第十一話 彼を思う二人の女
「ふぅ……」
クレメンティーネは自室のベッドへ飛び込み、今日の疲れを吐き出すようにため息をついた。
(あれが……『魔神』エトヴィン・ド・イェレミース)
苛烈な人物ではなかった。むしろ、表面だけ見るならば穏和で紳士的な人物なのだろうと彼女は思う。しかし、彼女は彼の本性の一部を見てしまった。
(あれは『魔神』なんていうものではない。それほどまで苛烈ではなく、もっとこう……禍々しいなにかでしょう)
彼女は彼の本性を垣間見た瞬間を思いだし、思わず身震いをする。
彼女も王族の端くれ。幼くとも、何かあった時に祝いを言いに来る様々な貴族と会ってきた。
彼女の会ってきた貴族は伯爵以上の上位の貴族のみ。誰も彼もが腹芸を巧みにこなす魑魅魍魎で、狸や狐ばかりであっが、その誰と会ったときよりも怖気を感じたあの瞬間。満面の笑みを浮かべているがその瞳は、深い谷底をのぞき込んでいるような錯覚を覚えるほど深く暗かったと、彼女はもう一度身震いした。
その男と結婚しなければならない事実。そして、結婚したとしても、それは彼を縛る鎖にならないことは、彼が語って見せた話からも明白だった。
なにせ、目的の為なら己の妻をも殺すと明言したのだ。ならば、彼の目的が国家転覆になったとき、彼女が妻でいることなど何の鎖にもならないだろう。
そして、彼を縛る鎖にならないということは、王族の女としての義務すら果たせぬということに他ならない。その事実に、思わず唇をかみ締めそうになる。しかし、彼女はふと先ほどのやり取りを思い出した。
(いえ、どうなのでしょう……私が妻になるのなら、彼は守ると言っていました。ならば、万が一何かあった際、私が頼めば考え直すのでは?)
彼女は応えの出ない問いにまたため息をつく。そこで、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
クレメンティーネはベッドに飛び込むことで乱れた服装を整え、入室を促す。
部屋に入ってきたのは一人のメイドだった。
「姫様。陛下がお呼びです」
「お父様が……?」
珍しい、と彼女は思った。テオバルトは普段は何か用事があったとき、宰相やメイドを必ず通す。
彼女は父からこうして直接呼び出されるのは久し振りだった。
「わかりました。直ぐに向かいます」
一体何事だろうと考えながら、クレメンティーネはメイドに促されるままに部屋を出た。
彼女のお部屋も国王の自室も、共に後宮の最も奥に配置されている。そのため、彼女が自らの父に会いに行くのにそれほど時間を要さない。
もっとも、父とはいえ国王である。幾ら娘であろうとも、そうみだりに会いに行けるわけではない。
扉をノックし返事があったのを確認したあと、彼女はゆっくりと扉を開ける。
室内にはテオバルト一人しかおらず、ゆったりとした気負いのない服装をしている。クレメンティーネはそれを確認すると、公務ではないと判断し砕けた口調で話し始めた。
「お父様、こんな時間に年頃の娘を寝室へ呼び出すとは、一体どうしたのですか?」
それを聞いたテオバルトは思いきりむせ返った。
「ティーネよ。確かにお前は私の実の娘だが、その言い方は誤解を招く。人前で絶対するんじゃないぞ」
「分かっております。お父様」
全く悪びれた様子のないクレメンティーネの様子に、テオバルトは困った顔をするがそれはどこか嬉しそうな色を帯びていた。
彼も彼女の言葉が冗談だと分かっているのだ。人形姫と言われてはいても、その実しっかりと人間の心を持っていると理解している。彼は態度には出さないものの、甘えるように冗談をいう娘が可愛くて仕方なかった。
「それでお父様、なぜ私は呼ばれたのですか?」
そんなことは聞かなくても理解していた。しかし、彼女は聞いて欲しくないと言わんばかりに用件を問う。
「エトヴィンの事だよ。彼がどんな人物だったのか聞きたくてな。私の所にも挨拶には来たが、仮面をかぶっているのか表情から何も読みとれなかった。あの年頃の子供が悟らせないと言うのは、どうにもアンバランスに見えて気持ちが悪い」
