第九話 人形姫の心、王の思惑
「姫様、今夜のパーティに来ていくドレスの事ですが……」
「任せます」
部屋の隅に置かれた椅子に浅く腰掛ける女性は、メイドの問いかけに対して冷めた声音で返答した。
「……かしこまりました」
メイドもそれに声に何か反応することもなく、極めて義務的に返事をすると、そのまま部屋を出てく。彼女が出て行くと、部屋の中は静寂に包まれた。
椅子に腰掛けている女性は、その黄金と空色の虹彩異色の瞳を下げ、長い白銀の髪を微動だにせず虚空を見つめている。その容姿は当然のように整っているが、余りにもその髪と目に合いすぎており、彼女そのものがどこか人工物めいた美しさをしいていた。
彼女こそ、知る人ぞ知る王国の三番姫――クレメンティーネ・ド・アルドラだった。
「エトヴィン・ド・イェレミース……」
彼女は微動だせず、口元だけを動かしてその名をつぶやいた。
エトヴィンという男が、自身の婿になるのだということを彼女は聞かされていた。
アルドラを救った英雄とも、魔神とも言われる公爵家の嫡男。彼女の父……テオバルトはクレメンティーネへとその偉業の数々を話していた。
曰く、軍事革命が起こるほどの魔法をいくつも開発した。曰く、今まで不治の病と言われていた幾つかの病気を解明した。曰く、盗賊を殲滅し攫われたメイドを救い出した。曰く――。
「ふぅ……」
興奮したように嬉々として婚約者の事を語る父――つまり現国王の姿を思い出し、彼女は思わずため息をついた。
彼女は人形姫などと呼ばれてはいるが、感情がないわけではない。喜怒哀楽はもちろんあるし、物語を読めば感動や憧れを抱く程度には感情というものを持ち合わせている。しかし、どういうわけかまるで呪われているように彼女の表情は微動だにしない。
「エトヴィン・ド・イェレミース……」
彼女はもう一度、その名前を呟いた。しかし、それは好意からくる呟きでは決してない。
(齢十歳にも満たないのに数々の偉業を成し遂げた……そんな者がまともであるはずがありません)
そんなことを思いながら、彼女は自嘲気味に鼻を鳴らした。当然、彼女の表情は動かない。
(でも、まともじゃないのは私も同じ。むしろ、嘲笑の象徴である人形姫なんていう名を付けられている時点で、私のほうが彼よりもまともではないのかもしれません……)
しかし、今回の婚約に逃げ場がないのは彼女自身が一番理解していた。今王家直系の血を継いでいる女性は三人しかいない。そのうちの二人である彼女の姉達はすでに婚約者が決まっているし、エトヴィンという未来の英雄を王家の派閥に引き入れないという選択肢は政治的にありえない。それほどの才を持つものがもし別の貴族派閥に引き込まれてしまい、あまつさえ彼の開発した魔法を横流しされてしまえば、王家転覆も十分にありえてしまう。それほどまでに、エトヴィンの開発した魔法の数々は驚異的であった。
(しかし、彼を力でどうにかしようというのは得策ではないでしょう。お兄様も彼をどうにかしようとメイドを攫うように下賎な者達を誘導したようですが、その者達は全員惨殺されていたそうですし……)
幸い、彼の家系であるイェレミース家は代々王家の派閥に属しており、王家に対して非常に協力的である。しかし、肝心のエトヴィンが家を継いだ後にずっと王家に協力的だとは限らない。ならば、今のうちに関係を深めておくに越したことはない。
そうするために一番簡単で強力な方法が、婚約者が決まっていない唯一の女性であるクレメンティーネが降嫁することだ。
ゆえに彼女には逃げ場がない。本来婚約は何かあった際に解消できるが、この婚約の場合政治的にそれは許されない。事実上の結婚である。
(それにお父様の話を聞く限り、私には監視の役割も期待しているみたいですし……まずは彼の本性を知るところからはじめないといけませんね。確か、本をよく読むという話でしたか……)
クレメンティーネは机の上に置かれたベルを手に取り、軽く二度鳴らした。すると、三度のノックの後に一人のメイドが部屋へと入ってくる。
「姫様、いかがなされましたか?」
「宰相に、禁書を含めた書庫への入室許可を取りなさい。エトヴィン・ド・イェレミース様の件だと言えば伝わります」
「本日の案件は以上です」
クレメンティーネの自室とはまた違う城の一室で、申し訳程度に髭を生やした中年の男が手に持っていた書類をしまいながらそう言った。
「パーティを除いては、が抜けてるぞ」
それに対し、部屋の奥にある椅子に腰掛けながらもう一人の男がため息交じりにそう言った。赤を貴重とし金の装飾がふんだんに施された服を着込んだその男の頭には、この国で一つしかない王冠が輝いている。
「おや、これは失礼しました。確かに陛下に限っては、今日のパーティの方が頭痛の種でしょうな」
「……エトヴィン・ド・イェレミース」
アルドラ王国の国王――テオバルト・アルドラは渋面を隠さずにその名を呟いた。
「王国始まって以来の……いえ、人類史始まって以来の麒麟児ですか。齢八歳にして大人のような思考をし、強大な魔法を操る『魔神』。冗談にしては出来が悪いですね」
