イツキ、お願いする
イツキとクロノスは、仲良く中庭のベンチに座って、おやつを食べていた。
カイ正教会の中庭には、湧き水で出来た池があり、その回りには花壇があった。今はまだ春先で花は少ないが、可愛い黄色い花が、春風にそよぎながら咲いている。
大体どこの正教会も、湧き水が出る場所に建っている。
それは昔、水を巡って争いが絶えなかったからで、開祖ブルーノア様が「湧き水が出る場所又は、井戸を掘って水の出る場所に教会を建てよ」と命令されたのだ。
酷い干ばつで町の井戸が枯れた時も、教会の水は枯れることなく、何度も人々の命を救ってきた。
クロノスは、水飲み場でコップに水を汲みイツキに渡した。
「ありがとう。美味しいお水だね」
いつもの笑顔でイツキがお礼を言うと、クロノスは心が暖かくなった。そして今日始めて笑顔になった。
「ねえねえ、クロノスは何歳なの?」
「僕は10歳だよ」
年下のイツキに、はにかみながらクロノスは答えた。
礼拝堂でのイツキは、自分よりもずっと賢く、そして凄く堂々としていた。何も出来なかった自分が恥ずかしかったのだ。
「それじゃあ、そろそろ中級学校に行くの?」
「・・・」クロノスは俯いてしまった。
イツキはクロノスの様子を見て、シーリスジーク様の言葉を思い出した。
『この世界には、素晴らしい才能があっても、学校に行けない子供がたくさんいる。だから教会が、少しだけ勉強を教えているんだよ。そして優秀な子供がいれば、学校に行かせたり商人に預けたりして、学ぶ機会を作るように努力しているんだ』
「ねえクロノス、クロノスは誰かに勉強を教えて貰ったの?」
イツキは思ったことを口にする。質問する時は、年齢を問わずストレートに聞いてしまう。何せこれまで、大人に囲まれてきたので、子供と話す機会が余りなかったのだ。
リーバ様はその辺のことも考えて、ミノスの街で暮らすよう命じられたのだった。
クロノスはそっと顔を上げてイツキを見る。そこには貧乏な生活を卑下するような眼差しはなく、キラキラと純粋に自分を見つめる瞳があった。
「僕は、6歳まではお父様に……でも、お父様はこの前の内乱で亡くなってしまった。その後は8歳まで、おばあ様に教えて貰っていたんだ」
クロノスの家族は、祖母は貴族だったのだが、平民の祖父と恋に落ちて駆け落ちをしてしまった。そして父が生まれ、平凡だけど幸せに暮らしていた。
しかし祖父は早くに亡くなり、祖母は少しだけ実家に助けて貰いながら生活してきた。父が大人になり、やっと暮らしが楽になり始めた頃、結婚してクロノスが生まれた。
クロノスが6歳になった時、内乱が起こり父は軍に召集されてしまった。そして軍の仕事中に事故で亡くなったと知らせを受けた祖母は、悲しみの内に亡くなり、母も最近、身体を悪くして働けない状態だった。
そこでクロノスは、祖母が実家から貰った形見のペンダントを、売ろうとしていたのである。
「そうなんだ。クロノスは勉強が好きだよね?」
「うん……好きだ。でも・・・」
「分かった!まだ帰らないで大丈夫?お母さんが心配してる?」
「そろそろ帰らないと……夕飯の準備をしなくちゃいけないから」
イツキは「まだ帰らないでね」と言って、残りのおやつをクロノスに渡し、ハビテの所に走って行った。
1人残されたクロノスは、頭が良くて優しくて、堂々としているイツキに憧れ、大好きだと思った。
そして助けて貰った恩を、どうやって返せば良いのだろうかと考えていた。
「ハビテー、お願いがあるんだ!トーマ様も聞いてください」
ハアハア息を切らしながら走って来たイツキが、2人に向かってお願い事を話始める。
「クロノスを、首都ラミルの中級学校に入れてください。それからクロノスのお母さんを、お医者さんに診せてください」
イツキは、いつものキラキラ目でお願いした。
「それは、クロノスがイツキに頼んだことなのか?」
トーマ様は、幼児であるイツキが、そんなことを考えるとは思えずイツキに質問する。
「違うよ。クロノスは大きくなった時、僕を守ってくれる人になるから、勉強しなくちゃいけないんだ。上級学校にも行かなくちゃいけない」
イツキは、何故トーマ様がそんなことを聞いたのかと、逆に首を傾げた。
