【28】海デート#9 心境
「...。」
自分の、言いたいこと...。
部屋のドア前まで来たものの、そこからドアノブを捻ることが出来ない。
「茲...」
声がして顔を上げると、目線の先に彼が立っていた。
***
「詳しくは言えないんだけど...」
「うん」
蘭の部屋に入ってから、約10分。
手を握ってずっと待ってくれていた蘭は、何も言わずに淡々と話す自分の話を頷きながら聞いてくれた。
「勘違いかもしれないけど...でも、強引なことされて」
「うん」
「僕は正直、嫌だなって思って...」
「うん...」
はっきりとは言えない。むしろ口に出す方が恥ずかしい。
お風呂で彼から襲われそうなった、なんて言ったら、いくら受け入れてくれた蘭香でも耐えられないと思ったから。
「男の子って...意外と難しいのかも」
「え?」
顎に指を当てて、蘭香は天井を仰いだ。
「女の子って難しい。ってよく言われるけど、私は逆に男の子の方が難しいと思うのよね」
「どういうこと?」
「ほら、男の子って喧嘩するものでしょ?自分のほしいもの出来たら無理矢理でも相手から奪いたいとか、自分のものにしたいとか」
「自分の...ものに」
僕は1度だって...彼を自分のものにしたいと思ったことはあった?
「そうすると、茲と加月さんは...なんか違うよね」
「え?」
「あたしが見た事ないだけかもしれないけど、2人の喧嘩してる所とか見たことなーって」
そういえば、喧嘩なんてした覚えないかも...。
むしろ彼に嫌われたくなくて、あえて色々なものを捨てて来たこともあったけど...。
つい、あの日のことを思い出した。
それは蘭と加月くんの見合いの日のこと。
「ふふ、思い出しちゃったね」
頭の中が混乱して、そこで蘭の声が遮った。
「茲、加月くんとちゃんと話してみな」
「...それは」
「自分の言いたいこと、言ってみなよ!2人きりで、遠くてもいいから、自分の気持ち、思ってること、伝えてみな。ね?」
バシバシ、と今度は男気ある腕で背中を叩かれた。
蘭はほんとにいい親友だ。
最初にあった時も、別れ際も、彼女は笑顔だった。
こんな可愛くて、頼もしい子、僕には勿体ない。
「蘭、いい人見つけてね」
「何言ってるの?私には良人しか近づかないわよ」
「あはは、はいはい」
トン、と背中を押されて、貰ったココアパックを抱えて歩き出した。
後ろでドアの閉まる音がする。
僕の、本当の、気持ち。
***
「...窓、開けるよ」
軋むソファに座り込む。
シャー、とカーテンの開く音がして窓が開いた。
涼しい風、部屋中を周り、僕の足元に少し触れる。
彼との距離は朝とまるで同じ。
端と端。
「...。」
「あっ」
その時、急に大風が入り込んで部屋中のものが散乱してしまった。
慌ててそれらを片付ける。
彼のものと僕のもの。
ごちゃごちゃに入り交じって、重なって。
「...っ」
ふと、手が当たった。
「...ごめ、」
「いい...!っ痛」
振りほどいた拍子に、指が紙で切れて、ヒリヒリと痛みに襲われた。
「...待って、今」
「だ、大丈夫」
「待って」
彼は荷物から救急バックを取り出して、消毒液と絆創膏を取った。
「これくらい、唾つければ」
「いいから、そこにいて」
無理やり立ち上がろうとしたけれど、痛みと彼の視線で力が出ない。
「我慢して」
「...ッ!」
消毒液が...染みて痛い。
それに、彼の顔が...近すぎる。
「出来た。」
処置が終わって立ち上がろうとした彼を、咄嗟に強く抱き寄せた。
「...茲?」
「ごめん、ありがとう...」
強く強く、離さないと決めた。
「嫌じゃ、ないの」
「...。」
嫌じゃない、今はむしろ...。
言いたいこと、言ってもいい?
「昨日は...ごめん。勝手に出てって」
淡々と、自分の言いたいこと、伝えよう。
「...っ」
すると背中に彼の手が回って、さっきより距離が近づいた。
少しずつ分かる、彼の脈立つ鼓動が早くなっていること。
「なんで茲が謝るの」
肩に顔を埋めて、彼が言った。
「なんでって...」
「ひどいことしたのは、あたしだよ」
「...加月くん」
更に、その距離は近くなって荒くなって。
「無理やり...ひどいことしたのは、こっちなのに!」
「...か、加月くん」
脈立つ鼓動が、太鼓のように胸に響く。
ドクン、ドクン、耳に響く。
「ひどいよね、別れた方がいいよ。俺たち」
伝えるって決めたんだ。
「...ごめ、」
「本当ひどいよね!全部勝手に決めてさ...っ」
「えっ...」
僕はそこから、彼の顔を見て、心境全部を投げかけた。
「僕、その...ムードとか分からないし、加月くんが言ってるその、誘ってるってのもよく分かんない」
「...そ、」
「僕はただ、加月くんが...加月くんの肌が...綺麗だなって思って見てただけ。加月くんが思ってるようなこと、悪女みたいなことなんてしようとしてないし...、というか僕そんな、器用じゃない」
ぶつけるように、涙を浮かべて眉頭が強張る。
「...なんだよ、それっ」
すると彼は黙ってすっと立ち上がって、口を開いた。
「茲は分かってない。」
「えっ...」
「確かに...あたしは色白で、いつも色んな人から綺麗だねって言われる。でも、気づいてる?」
「...なに」
「茲の方が、ずっと、ずっと素敵で綺麗なんだよ」
彼の手がそっと頬を包んだ。
そのまま身体を持ち上げられて、さっき座っていたソファに寝かされる。
「ちょ...っ」
「大丈夫、今度は何もしないから」
添えられた手は暖かく、熱いなんて感じない。
夏の夜空には星が降っていた。
彼越しに高窓から月の光が差す。
僕はその星に無意識に手を伸ばした。
するとそれを彼がキャッチして、握った手を開いた。
「はい、捕まえたよ」
「...これは」
その手には星の形をしたキャンディ。
「チョコだよ」
「チョコだったか」
チョコだったらしい。
「はい、あーん」
一口で収まる大きさのそれをぱくりと口に入れられた。
甘いと思ったけれど、時間が経つにつれてビターになってゆく。
「...はぅ、んっ?!」
それを舐めながら天井を仰いで居ると、被さった彼が突然キスを落としてきた。
甘くて苦いチョコレートが口の中で転がる。
絡ませる度に彼との唾液が糸を引き、また口内で絡み合う。
ああこの人は、強引な人だった。と彼の首に腕を巻き付けた。
よく思えば今日まで、なぜか余計に絡んでくるこの人は、最初にあった時から僕が君を想う前から、僕に興味を持っていたのかもしれない。
「怖かったよね...もう会いたくないって思ったよね...」
「そんなこと...っうん。思った。」
「ごめん、ごめん茲」
強く抱き締めた彼の背中が大きい。
耳元に冷たいものが垂れて、そのまま首筋を伝った。
「加月くん」
静かに声を殺して、ただじっと抱きしめる彼の頭を撫でる。
母の子守唄でも聞こえてきそうな、そんな風に。
優しく、優しく。
ああ僕は、どうしていつも、こうなっちゃうんだろう。
つづく




