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第七話 誘拐

 エトヴィンの朝は、アスカに起こされることから始まる。

 それが彼女のメイドとしての業務でもあるのだが、以前日本人としての感覚が未だに残っているエトヴィンがやんわりと断ったとき、彼女は頑なにそれを譲らなかったため、彼が彼女より早く起きることはなくなった。

 しかし、その日は彼女が起こしに来ることはなかった。代わりに、彼を起こしに来たのは一人の老齢のメイドだった。彼女は長くこの城に勤めているため、エトヴィンもよく知っていた。


「エルバ、なぜ貴女が私を起こしに来たんだ? アスカはどうした」

「彼女は体調不良で休んでおります」


 いつものように淡々としたやり取りではあったが、エトヴィンは彼女の言葉に違和感しか感じなかった。

 普段あれほど狂信的なまでの忠誠心を見せているアスカが、体調不良程度で自らの責務を果たさないとは考えられない。とすると、何らかの理由で彼女が来られないと考えたほうが自然である。それも、エルバが嘘をつかなければならないような……。

 エトヴィンはアスカに起こっているその事情について、楽観視は出来なかった。

 彼はすぐさま上着を羽織り、部屋を出ようとする。


「お待ちくださいエトヴィン様。一体どちらに行かれるのですか?」

「アスカの部屋だ。体調不良なら当然寝ているのだろう? エルバのおかげで今日は気持ちよく起きれて気分がいいからな。見舞いにでも行ってやろうと思ったんだ」


 彼は自然と語尾が強くなるのを自分でも感じながら、それでもそれを抑えようとはしなかった。


「それはなりません。ご当主様より朝起きたらまず執務室の方へ来るようにと言いつけられておりますので」


 案の定、エルバはエトヴィンをアスカの部屋へ行かせようとはしなかった。

 その言葉を聞き、彼はアスカの身に何か起こっているのだと確信する。


「少し様子を見たらすぐに向かうから安心しろ。わかったら四の五の言わずにそこを退け」

「なりません」


 それでもなお立ち塞がるエルバに、エトヴィンは湧き上がる苛立ちを隠せなくなっていた。

 彼女がこうも頑ななのには、彼が誰にも本性を見せていないというのが確実に関係している。彼女からすれば、エトヴィンという子供は天才的ではあるが、気のいい少年でしかないのだ。たった九歳の子供に、目的のためなら生きたまま人を解剖するような残虐性があるなどと誰が考えるだろうか。

 しかし、彼にはすでにアスカの安否を確認するという目的が存在した。


「『一刻の間、慈悲を持って対象の筋肉を弛緩し無力化せよ』」


 これ以上の問答は無駄だと判断したエトヴィンは、即座に目の前のメイドの無力化に移行した。平民出身の彼女は、それに抗う術もなく崩れ落ちるように床に倒れ付した。

 下手をすると骨が折れてしまいそうな崩れ方をしたエルバを全く気にせず、彼はすぐさま部屋を出てアスカの部屋へと向かった。

 この巨大な城を移動するのは、それだけで多少時間が掛かってしまう。その移動時間にすら苛立ちを覚えながら、エトヴィンは通り素がるメイド達が注意するまもなく長い廊下を駆けていく。

 階段をすべるように駆け下り、渡り廊下を駆け、ようやく離れの館にあるアスカの部屋へと到着した。

 扉の前まで来ると、彼は中にいるはずのアスカに声をかけることもなく扉を乱暴に開け放った。


「アスカッ!!」


 扉を開け放つと、そこには複数人のメイドがいた。彼女達は乱暴に散らばった家具や衣類、雑貨などを片付けている最中だった。そこにアスカの姿はなく、エトヴィンの正面に見える割れたガラス窓は、そこで何があったのかを連想させるには十分すぎるものだった。


「攫われたか……ッ」

「エトヴィン様、どうしてここにッ!?」


 メイドから話しかけられたのを軽く無視し、彼は部屋の中をざっと見回した。血痕らしきものが特に見当たらないのを見ると、殺された可能性が低いのは理解できる。

 エトヴィンはメイド達の制止を全く気に留めず部屋を飛び出すと今度はアルフレートの自室に向かって駆け出した。

 彼は走りながら、上着のポケットに入っていた透通る翠色の宝石を取り出した。手のひらサイズのその宝石の中心には、歪んでいて、その実一定の法則に従った幾何学模様の集合で出来た魔法刻印が刻み込まれている。

 彼はその宝石を口元に持って行き、その魔法刻印に向けて言葉を発した。


「起きろ、殺戮人形アリス、サヤコ。その身を持って我が敵を一人残らず殲滅し、アスカを救いだせ」


 それだけ言うと、エトヴィンはその宝石を懐に戻した。

 彼の使用した魔法具は電話やトランシーバーをイメージして作ったオリジナルのもので、その接続先は彼が言った様に研究室の机の上に座っている二体の殺戮人形になっている。この宝石の刻印部分に向けて命令を話すことで、遠く離れたゴーレムに向けて命令することを可能にしたものである。