トーマ様はハビテと顔を見合わせて、困った顔をした。
「イツキ、クロノスと仲良くなったのは分かる。だけど、学校に行くにはお金が掛かるし、クロノスの家の都合もあるんだぞ……」
ハビテは優しい気持ちを持ったイツキの、頭を撫でながら諭すように話す。
「そうだイツキ、クロノスに晩御飯を持って帰らせよう!きっとお母さんも喜ぶぞ。お前の優しさをクロノスは分かってくれるさ」
トーマ様は、イツキが貧しいクロノスに同情して、将来自分を守る人になる、などと言ったに違いないと思った。
しかし、それは勘違いだった。大人の勝手な思い込みだった。
よくよく考えれば、イツキはただの4歳児ではない。その外見と声が、あまりに可愛いからと言って、意味もなくそんなお願い事をするはずがなかった。
「えっ?イツキ?どうした?」
ハビテはイツキを見て、驚きの声を上げた。
「どうしたんだハビテ、イツキがどうした?」
何に驚いてハビテが声を上げたのか分からず、トーマ様はイツキを見ながら問う。
「イツキが、ぎ、銀色のオーラを身に纏い始めました!」
「お2人とも、礼拝堂で何を聞いていたのです?僕はリーバ様が、稀少な宝石ブルーノアを探していらっしゃると言ったんです!それすなわち、クロノスの大切な形見のペンダントを、リーバ様が買い取られると言うことです。あんな稀少な宝石を、子供が持っていたら危ないでしょう!上級学校まで行くのに、500万エバーも掛かるとは思えません。それよりも・・・お2人は僕の言葉を信じませんでしたね?!クロノスは、将来僕を守って旅をすることになります。本教会に戻って、僕がリーバ様に直接お願いしなければならないのでしょうか?」
イツキは1度も言い淀まず、無表情で一気に話し終えた。
「す、すみませんでした。直ぐに手配します」
『怖い。怖すぎるよイツキ』
『これがリースの力。声が完全に大人みたいだ』
ハビテとトーマ様は、《裁きの聖人》の能力の怖さを、身にもって体験してしまった。
「ハビテ、リース様になっている時のイツキは、別人のように迫力と威厳があるな……」
「そうですね……2度と裁かれたくないです。心臓に悪し、怖いし・・・」
2人は、事件が解決して、ついほっとしていたのだ。
ハビテから、銀色のオーラがはっきり視えたと報告され、イツキの能力が確認出来たことを喜び、早速リーバ様に報告しようと、2人で舞い上がっていた。
教会にとっての大発見が嬉しくて、クロノスとブルーノアのペンダントのことは、決して忘れた訳ではなかったのだが、イツキ程深く考えが及ばなかったことも事実である。
2人は深く反省しながら急ぎ足で、クロノスの元へ向かった。
結局トーマ様はクロノスに、中級学校の編入試験を受けることを勧められた。
母親もクロノスと一緒に首都ラミルで生活出来るようにするし、お金はペンダント代で賄えるから心配は要らないと説明もされた。
クロノスは始め、祖母の形見のペンダントを売って、学校へ行くことについてためらったが、ハビテから「きっとおばあ様は喜んでくれるよ」と言われて、少し考え直した。
「それでも、上級学校まで行く必要はないです。中級学校を卒業出来たら、良い所に就職出来るので」
そう言って、上級学校までの進学を断ろうとした。上級学校は全寮制なので、母親が心配だったのだろう。
「そうじゃあないんだクロノス、上級学校を卒業したら教会で働き、将来イツキを守って欲しいんだ」
ハビテからそう説明されたクロノスは、イツキの役に立てるのだと知り、涙を溢し喜びながら承諾した。
この日からクロノスは、イツキを守れる立派な人間になろうと心を決めた。
上級学校を首席で卒業し、教会で働き始めてからは、リーバ様直属の特別任務に従事し、大陸中を飛び回ることになる。
その合間、上級学校に入学したイツキを、影ながら守ったりもする。
正式にイツキの護衛となるのは、イツキが23歳の時である。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
どんどんイツキの出会いが増えていきます。
次話から本格的に修業が始まる予定です。
イツキもちょっと成長して、幼児卒業かな……?




