服選び
昼下がり。
石畳の広場には、人の流れと、陽に温められた空気が満ちていた。
その中に、明らかに場の温度を一段変えている男が一人、立っていた。
エルフリーデは、足を止めた。
(……あ)
視線が、自然と吸い寄せられる。
ルーカスだった。
だが、いつもの「統括官」の姿ではない。
白に近い砂色のシャツは、首元をわずかに開け、胸元には細工の施された飾り紐が垂れている。
上から羽織っているのは、深い藍を帯びた外套。
布地は柔らかく、異国の文様が控えめに織り込まれていた。
どこか、連邦の西ではなく――
東方寄りの、熱と香りを孕んだ装い。
腰は絞られ、足取りは軽い。
無駄のない体躯が、服越しにもはっきり分かる。
そして、何より目を引いたのは――
結い上げていない髪が、陽を受けて揺れていた。
仕事中に見せる、計算された笑みはない。
代わりに、視線は穏やかで、気配は静かだ。
――若い。
そして、驚くほど、美しい。
(……統括官、でしたよね)
一瞬、本気でそう思ってしまう。
視線を感じたのか、ルーカスが顔を上げる。
「あ、来たね」
声は、いつも通りだ。
だが、その一言だけで、数人分の視線が一斉にこちらへ流れた。
(……気づいてない)
自分がどれだけ目立っているかを、本人だけが分かっていない。
「お待たせしました」
エルフリーデがそう言うと、彼は首を振る。
「いや、ちょうど来たところ」
自然に、半歩前に出る。
人の流れから、彼女を庇う位置取り。
無意識だ。
(……慣れてる)
誰かと並んで歩くことに。
誰かの視線を引き受けることに。
「行こうか」
それだけで、彼女の歩幅に合わせて歩き出す。
エルフリーデは、並んで歩きながら、今さら目的地について考えた。
(……服屋、とは言っていましたが。どの程度の、でしょうか)
連邦に来てから、それなりの時間は経っている。
だが、生活範囲は極端に狭かった。
宿舎と職場。
必要があれば、近くの市場か、既製品を扱う店に立ち寄る程度。
流行や格式とは、ほとんど縁がない。
(公爵家との顔合わせ用、となると……)
頭の中で、ぼんやりと想像する。
派手すぎず、地味すぎず。
露骨な装飾は避けつつ、失礼にならない布地。
少なくとも、「仕事着ではない」ことが分かる程度の――
(……きちんとした、服屋、でしょうか)
王宮にいた頃なら、僅かに与えられた服の中から選べば良かった。
だが今は、自分で考えなければならない。
(最低限、貴族相手に失礼にならない程度で……)
そこまで考えたところで。
数分後。
エルフリーデは、その認識を、静かに撤回した。
目の前に現れた建物は、
彼女が想定していた「最低限」の、はるか外側にあった。
「……え」
立ち止まる。
目の前にあるのは、
一目で“格式が違う”と分かる建物だった。
白い石造り。
磨き抜かれた外壁に、派手さはない。
だが、近づいた者だけが分かる圧がある。
入口に立つだけで、客として迎えられるか、それとも“通されない側”かを測られている気がした。
(……ここ?)
「着いたよ」
あまりにも自然に言われる。
「ル、ルーカス様。ここは……」
「ん? 服屋だけれど……」
即答。
エルフリーデが思わず息を呑むのを見て、
彼は少しだけ口元を緩めた。
「そんな緊張しなくても大丈夫だよ。貸切にしたから、他の客は居ないし」
「え?」
その口調は、会議室を一つ押さえた、と言うのと何も変わらなかった。
(……今、何と仰いました?)
――いや。ここまでの格式が高そうな店を、そう扱える人間が、どれほどいるのか。
エルフリーデは、
改めて隣に立つ男を見上げた。
扉が開いた。
柔らかな絨毯が足音を吸い込み、外のざわめきが扉の向こうで切り落とされた。
中は、静寂。
店員たちはすでに整列しており、
視線は一斉に二人へ向けられる。
誰一人、声を上げなかった。
足音だけが、柔らかく床を打つ。
先頭に立つ一人が、
深く、しかし過剰にならない一礼をする。
「お待ちしておりました」
名前は呼ばない。
身分も、用件も、確認しない。
必要なことは、すでに共有されている。
奥へと促す仕草も、
言葉ではなく、半歩分の位置取りだけだった。
誰も、彼女の身なりを値踏みしなかった。
視線が向けられたのは、
今の装いではなく――これから着せるべき姿だ。
「こちらへ」
名を呼ばれないまま、案内される。
通された一角には、すでに数着の衣装が用意されていた。
どれも既製品だが、量産の気配は微塵もない。
今季の流行色を押さえながら、線は過剰に主張せず、布地は軽いのに、落ち着きがある。
王都の最先端を取り入れつつ、“見られる場”を理解している服だった。
エルフリーデが言葉を失っていると、店員の一人が、静かに説明を始める。
「本日は急ぎとのことでしたので、調整幅のあるものを中心にご用意しております。いずれも、公式の席に耐える仕様です」
“耐える”という言葉が、この店の基準を端的に示していた。
ルーカスは、その様子を少し離れた位置から眺めている。
口を出さない。
だが、視線だけで一着を指す。
「それ」
短い一言。
店員は即座に頷き、
別の者が、同系統の色違いを二着並べた。
「……随分、即断ですね」
思わず漏れたエルフリーデの言葉に、ルーカスは軽く肩をすくめる。
「似合うのは分かるから」
迷いのない口調。
彼にとっては、服選びではなく、“場に出す準備”の延長なのだと分かる。
エルフリーデは、改めて衣装に目を向けた。
深い青を基調にした一着。
夜会向けほど華美ではなく、だが、日常着には決して収まらない。
胸元の切り替えは高めで、線はすっきりとしている。
腰から落ちる生地は軽く、歩けば、ごく控えめに揺れるだろう。
装飾は最小限。
刺繍は光を拾う程度に抑えられ、近くで見て初めて、その精緻さに気づく。
王都の最新流行を取り入れながら、流行そのものを誇示しない。
――“公爵家の席”に、
余計な主張を持ち込まないための服だった。
――公爵家との会合用。
その言葉が、遅れて腹に落ちる。
「……分かりました」
そう答えた瞬間、
店員たちは一斉に動き出した。
誰も急がない。
誰も遅れない。
まるで、
最初からこの一着に決まっていたかのように。




