公爵家の帰り道
馬車が、静かに門を離れた。
蹄の音は控えめで、揺れも少ない。
帰路用に整えられた、長距離向きの仕様だった。
車内に、言葉はない。
条件のすり合わせは、すべて事前に聞かされていた通りだった。
形式。
名義。
表向きの立場と、裏の扱い。
想定外は、ない。
だからこそ、馬車が動き出してから、ようやく身体の力が抜けた。
エルフリーデは、背もたれに軽く身を預け、目を閉じた。
(……終わった、わけではない)
むしろ、始まったのだろう。
盤が広がり、位置が定まった。
そこに立つ覚悟は、すでに決めていたはずなのに。
胸の奥で、わずかな疲労が遅れて形を持つ。
「……大丈夫?」
隣から、低い声。
ルーカスだった。
馬車の揺れに合わせるように、視線は前を向いたまま。
「はい」
短く答える。
「思っていたより、静かでした」
公爵家の応接も、会話も、判断も。
どれも、荒れることなく進んだ。
「そうだね」
ルーカスは、ほんの少しだけ息を吐く。
「派手な場じゃない。だからこそ、誤魔化しが効かない」
エルフリーデは、小さく頷いた。
「……正直」
言葉を選ぶ。
「少し、安心しました」
「うん?」
「“選ばれる”場だと思っていましたから」
値踏みされる。
決められる。
そういう覚悟は、していた。
だが。
「違いましたね」
ルーカスは、そこでようやく彼女を見る。
「そうだね。君が、座るかどうかを決める場だった」
淡々と。
だが、確信を持って。
エルフリーデは、目を伏せる。
「……逃げ道は、なくなりました」
「最初から、あまり無かったけどね」
軽い冗談のように言ってから、すぐに続ける。
「でも、」
その一言だけ、語尾がわずかに低くなった。
「切り捨てられる線は、消えた」
それだけで、十分だった。
馬車が、少しだけ大きく揺れる。
舗装の継ぎ目を越えたらしい。
エルフリーデは、無意識に手を握りしめていた。
その指先に、昼間に選んだネックレスが、軽く触れる。
(……まだ、慣れない)
重さも、存在感も。
だが、不思議と不快ではなかった。
「……ルーカス様」
ふと、口を開く。
「はい」
「ありがとうございました」
理由は、言わない。
説明もしない。
それでも、十分伝わる言葉だった。
ルーカスは、前を向いたまま、しばらく馬車の揺れに身を預けた。
馬車の進む音だけが、しばらく続く。
やがて。
「仕事だよ」
短く。
だが、その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
エルフリーデは、小さく笑う。
「……そうですね」
そう言って、再び目を閉じる。
今日一日の緊張が、ようやくほどけていく。
馬車は、連邦の街へと向かって走り続ける。
もう戻れない場所と、
これから立ち続ける場所の、その中間を。
二人分の沈黙を乗せたまま。




