおとなしくなった。いつ、どんな時でも騒がしかったあの女の子の姿はなく、ソファーにごろんと寝転がって、机の上に体を丸めて寝ている吾輩を、微笑みながら撫ででくれるその姿を見ると、多くの時間が流れたことを嫌でも実感してしまう。

 そう。嫌でも。多くの時間が流れたことを。



 ———————————————

 吾輩は「みぃ」である。いつからみぃと呼ばれていたのかは、もうはっきりとは覚えていない。ただ、この名前は吾輩の主人がつけてくれたもの。それだけは、しっかりと覚えている。そしてその女の子は今、吾輩のことを、不安げな表情で見つめている。

 もう、歳である。吾輩は、年寄りである。つい先日までのことが嘘のように、今は家の中を動き回ることも難しく、一度寝そべると、もう起き上がれないのではないかという感覚が体に残る。目や耳も悪くなってしまったのか、周りの景色を見ることも難しく、自分を呼んでいる声もわかりにくくなってきた。

 そんな状態になって、どのくらいの日にちが経ったのだろうか。それすらも分からなくなってしまった吾輩だが、一つだけ分かることがあった。


 吾輩は、今日、もう死ぬのであろう、と。


 もう足の一本を動かすのすら難しい体。昨日から餌すらものどを通らない。目を開けることもつらいが、閉じてしまえば、二度と開けることはできない。そんな気がする。

 思えば、もう十分だった。不自由はなくとも、どこか物足りない気がしていた捨て猫の生活。その掛けていた心の隙間を埋めてくれた、女の子。拾われてからの生活は、捨て猫の時には知らなかった温もりを吾輩に与えてくれた。小さい時から、今までずっと共に育ってきた、女の子。女の子は吾輩が本当に欲しかったものを与えてくれた。だから、吾輩は、まだ目を閉じない。

 もうほとんど動かない体を無理やり起こして、女の子の顔を見据え、吾輩は鳴く。


「ニャア」

『いままで、ありがとう』


 吾輩の声が、女の子に届いたかどうかは分からない。分からないが、届いたのだろうと、吾輩は思う。


 女の子が、最後に微笑んでくれたから。


 それだけ見届けると、吾輩は静かに目蓋をおろした。



 ———————————————

 とある町の、とある家の中で、少女は泣いていた。正座で座る少女の膝の上には、一匹の年老いた猫が、どこか満足げな表情を浮かべて、寝ていた。

 少女の瞳から零れ落ちる涙が、猫の頭の上に、ポツリと落ちる。その猫はもう生きてはいなかった。


 少女は、確かに泣いていた。だが、その顔は、微笑んでいた。猫の最後に、泣き顔なんて見せたくないと思ったから。猫が、笑っていてほしいと思っていた気がしたから。


 猫が、ありがとうと言ってくれた気がしたから。


 零れ落ちる涙を気にも留めずに、少女は微笑みながら、猫の頭をやさしく撫で続けた。


「愛してるよ。バイバイ。私のミィちゃん」

いかがだったでしょうか。まだまだ未熟なもので、作品に掛ける時間も十分に用意できず、最期は急ぎ足の仕上げとなってしまいました。読んでいただいた皆様に。深くお詫び申し上げます。

またいつか、作品を作って、皆様のお目にかかれることもあると思いますので、その時はよろしくお願いいたします。未定ではございますが。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文豪の作品のオマージュから入り、一瞬、ギャグに走るのかと思いました。 しかし、読み続けていくと、ささやかな幸せを感じて生きていく猫の人生がそこにありました。 そして、子猫から親心に変化して…
2018/09/03 22:21 退会済み
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