いつもと違う
約束の店は、街の中心から少し外れた場所にあった。
人通りは多すぎず、少なすぎず。
灯りは抑えられ、壁際の照明が、柔らかく影を落としている。
席の間隔も広く、周囲の気配は自然と薄れる造りだった。
――落ち着きすぎている。
仕事帰りに立ち寄るには、明らかに。
エルフリーデは、案内されながら内心でそう判断した。
(……これは、会食ではありませんね)
公的な場にしては、静かすぎる。
私的な場にしては、整いすぎている。
席に着いた瞬間、気づく。
向かいに座るルーカスの雰囲気が、いつもと違った。
執務中の張りつめた気配はない。
かといって、完全に力を抜いているわけでもない。
椅子に深く腰を下ろし、脚を組む。
上着は軽く羽織ったまま、首元は少し緩い。
その姿が――
どこか、よくない。
(……あれ)
理由は分からない。
だが、視線を逸らしたくなる。
「……どうかした?」
低い声で、そう言われた。
「いえ」
即座に否定する。
だが、彼の視線が一瞬だけこちらを掠め、
すぐにメニューへ落ちる。
それだけで、胸の奥が妙にざわついた。
(……今の、何でしょう)
店員がメニューを差し出す。
その際、視線が一度、二人を見比べ――
何も言わず、微笑んで下がっていった。
(……?)
首を傾げかけて、向かいを見る。
ルーカスは、ゆったりとした態度のままだ。
「飲み物、どうする?」
問いかけは、落ち着いている。
「おすすめはありますか?」
いつもの調子で返すと。
「……君は、紅茶かな」
即答だった。
「……即断、ですね」
「君の好みは、だいたい把握してる」
何気ない言い方。
だが、“把握している”という言葉が、耳に残る。
(……いつの間に)
「僕は、同じので。」
それだけ告げて、メニューを閉じる。
迷いがない。
だが、仕事の時の判断とは違う種類の即断だった。
沈黙。
普段なら、ここで自然に話が始まる。
だが、今日は違う。
ルーカスは、すぐに言葉を繋がない。
カップが運ばれるまでの間、
視線は時折こちらに向くが、長くは留まらない。
――見ているのに、見続けない。
その距離感が、妙に意識を刺激する。
(……落ち着かない)
紅茶に口を付ける。
香りが立つ。
「……最近、どう?」
不意に、聞かれた。
声は低く、柔らかい。
「最近、とは……?」
「仕事以外」
言葉を補うように、続ける。
「君の時間の話」
仕事以外。
自分の時間。
その問いに、少し言葉を探す。
「特に、大きな変化はありません」
正直な答えだった。
「……そう」
彼は、ゆっくりと頷く。
残念そうでも、安心したようでもない。
ただ、受け取った、という反応。
「……ルーカス様?」
名前を呼ぶと、視線が合う。
一瞬。
その視線が、深くなる。
(……っ)
理由もなく、呼吸が浅くなる。
「何かな」
声は穏やかだ。
だが、逃げ場を与えない距離感。
「……今日は、少し……」
言いかけて、言葉を探す。
「雰囲気が、違います」
正直に言うと。
彼は、わずかに口元を緩めた。
「そう?」
「はい」
「……オフだから」
それだけ。
だが、その一言に含まれた意味が、やけに重い。
(……オフ、の)
仕事の仮面を外した、という宣言。
「落ち着かない?」
そう聞かれて、思わず首を振る。
「いえ」
少し迷ってから、付け加える。
「ただ……少し、緊張します」
嘘ではない。
ルーカスは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
「……それは、光栄だな」
低く、冗談めいた声。
だが、冗談に聞こえない。
「……からかわないでください」
そう言うと、彼は小さく笑った。
「からかってない」
そう否定してから、視線を外す。
「君が、そう感じてるなら」
それ以上は、踏み込まない。
その“踏み込まなさ”が、逆に距離を詰める。
エルフリーデは、気づけば紅茶を持つ指に力が入っていた。
(……怪しい)
(でも)
(……目が離せない)
視線を外そうとして、外せない。
ルーカスは、何もしていない。
触れてもいない。
ただ、そこにいるだけで。
――場の温度が、変わっている。
「……今日は」
彼が、静かに言う。
「仕事の話は、しない」
断定だった。
「ただ、食事をして。一緒に、時間を過ごす」
それだけ。
エルフリーデの胸が、静かに鳴った。
(……それは)
(……デート、では)
その言葉に至る前に、思考が止まる。
ルーカスは、ただ微笑んでいる。
余裕があって、穏やかで、
どこか胡散臭いほど落ち着いている。
――捕まえに来ているのに、急がない男の顔。
エルフリーデは、知らない。
この違和感が、
この胸のざわめきが、
もう後戻りできない入口だということを。
ただ。
(……今日は)
(……変な夜ですね)
そう思いながら、
紅茶をもう一口、口に運んだ。




