真っ白いおまんじゅう
ある日中学校に登校し、教室に入ると、片隅で友達が集まり談笑しているのが目に入りました。僕の席もその付近にあったので、「なんだろう」と思いつつゆっくりじっくり近づいていきました。
「おはよう葉山」
真っ先に声を掛けてくれたのは親友の安瀬君です。同年代と比べても一際背が高く、腹が飛び出ており、声も図太く震えています。
「おはよう。どうしてこんなに賑やかなんだい?」
「ちょっといいもの手に入れてさ。ほら、見てみろよ」
安瀬君の手に促されて、僕の視線も自然と机の上に誘導されます。見てみると、白い塊があります。サッカーボールくらいの大きさで、だらんとした様子からおまんじゅうのようにも思えました。
いったいこれがなんなのだろう、と僕が首を傾げると、安瀬君はしたり顔をしてみせます。僕の反応が予想通りだったので大変嬉しかったのでしょう。
彼は笑みを絶やさないまま、手のひらをその白いおまんじゅうにかざし、「ふんっ」と唸りました。頭から手の先までに力を込めて何事かを念じているように見えました。
僕が目をぱちくりさせている間に、おまんじゅうに変化が起きました。初めは静かに、次第に大きく、表面が波打ち始めたのです。突起が出たり、膨らんだり、へこんだり、まるで生き物のように動くものだから、僕も周りの友人たちも、目を輝かせ続けていました。
おまんじゅうは以前よりやや大きくなって、立派な二足歩行の人間の姿になりました。流行り漫画の主人公によく似ています。違いといえば色がついていないことくらいでしょう。「ふう」と息を吐いて腕を下した安瀬君の頬には一筋の汗が流れていました。
「俺が今念じて作ったんだよ。この白いのに手を触れて、イメージすれば、それが出来上がっちまうんだ」
白い歯を煌めかせて、安瀬君が汗を拭います。僕はすっかり興奮してしまって、食いつくように彼に質問しました。
「すっごいねこれ! いったいどうやって手に入れたの?」
「道に落ちてたんだよ」
あんまりにも簡素な答えだったので、僕は反応に困ってしまいました。しかし安瀬君は安瀬君で急に目線を背けてしまいます。どうやら彼自身もあまりこれがなんなのかわかっていないようでした。かわいそうなので僕はそれ以上おまんじゅうの由来を追求しないことにしました。
「これって大きさも変えられるんだね」
「おうおう、そうなんだ。今朝からちょくちょく実験していてな」
また嬉しそうな顔になって、安瀬君が言葉を続けます。
「せっかくだし、みんなにもこれやるよ。好きなように遊んでくれ」
安瀬君の太っ腹な対応に、周りから歓声が沸き起こります。おまんじゅうはむちむちとちぎられて、その場の友人たちに配られていきました。
僕は自分の手に渡ってきた真っ白いそれをまじまじと見つめました。手触りは図工で使う紙粘土と変わりありません。試しに箱をイメージしたら、やや時間がかかったのちに形作ることができました。本当に不思議なのですが、できてしまうものは受け入れるしかありません。
それから後の授業中は、どうやってそれで遊ぶかを考えることに真剣になりました。しかし、何事にも優劣はあります。このとき僕は隣の席の夕ちゃんのことが気になっており、しばしばおまんじゅうに対する思考は途絶えてしまいました。夕ちゃんというのはとてもかわいい女の子で、僕は隙あらば彼女の横顔を見てやろうと思っています。どうしてかと言われたらうまくは説明できません。見たくなるから見るのです。
★ ★ ★
「ねえねえ、兄さん。これを見てよ」
我が家にて、夕食を食べ終えたのちに、僕は兄の部屋を訪れました。兄は昔から落ち着いた人で、僕に対しても比較的優しく接してくれます。このときも、読んでいた色の明るい雑誌を早々に閉じてベッドに置き、僕のほうに歩み寄ってくれました。
僕がおまんじゅうについての説明をすると、兄は心底感心したようでした。
「どれ、それを俺に使わせてごらん」
僕がそれを素直に差し出すと、兄は素早く受け取って鼻歌交じりにベッドへと向かっていきました。先ほどの雑誌を手に取るとき、兄が突然こちらを見て「はやく扉を閉めろ」と唸りました。それまでの柔和な表情とは打って変わって刺々しく、怒りすら感じられる様子だったので、僕はびっくりして扉を勢いよく閉めました。振り返ると兄がすでにおまんじゅうに何事かを念じていました。もう片方の手に握られた雑誌がエロ本の類であることに、そのときようやく気づきました。
