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それでも足りない

話数一話飛ばして投稿していました。すみません

夜。


連合商務調整局本部、統括官室。


ルーカスの机の上に置かれた封書は、薄かった。

だが、触れた瞬間に分かる。


――これは、軽い用件ではない。


封蝋は控えめ。

帝国の紋章も、意図的に小さい。


開かせること自体が目的ではなく、「読ませた」という事実だけで足りる文面だ。


彼は、静かに封を切った。


中身は、驚くほど短い。



連合商務調整局

統括官 ルーカス・ヴァルハイト殿


貴局において、

エルフリーデ・アルディア・フォン・ローゼンハイム殿が

臨時調整責任者として任を負われたこと、記録院として確認いたしました。


その上で、申し添えます。


当該肩書は、帝国法および諸国間協定上、人材保護の対象要件を満たすものではありません。


今後とも、情報の共有を期待しております。


ヴァルディス帝国記録院



ルーカスは、読み終えてもすぐには紙を置かなかった。


(……なるほどな)


褒めてもいない。

否定もしていない。


ただ、一点だけを、冷静に突きつけている。


――その程度の肩書きなら、まだ関係ない。


(つまり)


(「取りに行ける」ってことか)


彼らは、すでに把握している。

エルフリーデの現在の立場も、権限の範囲も、最終決裁が誰にあるかも。


そして、その上で言っている。


――帝国には退く理由はない。


ルーカスは、ゆっくりと息を吐いた。


「……相変わらず、礼儀正しい脅しだな。」


机の上に書簡を伏せる。


肩書を与えた。

線の内側にも置いた。


それでもなお、ヴァルディス帝国は「条件未達」と判断した。


(……やっぱり、これだけじゃ足りない)


そう考えた、その翌日だった。


今度の書簡は、あまりにも丁寧だった。


厚手の紙。

指に吸い付くような質感。

読みやすい字幅と、計算された余白。


封を切る前から、

紙そのものに、ほのかに香りがある。


――香水だ。

しかも、安物ではない。


ルーカスは、嫌な予感を覚えながら目を通す。



連合商務調整局


平素より、連邦と我が共和国の良好な関係に感謝を。


さて、近頃貴局が関与された一連の調整案件につき、

その迅速性と安定性について

極めて高い評価が、我が国内でも共有されております。


特に、エルフリーデ・アルディア・フォン・ローゼンハイム殿の調整能力については、国際的資産としての価値を有すると判断いたしました。


つきましては、当該人材の安全確保および能力発揮を目的とした「共同保護・協力枠組み」の設立を、非公式にご提案申し上げます。


詳細は、貴局のご都合に合わせ調整可能です。


サルヴァトール商業共和国

対外協力評議会



文章は、どこまでも柔らかい。


「評価」

「感謝」

「協力」

「安全確保」


どの言葉も、角がない。

脅しの要素は、一切ない。


だが。


(……具体的すぎるな)


行間に、はっきりと条件が滲んでいる。


・安全確保

・能力発揮

・共同保護

・枠組み


どれも聞こえはいい。

だが、それはつまり――


(住居、身分、報酬、警護、行動範囲)


(全部、用意するってことだ)


しかも、本人に直接ではない。


(連邦経由、か)


エルフリーデを「引き抜く」のではない。

「連邦と協力する」という形を取る。


拒めば、こう言われる。


――人材を活かす意思がない。

――保護より放置を選んだ。


受ければ、こうなる。


――彼女は“共和国が守る人材”になる。


(……立派な檻だ。)


金で作った、安全で、快適で、外からは見えない檻。


二通の書簡を、机の上に並べる。


片や、露骨な脅威。

片や、甘い悪意。


手口は違う。

だが、行き着く先は同じだ。


――彼女を、こちらから切り離せ。


ルーカスは、二通を見比べたまま、しばらく動かなかった。


(……おかしいな)


小さく、独り言が漏れる。


(どうして僕は)


指先が、無意識に帝国の書簡を押さえる。


(どうして、ここまでやってる?)


統括官としてなら、分かる。

人材流出は防ぐべきだ。

連邦の信用問題でもある。


だが。


(それだけなら)


こんなにも、胸の奥が重くなる理由がない。


書類を処理するだけなら、もっと合理的な手はある。

役職を与えるだけで足りないなら、他の部署に回す手もある。

最悪、距離を取らせることもできた。


――それを、選ばなかった。


(……選ばなかった、のか?)


違う。


(最初から、考えもしなかった)


気づいた時には、「守る」前提でしか思考していなかった。


ルーカスは、ゆっくりと目を閉じる。


思い浮かぶのは、彼女の顔だ。


仕事中の、感情を削ぎ落とした横顔。

誰かに評価されても、浮かれない態度。

圧をかけられても、声を荒げない話し方。


(……なんでだ)


劇的な瞬間は、なかった。

心を奪われるような場面も、ない。


ただ。


いつの間にか、「消費される側に回る人間」だと分かってしまった。


そして。


(それを、見過ごせなかった)


それだけだ。

それだけのはずだ。


……本当に?


ヴァルディスの手紙を、もう一度見る。


サルヴァトールの提案に、目を移す。


どちらも、「正解」だ。

世界としては。


(でも)


ここで彼女を渡したら。


彼女が、金の檻に入るか。

帝国の道具になるか。


それを想像した瞬間、

胸の奥で、はっきりとした拒絶が湧いた。


(……嫌だな)


短い。

だが、誤魔化しようのない感情だった。


ルーカスは、はっとする。


(……ああ)


ようやく、違和感の正体が見えた。


これは、政治判断だけじゃない。

人材保護でもない。


(僕は)


言葉にするのを、ためらう。


(彼女を、どこにも行かせたくない)


守るため?

違う。


奪われたくないからだ。


世界に。

国に。

誰かの都合に。


机の上の二通の書簡が、やけに遠く感じる。


最後まで温存していた選択肢が、静かに、重さを持って浮かび上がる。


役職。

立場。

それでも足りないなら――


(……完全に、こちら側に置くしかない)


思考が、そこに辿り着いた瞬間、

ルーカスは自分自身に嫌悪を覚えた。


それは「守る」ための選択だ。

だが同時に、彼女が自分の意思で離れる可能性を、制度ごと削り取る行為でもある。


――そんな権限を、自分は、持っている。


ルーカスは、長く、静かに息を吐いた。


(……ここまで来たか)


自分でここまで追い込んだ。

誰に強制されたわけでもない。


そして。


(今なら、まだ)


彼女に、選ばせることもできる。

ここから離れる道を、示すこともできる。


だが。


その選択肢を思い浮かべた瞬間、

胸の奥が、はっきりと拒否した。


ルーカスは、苦く笑う。


(……ああ、最悪だ)


これはもう、

「優秀な部下」の話じゃない。


政治の顔をした、

感情の問題だ。


彼は、二通の書簡を重ね、引き出しにしまった。


答えは、まだ出さない。


だが。


次に動けば、

もう後戻りはできない。


それだけは、はっきり分かっていた。


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