第八話 許婚
「失礼します」
扉の向こうから入室を促されたアスカは、アルフレートの執務室の扉を開いた。入室すると、普段ならふんぞり返るように座っているアルフレートが、机にひじを突いて手を組み、深刻そうな表情で座っていた。
「すまんな、休みを与えているにも関わらず急に呼び出してしまって」
アルフレートはアスカが入室してまず謝罪を口にした。
彼女は彼が言うように、現在休暇を与えられていた。彼女はエトヴィンのゴーレムに救済されたとき、怪我そのものはエトヴィンが謝罪しながら魔法で完治させたが、大事を取って数日休むように言われていた。
当然、アスカ本人はそれを辞退しようとしたが、エトヴィンは有無を言わさぬ口調でそれを彼女に伝えた後、研究室に篭りきりになってしまっていた。
「構いません……ご主人様のことですね?」
「そうだ。ここの所ずっと研究室に篭りっぱなしなのが心配でな……」
「……私が誘拐されてからですね」
「ああ。ただ、私は君を非難するつもりは毛頭ない。結果的に君は助かり、君の家とも良好な関係を継続させて貰っている。そしてなにより、私の息子が自らの従者を助けたという美談が早くも広まっているらしいからな」
先ほどまで神妙な顔つきだったアルフレートの表情は、息子の美談の話になると穏やかなものへと変わった。その様子を見て、アスカには彼の心情が手に取るように分かった。
(私のこと微塵も心配などしていませんでしたねこれは。私の家は騎士の家系。私が一人いなくなったところで、公爵家であるイェレミース家に何か陳情できるはずもありません。アルフレート様は良くも悪くも普通の貴族……所詮は俗物ですか。やはりご主人様に付き従っていて正解でした)
アスカが内心でアルフレートを俗物だと評価したのは、エトヴィンの意図に全く気がついていないのが理由だった。
この屋敷は公爵家現当主であるアルフレートのものである。そして、どれだけ優秀であろうとも、所詮エトヴィンの立場は彼の息子というのには変わらない。息子が部屋から出なくなったのなら、押し入っても構わない筈である。しかし、アルフレートにはその選択が念頭に浮かんですらこなかった。
これは、アルフレートはすでにエトヴィンの研究室に立ち入ってはいけないという固定観念を植え付けられていることの証明に他ならなかった。
「私は第三姫の生誕五周年記念パーティに出席するため王都へ向かわねばならない。もしかしたらエヴィンの許婚になるやも知れんからな。手紙の返事では、王はかなり乗り気でいらっしゃるご様子。後はエヴィンと姫の気が合えばいいのだが……」
「なるほど……では、ご主人様をお連れしてはいかがでしょうか?」
「しかし、エヴィンはまだ十歳になっておらんからな……いや、あいつがしっかりしているのは知っているのだが、それでも万が一王家の方の不評を買えば、許婚の話もなかったことにされてしまうかもしれん……」
それは、貴族として当然の保身的考えだった。だが、その当然の考えですら、アスカにとっては軽蔑の対象でしかなかった。
ご主人様ならそんなことは考えない。ご主人様ならこうするのではないか。そんな思考が彼女の頭に満ちていく。だが、アルフレートにエトヴィンと同じことを期待するのは余りに酷というものだろう。
エトヴィンのその思考はこの世界よりも文明の発達した日本で培われ、狂ったのだ。少しばかりこの世界に順応し、精神が安定してきたからといって、その彼と同じかそれ以上を求めても仕方のないことだろう。
そもそも、確かにエトヴィンはこの世界で九歳にして既に偉業を成し得ているが、彼の行っている方法は極めて非人道的であり、冒涜的なものである。
アスカの脳内では、エトヴィンの行うことは正しいという構図が出来上がってしまっているため、彼女はエトヴィンの行動や思想すべてに肯定するが、一般的に彼の行為は否定どころか拒絶されて然るべきものである。
そういったことを考慮すれば、アルフレートの心配は的外れではあるが、心配するという行為そのものは正しかった。
「……そうだな。許婚にするなら、王と約束する前に本人達を直接会わせた方がいいかもしれないな」
だが、そのある意味正しい答えを自ら蹴って、アルフレートはアスカの案を採用した。
「はい。それが良いかと思います」
