父親の名前
トーマ様の話では、カシアさんは王都ラミルから来たこと、軍人の兄がいること、子爵家の娘であること、そして内戦が終わったら、子供の父親が迎えに来ることなどが判っていることで、それ以外のことは分からないとのことだった。
そして4日前の朝、出産して間もないカシアさんは、荷物を置いたまま突然姿を消したので、皆が心配して探したが見付からなかったとのこと。
「この子の、イツキの父親について何か聞いていませんか?」
俺はイツキの寝顔を見ながら、1番重要なことを質問する。
「詳しいことは何も……ただ、今は兄と共に戦っているから、毎日無事を祈っているのだと言っていた」
少し落ち着かれたトーマ様は、思い出しながら冷めたお茶をグイッと飲み干した。
「そ、それでは最後に一つお訊きしますが、カシアの兄は、どちらの軍に所属していたのでしょうか?」
「10月位からここに身を隠していたのだから、当然、先王軍だ」
トーマ様の言葉を聞き、『よしっ!』と俺は左手を握り、父親が誰かを確信した。
『皇太子バルファー。イツキ、お前の父親は次期国王だ!』
こうしては居られない。これからの指示を仰ぎに、直ぐハキ神国の本教会に向かわねば!トーマ様に、本当のことを話したいが、リーバ(天聖)様より先に話すことはできない。
急にそわそわと、落ち着きの無くなった俺を見て、トーマ様がニヤリと含み笑いで訊いてきた。
「その顔は、誰がカシアを殺したか判ったのか?」
「いえ、それはまだ……しかしこの子の、イツキの保護を最優先したいと思います」
しまった!その件もあった。俺は、父親が判明したことに、気を取られ過ぎていたことを反省する。
「お願いがありますトーマ様。イツキのために、この子を死んだことにしてください。キノ村でイツキの墓を建て、もう少し下流で母親カシアさんの墓を建ててください」
こいつは何を言い出すんだ?と呆れ顔のトーマ様に対して、さらに続ける。
「この母子には、追っ手が掛かっていました。キノ村から少し行った場所で、2人の男が行方を探していたんです」
俺の話を聞いて、どうやらこの母子が、ただ戦乱から逃れる為だけに、此処にいた訳じゃあないのだと、聡明なトーマ様は気付かれたようだ。
「で、墓は空でもいいのか?」
「いえ、できるだけ信憑性がある方がいいです」
「どうしていつもお前は、そう面倒ばかり持ち込むんだ?」
はあっ……とトーマ様は短く息を吐き、諦めの表情で俺に文句を言う。
「えっ?他にはいつ持ち込みましたっけ?」身に覚えが無いんだけど……と俺は首を捻る。
「50年ぶりの18歳モーリス(中位神父)の、面倒をみてやったじゃないか!」
今度は酷く疲れた顔で、首を振りながらダメ押しされた。
それって俺のせい?無理矢理本教会に連れて行かれたのに……ちょっと悲しい。
「おぎゃあ、おぎゃあ」とイツキが元気良く泣き出した。お腹が空いたんだな。
「あのー、誰かに乳を分けて欲しいのですが・・・」
イツキの健康のことを考えて、俺は3日間【教会の離れ】に滞在することにした。
赤ん坊を連れていない俺だけなら安全だろうと、カシアさんの居た部屋に滞在して、荷物などを調べたり、処分(保管)したりした。
その間イツキは、乳の貰える信頼できる家に預かってもらった。
勿論イツキの《紅星の印》は、ケガをしていることにして、左腕にしっかりとバンドを巻いておいた。
俺はその3日の間に、トーマ様が知っている《予言の書》の話を聞くことができた。
《予言の書》とは、開祖ブルーノア様が、後世の人々の為に、疫病・自然災害・戦争・内乱等が、起きるであろう大体の年代・場所・状況を記すと共に、その解決策が記してある書物だった。
