prologue
独房に唯一ある鉄格子の扉が開かれ、入って来た刑務官によって、裕樹は自身の死刑が今日執行されるのだと知る。
特に何かしていた訳でもなく、自宅にあった人形|に思いを馳せていた彼は、入ってきた刑務官によって両腕を抱えられるようにして連れ出された。
刑場までの道のりで、彼は走馬燈を見るかのように自身の人生を振り返っていた。
彼――斉藤裕樹は、現実の女性を愛せない男だった。それは彼が、現実の女性は汚らわしいと思っていたからである。
彼がそう思うようになったきっかけは、彼の人生で多くあるだろうが、その中でもとりわけ原因だと言える出来事は、彼が中学一年の時の出来事だろう。
裕樹は地元の公立中学に入学してすぐ、ある女子生徒に告白した。その少女は入学式で隣に座った人物であり、陳腐な物言いをすれば一目惚れというものだった。
入学式が終わってから数日、ようやく新一年生の雰囲気も落ち着いてきた頃、彼はその少女に告白した。
結果は言うまでもなく惨敗。だが、それだけならば良かった。
その告白された女子生徒は内気な子供で、未だに周りと打ち解ける事が出来ていなかった。そして、みんなと打ち解けるためにその出来事を話しの種に持ち出したのだ。
それから、裕樹の地獄の三年間が始まる。
最初の内は皆裕樹をからかうだけだった。だが、入学して日が浅く、人間関係の構築が甘いその時期に彼をかばう人間はおらず、周囲の人間は裕樹という人柱によって人間関係を深めていき、裕樹のみが学年で孤立した。そして、とうとう虐めが始まった。
徐々に苛烈になっていくイジメ。殴る蹴るは日常茶飯事で、万引きの強要、野外での強制露出、そして食べられないあらゆるものを食べさせられた。
その空気はウイルスの様に瞬く間に学校中に伝播し、最初は味方をしていた教師達も、他学年にもその空気が伝播すると見て見ぬふりをするようになる。
そんな苛烈な環境において三年間を過ごした彼は、すっかり他人を信用しなくなっていた。
裕樹は中学を卒業すると、そのまま就職をした。それも、地元の企業では絶対に顔見知りに遭遇してしまうだろうことから、新幹線で二時間以上もかけ東京まで出てきて、一人暮らしをしながら働き始めた。
当然中卒で雇ってもらえる職場に待遇の良い場所は少なく、様々な職やアルバイトを転々としながら過ごしていた。
そんな生活を過ごしていた二十二歳のある日、裕樹は気まぐれに普段通らない細い裏通りを通ると、一軒の店が目に入った。店の外側から見えるようになっているショーウインドウには、一体の等身大西洋人形が目に入った。
その時の感情を、裕樹は未だ鮮明に覚えている。
まず目に飛び込んできたのは、胸元まで伸びウインドウ内のライトに照らされ輝く黄金の髪。そして、長いまつげのついたその目は薄く開かれており、そのもの憂げな表情は見るもの全てを魅了するのではと思ってしまうほど顔の造形が整っている。なにより、それ以上に名状しがたい魅力があった。
その少女の人形から目が離せなくなった裕樹は、引き寄せられるようにショーウインドウへと歩み寄った。
一体どれほどの時間そこで佇んでいたのか裕樹には分からないが、かなり長いそうしていたことは確かだろう。
彼は一旦その人形から目を離すと、今度はふとその左下に申し訳程度に置かれている値札が目に入った。
その金額は、約五百万円超。
決して安いとは言えない。むしろ、一般サラリーマンからすれば大金というべき金額だが、趣味という趣味もなく、株や為替取引等で資産運用をしている彼にとっては買えない金額ではなかった。
裕樹は急ぎ足で店内に入り、店員を呼ぶと外の人形を購入する旨を伝えた。
