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光のない戦場

作者: asaghi

 多分。

 

 彼が見ていたものは、常に暗闇。

 見据えていたのか。それとも、見つめていたのか、それは、判然とせぬ。

 或いは、両方かも知れぬ。

 見据えていたとすれば、其処に暗闇有るのは、道理に外れるとも思える。

 見つめていたのならば、己で理解できるものとして見ていたとも、考えられる。

 では、何故。何故、見るのか。見ゆるのか。

 その、答えだけは解っている。

 

 暗闇を見れば、蝋燭の灯りの明るさが分かるから。

 不動明王の憤怒の相が僅かに解る程度の明るさ。それで良い。

 灯明の光が仏の言葉だと、彼の名僧は言われたのだから。

(御仏の慈悲と同じく、言葉は広大無辺。灯明の光といえども、疎かにしてはならぬ。)

(やがて、この国どころか、四海をも照らし渡るだろう、だって?)

 目を閉じていても。か。

(俺ならば、容易い)。

(そうとも。)

(何せ。一つしか、無いのだから。)

 彼は、笑った。少なくとも、自分では。そう感じた。

 

 たった一つしかない瞳を閉じれば、やがて、瞼の奥に宿ったままだった、ゆらゆら揺れる光さえ消える。

 何故か、この瞬間。彼はいつも、笑い出したくなる。

 

 彼が身を置くのは、常に、暗闇。だが、ただの暗闇では無い。

 

 槍を構えた兵が走る。陣太鼓の音がする。肉を、刀が裂く音がする。

 物が焦げる匂いがする。荒い息をさせて、馬が走る。何騎では聞かぬ、何十騎、何百騎もの、鎧武者達が、走り抜けて行く。

 見るがよし。其処に、確かに、見知った顔が幾つか。そして。

 まごう方無き、己自身も居るでは無いか。彼等は何処に行くのか。何処に行こうとしているのか。

 暗闇の中を、たった一つの方向を目指して。

 

 皆が走っている。必死で。

 

 何故、必死なのか。

(必死で走らねば、死んでしまう。殺されてしまう。将と兵の区別など無く。)

 それが、公平な配分であるかどうかなど、神ならぬ身には解りようも無く。

 だって、其処は、戦場だから。

 何故ならば、其れが、戦場であるから。

 暗闇に、法螺貝が響く。鬨の声が上がる。

 雄たけびを上げる、一騎当千のつわもの達。

 

 彼が見ているのは、光の無い、戦場なのだ。

 では、思えらく。

 ”光”は、何処であるかとぞ。

 我が目に確かに映る幾多の像の、そを照らす光は何処より、参ったものよ、と。

 

 *      *      *

 

 和睦を申し入れて来たのは、向こうからであった。

 畠山義継の事を思う。宮城城での出来事を考える。

 きりきりと揉み込むような、頭痛すらしてくるのをお構い無しに、ひたすらに、過ぎし過去を思い、眼前に再現せんばかりに考えている内、ひょっこりと、一つの名前が思い浮かぶ。

(大内、定綱・・・・。)

 不思議な事に、彼等は、一人二人では無い筈なのに、政宗の胸中に浮かぶのは、ただ一人、この名前のみなのである。

 

 伊達十七代目伊達藤次郎政宗。元服して、この名前を名乗る。幼名は、梵天丸。

 梵天とは、神官が御払いの時などに振る、幣束の事。

 夢で、不思議な白髪の老人にそなたの腹を貸して欲しいと言われ、快く承諾した所、母は、ゴヘイとも言われるそれを授けられたと言う。だから、梵天丸。

 元服後の名前の由来は、伊達家中興の祖、第九代大膳大夫政宗にあやかったもの。

 父輝宗は、伊達家が奥州探題を名乗って来た伝統に則り、足利将軍義輝より一文字頂いた。しかし。

『もう、そんな時代でもあるまい。』

 それより、伊達家をこれより、強く大きくするはわが息子であると、大なる(後より考えると、そうとばかりも言えないのだが)希望と願いを込めて、足利将軍義満とも縁続きであった偉大なご先祖の名前を息子に付けたのであった。

(思えば、常に俺を見て、笑っていたな。)

 不思議な位、明るく。

 初七日の読経と線香の煙の向こうに、当人の笑顔が透いて見える。

(この顔を覚えていよ、と言わんばかりに。)

 笑っている顔を。

(何故だ?)

 何故ですか?

(父上ー?!)

 血を吐く叫びは、血に塗れた腕の中の父親の身体に注がれた。

 戦国の世に、その時代を生きる者に、笑っていろと仰せか?