「しかも『花』の情報では、噂の殆どは真実だという。繋がりを強めるために許婚を結ばせることは出来そうだが、果たしてその程度で縛れる玉かどうか……」
顎に蓄えた立派な髭をなでながらテオバルトがそう呟くと、それに対して控えていた男が諦めたように首を横に振った。
「おそらく無理でしょうな。『花』の情報では噂に加え、奴隷を地下に連れ込み何かをしているのだということです。あの歳では精通もしていないはずですから、魔法の実験のためだと考えるのが妥当でしょう。幼さ故の残酷さならばまだ納得も出来ましょうが、両親であるイェレミース公爵と公爵夫人へは隠しているそうですのでそれもないでしょう」
「八歳でそれだけの狡猾さと残忍さか……悪魔の生まれ変わりだと言われたほうが信じられるわ」
テオバルトのその発言に男が是非も問わず苦笑していると、部屋の扉がノックされる。
「入れ」
「失礼します」
入室を許可され入ってきたのは一人のメイドだった。
「姫様から宰相へのご用向きを賜って参りました」
「話せ」
「禁書を含めた書庫への入室許可を頂きたいとの事です」
予想外の用向きに、国王と宰相の二人は思わず顔を見合わせた。
「オイゲンはどう思う?」
国王に問われた宰相のオイゲンは、顎に手を当て少しの間俯いた後顔を上げた。
「おそらく姫様は魔導書でエトヴィンの気を引こうとしていらっしゃるのでしょう」
「ふむ……婚約の話を持ちかけたときは気が進まん様子だったように見えたがな。私がエトヴィンの良さそうな話をした時も鬱陶しそうにしておった」
仮にも自らの夫になる男である。どうにか興味を持ってもらおうとテオバルトは懸命に良さそうな話をかき集め娘へと話した。しかし、そのときの娘が興味なさげに冷め切った瞳をしていたのを彼は思い出す。
「おそらく姫様には姫様なりの考えがあるのでしょう。あの方もあの年齢では考えられぬほど聡明なお方……まだまだ温くはありますが」
「当たり前だ……腹のそこまで真っ黒な貴様と、私のかわいい愛娘を比べられてたまるか」
どれだけ娘に溺愛していても、許婚に出すなど国王としての役目は冷徹にこなすテオバルトに苦笑しながら、オイゲンは一つの提案をした。
「そういえば、『花』の報告に信じられないくらい精巧なゴーレムを使役しているという報告もあがっていましたね。よくゴーレム魔法を使用しているとか……それならゴーレムに関する魔道書で飛び切り良いのを渡しては如何でしょう? 我々が持っていても使いはしませんし、たとえ封印指定されているものでも、ゴーレム魔法は研究し尽くされていますから害はないでしょう」
「本当に大丈夫か? 相手はあの『魔神』だぞ。もし我々に想像も付かないような使い方をされたら……」
テオバルトは、エトヴィンがこれ以上力を持つことを懸念していた。
「陛下、それは無駄な気苦労というものです。彼は現時点で既にわが国の脅威です。彼の開発した『トランシーバー』という魔法一つとってもそれは理解できるでしょう。あれのおかげで、わが国の軍部の中枢にいる人間たちは今までの軍略を根底から崩され、てんやわんやでございます。攻撃魔法に関しては言わずもがなですが、あの規模の魔法を複数持っていた場合、我が国軍は公爵家所有の貴族軍に敗北する可能性があります。ならばこそ、我々はもはや彼を味方へ引き入れるしかないのです」
オイゲンのその言葉に、テオバルトは再び渋い顔をした。
「確かにそうだな。そして、いくら天才でもまだ子供だ。今はまだ無理だが、女が抱ける体になったときに特上の女の味を覚えさせれば、味を占めてこちらの利になる行動をしてくれるやも知れん」
「それが……姫様ですか」
「そうだ。クレメンティーネは私とアレの子だぞ。美しく育つに決まっている」
「しかし、姫様の美しさは……」
テオバルトの娘自慢とも取れる話に、オイゲンは言いよどんだ。
「よい、わかっている。あの人形めいた美しさは不気味だというものも多い。もしエトヴィンが気に入らなければ、アデーレと引き合わせればよい。既に帝国の王子との婚約が成立しておるが、エトヴィンを引き入れるためならばやむをえん」
「どちらにしても今夜しだいということですね。では、ひとまずはゴーレム関係の魔導書を姫様の手から渡していただくということでよろしいですね」
「ああ、それで構わん」
オイゲンは用件を言ってからずっと目を瞑っていたメイドへと同行を促し部屋を出た。王女付きのメイドである彼女は先ほどから話を聞いていなかったが、同行を促されると目を開きそ知らぬ顔で彼へと付き従った。
「さて……無駄だとは思うが、別の手も打っておくか」
部屋で一人になったテオバルトは、手元にあったベルを鳴らす。すると、いつの間にか黒いメイド服を着た女が彼の後ろに現れた。物音一つ立ってはいないが、彼は女がいることを確信しているかのように話しだす。
「『花』へと伝えろ。山の栄光は終わる時だと」
「……」
黒メイドの女は何も言わずに、霧がかすむように姿を消した。
久しぶりの更新です。
今回の話は4000文字少々と、少し短いです。
矛盾点がないように注意はしていますが、もしあれば是非感想欄にて指摘していただけるとありがたいです。




