業務外
昼前の廊下は、人の出入りが多い。
だが、その中を歩く二人の距離は、自然と空いていた。
「ルーカス様」
呼び止めると、彼はすぐに足を止めた。
即応だった。
忙しさの中でも、部下の声を聞き逃さない――
それが、この統括官の常だ。
「どうしたの?」
声は、いつも通り穏やかだ。
だが、身体の向きまできちんとこちらに合わせているあたり、
無意識の集中が出ている。
エルフリーデは、言葉を選ぶように息を整えた。
この話題を、どう切り出すか。
昨夜、何度も頭の中で整理したはずなのに、実際に向き合うと、やはり言葉を選ぶ。
「シュトラール公爵家からの正式招請に備えて……その」
視線を逸らさず、続ける。
「お恥ずかしながら、一緒に行く友人もいませんし」
ここで一瞬、わずかに間が空く。
だが、言い淀みではない。
「公爵家に相応しい服を選ぶ自信も、ありません」
事実を、事実として並べる。
感情は添えない。
そして、結論だけを。
「もしご都合がよろしければ、服選びにお付き合いいただけないでしょうか」
あくまで、業務上の相談。
正式招請に向けた、合理的な準備。
――そういう体裁で。
ルーカスは、すぐには答えなかった。
ほんの一瞬。
だがその間に、
彼の思考が、信じられない速度で暴走したことを、
彼女が知る由はない。
(……服?)
(公爵家用の?)
(一緒に?)
喉が、かすかに鳴る。
だが、表情は崩さない。
崩してはいけない。
彼は統括官で、彼女は部下で、これは業務だ。
そう思い込まなければならない種類の、業務だ。
「いいよ」
声は低く、落ち着いている。
「日程、調整して、後で伝えるよ」
即断だった。
迷いを見せない、いつもの判断。
「ありがとうございます」
エルフリーデは、深く一礼する。
それ以上、何も付け加えない。
用件は済んだ、という顔で、彼女はそのまま歩き出した。
足音が、廊下の向こうへ遠ざかる。
その背中が、完全に人混みに紛れる。
それを確認してから、ルーカスはようやく息を吐いた。
「…………」
一歩、動く。
二歩、動く。
執務室の扉を閉めた瞬間。
「……え?」
誰もいない室内で、
間の抜けた声が漏れた。
「え、待って」
机に手をつく。
「……服選び?」
脳が、ようやく言葉を理解し始める。
「一緒に?」
パサ、と抱えていた書類が床に落ちたことにも気づかない。
「……それって」
ルーカスの優秀な脳が出した結論は。
「デート……?」
静寂。
次の瞬間。
「いやいや」
即座に否定。
「違う、業務だ、業務。正式招請に向けた身だしなみの確認であって――」
言い聞かせるように、独り言が加速する。
「相手は公爵家だし、立場的に当然で、合理的だ」
だが。
(……一緒に、街に出るんだよな)
脳裏に浮かぶ光景。
彼女が、店の前で立ち止まり、「こちらと、あちら、どちらがいいでしょうか」と尋ねる姿。
(……やめろ)
胸の奥が、じわりと熱を持つ。
「……落ち着け」
額に手を当てる。
「これは、仕事だ」
何度も、繰り返す。
だが。
(……デートじゃない、よな?)
否定しながらも、その言葉を思い浮かべた瞬間、心拍が一段、速くなった事実を、彼は否定できなかった。
深く、息を吸う。
(……引き受けたのは、僕だ)
逃げ場はない。
統括官としての理性で、必死に平静を装いながら。
胸の奥では、確実に。
「何を着せればいいんだ……」
そんな方向へ、思考が滑り始めていることに、
ルーカス自身が一番頭を抱えたくなっていた。