「だが、肝心のエヴィンがでてこないのだぞ?」
「そこは私にお任せください。おそらく私が行けばご主人様も話を聞いてくださると思います」
「そうだな。ではそうしてくれ。明日の朝にはもう出発するのでな。それまでに頼むぞ」
「畏まりました。では、失礼します」
アスカは裾を摘んで一礼すると、直ぐに部屋から出ていった。
残されたアルフレートは、静まりかえった執務室で大きくため息をついた。
「――ご主人様か」
「アスカ……どうかしたのか?」
アスカがエトヴィンを訪ねに地下の研究室を訪れると、昨日までとは打って変わって、あっさりと姿を見せた。
ここへ来る途中、どうやって解剖部屋にある隠し扉の向こう側にいるエトヴィンへ用向きを伝えようかと考えていた彼女は、呼び出す必要もなく現れた自らの主に驚き、目を大きく見開き瞬きを二、三度繰り返した。
アスカから用件を聞いたエトヴィンは、少しだけ考え込むように顎に手を当て俯いたが、直ぐに顔を上げ了承した。
「わかった。まあ私の行っていた実験も片方は終わったからな。もう片方は煮詰まっていた所だ……」
「ご主人様はここ数日、一体何をなされていたのですか?」
「ああ、君の為にこれを作っていたんだ」
そう言うと、彼は机の上に無造作に置かれた一つの石を手に取り、アスカへと差し出した。
それは路肩の石と言うには美しく透明で、宝石というには余りに無骨で濁っていた。よく見なければ彼の掌が透けて見えないほどの透明感しかないが、本来であれば美しいはずの白濁としたその石に、アスカは生理的な嫌悪感を感じていた。
一見して無表情を取り繕っているアスカではあるが、エトヴィンはその表情をみて彼女がどう感じているのかを察した。
「まぁ、気持ち悪くとも肌身話さず持っていてくれよ。今後なにか会ったときに、その石が君の身を守ってくれるはずだ」
「ご主人様がそうおっしゃるなら是否もないですが……一体どういったものなのでしょうか? 魔法刻印は刻まれていないようですが……」
「お守りのようなものだ。何かあったとき、俺が近くにいなくてもそれがあれば守ってくれるだろう」
アスカは差し出されたその石を恐る恐る手に取ると、直ぐにそれをメイド服の内ポケットへとしまいこんだ。
「さて、それで第三姫のパーティだったな。出発はいつだ?」
「明日です」
アスカの返答に、エトヴィンは多少眉を潜めた。
「明日……やけに急だな?」
「ご主人様が奥に篭って出てこないので、伝える機会がなかったのですよ」
アスカはそう言いながら小さくため息をついた。その様子から、普段の彼女の気苦労が窺えるというものだろう。彼女はエトヴィンに限ってそれはないだろうと思いつつも、心のどこかで彼が引き篭もってしまったのは自分が攫われてしまったからなのではないかという不安を抱えていた。
その不安は間違いではないが、白濁色の石の研究は最近脅迫染みた手紙や嫌がらせが頻繁に起こりだしたために、エトヴィンが少しずつ研究していたものを、アスカが拉致された件を受けて完成を急いだだけである。そのため彼女が責任を感じるのはお門違いというものだ。
そんなアスカの不安を知ってか知らずか、研究第一なエトヴィンは当然のように気にかける様子はなかった。
「まぁ今回の研究は難題だからな。他の事をしながら天啓を待つのも良いだろう。私はこれから旅支度をするので、父上にはパーティに参加すると伝えて欲しい」
「かしこまりました。しかしご主人様」
アスカは用件だけ伝えて再度扉の奥へ戻ろうとするエトヴィンを呼び止めた。
「何だ?」
「ご夕食が先でございます」
夕食の準備がすでに整っていると聞いたエトヴィンは肩透かしを食らったかのように何度か目を瞬くと、肩をすくめしぶしぶといった様子で部屋を出るアスカの後についていった。
「それで結局、もう一つの実験とは一体なんだったのですか? ご主人様のことですから、きっと何かをお作りになっていたのだとは思うのですが」
「ああ、それは――」
彼は一瞬答えに戸惑ったがアスカに隠すことはないだろうと考え、そのままを伝えた。
「『私』だよ」
「……今回は一体どういう言葉遊びですか?」
エトヴィンの要領を得ない説明はいつものことであるが、今回の答えにアスカはいつもとは違った感覚を覚えた。
