行き先
「迎え先は、シュトラール公爵家。」
空気が、わずかに変わる。
「連邦内調整の要所だ。表向きは中立。だが実際には、各国の利害が衝突する前に、話を“収めてきた”家だ。」
余計な説明はしない。
「歴代で王妃を複数出している。どの国とも直接組まず、それでいて、どの国も無視できない。」
言葉が、そこで一度区切られる。
それだけで、
その名が持つ重さは、十分に伝わった。
「シュトラール公爵家が提示している条件は、三つだ。」
淡々とした声。
だが、内容は軽くない。
「一つ目。君は、シュトラール家の正式な養女となる。形式上は“後継候補の一人”だ。」
補足は、最小限。
「飾りじゃない。名簿に載る。系譜に入る。」
それは、
庇護ではなく――立場そのものだった。
「二つ目。」
指先で、紙を軽く叩く。
「連合商務調整局での現職は継続。ただし、肩書きは“個人職”ではなく、“家門預かり”になる。」
エルフリーデの視線が、鋭くなる。
「……家の責任として、私を出す、ということですね。」
「そうだ。」
即答だった。
「君が判断を誤れば、シュトラール家が責任を負う。同時に、君を切れば、彼らの顔に泥を塗ることになる。」
その言葉の意味を、エルフリーデは即座に理解した。
逃げ場はない。
だが、切り捨てられる立場でもない。
それは、守りではなかった。
――相互拘束だ。
「三つ目。」
ルーカスは、ここで一瞬だけ間を置いた。
「婚姻について、即時の義務は発生しない。」
だが。
「ただし、“将来的な政略的連結を否定しない”という一文が付く。」
はっきりと、言う。
「相手国が、誰かを通してシュトラール家に触れようとする余地は、残す。完全な孤立は、彼らも望んでいない。」
エルフリーデは、すぐには答えなかった。
条件としては、緩い。
だが――
それは、先延ばしにされた選択肢でしかない。
理解した瞬間、自分の立つ位置が、はっきりと定まる。
――盤面の要石。
動かされるためではなく、動かせば、全体が崩れる場所だ。
「以上が、表向きの条件だ。」
ルーカスは、書類を閉じる。
「裏は?」
エルフリーデが、問いを投げる。
ルーカスは、視線を逸らさなかった。
「裏は、一つだけだ。」
声を低くする。
「一度入ったら、簡単には出られない。」
逃げ場がなくなる、という意味ではない。
「“個人に戻る”という選択肢が、ほぼ消える。」
それでも――
「その代わり、君を“消す”という選択肢も、世界から消える。」
エルフリーデは、ゆっくりと息を吐いた。
「……合理的ですね。」
感想でも、皮肉でもない。
「私を守るための条件ではなく、私を“使い続ける”ための条件です。」
「そうだ。」
ルーカスは、即座に肯定する。
「だからこそ、シュトラール家は本気だ。」
視線を落とさないまま、続ける。
「そして――他国は、手を出せなくなる。」
エルフリーデは、少しだけ目を伏せる。
逃げ道は狭くなる。
だが、仕事は続けられる。
判断する立場に、立ち続けられる。
顔を上げた。
「この条件で。」
短く、区切る。
「正式提示を、受けます。」
ルーカスは、わずかに息を吐いた。
「……了解した。」
それ以上、言葉を足さない。
これは同意ではない。
前進だ。
「明日以降、シュトラール家側との正式な手続きに入る。」
統括官として告げる。
「君は、もう“候補”じゃない。当事者だ。」
エルフリーデは、一礼する。
「承知しました。」
扉へ向かう背中を、ルーカスは見送った。




