名探偵 無月小五郎の迷推理
夕暮れが街を橙に染めるころ、雑踏のはずれにひとりの男が立っていた。無月小五郎――左胸に付けたバッジには「所長」とあるが、その実、どこか頼りなく、しかし妙に勘だけは鋭い“迷”探偵である。
待ち合わせの相手は、ほどなく現れた。
黒いコートに身を包み、顔の大半をサングラスで隠した女。それでもなお、隠しきれない気配があった。通りすがりの視線が一瞬だけ引き寄せられるような、そんな類の美しさだ。
小五郎は思わず目を細めた。
(妙だな……)
美しい、というだけでは片付かない違和感。年齢も、素性も、何もかもが霧の中にあるようだった。
「――それで、ご依頼の内容は?」
軽く肩をすくめ、いつもの調子で切り出す。
女はわずかに逡巡し、低くかすれた声で言った。
「夫の浮気の証拠を、掴んでほしいんです」
その声は、耳に残る。小五郎は、言葉よりもむしろその響きに意識を奪われた。
「なるほど。浮気調査、というわけですね」
「はい」
短い返答。余計な感情を削ぎ落としたような言い方だった。
(若い……な)
小五郎は内心で首を傾げる。仕草も、声も、どこか不自然なほどに若い。
(若妻か……いや、それにしては――)
違和感は、確信に近づきつつあった。
「ちなみに、おいくつで?」
何気ない風を装って尋ねる。
「……え? それ、夫の浮気と関係ありますか?」
女の声に、わずかな棘が混じる。
「いえいえ。ただ、あまりにもお綺麗だったので」
へらり、と軽薄な笑み。だがその裏で、小五郎の目だけは笑っていなかった。
女は露骨に眉をひそめる。
「関係ないなら答えませんけど?」
ぴしゃり、と拒絶。
「答えては、もらえませんか?」
「なぜ?」
「私のやる気が下がります」
一瞬、沈黙が落ちた。
「……は?」
「答えて下さい」
「嫌です」
即答だった。
「答えて下さい」
「嫌です」
空気がじわじわと張り詰めていく。
「答えて下さい」
「嫌です」
三度目の拒絶。その声に、ほんのわずかだが、揺らぎが混じった。
小五郎は、そこでようやくため息をついた。
「……強情な人だ」
「何なんですかさっきから! 一体、何の押し問答を――」
女の言葉を、静かな声が遮る。
「勘ですよ」
夕暮れの光が、二人の間に長い影を落とす。
「あなたは――まだ、未成年だ」
その一言で、空気が凍りついた。
「は? 何を――」
女は一瞬、言葉を失う。
「もういいです! 帰ります!」
踵を返し、足早に去っていく背中。引き止める声は、わずかに遅れた。
「あっ、ちょっと! まだ年齢を――」
人混みに紛れて、その姿はすぐに消えた。
しばらくして、小五郎は小さく笑う。
「……フフ」
逃げた。それが何よりの答えだった。
橙色の街の中で、迷探偵は満足げに目を細めた。