僕は事の成り行きをぼうっと眺めていました。兄のおまんじゅうは徐々に大きくなっていき、いくつかの膨らみを微細に動かしつつ、やがて一メートルくらいの高さにまで成長していきました。その形は、素っ裸の女性の上半身でした。腰から下のあたりでもぞもぞ白いのが動いていましたが、兄がもう限界とばかりに息を荒げて手を放してしまったため、おまんじゅうは動きを止めてしまいました。
「やれやれ、これは疲れるね」
「兄さん、いったい何を作ったんだい?」
「これはね、このグラビアの人だよ。お前ももうエロ本くらい見たことあるんだろう?」
兄が指し示す例のピンクの雑誌を、僕は気恥ずかしがりながらも見つめました。なぜ恥ずかしかったかというと、まだ年若いこともあり、存在は知っていても見慣れているわけではなかったからです。確かにおまんじゅうが変化してできた上半身だけの女性は、その雑誌の表紙を飾っていた人と同じ形をしていました。
「ふむふむ、柔らかさも変えられるのか」
兄は僕の気負いなど微塵も気にしていない様子で、おまんじゅう女の胸をぐいっとつかんでもみしだきはじめました。「ほうほう、ほうほう」と呟く口調が徐々に間延びしていきます。
僕はすっかりまじまじとその作業を見つめていたのですが、なぜだか急にドキドキし始めてしまい、わけもわからずおまんじゅう女に飛びついてしまいました。
「兄さん、やっぱりこれは僕のだから、僕の好きなように使わせてよ」
おまんじゅう女は思いのほか軽く、ぶんぶん振りまわすことができました。兄は唖然としていましたが、少し残念そうにうつむいただけで、すぐに「いいよ」と言ってくれました。
出ていく途中でこっそりエロ本をくすねようとしたのですが、すぐにばれて引っぱたかれました。痛くて泣きそうになりましたが、文句は言えませんでした。
★ ★ ★
「よう葉山、あれからどうよ」
ある日登校すると、安瀬君から声を掛けてくれました。
「あれは……その、それなりにうまく使っているよ。安瀬君は?」
どことなく答えにくくなって、僕は逃げの一手に出ました。普通なら突っ込まれそうでしたが、安瀬君はなぜか顔を引きつらせて答えを考えはじめました。
「あ、ああ俺な。実はさ……あることを思いついちゃってさ」
途端に、安瀬君のトーンが低くなります。僕は何事だろうと思って耳をそばだてました。
「あれを使って、え、エロ本を読むとな、いい具合に女の身体が出来上がってな」
「ああ、その使い方なら僕もしているよ」
言葉の途中で、安瀬君の示すことはわかってしまいました。兄と同じ使い方を、彼もしていたのです。別の人間が同じことを考えていたのでしょう。不思議なことだなあとも思いました。
「なんだ、葉山もか! お前意外とすげえな!」
安瀬君が大喜びで僕の背中をびしばし叩いてきました。痛がって飛び跳ねる僕はさぞ滑稽に見えたことでしょう。
「じゃあさ、お前の使い方、俺に見せてくれよ」
「うん、いいよ」
放課後に集まる場所は僕の家に決めました。母に見せたらきっとびっくりされてしまうので、扱いは慎重でなくてはなりません。
それからの授業中は、母が部屋に来たときどうやってごまかそうか考えていましたが、大して深くは考えませんでした。その証拠に、僕はいつものように隣の席の夕ちゃんのことが気になっていました。僕はいつも彼女の横顔しか見ません。真正面からみたら嫌に感じてしまうだろうなあと思ったからです。僕は彼女に嫌われたくないのです。
★ ★ ★
僕の部屋に入ったとたん、安瀬君は「なんだこれ?」と疑問を呈しました。僕のおまんじゅうに向けて発した言葉のようでした。
僕の部屋の真ん中にはおまんじゅうがふたつ転がっていました。どちらも直径一メートルほどの球体を地面に垂直に半分に切ったような形をしており、片方を持つのにも両手を広げる必要がある代物でした。
現に安瀬君はそれを持ち上げようと頑張っていましたが、なかなかバランスが取れないようでした。
「おいどうなってるんだこれ? 下のほうで繋がっているのか?」
「うん。もともとは兄さんの作った女の上半身だったんだ。それで、もっと胸をいい形にしようと思ったらそうなっちゃったんだ。どうだい、柔らかいだろう?」
「確かに柔らかいけど、冗談じゃないぜ。これがおっぱいだって? ただの柔らかいクッションでできた山だよ。いくらなんでも欲張りすぎだ。全体を見てみろよ」
安瀬君の言うことはもっともだと思いました。でもあまりの言われように、僕の方もむかむかしてしまいます。