 二体のゴーレムをアスカ救出へと送り出したことで多少落ち着いたのか、エトヴィンはアルフレートの執務室の扉の前に着いたときには平常心を取り戻していた。

 彼は扉の前で一度深く呼吸をすると、扉をノックした。


「入れ」

「失礼します」


 エトヴィンが扉を開けると、そこにはいつものように奥の椅子に深く腰掛けたアルフレートと、部屋の右手には数人のメイドがいた。彼女達は背丈から容貌まで各々異なるが、皆見麗しい容姿をしている。

 彼が見る限り、エルバを伸したことやアスカの部屋に向かったことはまだ知らされていないようである。


「さて、今日呼んだのはお前の専属メイドだったアスカが働けなくなってしまったのでな。新しく働くメイドをこの中から選んでもらいたいのだ」

「なるほど……私を呼んだのはそういうことですか、父上」


 そう言うエトヴィンの声は今までに聞いたことがないほど低く冷たいもので、彼は射抜くような鋭い視線でアルフレートを見ていた。


「誤魔化さなくても結構です。アスカは攫われたんですよね?」

「ッ、どうしてそれを……」

「先ほどアスカの部屋を確認してきました。分かりやすいくらい賊に襲われた感じの荒れ方でしたね?」


 九歳の子供が実の父親に詰問口調で問いただすその異様な光景に、控えていたメイド達も割ってはいることは出来ずに息を呑んで見守っていた。


「あ、ああ……そうだ。朝襲撃があったかと思えば、あっという間に攫われてしまった」


 そのエトヴィンの様子に面を食らったのはアルフレートも同じであった。今までに見たこともない息子の冷たい怒気に当てられ、彼は事実をそのまま口にしてしまう。


「チッ……警備兵は何をしていたんだ……。まあ起こってしまったことはもうしょうがありません。父上、私はこれからアスカを取り返すので、新しい専属メイドは不要です」

「……それはならんぞ、エヴィン」

「なぜです?」


 エトヴィンは冷たい声音のまま、アルフレートの返答に苛立ちを隠せないかのように問うた。


「お前はイェレミース家の長男であり、唯一の跡取りだ。その身を無闇に危険に晒すわけにはいかん」


 彼は息子の様子に面をくらったが、公爵家現当主の名は伊達ではなく、すぐさま冷静さを取り戻した。


「ああ、ご安心を。私が直接助けに行くわけではありませんので」

「……なに? どういうことだ?」


 エトヴィンの言っている意味が分からず、アルフレートは再度聞き返す。


「既に助けるために私のゴーレムを送り出しています。彼女がまだ死んでいなければ助けることは出来るでしょう」

「エグモントを吹き飛ばしたという例のゴーレムか?」


 地下の研究室で行った実験ならばともかく、訓練場で兵士の協力を経て行った実験の事は、当然当主たるアルフレートの耳にも入る。件の実験については、彼もエグモントから事情を聴き把握していた。そして、エグモントに戦場で絶対に遭遇したくないと言わしめるそのゴーレムの異質さや強力さは、事細かに彼からアルフレートに伝えられている。


「いえ、それとはまた違うものです。単純な一対一の対人を考えればアレのほうが都合がいいのですが、今回は多勢の中からアスカを救わなければなりませんから」


 エトヴィンがそこで一旦話を区切ると、静まり返った室内に僅かな振動音が室内に響き渡った。彼はその音源である翠色の宝石を胸元から取り出すと、思わず口端を吊り上げた。




「グッ……うぅ……」


 イェレミースの城より少し離れた森にある洞窟の中、いくつにも分岐した通路の先の一室で松明の明かりに照らされながらアスカは蹲りうめき声を上げた。その周囲を薄汚れた麻の服を着て腰に剣を携えた野卑な格好の屈強な男達が囲んでいる。


「すげぇなこの女……命乞いどころか悲鳴の一つも上げやしねぇ」

「ああ……確かにここまでの女は初めて見るな」


 エトヴィンのお気に入りであるアスカを攫ったこの男達は、彼に関する情報を少しでも吐かせようと先ほどから殴る蹴るの暴力を振るっているが、有力な情報どころか主の好みすら話そうとしないメイドの姿に呆れを通り越して感心していた。

 屈強な男達から振るわれた暴力にアスカは顔を除く体中に痣が出来ており、それでもその顔に傷一つつけられていないのは、この男達がアスカの体を楽しもうと考えているからだった。


「なぁ……メイドさんよぉ。俺らは別にアンタを痛めつけたいわけじゃあないんだ。どうせ一介のメイドのために助けなんて来ないんだから、早いとこ『魔神』について知ってることを吐いて楽にならねぇか?」


