寄り道
宝石店を出ると、街の音が、少しだけ戻ってきた。
石畳を踏む音。
人の話し声。
遠くから流れてくる、焼き菓子の甘い匂い。
エルフリーデは、歩きながら、ふと自分の装いに意識を向けた。
(……この服なら)
自然と、思い出す。
以前、仕事の帰りに一度だけ目にした店。
一人で入るには、少しだけ勇気が要る場所。
――でも。
今なら。
この服装なら、浮かない。
それに。
(……今日は、本来なら、自分で服を買うつもりでしたし)
懐事情を、頭の中で整理する。
宝石も、服も。
結局、会計はすべてルーカスが通してしまった。
(……何度止めても、譲ってくれませんでしたし)
思い出すだけで、ため息が出そうになる。
(なら、少しくらい)
一瞬、迷う。
それでも。
今を逃したら、きっと言えない。
エルフリーデは、足を止めた。
「……ルーカス様」
呼びかけると、彼はすぐに振り返る。
「どうしたの?」
即応。
それはもう、癖だ。
エルフリーデは、言葉を選ぶように息を整えた。
慎重に。
あくまで、軽く。
「もし……お時間が、ありましたら」
視線を外さず、続ける。
「この近くに、スイーツが有名なお店があるのを思い出しまして」
様子を窺うように。
「一人で入るには、少しハードルが高くて……」
ここで、ほんの一瞬、間が落ちる。
「……それに」
声を落とす。
「今日は、本来なら自分で服を買うつもりでしたから、多少の余裕もあります」
言外に含ませる。
――奢らせるつもりはない、という意思。
そして、最後に。
「もし」
少しだけ、言葉を和らげる。
「ルーカス様が、甘いものがお嫌いでなければ」
小さく、首を傾げる。
「ご一緒して、いただけませんか」
ルーカスの思考が、完全に停止した。
(……今)
(誘われた?)
(僕が?)
(甘いもの? 一緒に?)
内心。
(――デート?)
即座に、否定が走る。
(違う、違う、業務延長だ)
(公爵家対応の緊張を和らげるための休憩で)
(部下の申し出で)
(合理的で)
だが。
(……僕が、選ばれてる)
そこだけは、どうしても否定できなかった。
胸の奥で、何かが跳ねる。
さっき宝石店で押し込めたはずの感情が、容赦なく顔を出す。
(……甘いもの、嫌いじゃない)
むしろ。
今は、断りたくなかった。
だが、それは言えない。
言うわけにはいかない。
表情を整える。
呼吸を整える。
統括官の顔に戻す。
「……いいよ」
声は、落ち着いている。
いつも通り。
「時間は、まだある」
少しだけ、柔らかく。
「甘いものも……まあ、嫌いじゃない」
エルフリーデの表情が、ふっと緩む。
「ありがとうございます」
心からの声音だった。
その一言で。
――ルーカスの内心は、祝祭状態に突入した。
(……延長)
胸の奥が、静かに騒がしくなる。
(これはもう)
(業務じゃない)
だが、口には出さない。
彼は、半歩前に出る。
「案内、してもらえる?」
自然に。
当然のように。
エルフリーデは、頷いて歩き出す。
二人分の影が、石畳に並ぶ。
その距離は、さっきより、ほんの少しだけ近かった。
ルーカスは、視線を前に向けたまま、胸の内で一つだけ思う。
(……今日、長いな)
そして。
(――楽しい)
そんな感情を、
統括官としての顔の下に、完璧に隠したまま。
本作をお読みいただきありがとうございます。
多忙のため返信ができておりませんが、感想全部目を通させていただいております。
みなさま良いお年を。来年もよろしくお願いいたします




