着けさせる
宝石店の扉は、服屋とはまた違う重さを持っていた。
開いた瞬間、空気が変わる。
光が、柔らかく、しかし一点一点を逃がさない。
壁一面に並ぶのは、宝石そのものではない。
“選ばれた宝石が立つ場所”だけが、静かに用意されている。
店内は広く、静かだ。
音を立てていいのは、呼吸と、心拍だけのような空間。
「……」
エルフリーデは、思わず足を止めた。
(ここも、ですか)
視線を巡らせるだけで分かる。
ここは「買いに来る場所」ではない。
――“決めに来る場所”だ。
「ここも、貸切にしてるから」
ルーカスが、さらりと言う。
「他の人は居ないから、気楽にして大丈夫」
気楽の基準が、もう違う。
店員は一人だけ。
年齢も、性別も、判然としない。
だが、その佇まいは、服屋の店員以上に研ぎ澄まされていた。
「ご希望は」
余計な前置きはない。
ルーカスは、エルフリーデを見る。
「最低限で」
即答だった。
「……最低限、ですか?」
店員が、ほんのわずかに首を傾げる。
「公爵家への正式招請に添えるものを」
それだけで、通じた。
宝石が、静かに並べられる。
ネックレス。
耳飾り。
ブローチ。
指輪。
一つ一つが、主張しすぎず、だが存在を否定しない。
――どれも、王妃クラスに出しても恥ずかしくない。
「……ちょっと待ってください」
エルフリーデが、慌てて声を上げる。
「最低限、ですよね?」
「うん」
ルーカスは、頷く。
「最低限」
その視線が、すでに一つの宝石に留まっていることに、彼女は気づかない。
「こ、こんなに必要ありません!」
「そんなことないよ」
「なら、これで……」
エルフリーデが指したのは、最も控えめなブローチだった。
装飾は最小限。
誰の目にも引っかからない、安全な選択。
だが。
「うーん、それは違うな」
ルーカスの声が、静かに被さる。
断定だった。
店員が、何も言わずに一歩引く。
「……理由を、聞いても?」
エルフリーデは、戸惑いながら尋ねる。
ルーカスは、宝石の一つを手に取った。
深い色。
緑とも青ともつかない、光の加減で表情を変える石。
彼の目の色と、ほとんど同じだった。
「こっちの方が、視線が散らない」
それだけ言う。
「首元に一つ、確かな焦点があれば、相手は余計なところを見ない」
もっともらしい。
あまりにも、もっともらしい。
エルフリーデは、納得しかけて――
ふと、別の物に目が止まった。
繊細な金細工。
文様は、連邦ではあまり見ない流れを持っている。
「……これは?」
店員が答える前に、ルーカスが言った。
「東方寄りの意匠だね」
さりげなく。
「公爵家は、東方との交易路を軽視していない」
理由は、完璧だ。
「形式として、悪くない」
エルフリーデは、頷く。
(なるほど……)
納得してしまった自分に、疑問を持つ余裕はなかった。
選ばれたのは、二点。
首元に、深い琥珀色の石。
耳元に、東方の意匠。
だが、彼女は知らない。
それが、どちらもルーカス自身に結びつくものだということを。
「……これで、最低限ですね?」
確認するように言う。
ルーカスは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
(十分、だ)
自分の視線の色。
自分のルーツを示す印。
これ以上、何を足す必要がある?
「そうだね」
いつもの穏やかな声。
「最低限だ」
その裏で。
(……足りないくらいだ)
そんなことを思っている自分を、
彼は、完全に自覚していた。
店員が、深く一礼する。
「よい選択です」
それ以上は、何も言わない。
エルフリーデは、宝石を手に取りながら、静かに息を吐いた。
(……思ったより、大事になりましたけど)
隣を見る。
ルーカスは、いつも通りの顔だ。
落ち着いていて、冷静で、余裕がある。
――そう、見える。
彼女は知らない。
この男が今、自分の視線と血筋を、彼女に預ける行為を“最低限”と呼んでいることを。
そして。
どれほど逃がす気のない決意なのかも。