「そんなつもりはなかったのだが……まあ、直接見たほうが早いな。パーティから帰ってきたら君にも見せてやろう。まだまだ完成には程遠いがね」
「今度は一体どんなグロテスクなものを見せていただけるのでしょうか? 私は嬉しさの余り涙が出てきそうです」
意地の悪い言葉を吐くアスカだったが、彼女の口元は微かに笑っていた。
「君もいい具合にひねくれてきたな」
そんな彼女の様子に、エトヴィンは苦笑をもらす。
「今回は解剖じゃあないから、大丈夫だとは思うがね。というより、今回に限っては安易に解剖という手段が使えなくてね。それが実験が滞っている理由でもあるんだが」
彼は自分の右腕をじっと見つめながら、そんな事をつぶやいた。
「さて、エヴィンよ。忘れ物はないか?」
アルフレートは豪華な装飾のあしらわれた馬車に乗り込みながらエトヴィンに対して聞いた。その馬車には邪魔になりそうな大きな飾りはついていないが、金銀宝石のついた装飾品が至る所に飾られ、かつそれらは計算されたように綺麗に配置されており調和が取れている。
そして何より目に付くのが、馬車の両側面に浮き彫りにされたイェレミース公爵家の家紋。中央に巨大な山が描かれ、その周囲には様々な鉱石や宝石が描かれている。それが、イェレミース公爵家の昔からの国内の立場を如実に現していた。
この世界の鉱山は枯渇しない。全く枯渇しないわけではないが、異常なほど豊富な魔力の漂う鉱山では、鉱石が自動的に生成される。正確には、現在眠っている鉱石が魔力によって年々増大していくのだ。その増量は通常の鉱山では考慮されないほど極僅かであるが、公爵家が持つような巨大な鉱山では当然増える総量は遥かに多い。
イェレミース家では毎年厳密な調査と管理の下、その増えた分だけ採掘を行っている。それでも掘れる量は多いとはいえないが、公爵家所有の鉱山には様々な希少金属が眠っている。そのため、たとえ量が多くなくともその価値は莫大なものになる。
それ故に、公爵家は昔からその富と地位を守り続けており、半永久的にその地位が代わることはない。
「はい、父上。問題ありません」
彼は一冊の本とペンだけを手に馬車に乗り込むと、その後から二つの麻袋を背負ったアスカが乗り込み扉を閉める。
アルフレートが御者へと合図すると、馬車はゆっくりと走り出した。
エトヴィンが馬車についてるカーテンをめくり小窓から外を眺めると、外には馬に乗った騎士達がこの馬車を囲むようにして護衛をしている。
「エヴィン、最近大きな攻撃魔法を完成させてはいないが、研究のほうはどうなっている?」
「いくつか出来上がっているのですが、それらは公開するよりもイェレミース家が独占した方がいいと思うものが多いのです。ですから公表は控えています」
「そうか、お前がそう思うならそうするといい。その魔法とやら、今度私にも教えてはくれないか?」
「もちろんです。イェレミース家の当主はあなたなのですから」
エトヴィンがその要求ににこやかに答えると、アルフレートは気分が良くなったのかその大きな体を揺らしながら笑った。
「そうかそうか。家の将来のことまで考えているとは、お前は本当に優秀だな。お前が私の跡取りとは、イェレミース家は安泰だ」
行中しばらく様々な雑談に興じていたエトヴィンは、ふとあることが気になってアルフレートに尋ねてみた。
「そういえば父上。今回誕生記念パーティが開かれる第三姫は私の許婚になるかも知れない方なのですよね?」
「ああ、そうだ」
「一体どんな方なのでしょうか?」
その問いに、アルフレートは目を丸くして驚いた。
「お前知らないのか」
「それほど有名な方なのですか?」
「まぁ名が知れ渡っているわけではないから、お前が知らなくても無理はないか。しかし、上位の貴族でしらぬ者はおらぬ程度には有名だ」
「なぜなのですか?」
王族とは言え第三姫。それも誕生記念パーティを大々的に開くというのは、この国では十歳と十五歳。どちらにせよそれほど頻繁に社交界などに顔を出すような年齢ではない。そんな第三姫が有名だというならば、よほど容姿か性格が特徴的でなければありえないだろう。それ故に、エトヴィンの疑問は当然と言えた。
「幼くして人間離れした容貌と雰囲気をしていてな。第三姫を一目見た貴族は口をそろえて――人形姫と呼んでいる」