「それじゃ、どうすればいいんだよ」
「そんなもん、簡単さ。モデルを用意すりゃいいんだよ。お前の兄貴だってそうしていたんだろう?」
言われて、僕は思い出しました。そういえば兄はおまんじゅうに念じるとき、エロ本を手から離すことがありませんでした。僕はしかたないから自分のイメージだけで胸を膨らませていきましたが、どうやらそのせいで形だけのお山になってしまったようです。
エロ本が手に入ればいいのですが、あいにくこの家のエロ本はすべて兄に掌握されてしまっています。もしかしたら父も持っているかもしれませんが、母を驚かせないように接触するのは難しい話でしょう。というわけで話しかけるなら兄なのですが、彼から貸してもらってしまうと、見返りにおまんじゅうを使われてしまうかもしれません。それはどうしても嫌でした。このおまんじゅうは僕のです。僕が楽しみたいのです。
「おい、難しく考えすぎるなよ」
安瀬君は僕の肩を優しく叩いてくれました。ちょうど考えすぎてくらくらしていたところだったので、この一言で僕は我に返ることができました。
「モデルったって、そこら中に女なんているだろう。そいつらの身体をちょっくら念じればいいだけじゃねえか。それで、バランスは後から考えろ」
彼の提案は至極もっともだと思ったので、僕は膝を打ちました。それから僕は安瀬君と一緒になっておまんじゅう山を一般的なおっぱいのサイズに縮めるように試行錯誤を繰り返しました。途中で母が飲み物を運んできましたが、僕らが紙粘土で遊んでいるだけに見えたようでした。
★ ★ ★
安瀬君が帰り、夜になりました。自室で僕は胸になる予定の小さな双子山とにらめっこしていました。
こいつに上半身をつけてやらなければなりません。部屋の漫画をいくつか眺めていましたが、なまじ元がグラビアなだけに造詣がリアル寄りであり、なかなかマッチしてくれません。
パソコンは兄の部屋にあるので、下手に使えません。兄が部屋を空ける隙をついてそれなりの画像を検索してもいいのでしょうが、もし途中でウイルスにでも引っかかったらただじゃ済まないので手を出したくありません。
テレビ番組もいくつか眺めていましたが、理想のおっぱいをくっつけられるような女性がすぐには出てきてくれません。そもそも服を着られているから裸体がイメージできないのです。水着の人でも出てきてくれればよかったのですが、あいにく今は冬でした。
あぐらをかき、腕を組み、渋い顔をして考えます。水着、ともう一度頭の中で反芻したところで、僕は学校のこと、そして夕ちゃんのことまで一気に思い出しました。学校には水泳の授業が年に数回行われています。まして夕ちゃんの水着姿は、授業のたびに目に焼き付けようとしていますから、イメージするのに難くない気がします。中学生の彼女の上半身に、この双子山はやや大きいと思えましたが、そこは彼女の大きくなった姿を想像すればいいだけのことだと思いました。もっと大人の、高校生か20歳近くなった彼女のことを、考えたことはかつて何度かありました。
僕はそれぞれの山の頂に手を添えて、念じ始めました。力みますが、手の端から力の吸い込まれていく感覚があります。この真っ白い物体の理屈はいまだにわかりません。それでも今は、大事な道具です。
山の裾から、白いものがもこもこと溢れていき、形を作り始めます。双子山は数センチ浮かび上がり、白いものが下の空間を埋め尽くしていきます。僕の目はその一方の端に集中しました。イメージ通り、そこに首が作られていきます。真っ白ですが、鎖骨と思しき突起があり、ゆるやかな肩のラインも形成されていきます。
やがてほどほどに凹凸のある喉が慎重に作られていき、いよいよ彼女の顔へと取り掛かろうとしたとき、僕の思考ははたととまってしまいました。僕は彼女の顔を真正面から見たことがなかったのです。
いや、あったのかもしれません。しかし思い浮かぶのは彼女の右顔か左顔ばかりです。片方の頬、片方の目、片側から見たやや高い鼻。僕にとって彼女とは、その横顔の人なのです。
考えているうちにも、白いものに体力を吸われるので、やむなく僕は彼女の右横顔を造形することにしました。作ろうと思えばすぐに作れていきます。首がぐいっとまがった形になってしまっていますが、そこは身体の傾きを調整してバランスを取るしかないようでした。