最大のポイントは、その解決策なのだが、《予言の書》はリーバ(天聖)様にしか解読できないらしい。そして解読後は、リーバ(天聖)、リース(聖人)、シーリス(教聖)の三聖で、解決方法が練られるとのこと。
必要に応じて、サイリス(教導神父)、ファリス(高位神父)、モーリス(中位神父)へと指令が下される。
今回、ファリス(高位神父)のトーマ様に下された指令は、【《予言の子》並びに《六聖人》を探す者を助けよ】との内容だったらしい。
この探す者とは、リース(聖人)エルドラ様、シーリス(教聖)イバス様他3人、それとファリス(高位神父)である俺の計6人を指している。
カイの街に来て4日目の朝、カイ正教会の前には、2頭だての馬車が停まっていた。
滞在中にいろいろ調べてみたが、イツキの母カシアさんの、失踪前の行動は何も掴むことが出来なかった。
きっと余程の緊急性があり、命の危険を感じた為に、やむを得ない行動だったのだろうと、推測するにとどまった。
「ミノス正教会まで馬車で行くのか?豪勢だな」
馬の顔を撫でながら、トーマ様が冷やかしてくる。
「今回は急ぐので、初めてファリス(高位神父)の権限を、使わせていただきました」
慣れないファリスの服を着て(トーマ様に借りて)、俺は少し照れる。
「急ぎの用ならイツキを置いて行けばどうだ?」
「そうですよ。まだこんなに小さいのに、馬車での旅はかわいそうですハビテ様」
イツキの可愛さに、すっかりメロメロになっている、トーマ様や教会で働く者から乳母までが、イツキを抱っこしたいがために文句を言う。そして度々様子を見にやって来る。
「あれ?俺、本教会に行くって、言ってませんでしたっけ?」
「はあぁ?全然聞いてないぞ。そんな馬車で5日以上掛かる長旅にイツキを連れて行くな。お前じゃ乳はやれんじゃろうが!」
いやいや、そこ?行き先じゃなくてイツキの乳の心配?
まあ確かに、トーマ様のお歳なら孫同然なのか?……今、45歳だったよな。
本教会で教育して貰ってた時、俺のことを息子のようだと、回りから言われていたから、俺が連れてる赤ん坊のイツキは、孫のように可愛いのだろう。俺の子供じゃないけど……
すっかり、じーじになってるよ。
ダークブラウンの髪を肩まで伸ばし、瞳は茶色、すらりと背も高く、顔だってたぶんイケてる。
信者のおば様方のファン層も厚い。実は俺の尊敬できる、憧れの人でもあるんだけど。
「イツキはこれから、教会の養い子として、本教会で暮らすことになると思います」
見送りに出て来ていた、イツキ大好きな大人達から、「えーっ、残念・・・」と声が漏れる。
「だいたいお前、肝心の仕事はどうした?ミノス正教会のファリス(高位神父)に就任して、レガート国中を回り、《予言の子》を探す旅に出なくて良いのか?」
馬車に荷物を積み込んでいる俺の側まで来て、トーマ様が小声で聞いてきた。
不服そうな顔をするトーマ様に、詳しいことを話すことは出来ないが、これくらいは言っても良いだろうか・・・
「はい。もちろん任務優先です。だからこそ本教会に至急向かうのです。暫くの間、ミノス正教会には行けなくなると思います」
俺はニヤリと笑いながら、嬉しそうにトーマ様の顔を見て答えた。
「だから、それはどういうことだ?」トーマ様は納得いかない顔で問う。
「だから、こういうことですよ!」
トーマ様の腕に抱っこされているイツキを、俺の腕に抱き寄せ、ゆっくりと頷く。
「・・・?」
「ええっ!イツキ?!」
このままだと、抱っこしたい軍団に、出発を阻まれそうだ。
俺は皆にお礼を言って、イツキと共に教会専用馬車に乗った。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。