 その男達の中から、一層屈強で顔面に古傷の入った男が出てきてアスカへと歩み寄ると、彼女の前にしゃがみこみ顎を持つ上げるようにして無理やり体を起こさせた。


「アンタから情報が手に入ったら、その情報を渡せば俺たちの仕事は終わりなんだよ。そしたら目一杯気持ちよくしてやるから、早いとこ吐いて楽になろうや」


 その言葉に、アスカは何も答えない。正確には答えられない。確かに、彼女は立場上他の使用人達が知らないようなエトヴィンの事を知っている。それはエトヴィンの両親ですら知らない彼の本性であるのだが、しかし彼女はそれしか知らないのだ。

 エトヴィンの行った魔法実験は、殆どが公開されてしまっているし、公開されていないものは、彼の死者蘇生や生命創造といっても差し支えないゴーレム魔法の実験である。そんな荒唐無稽なものを話したところで、信じて貰えるとは到底思えない。


(それに……本当に恐ろしい実験をあの方は決して他者には見せない。それは、ご主人様の庇護下にある私でも同じこと)


 エトヴィンの行う研究室の奥にある解剖などを行う部屋に隠し扉があることをアスカは彼から聞いている。そして、そこには決して入ってはならないと厳命もされていた。


「ちっ……仕方ねぇな。薬使うか。こんなとこにいつまでもいて見つかったら堪ったもんじゃないからな」

「親分、確かに早く本拠地に帰るに越したことはないですが、薬は……」

「分かってるよ。高価なくせに喋らせたことが正しいとは限らない……だが情報を渡すまではここから離れられないからな。背に腹は変えられねぇ」


 振るわれた暴力から体力が衰弱していたアスカは、霞掛かったかのような思考で男達の話をぼんやりと聞いていると、彼女の視界の端に金髪の人形が目に入った。その見覚えのある人形の存在を認識した途端、アスカの胸のうちにあった様々な感情は歓喜の一色で塗りつぶされ、霞掛かった思考は冴え渡っていった。


「フ……フフ……全くご主人様は……」

「あ……?」


 突然豹変したアスカの様子に、盗賊の男達は彼女に視線を向ける。


「貴方達も愚かな真似をしたものですね。あのお方――エトヴィン・ド・イェレミース様に適う存在などこの世界にいないというのに」

「……ようやく話す気になったのか? それとも気がふれておかしくなったか?」

「貴方達は本当に無知で愚かです。私がご主人様のお気に入りだと分かっていて私を攫ったのですから。これがもし他のメイドだったなら、ご主人様は気にも留めなかったでしょうに」

「何を言ってやがる……?」

「ご主人様は目的を果たす為に手段を選びません。そして、私はその目的に貢献しています。そんな役立つ私が誘拐されたのを見過ごすことなどありえないと言っているのですよ――」


 アスカが語り終わると同時に、親分と呼ばれていた盗賊のリーダー格の男の首が宙を舞い、綺麗に切り離された首の断面から鮮血が吹き上がる。


「遅くなりました。エトヴィン様の命により助けに参りました」


 いつの間にかアスカの眼前に移動していた金髪の殺戮人形が、そのドレスの裾をたくし上げ一礼する。

 最も入り口から遠いところにいた筈の親分の首が切り落とされ、それと同時に現れた言葉を話す可愛らしい人形の少女。余りに突然の出来事に、彼女の後ろにいる男達は理解が追いつかずに固まってしまっていた。


「直ぐにこれらを処理しますので、少々お待ちください」


 殺戮人形――アリスがアスカにそういうと、この部屋唯一の光源だった松明の火が掻き消えた。


「何が起こっ――」


 突然訪れた暗闇に我に返った男の一人が叫びを上げるが、その声は途中でかき消された。

 それを切り口に男達の悲鳴にも似た野太い怒号が響き渡る。この状況をどうにかしようと全員が武器を取るが、突然の暗闇で全く目が慣れていなく何も見えない。そして、彼らは自分の近くで何かが倒れる音が聞こえるたびに次は自分かという恐怖と焦燥に支配され、一人また一人と逃げ出し始めた。

 足を縺れさせ、ぶつかり、転んだ仲間を踏み潰しながら、各々が野太い悲鳴を上げ出口を目指し走り去っていく。

 暗闇の中でも、来た道を辿れば出口へ辿り付くことは可能である。しかし、出口へたどり着いた男達は、外の森を目の前にして絶望することになる。


「おいッ! 早く行けよ何止まってんだッ!!」

「何でか出れねぇんだよ! 見えない壁みたいなのがあってッ!」


 彼らの眼前では、不可視の壁が彼らの行く手を遮っていた。

 恐怖、焦燥、混乱、怒り、絶望。様々な感情に支配されている男達は、体当たりしても剣で切りつけても壊れる様子すらないその壁の向こう側に、一体の小さな黒髪の人形が立っていることにすら気づかない。


「ウフフフフフフフフフフフ。馬鹿な人間。その結界の強度は、本来のものから格段に落ちているとは言ってもご主人様が直接私に授けてくださったもの。魔法も使えぬ野卑な盗賊風情に破れるものではないというのに」


 その人形は、眼球の抜け落ちたがらんどうの目を細めて薄く笑うと、鈴を転がすような笑い声を上げていた。

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