彼女の顔が出来上がったところで、今度はもう少し大人びさせようと努力しました。テレビ等を参考に、まず頬の肉を削って輪郭を整えていきました。髪ももっといじります。長くして、束ねて、膨らませて、それでいて艶やかさがなるべく残るように質を変化させていきました。細かいところで、まつ毛を長くし、唇に厚みを持たせ、そして鼻は、心持ちやや長くしていきました。
考え付くことをすべて行ったところで、僕は一息ついてその上半身を見下ろしました。真っ白な、夕ちゃんの将来像。形のバランスは整っていると思いました。変にごつくもないし、奇妙に歪んでもいません。人の形ですし、それにもちろん綺麗です。
だけど、僕は首を傾げました。形は確かに夕ちゃんです。僕がずっと見ていたいと思っていた彼女です。だけどどうしてか、僕は胸がちくりと痛みました。
これはどうしたことだろう。どこか間違っているのだろうか。僕は細部を少しずついじりますが、違和感の正体は掴めません。
もしかして表情の問題だろうかと思い、僕は彼女の口元を変化させようとしました。ところがわずかに口角を上げただけで、僕は違和感に耐えられなくなりました。彼女の笑顔が何かおぞましいもののように見えたのです。激しくなる動悸を感じながら、僕は彼女を元の無表情に戻しました。
僕には彼女が笑っている姿を想像できないみたいです。
そう気づいた途端、真下にいる彼女が、まるで僕から思いっきり顔を背けたがために横を向いてしまったかのように思えました。そんな彼女が、笑っているわけがないのです。
僕は寒気を感じ、元のおまんじゅうをイメージしました。真っ白な彼女はすぐに形を崩して引っ込んでいきます。首も、肩も、胸も縮んでいきました。僕はその様をはっきり見ていました。気持ち悪い光景でしたが、僕の抱く恐怖はその光景が原因ではありませんでした。ようやく真っ白いものが野球ボールくらいの大きさにおさまったとき、僕は詰まっていた息を吐き出しました。汗も噴出しているし、呼吸はなかなか整いません。
僕はおまんじゅうを持ってとっとと部屋の外に出ました。目指したのは兄の部屋です。彼はいつもと変わらずベッドの上でピカピカの雑誌を眺めていました。突然開いた扉にきょとんとする彼の顔面に目がけ、僕はおまんじゅうを投げつけてやりました。それほど速くはありません。現に兄は慌てながらも僕の投げたそれをキャッチしてみせました。
「あげるよ」
「お……ありがと」
兄との会話はそれっきりです。兄にとってはそれだけのことなようでした。僕は力が抜けるのを感じながら、扉をゆっくり閉じました。
★ ★ ★
「まじかよ……みんな消えちまったのかよ……」
安瀬君は友人たちの話を聞いて、愕然としていました。みんなの話はどれも同じです。あの白い物体は、突然空へ向かって飛んでいって、それっきり帰ってこなかったのだとか。まるでこの世界に降りてきたことそのものが間違いであったかのように。
もちろん僕のも例外ではありませんでした。昨夜のうちに、白い物の末路を僕は兄から聞かされていました。兄はそれなりに残念といった表情をしただけでした。
「あんなに面白そうなものだったのに、なあ葉山」
「え……僕はもう兄さんにあげちゃっていたから」
「んだよ、欲のない奴だな」
果たしてそうなるだろうかと疑問に思いつつ、僕は安瀬君の言葉を聞き流しました。
安瀬君は僕から興味を離して、すぐに友人たちに向かっての愚痴を続けはじめました。彼がいかに凝った物を作っていたのかを語っており、僕もその話自体に嫌気がさしたわけではありませんでした。むしろ何もない状況であれば真面目に相手してあげたことでしょう。
しかし残念ながら、僕の視線はすでに自分の席に向かっていました。正確にいえば、そのお隣の席に座る彼女のことです。今はこちらへの興味が強いのです。
僕は安瀬君たちを一瞥して、こっそり足を進めていきました。恥ずかしいから、誰も見ていないうちに。
「おはよう」
それはひどく簡単な言葉でした。それにもかかわらず、僕はその言葉を初めて夕ちゃんに掛けたのです。彼女の方も不思議そうに目を見開いて、僕の顔を見つめました。
「うん、おはよう」
すぐに綻んだ顔になり、夕ちゃんは応えてくれました。僕もまた同じだったかもしれません。
とにもかくにも、僕はようやく、彼女の顔を真正面から見ることができるようになりました。
今ここに真っ白いおまんじゅうがあれば、すぐにでも例の上半身を完成させることができるでしょう。でも、いいんです。おまんじゅうは要りません。今はもう、もっと自然に、笑った彼女が見たいのです。