「そのことですか。少し話した程度では、彼を推し量ることは出来ないと思いますが……」
クレメンティーネは正直にエトヴィンの印象を告白した。
「彼は自分の異端さを特に隠そうとしていませんでした。その残忍さすら明け透けに言っていました」
立て続けに彼女はエトヴィンと交わした言葉を思い出しながら、彼の残忍さについてゆっくりと話し始めた。
「それはまた何というか……すまないなティーネ」
テオバルトは自らの娘のその話を聞き返答に窮した様子だったが、少しの間を置き彼女に謝った。
何も隠さないというのは、それが何も問題ではないと思っていること。盗賊だけならいざ知らず、罪のない者や自分の妻まで殺すというのは常軌を逸している。つまり彼は、彼にとって有象無象だと判断したものなど眼中にないのだ。
そんな者の元へと継がせなければならないことを、テオバルトは激しく悔やんだ。
「そんな顔をなさらないでくださいお父様。幸い、彼は私をとても気に入っているようなのです。守るとも言って下さっていますから、それほど酷いことにはならないと思いますよ」
「それでも、人並みに幸せな生活を送れるかすら分からない」
「……私も王族の直系に連なるもの。ならばこそ、もとよりそれくらいの覚悟は出来ています」
室内を沈黙が訪れる。気まずげな空気の中、それをどうにかしようとクレメンティーネが話題を変えた。
「そういえば、エトヴィン様が良く分からないことを仰っていたのですが……何でも、お父様にお聞きすれば分かるとか」
「何だ?」
特に心当たりがないテオバルトは、本気で首を傾げた。そもそも彼とエトヴィンが直接話したのは今日が始めてで、それも二言三言交わしただけだ。彼に思い当たる節はなかった。
「何でも最近、『花』が城に咲き乱れて鬱陶しいのだとか」
「ッ!?」
テオバルトはその言葉に唖然とする。特に何の名称もつけずに『花』といった場合、指し示すものに彼は一つしか心当たりがない。
『花』は、王家秘匿の女性諜報員の別称だ。彼女達は野に咲く花のように違和感なく周囲に溶け込み、そこで得た様々な情報を王へと報告しながらその人生を過ごす。それ以外のアクションは一切起こさず、その任務に支障を来たさなければ、貴族へと忠誠を誓うこともあるだろう、そういう特殊な諜報員達だ。
「……ティーネよ。本当にエトヴィンがそう言っていたのか?」
「はい……あの、お父様。『花』とは一体……?」
「悪いが、それをお前に教えるわけにはいかない。今日はもう遅い。そろそろ部屋へ戻りなさい」
クレメンティーネはテオバルトの様子から、それが触れてはいけない部分だと直ぐに察した。
「分かりました。では、お父様。お休みなさいませ」
そう一礼して退出するクレメンティーネを見送り暫くした後、テオバルトは手元のベルを四度鳴らす。そのベルの合図で入室してきたメイドへ、彼は緊張した声で要件を伝える。
「緊急だ。オイゲンをここへ連れてこい。寝ていたならばたたき起こせ」
「ご主人様、それは何ですか?」
「さて、なんだと思う? 持った感覚や重さで本だろうことはわかるんだが」
パーティを無事に終えイェレミース家の別邸へと返ってきたエトヴィンとアスカは、帰り際にクレメンティーネより渡された小包にお互い顔を見合わせた。
「とりあえず開けてみるか」
中身が分からなければどうしようもないため、エトヴィンはひとまず覆われた包装紙を丁寧に剥がした。
中から出てきたのは一冊の本と一枚の封筒。まず彼は封筒を開封すると、封筒の中身は禁書を所持するための国王直筆の許可証と一通の手紙だった。
手紙には、短い季節の挨拶と、お近づきの印にゴーレムに関する禁書の魔導書を送る旨が書かれていた。
「『王家の下で輝く山の栄光は永遠なり』……か」
エトヴィンは手紙の最後に添えられた言葉を呟いた。
「なんですか、それは?」