裕樹がこのような人形を買うのが初めてだと言うと、店にとっては格別な上客である彼に対し、店員は懇切丁寧に定期的な手入れの仕方を教え、それらが詳しく載っている書籍もおまけに付けた。
それから、裕樹の人生は人形に捧げたと言っても過言ではないほど人形に入れ込んだ。無心で働き、帰って来ては人形達を愛で、寝る前には必ず手入れを欠かさなかった。
最初に人形を購入してから数年、彼はそんな人生を送ってきた。
仕事以外では誰とも話さずひたすら人形の為に働き、自宅に帰れば人形に話しかけるような毎日を送っていた裕樹の精神は気づかぬうちに磨耗しており、彼は一つの狂気とも言える疑問を抱き始める。
――なぜ現実に生きる醜い女達は自由に歩き回り、自由に話しているのに、これだけ美しい人形達にはそれが出来ないのか。
正常な精神状態の人間ならば、人形なのだから当然だろうという考えに至るのだろうが、残念ながら当時の彼はまともな精神状態ではなかった。
そして裕樹は、ならば醜い女達をあの美しくも儚い人形のようにしてしまえばよいのではないかという考えに至る。
そこから、前代未聞とも言える狂気の連続誘拐殺人事件が始まった。
裕樹はまず目に付いた女性を適当に浚って監禁し、手足を切り落としてその部位を人形に付け替えるという事を繰り返した。その所業は、すでに狂人のそれである。
当然人間の肉体に人形のパーツがそのままつくはずもなく、切り落とした四肢の断面から出血や腐敗が進み、彼は人間を人形にするという試みの中で多くの死体を作り出しては廃棄した。
だが、彼とて馬鹿ではない。彼は馬鹿ではなく、狂っていた。医学や義肢などの様々な専門書を読み漁り、少しずつではあるが自分の理想の形に僅かではあるが近づいて行った。
彼のターゲットは無差別であり、手慣れてはいないが現場に証拠を残さないように細心の注意を払いながら行われたこの誘拐殺人は、警察側も捜査が難しくしばらくの間裕樹が捕まる事はなかった。
しかし、日本の警察も無能ではない。監視カメラや僅かな現場証拠、それに科学的な検証から裕樹を特定し、ようやく逮捕にまで至る事が出来た。
そこからの流れは非常に分かりやすい。逮捕された裕樹はすぐさま裁判にかけられた。裕樹自身覚えていないほどの数の人間を弄ぶようにして行われたこの誘拐殺人の罪は非常に重く、心神喪失常態であるという擁護は僅かにあったが、当然判決は死刑となった。
そして、自身の考えが破綻していると裕樹が気づいたのは、判決を受け、独房に入ってからの事になる。
過去の過ちを振り返っていた裕樹は、刑務官に眼前の部屋に入るように促され、我に返った。
その部屋は、死刑が執行される前の最後の一時を死刑囚が過ごす為の仏間だった。
裕樹は用意された椅子に座る。
この場で希望すれば遺書を書くことも出きるそうだが、その全てを拒否した裕樹は、白い布を頭からかぶせられ、刑場まで連れて行かれた。
この段階までくると、震えで足腰が立たなくなる人や、暴れ回る人がいるのだが、裕樹はとても落ち着いた様子で、刑務官に付き添われながら一歩一歩しっかりと歩みを進めていた。
首に何かが掛けられたのに気づくと、裕樹は塞がった視界の中で人生の終わりを悟った。あとは幾人かの刑務官が同時にボタンを押せば、その内どれか一つが正常に作動し、彼の足元の床が抜け首吊り状態になる。
裕樹はその最期の時を、逮捕された際に押収された人形達のことを思いながら待った。
(俺は本当に無駄な事をしていた。彼女達に命を吹き込みたければ、人工知能やロボットの研究でもすれば良かったのだ)
最期の時が刻一刻と迫っている。彼は生まれて初めて神様に祈ってみた。
――願わくは、次の人生では人形に命を吹き込むことが出来る様に。