行き先
――行き先。
エルフリーデは、カフェの小さなテーブルに肘をつきながら、
自然とこれまで関わってきた国々を思い浮かべていた。
手元には、飲みかけの温かい飲み物。
素朴な陶器のカップから、かすかに湯気が立っている。
通りの外では、荷を運ぶ声や馬車の音が行き交っていた。
けれど、不思議と急かされる感じはない。
――考える時間、ね。
王宮では、ほとんど許されなかったものだ。
まず、辺境国家群――《グレイヴ辺境連盟》。
人手は足りている。
だが、制度が追いついていない。
開拓地ごとに税率が違い、徴税台帳の様式すら統一されていなかった。
治安維持は各地の自警団任せで、揉め事の仲裁は「顔が利く者」の一声で決まる。
書類を整えても、最終判断は現場の空気次第。
過去に、連盟の代表者同士が感情的になり、こちらが用意した調整案が白紙になったことを思い出す。
――調整役が、尊重されない場所。
仕事としては、割に合わない。
次に、神権国家――《聖都ラミエル教国》。
信仰と身分がすべて。
余所者が入り込む余地は、ほとんどない。
入国には推薦状。
滞在許可は、教会の監督官次第。
商取引の契約書でさえ、最後には誓詞が付く。
文面をどれだけ整えても、信仰の解釈ひとつで覆される。
過去、贈答品の選定を誤り、無用な誤解を招きかけたことがあった。
――神に仕える国は、人の都合で動かない。
論外だ。
軍事国家――《アルク=ヴァルド帝国》も、違う。
功績は武功で数えられ、書類は「勝ってから整える」もの扱いだ。
補給計画の不備で、前線の消耗品が途中で尽きた件。
報告書をまとめ、再発防止案まで提出したが、返ってきたのは「次は勝つ」という一言だった。
――理屈が通らない。
期限と予算を守る仕事をする場所ではない。
エルフリーデは、カップを持ち上げ、一口だけ飲んだ。
温かさが、喉を通っていく。
――消去法、ね。
そうして最後に残ったのが、通商連邦――《セフィラ通商連邦》。
元々は、単独では大国に太刀打ちできなかった小国や都市国家の集まり。
互いに争うより、関税と通貨、港湾規格を揃え、商いを軸に生き残る道を選んだ。
結果として、立場も文化も異なる者同士が、常に同じ卓につく必要がある国になった。
だから――
連邦には、書類が多い。
だがそれは、誰かが全体を見て、言葉を選び、衝突しない形に整えているからだ。
王宮で扱ってきた案件の中でも、セフィラ通商連邦絡みの仕事は、外交文書、契約、贈答、順序、席次まで含めて常に複雑だった。
それでも、感情ではなく、条件で話が進む。
時間はかかるが、最終的には、必ず形になる。
――仕事は、多そうだ。
それが、エルフリーデの正直な感想だった。
「……向いてるかは、分からない」
呟きながら、カップの縁を指でなぞる。
「無駄に、ならなければいいけれど」
特別な才能があるとは思えなかった。
剣が振れるわけでもない。
社交で場を支配できるほど、器用でもない。
ただ、言い争いになりそうな場面で、先に口を挟んでいただけ。
怒られそうな言い回しを、それっぽく言い換えていただけ。
締切が来る前に、何かしら形にして、机の上から消していただけ。
「仕事が、あるなら……」
言いかけて、言葉を止める。
それでいい、と言い切るほどの確信はない。
けれど――
今は、それしかない。
エルフリーデは、
カップの中身を見下ろしたまま、しばらく動かなかった。