「姫様からの手紙に書いてあった。ようは王家の使え続ける限り、我がイェレミース家の地位を約束すると言っているのだろう。姫様を通して国王に脅しをかけておいたのが思ったよりも効いたみたいだな」
「国王陛下を脅すなんて……さすがはご主人様ですね」
主人の暴挙ともいえる行動にその強かさを改めて実感したのか、アスカはうっとりとした様子で彼を見つめる。しかし、彼はその様子に肩をすくめた。
「たいしたことはない。正直、現在の王家の権威は表向きに絶対と言われているが、実際はそれほど強いわけじゃない。今日のパーティの様子を見ればわかるだろう」
「ですが、ご主人様の周りにいたご子息達の家だけが、王家の派閥ではありませんよね?」
「まあそうだが、他は別に絶対の忠誠を誓っているわけではない。直ぐに鞍替えするわけじゃないが、さすがに王家転覆が見えてくれば、他の派閥に鞍替えするぞ」
「ご主人様、以前派閥争いに興味ないみたいなこと言っていませんでしたか? その割にはしっかりと貴族関係を把握していますよね」
アスカがそう指摘すると、エトヴィン苦虫を噛み潰した顔をする。
「興味ないのは事実だ。しかし、いつの間にか王家転覆していましたでは困るからな。それに、周囲をうろちょろされては今後の行動を考えないわけにもいかない」
「『花』ですか。ああいう王家直属の秘密組織ってホントに存在するのですね。初めに教えて頂いた時は正直驚きました」
エトヴィンは手にしていた手紙と証書を一旦机に置くと、禁書の方を手に取りパラパラとめくりながら話を続ける。
「正直うろちょろされるのは不快だが、今日はそれ以上に収穫があったからな。『花』程度問題ない」
「人形姫……ですか」
「ああ、まさかアレほどの美しさだとは思わなかった。もし王家が転覆したら、私は彼女だけを密かに救出するだろうな」
「それほど……ですか……」
エトヴィンの言葉を聞き、アスカの表情に影が差す。
彼女は王女の姿を目にしたとき、人には見えぬおぞましくも美しい王女に鳥肌を立てていた。
今までのエトヴィンの作ったゴーレムの数々から、彼の美醜に関する感覚が常人とは違うことをアスカは理解していた。それは、彼が人間らしい美しさよりも人形めいた人工的な美しさのほうが好みなのだということを含めてだ。
そんな人間いるはずないと、彼女は高を括っていた。しかし、そんな人間が実在していた。
さらにその女が公爵家の嫡男と結婚するに申し分ないほどの地位に生まれたやんごとなき姫であり、あまつさえエトヴィン自身がその美しさに魅せられている。
アスカはその様子に明確な危機感を抱いていた。
彼女もエトヴィンの中での自分の優先順位が一つ二つ下がることに否はない。そもそも彼にとって一番大事なのはゴーレムなのであり、彼女はそれ以降なのだから、今更一つ二つ優先順位が上下しようと関係ない。だが、それが人間――それも女ならば話は変わってくる。
もしも人形姫がエトヴィンにアスカを殺して欲しいといえば、彼は実行するかもしれない。彼の役に立ってはいるが、所詮は一介のメイド。代わりがいないはずはないのだ。
「あれならば文句ないどころか大歓迎だ。貴族に生まれた以上望まぬ結婚は義務といってもいいからな。どうでもよいと思っていたが、彼女があのような美しさをしていると知っていれば、私はこちらから願い出ただろう」
「ッ……」
アスカはエトヴィンから見えない位置でこぶしを握り締める。そんなはずはないのだとわかっていても、見捨てられたのではという錯覚が、彼女の中にかつて抱いていた恐怖を再び呼び起こしていた。
(どうにかしなくては……)
王女との結婚を止めることは出来ない。この結婚には様々な思惑が絡み合って成り立っているのだから。それがわかるくらいには彼女は冷静で、身の程をわきまえていた。
(せめて……私という存在の地位をご主人様の中で確立しなくては……)
その焦りから、彼女は狂気の道へゆっくりと足を踏み入れていく。
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