(あなたは、敗れたのですぞ?)

 それどころか、輝宗が推し進めて来た和睦の申し入れを中心とした外交政策は、輝宗自らが斡旋した講和を一人の武将が当人を伊達政宗の父親を拉致し去り、ひっくり返す事で、根底から崩れ去った。

 その畠山義継も、今は亡い。その代わり、影響は甚大だ。特に伊達家にとっては。

 たったの数日で奥州は、以前の血で血を洗う地獄図絵を取り戻したと言えよう。

 政宗は、伊達藤次郎政宗は、伊達家を一人率いて戦う事に、今は疑問の余地すら感じられぬ。

 巨大な大軍、芦名‐二階堂‐岩城‐石川‐白河家で形成された連合軍、が、米沢の地に粛々と迫りつつある。

(とりあえず、と言っては何だが、二本松は貰った。)

 二本松城を拠点にして、連合軍を迎え撃つ。世に名高い、“人取橋の合戦”は、もう目の前である。

 だからこそ、今一度、問いたい。子供の頃、何を聞いても、答えてくれたあの頃のように。

(味方に勝機が有るとしたら、それは、何だ?)

(何ですか、父上?)

 考えても、無駄かも知れぬ。自分にとっての最大の人生の師は、父は、失われてしまったのだ。

 永遠に。

 

 小鳥が鳴いた。はた、と、伊達政宗は、我に帰った。

 もう、雨も上がったころだろう。不動明王の坐像を振り返って苦笑する。

 少しく考え事をした所で、長い時間を過ごした訳でも有るまい。がしかし、休養を取ったような気がした。思わぬ場所でだ。

(坐像と言えば、これは、不動明王なのだろうか?)

(蔵王権現だったりしてな。)

 ゆるゆると、堂の外に出た。空は思ったより明るく、晴れていた。雨上がりの青空が、いっそ清々しい。

(芦名に勝てるかと考えた所で仕方が有るまい。やれるだけの所をやるまでだ。)

(叔父貴や従兄弟達までを引っ張り込んでの連合軍、か・・・・。)

 果たして、急造の連合軍に、伊達譜代の武将同士のような、連携が望めるものだろうか?政宗の胸の内に、ある計画がうごめき出しているのを、本人も否定はしなかった。

(安部対馬が、あとは、頷いてくれるだけ、と。)

 黒脛軍の装束が目にちらついた。

「何とかなるかな。」

 それこそ、最後の手段だが。

 声を出して、馬の手綱を引く、政宗の目に、今度は、鮮やかな虹が映る。

「お、これは、綺麗だ。・・・吉兆かな。」

 遠い幼い日に、遠乗りを教えた人が、政宗にこう言った。

『お前の目は、吉兆ぞ。』

 と。他でもない、梵天丸の隻眼を指してそう言ったのだ。

『満海上人の生まれ変わりの証だ。』

 と。子供心に、本当かと思ったものだ。

(真ならば、この戦、勝てる。)

(真ならばな。)

 

 馬に跨り、思う。吉を凶と変えるも、凶を吉と成すも、己次第。

 しかし。あの一言で、政宗の、梵天丸の心持ちとでも言うべきものが、若干変わったのも、事実。

(俺は、何かを成すべき人間だ。)

(俺は、何を成すべきなのだろうか。)

 軽く、馬の腹を蹴り、走らせ、草を薙ぎ倒し、風を切る。

 馬の足が、急に止まった。政宗が、手綱を引いた。

(ああ。解った。)

(今。解った。)

 片目から、涙が、その時、漸く、温かな涙が一粒、零れ落ちた。

 だが、同時に、目に入る情景があった。政宗が騎馬で立つその前方から、茶色い砂煙がどうどうと立ち上がって動きながら、こちらに、近付いて来る。

(小十郎かな。それとも、成実。)

(俺の帰りが遅いので、迎えに来たか。)

 冬近い風の中を、政宗は、天を見上げて立ち尽くした。溢れる涙、今は拭う気もしなかった。

(父上。伊達輝宗様よ。)

(あなたこそが、あなたこそが、私の、伊達政宗の、“光”でありました。)

(思えば、あなたに手を引いて導かれ、あなたの教えるままに生きて来た。)

(もう、あなたは、いない。)

 政宗は、手綱を、もう、はっきり、見える、友軍の方へと向けた。

 それを見て取ってか、相手は速度を上げて来た。もうすぐ、耳慣れた、いつもの声の響きが聞けるだろう。政宗は、政宗の馬は、歩き出した。

 前方へ。道の彼方へと。

 

 例え、其処が、”光”のない戦場であっても。

 

 

 

 * The End *

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