私の結論
午後の光は、柔らかい。
だが、室内の空気は、どこか張りつめていた。
机の上には整理された書類。
仕事としては一区切りついている時間帯だ。
それでも、ルーカスは椅子に座らず、机の前に立ったままだった。
扉が叩かれる。
「……どうぞ。」
入ってきたのは、エルフリーデだった。
資料を一つ抱え、いつも通りの表情。
だが、視線の奥に、決めてきた色がある。
「お時間、よろしいでしょうか。」
「……うん、いいよ。」
一瞬、喉が鳴る。
(来たな)
彼女は座らない。
この話が、腰を落ち着ける類いではないと、最初から分かっている。
「先ほど、サルヴァトール商業共和国の方とお会いしました。」
その一言で、胸の奥がざらつく。
「……そう。」
声は平坦だった。
だが、それ以上を言う余裕がない。
エルフリーデは淡々と続ける。
「とても、理にかなった提案でした。十分な報酬。身分保証。住居と警備。政治的圧力からの遮断。」
一つずつ、数えるように。
「“調整の仕事だけをしていればいい”と。」
ルーカスは内心で歯を食いしばる。
(やめろ)
(それ以上、具体的に言うな)
だが、止める権利はない。
「責任はすべて上が持つ、とも。」
ほんの一瞬、間が落ちる。
「……とても、魅力的な環境でした。」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。
(当たり前だ)
(安全で、楽で、何も失わない)
(それに――)
(僕より、よほど合理的だ)
思考が、嫌な方向に滑る。
もし彼女がそこへ行けば。
傷つくことは減る。
消耗も、圧も、今よりずっと少ない。
――正解だ。
冷静に考えれば。
それでも。
喉の奥が、ひどく乾く。
「それで――」
エルフリーデは、少しだけ呼吸を整えた。
「私なりに、考えました。」
その声は、感情を抑えている。
だが、決意は隠していない。
「もし、私が今ここを離れれば。」
淡々と。
「確かに、安全で、守られて、問題は起きないでしょう。」
一歩、言葉を進める。
「でも、それは――“仕事をする場所”ではないと思いました。」
ルーカスの胸が、強く鳴る。
「ここでは。」
エルフリーデは、はっきりと言った。
「判断を任され、結果を共有され、逃げ道も示された上で、それでも選ばせてもらえます。」
一瞬、視線が揺れる。
「それは、簡単なことではありません。」
だが。
「私は、その方がいい。」
短く、明確な結論だった。
ルーカスは、すぐに言葉を返せなかった。
(……選ばせたつもりで)
(選ばれている、のか)
「だから。」
エルフリーデは、静かに告げる。
「私は、ここに留まります。」
忠誠ではない。
依存でもない。
「今後、どんな立場になるとしても――」
視線が、真っ直ぐに重なる。
「それは、自分で選びます。」
言い切ったあと、エルフリーデは視線を逸らさなかった。
逃げも、探りもない。
「連合商務調整局で。」
わずかに顎を引く。
「――あなたの下で。」




