幼馴染
「―鯉のぼりって、なんか間抜けだと思わない?」
帰り支度をしていた手を一瞬止め、しかしまた何事も無かったかのように英語のリングノートを鞄に入れる。
奴はそんな俺の動作を目に留めるでもなく勝手に話を続けた。
「なんていうかさ、やっぱあの顔がダメだと思うのよね。魚だからしょうがないとはいえね、あのとってつけたようなデカい目はないわ。あと口ね、口。何あのかぱっと開いた締まりの無い口。―って、聞いてる?」
「聞いてるが聴いてない」
というかあまり熱心に聞きたい話ではない。出来ればこのままスルーしたいところだ。
辞書を戻しにロッカーへ向かった俺に、奴は大げさにため息をついて見せた。
―折村枝葉。
想像力を木々の枝葉のように広げられる子に、という意味をこめて付けられたものだと枝葉は言っていたが、正直そんな名前を付けなければこんな自由人には育たなかったのではと奴の両親を恨みたくなったことは一度や二度ではない。
もっとも、たとえ違う名前だったとしてもどの道こうなる運命だったのだろうが。神の采配とは恐ろしいものだ。
「アルトはさあ、人の話をちゃんと聴くってことを覚えたほうがいいんじゃない?」
「お前の話を真面目に聴いていいことがあったためしがほとんどない。むしろ損害の方が多い」
経験上それは充分に理解している。
こいつの思い付きに振り回されて迷惑を被るのは毎度のことだ。
「ねえねえ、あたしが今考えてること分かる?」
「無視かよ」
人の話をちゃんと聴いた方がいいのは枝葉の方だろうと心底そう思うが、今更なのでそれにいちいちムカついたりはしない。俺は器のでかい男なのだ。
ついでに言えば枝葉の言わんとすることは大体察せているが、それを実行に移した場合俺の肉体的疲労及び精神的疲労はピークに達し一歩間違えば死に至りそうな気がしないでもないので、俺は一応話をそらしてみる。
「枝葉、お前部活は?コンクールに出す絵、描くんじゃねえのかよ」
「と、いうわけでアルト、鯉のぼり盗りに行こう!」
「無視かよッ!」
話をそらす作戦は完膚なきまでに撃墜され、こうなったらもう逆らえないという一種の諦めにも似た気持ちが湧き起こる。
しかし俺は枝葉とは違いごくごく一般的な常識人であるので、一応奴の成そうとしている行為を止めようと試みる。
「お前な・・・それは犯罪だぞ?」
「鯉のぼりくらいで何言ってんのアルト。小っさい男ね」
「な、ち、小さいって言うんじゃねえッ!」
ちなみに一応訂正しておくと俺の名前は有斗であってアルトではないが、それはさておき俺は・・・若干チビだ。
今年中三になったばかりだが、160程ある枝葉よりも10cm程度低い。
言っておくが大きな成長期がまだ来ていないだけだ。・・・大丈夫、これからだ、これから。
「はいはいわかったわかった。アルトくんはでっかい男ですねー」
・・・なんだか物凄く馬鹿にされている気がする。今日は風呂上がりの牛乳をもう一本増やすとしよう。
「つーか、鯉のぼりなんてどこにあるんだよ?」
ごまかすようにそう訊くと、枝葉は納得したようにぽんっと手を打った。
「あ、そっかあ。アルトちっちゃいから見えな」
「それ以上言ったら殺す」
「ええと、こっち。あそこの教室のベランダ」
逃げるように窓の方へ行った枝葉が指差す先にあったのは、向かいの棟の二階にある体育教官室だった。
「ね?昨日から飾ってあるの」
確かに、オーソドックスなカラーリングの鯉のぼりが立てかけてある。イベント好きの教師が持ち込んだのかもしれない。
しかし中学生にもなって鯉のぼりとは、生徒の誰も喜ばないんじゃないだろうか。
言っておくが気付かなかったのは俺の席が廊下側にあるからだ。断じて身長の所為ではない。
「別に、盗まなくてもいいんじゃねーの?あのくらいのやつなら普通に売ってるだろ」
すると枝葉は大真面目な顔で首を振った。
「だめ、今欲しい。創作意欲がいい感じに湧いてきてるの。
っていうか盗った方が絶対面白い」
・・・てめぇそっちが本音だな?
「盗むったって・・・どうすんだよ?」
なんだかんだ言っても結局こうなのだ。枝葉の思い付きにいつだって俺は引き込まれる。それはたとえ損害を被ってでも、見たいものがあるからで。
ようは俺だって枝葉と同じなのだ。
―“その方が絶対面白い”
「さっすがアルト。それでこそ男ね」